「親戚」
この単語にどんなイメージがあるだろうか?
お盆の時期は、何かと親戚付き合いが多くなる。
私は、「親戚付き合い」にかなりプラスイメージがある。
花火大会に大勢の親戚が泊まりに来たり、
旅行に行ったり、墓参り、正月のドンジャラやトランプ、ゲーム……
小さい頃から、とかく愉しい思い出ばかりである。
今でもときどき、従姉妹たちとディズニーランドへ行ったりもする。
私が一人っ子であるため、従姉妹(従兄弟)が
兄弟姉妹のようになった例ともいえるかもしれない。
しかし、ネットや新聞を見ると、
「親戚付き合い」は「うざい」ものの代表ともされてるようだ
いったい何が違うのだろう、と考えた瞬間、あることを思い出した。
ある友人が、ブログの自己紹介で
好きなタイプ「うざくない人」、嫌いなタイプ「うざい人」
と書いていたのだ。
うざいか、うざくないか。
これがすべてを物語っている。
親戚付き合いも、近所付き合いも、職場の人間関係も、
いい人に囲まれてれば「うざくない」どころか、ものすごく愉しい。
一方、嫌なヤツがいれば、一気にうざいものとなる。
ボキャ貧の若い人が、なんでも「うざい」で済ませるとしばしば槍玉に挙がるが、
「うざい」という単語、意外に
人間関係の正鵠を射た単語なのかもしれない。
自分は、たまたま親戚に恵まれた。
それで、まったく「うざい」と感じることがなかったのだ。
いろいろな干渉や束縛にあふれる日本社会だから、
うざくない人になるのも楽ではないかもしれない。
それでもやっぱり、私は「うざくない人」になりたい