喪中はがき、投函しました。
枚数が膨大になってしまったため、
親しい親族の方へは、
申し訳ありませんが割愛させて頂きました。
母が亡くなってから「死」について、
自然科学的、哲学的に考えることが激増しました。
こんな本を見つけると、つい読んでしまいます。
古典力学(高校までで学習するニュートン力学)では
「霊」は存在しないと考えるのが自然でしょう。
※唯物論的な立場を取っている。
しかし量子力学まで学ぶと、
あるいは「霊」のようなものも
存在しうるのではないかと考えられます。
というか、存在しなければおかしい
とさえ思えてきます。
以前も書いたことがありますが、
量子力学って本当にぶっ飛んだ物理学です。
たとえば、1つの粒子が同時に3つの穴を通過する、
とかがありの世界なのです。
初めて学習すると、
SF? 哲学? スピリチュアル?
と思ってしまうのも頷けます。
また、現代物理学では独特の考え方があります。
一般常識では、男女がそれぞれ札幌と鹿児島へ行ったとすると、
鹿児島に男性が行ったとわかれば、札幌は女性とわかります。
当たり前ですが、
仮に「私」が鹿児島に男性が行ったと知らなくても
男性は鹿児島に行っています。
しかし量子力学の視点では、
「私」が鹿児島に男性が行ったと観測するまで、
男女のどちらが鹿児島に行ったかは未確定で、
2つの状態が重なり合っている、と考えるのです。
……ぶっ飛んでるでしょ?
上で紹介した田坂広志氏の著書では、
『ゼロポイントフィールド仮説』というものを採用しています。
読んでみるとわかりますが、ゼロポイントフィールドとは
昔から『アカシックレコード』と呼ばれていたものと
ほぼ同等であることがわかります。
この世界・宇宙はすべて波動である。
その波動はすべてゼロポイントフィールドに記憶される、と言います。
ゼロポイントフィールドには時間という概念がなく、
未来のことも記憶されています。
すべての人間の言動、思ったこと、考えたこと、
地球、そして宇宙で起こるすべての現象(波動)が
ゼロポイントフィールドに永久に記録されていくという説です。
原子、分子、そして物質とは
波動の形態の一つと考えます。
※このあたりは素粒子理論とかニュートリノについて調べると面白い。
肉体的(物質的)な死を迎えると、
ゼロポイントフィールドにある「本体」がメインになる
という唯識論的な考え方を導いています。
ところで、ゼロポイントフィールドってどこにあるのか?
みんなの歌『まっくら森』の歌詞を借りると
「どこにあるかみんな知ってる どこにあるか誰も知らない」
といったところでしょうか。
身近にどこにでもあるのだが、
三次元空間しか認識できない、肉体を伴った人間には
認識が難しいということのようです。
こういう部分は理論・数式レベルになってしまいますが、
やがてコンピュータ技術が進歩すれば、
認識するVRツールも開発されるかもしれません。
ということで、
学生の頃はシュレーディンガーの波動方程式で
挫折してしまったのであるが、
改めて勉強した量子力学のおかげで、
死後の世界はほぼ確実にあるだろうと思うに至ったし、
些か不謹慎な言い方ではあるが、死ぬのが楽しみになります。
もちろん、肉体的な死は不可逆反応だから、原則、
自ら積極的に死を選ぶべきではないと思いますが……。
↑量子力学を学ぼうとする多くの学生を挫折させる、
悪名高きシュレディンガー方程式。