なんとなくいやだなあ~とは思っても、
論理的にその根拠を述べるのが難しいことは往々にしてある。
しかし自然科学の世界では、
客観的な説得力が重要であったりするから厄介だ
人間中心主義はなぜダメか、について。
これまでは、ヒトはハイレベルな社会と技術を持ち、
影響力が大きすぎるから、という根拠を挙げていた。
しかも地球上で70億と、高次消費者としてはあり得ないほど個体数が多い。
すべてのヒトが恩恵に預かれる人間中心主義を貫こうとすれば、
間違いなく地球が崩壊する
まずは人口を数百分の一以下にしない限りは、
人間中心主義の徹底はありえないと言う考えである。
(日本で数十万人、世界で数千万人といったところだろう)
このことは繰り返し、「人口減らせ論」で述べてきたとおり。
★人口を減らせ論
http://blog.goo.ne.jp/cameleotino/c/920852491d01fb08a9f5af2701a9db51
が、
花里孝幸氏「自然はそんなにヤワじゃない―誤解だらけの生態系」(新潮社)
を読んで、もう一つ、新たな根拠を提示できるようになった
まず生物学的な前提として、
「生殖可能な子」を残せるもの同士を『同種』としている。
ロバとウマで
ラバというハイブリッドを産むことは可能だが、
ラバには生殖能力がない。
このため、ロバとウマは別種となるのだ。
かつて地球上に存在した「ネアンデルタール人」も
現存のヒト(ホモ・サピエンス)とは
交配が不可能なことがわかったので、別種ということになる。
現在も、アマゾンなどの奥地で、
文明から完全に隔離された民族が確認されている。
彼らのDNA、あるいは我々のDNAが長年のうちに変化し、
彼らと我々の間で、交配が不可能になる可能性は十分考えられる。
そうなると、その民族はホモ・サピエンスとは「別種」となる。
人間中心主義では、ホモ・サピエンス以外の生物を上から目線で見下ろし、
保護したり駆除したり……やりたい放題行ってきた。
だから「別種」であるその民族も、
イヌやカエル、あるいは虫と同様の扱いを受けることになってしまうのだ。
なにしろ、ホモ・サピエンスではないのだから・・・・・・。
そんなことが人道的に許されないことは明らかではかなかろうか。
脱・人間中心主義は21世紀の大きな課題だ
この前、2枚目の抽象画が完成!
前回は早春をイメージしたので、今回は初夏をイメージした
油彩絵具という画材を使い始めてほぼ一年だが、
すっかり気に入っている。
こんな風に厚塗りするのが特に好き。
次は盛夏をイメージして描こうと、こんなラフスケッチをしてみました。
もうここまで来たら、ビバルディの「四季」みたいなノリで、
すべてのシーズンを抽象画で表現してみようか……。
ところで、ビバルディの四季は、
Wikipediaで視聴できることがわかりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/四季_(ヴィヴァルディ)
ビバルディの四季において、私がおもしろいと思ってる点がある。
それは、春夏秋冬の4曲のうち最も暗いのが「夏」だということ。
それも死を感じさせるとさえ言われる、
「ト短調」という陰気な調が使われてるのだ。
どんな曲なのかは、Wikipediaにも書かれているので、
読みながら視聴してはいかがでしょうか。
因みに「夏」の第二楽章ではハエやブユも表現される。
ハエを扱った曲というのは、私は他に知らない。