日常会話で最もよく使われる心理学用語は何だろう?
おそらく「トラウマ」ではないだろうか。
ところが、
「トラウマなんてモノは存在しない」と
トラウマの存在自体を否定した過激な本がある。
今、大ベストセラーになってる「嫌われる勇気
」だ。
「嫌われる勇気」では、アドラー心理学を著者流にアレンジを加え、
非常にわかりやすく語られる。
これまで日本で主流だったのは、フロイトやユングの心理学。
たとえば「非行に走ってしまった」という事例では、
「家庭環境に恵まれなかった」などの原因があって
非行に走ったと考える(原因論)。
一方、アドラーの心理学では、
「家族や先生に注目されたい」、「社会に復讐したい」
という目的があり、
その目的を達成するために非行に走っている、と考えるのだ(目的論)。
過去なんて、なんの関係もない、
『今この瞬間の自分だけが、生き方を決める』という価値観だ。
ある意味、非常に厳しいといえる。
無意味に厳しいのは好きでないが、この厳しさは嫌いじゃない
それから「課題の分離」という考え方も、最高によい!
「課題」は誰の課題か?
それは、その課題によってもたらされる結末を
最終的に引き受けるのは誰か? と考えるのだ。
たとえば「宿題をやる」という課題。
宿題をやるかやらないか、
選択の結果を最終的に引き受けるのは、子どもである。
よって、これは子どもの課題。
アドラー心理学では、他人の課題に土足で踏み込むことを戒めている。
「宿題をやること」は、子どもの課題だから、
大人がどうこうできるものでは決してない。
もちろん放任しろというわけではない。
子どもに本人の課題であることを伝え、本人が課題を取り組もうとしたとき
いつでも援助の用意があることを伝える。
いわば、「馬を水辺に連れていくことはできるが、
水を飲むか飲まないかは、馬自身が決めること」だというのだ。
この考え方にも、甚く共感した。
私も生徒には過剰な干渉・束縛をしないよう、細心の注意を払っている。
全力で援助はするし、いつでも相談に乗る。
でも、最後の答えを出すのは「あなた」しかいないのだと……。
子どもや部下へのストーカー的な束縛・干渉をなくさない限り、
社会に「自由」はありえない。
その他にも、
・「他人の人生」ではなく「自分の人生」を生きよう
・本能や欲望の奴隷になってはいけない。
・他者からの目線を気にする生き方も、きわめて「自己中心的」だ
・「縦の人間関係」を排除し、「横の人間関係」を広げよう。
・他者を仲間とみなすか、敵とみなすかはあなた次第
・対人関係のカードは、常に「私」が握っている
印象に残ったところだけをつまみ食いして書いてみたが、
ぜひお勧めしたい一冊である
アドラー心理学的アプローチは「劇薬」なので、
効く人にはズシッと効くはずです。
この前参加した朝活。
タイトルだけ聞くと、限りなく怪しいけれど(^^;) 「あなたが生まれてきたワケ」
http://sola-morning.com/class20170315/
心理学メインの朝活なので、スピリチュアルに考えるのではなく、
E.エリクソンの心理学をもとに話し合う形式だった。
E.エリクソンは「アイデンティティ」という概念を作った人でもあり、
教員免許を取るときにも、かなり深く学ぶことになる人物だ。
エリクソン自身、「私は何者か」(=アイデンティティの確立)
を生涯悩み続けた人である。
「私は何者か」に自分なりの答えを見つければ
幸福感が増すとエリクソンは考えたようだ。
答えが出なくても、
答えなき疑問を一生悩み続けること自体がとても大切だ、
という価値観を提供した人物でもある。
ちなみに、私自身は……。
この朝活ではスピ系の話はしなかったけれど、
西洋占星術やオーラソーマを学んだ際にも、それなりの答えを見つけている。
「メッセンジャー系」であることは間違いないと思っている。
西洋占星術では、土星に着目することが多い。
土星(宿命)と水星(コミュニケーション)が
ほぼ重なっていて、それが獅子座にあるということで、
『自分が目立つことで、世界に何かを伝えることがミッションだ』
と解釈している。
オーラソーマでも、ソウルボトルが24番の「ニューメッセージ」。
「何かを表現することで、新しい時代にメッセージを
発信していくことが使命だ」と読み取れる。
「私は何者か」「私が生まれてきたワケ」、
それに迫るツールは、いろいろあると思う。
みなさんは、どんな答えを見つけましたか?
一か八か!
出たとこ勝負!!
ギャンブルはやらないのだけれど、この手の言葉が大好きだ。
このシーズン、手が荒れまくって毎日のようにささくれができる。
ささくれなんて、爪切りで切り取れば、
まったく無問題であることは理解している。
だが私は、
(西洋占星術的には)第一ハウスに火星を持つせっかち人間
ささくれが鬱陶しくて、家まで待ちきれず、
つい引っ張ってしまうのだ。
一か八か!
出たとこ勝負!!
うまくいけば痛みもなく、
ささくれだけをキレイにもぎ取ることができるが、
失敗すると、流血して数日痛むはめになる
そして、たいていはイチではなくバチになる……。
さっきも見事に失敗して左手に絆創膏を巻いている
季節の変わり目=気温の変わり目です
そういうところには、前線が停滞して
天気がぐずつきやすくなります
日本では、春から夏へと変わるときの「梅雨」が
最も有名ですが、
他にも秋雨、菜種梅雨、サザンカ梅雨、があるのです。
ここ最近、天気が変わりやすくなったと感じないでしょうか?
菜種梅雨の初期症状といえるかもしれません。
冬から春になるときに現れるプチ雨季です。
俳句の季語で使われる
「花曇り」や「催花雨」も菜種梅雨の症状でしょう。
※催花雨:桜をはじめとした春の花を、「早く咲け」とせかすように降る雨
菜種梅雨は、
活発な年とほとんど存在感がない年、かなり差があります。
1992年は、菜種梅雨前線がかなり活発だった年です。
東京でも3月の後半に4回も降雪を見るという、
にぎやかで騒がしい春の訪れでした
3月18日は、都心で10センチの大雪を警戒する予報が出たり、
(結果的にはうっすら白くなった程度ですんだ)
3月21日は、雷やあられを伴う大荒れの雪模様になったり、
3月23日には「大雪・着雪注意報」が出たり……。
人体の更年期障害や反抗期と同じく、
自然も「変化」が起こるときには、しっかりとシグナルが出るのです。
菜種梅雨を乗り越えると、麗らかな春が待っています♪
※以下、拙著もよろしくお願いいたします!
先ほどツイートもしたけれど、
今年は積雲系のにわか雨は多いわりに、
まだ雷が鳴った日はない。
「寒冷前線もどき」の通過は多いのに、
「優等生的な寒冷前線」の通過が、まだないからだろう。
雷とは、激しい上昇気流によって、
雲の中で氷の粒がぶつかり合い、
割れたりこすれたりすることで発生する静電気である
「激しい上昇気流」と「氷の粒」が必須であることから、
ほとんどは積乱雲で生じ、
ある程度の高さ(厚さ)まで発達した雲であることが必要だ。
冬季なら、厚さが6000メートルあれば十分可能性がある。
(夏季の大雷雨だと20000メートルに達するともいわれる)
ところで、2010年以降、
東京で初めて雷を観測した日を調べてみました。
年によってまちまちで、
2010年のように、6月まで無雷なんていう年もあった。
【東京で初雷を観測した日】
2017年:まだ
2016年:3月28日
2015年:4月15日
2014年:2月14日(例の大雪の日)
2013年:4月6日(爆弾低気圧)
2012年:1月23日
2011年:5月17日
2010年:6月4日
さらに、雷日数を調べてみると、
これも年によって差があり、多い年は少ない年の3倍以上ある。
【東京の年間雷日数】
2017年:まだ
2016年:8日
2015年:13日
2014年:20日
2013年:19日
2012年:26日(史上最多)
2011年:13日
2010年:11日
ちなみに、日本で最も雷が多い場所が金沢といわれ、
多い年には、年間で70日を超える
だが、驚くのはまだ早い。
東南アジアの熱帯多雨林気候の地域では、
年間の雷日数が360日を超える
「雷が鳴らない日」は、非常にレアな存在なのだ。
啓蟄を過ぎた
南関東でも、ウグイスが「ホーホケキョ♪」と鳴き出したようだ。
(冬の間は「チャッ、チャッ、チャッ」と鳴く)
まもなく、モンシロチョウも出現することだろう
過去6年のモンシロチョウの初見日と桜の開花日を並べてみる。
【モンシロチョウ初見】
2011年:3月12日
2012年:4月?日
2013年:3月10日
2014年:3月28日
2015年:3月27日
2016年:3月20日
【桜の開花】
2011年:3月28日
2012年:3月31日
2013年:3月16日
2014年:3月25日
2015年:3月23日
2016年:3月21日
たいての場合、春の花が咲くよりも、
虫が出てくるほうが先である。
桜よりモンシロチョウ初見の方が遅くなっている年があるけど、
単に、私がモンシロチョウに出会えなかったというだけだろう
きれいな色をした花は、ほとんどが虫媒花(虫に花粉を運んでもらう)
であるから、虫がいないときに開花しても意味がないのである。
それで、いろいろな虫の出現をパラメターに取れば、
桜の開花予想がより正確にできるのではないか。
そのためにも、
いろいろな虫を飼育して、自然状態で羽化した日を記録するのだ。
税金を使ってでも、もっともっと昆虫園を作るべし(*^▽^*)
油絵の第一作を完成させました~
小学生のときに、一回だけ油絵を描いたことがあるので、
人生で二枚目の油絵となります。
絵具のチューブの成分表を見ると、
カドミウムとかシアン化〇〇、とか
けっこう怖い化合物名が並んでるのも特徴的だ
そういえば、現代絵画では
「うまさ」はあまり評価対象にならないと聞く。
私には、他人の絵を見てうまいか下手か、判定するスキルはないのだが。
セザンヌやゴッホにしても、言うほど「うまくはない」らしい。
うまさ以上に、「人を引き付けるカリスマ性」が
大事ということだろう。
美大出身でない人間としては肩の荷が下りる話であると同時に、
「どうすればカリスマ性を出せるか」を
一生かけて追及していく覚悟が必要になるのかもしれない。
これまで静物画に取り組んできたが、
次作から他ジャンルにも挑戦したいと思っている。
自分、ありえないくらいおっちょこちょいなんです
今回は、楽しみにしてたこの朝活を
すっかり忘れてしまっていて……。
ドジな自分を激しく呪いました
SNSの心理学の話、聞きたかった。
http://sola-morning.com/class20170304/
SNSはわりと好きで、歴代、メジャーなものは
ほぼ使ってきている。
Cafesta→mixi→gree→Twitter→Facebook→LINE→インスタグラム
今はなきCafestaこそが、元祖SNSと言ってよいのではなかろうか。
平和な時代で、年齢に関するうるさい制限がなく、
小学生と友達になってお話するようなこともできた
SNSに限らず、子どもと大人が接することを
過剰に避けようとする風潮、あれはいかがなものだろう?
小学生と近所の浪人生(しかも六浪)が友達、
(キテレツ大百科:キテレツと勉三さん)とか、
子どもと近所の変なおじさんが友だち、
(おそ松くん:六つ子とイヤミ、ダヨーン、デカパン)
なんていうシチュエーションは、今では許されない
これは、功利主義的にも正しいとは言い難いと思う。
功利主義とは、ベンサムやミルたちが唱えた、
「最大多数の最大幸福」=なるべく大勢がなるべく幸せになろう、
という思想だ。
決して、「カネ~、カネ~」と
よだれを垂らすようなイヤらしい思想ではあるまい。
現代社会は功利主義に則って動いていると思っていい。
交通事故の危険があるのに、なぜ車はなくならないか?
「交通事故の危険」と「車の便利さ」を天秤にかけたとき、
後者が勝るからである
しかし、子どもと大人の交流を過剰に制限するのは、
功利主義的に正しいとは言えない気がするのだ。
「子どもが悪い大人に会って事件に巻き込まれる危険性」と
「子どもが年長者と交流せず、人生が貧しくなる危険性」
を天秤にかけると、果たして前者が勝ると言えるのだろうか?
学生のときは、「知らない人と話してはいけません」
と言われ、いざ就職するときになると、
なんとかの一つ覚えみたいに「コミュ力、コミュ力」言われるのだから、
混乱するな、という方が無理な注文である。