CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その2 椎本

2024年12月05日 03時12分46秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に
執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師

宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回

第2回は第46帖の椎本(しいがもと)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

前置きが長くなりましたが椎本の古跡を紹介していきます。
椎本の所在地住所は宇治市宇治東内28-31  彼方神社内 
所在地のGoogleマップを添付しておきます。


上の写真は式内 彼方神社(椎本)の入口 撮影:2024年12月1日 

上の写真は入口に立つ現地説明板 撮影:2024年12月1日 

上の写真は境内に設けられた椎本の石碑 撮影:2024年12月1日 
上の写真は彼方神社の祠 
諏訪明神を祭神とし、古くは宗像(むなかた)の神を祀ったといわれています。

椎本の名前の由来 
薫が故八の宮を偲んで詠んだ和歌「立ち寄らむ陰と頼みし椎が本むなしき床になりにけるかな」に因む。

椎本の概略あらすじ
薫23歳の春二月から24歳の夏の話。

2月20日ごろ、匂宮は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰路宇治の夕霧の別荘に立ち寄った。
宇治の姫君たち(大君、中君)に関心があったからである。
匂宮を迎えにきた薫君とともに宴をはり管弦を楽しみます。
宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、
八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。
翌日、八の宮から薫に贈歌があり、それを見た匂宮が代わりに返歌をする。
匂宮は帰京後もしばしば宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌を
常に中君に書かせるようになる。
薫君はますます大君に心をひかれていきます。
やがて八の宮は、薫に姫君たちの行く末を頼みながら、山寺で寂しくその生涯を閉じます。
八月二十日のころである。
薫君は何かと姫君たちの暮らし向きに心を配り、匂宮からも度々お見舞いの文が届けられていました。

関連サイト



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その1 橋姫

2024年12月04日 05時17分39秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第1回は第45帖の橋姫です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回

上の写真は宇治川のたもとにある紫式部像 撮影日時:2024年12月1日
紫式部は宮中では藤式部と呼ばれていました。

紫式部の生没年については諸説があり確定されていないがここでは天禄元年(970)に出生
長元4年(1031)没として纏めることにしました。

天禄元年(970)0歳 この頃生まれる 父は藤原為時、母は藤原為信の娘
         生誕年には973年他、諸説あり
長徳2年(996)27歳 父・藤原為時の越前守赴任に伴い、越前へ
長徳3年(997)28歳 藤原宣孝との結婚に向けて単身で帰京
長徳4年(998)29歳 藤原宣孝と結婚
長保元年(999)30歳 この頃、宣孝との娘・藤原賢子を出産
長保3年(1001)32歳 夫の藤原宣孝が死去
   この後、1年ほどを経て「源氏物語」の執筆を開始
   「源氏物語」の構想は大津市の石山寺で琵琶湖に映る月を観て発想
   「源氏物語」は全部で54帖に及ぶ長編小説。主人公・光源氏とその息子
   薫の恋愛模様を軸に貴族社会のさまざまな人間模様を描く
寛弘3年(1006)37歳 中宮・彰子(藤原道長の娘)のもとに宮仕えを開始
      (宮仕え開始は1004年説もあり)
    翌年5月まで自宅にひきこもる
寛弘5年(1008)39歳 この頃「源氏物語」の途中まで完成
     「紫式部日記」が書かれ始める(~1010年)
     紫式部日記には中宮・彰子の出産について記録したもので皇子の誕生を
     待ちわびる道長や彰子、女官らの宮中の様子の他に清少納言や和泉式部など
     同僚女房らの批評が書かれています。
     66代一条天皇(980-1011)が「源氏物語」を読み評価
     彰子に中国の詩文集「白氏文集」の「新楽府(しんがふ)」を進講
寛弘6年(1009)40歳 父・藤原為時が左少弁に昇進
寛弘7年(1010)41歳 この頃、源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)」の執筆開始
寛弘8年(1011)42歳 弟・藤原惟規 (のぶのり)が死去
長和2年(1013)44歳 歌集「紫式部集」を編む
   紫式部自身が詠んだ和歌130首を収めた歌集。少女時代から晩年頃までの生涯を
   たどるようにまとめられ、当時の紫式部の内面が伺える。
長和3年(1014)45歳 父・藤原為時が越前守を辞して帰京。
           藤原為時は翌年(1015年)に三井寺に出家
   紫式部がこの頃、死去したの説(この他1016年、1018年説)もあります。
寛仁2年(1018)49歳 摂政・藤原頼通邸の屏風に詩を献じる
寛仁3年(1019)50歳 この年まで中宮・彰子に宮仕えしたとの説もあり
長元4年(1031)62歳 死去

上の地図は宇治十帖の古跡の位置を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104 

前置きが長くなりましたが橋姫の古跡を紹介していきます。
橋姫の古跡の所在地住所は宇治市宇治蓮華47 橋姫神社




上の2枚の写真は橋姫神社の祠です。撮影:2024年12月2日
左手には瀬織津比咩(せおりつひめ)が祀られています。
右手は水の神である住吉神社 。下記の3神が祀られています。
表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと) 

上の写真は宇治市文化財愛護協会が作成した現地説明板 撮影:2024年12月2日
上の写真は橋姫神社マスコットキャラクター「橋姫ちゃん」バッチ等の販売品
撮影:2024年12月2日
上の写真は社務所

橋姫の概略あらすじ
自分の出生に不安を覚える薫君は、光源氏の異母弟で仏道に帰依する八宮の宇治山荘に
足繁く通うようになります。八宮が不在の折に2人の姫君の合奏を垣間見た薫君は、
姉大君に心ひかれ、2人は文を交わす間柄になりました。
八宮の山荘の女房から、自分が光源氏の本当の子供ではないと知らされた薫君は、
驚きうちひしがれてしまいます。ある時、薫君は宇治での話を匂宮に聞かせ、姫君への
あこがれをいだかさせてしまうのでした。

上の写真は源氏物語ミュージアムの橋姫の展示 撮影:2024年12月1日

橋姫の名前の由来
光源氏の息子である薫が下記の歌を八条の宮に贈った。
「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹の雫に袖ぞ濡れぬる」
”宇治川のほとりに暮らす姫君の気持ちを思い、浅瀬を漕ぐ舟の雫に濡れるように、私は、涙で袖を濡らしております。”
これが橋姫の巻名の由来である。

橋姫は宇治川にかかる宇治橋の守神です。

源氏物語絵巻


上の2枚の写真は愛知 徳川美術館蔵の源氏物語絵巻「橋姫」
昭和27年(1952)3月29日に国宝に指定されているものです 全15巻
12世紀前半 絹本着色・墨書
物語を綴った文書の後に絵が続きます。

関連サイト



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇治市の紅葉 on 2024-12-1&12-2

2024年12月03日 10時53分44秒 | 京都情報
2024年12月1日から1泊2日で宇治市を訪問しました。
その時に撮った紅葉の写真を紹介します。

宇治上神社の紅葉


上の2枚の写真は宇治上神社の鳥居付近の紅葉 撮影:12月2日早朝

三室戸寺の紅葉










上の6枚の写真は三室戸寺の紅葉 撮影:2024年12月2日

平等院の紅葉





上の3枚の写真は平等院鐘楼付近の紅葉 撮影:2024年12月1日



上の2枚の写真は紅葉ではないですが薄暮の平等院鳳凰堂 撮影:2024-12-1

宇治川堤の紅葉




上の3枚の写真は宇治川堤の紅葉 撮影:2024年12月1日

興聖寺の紅葉



上の3枚の写真は興聖寺の紅葉 撮影:2024年12月1日

源氏物語ミュージアム











上の7枚の写真は源氏物語ミュージアムの紅葉 撮影:2024年12月1日

恵心院のイチョウ
上の写真は恵心院のイチョウ 撮影:2024年12月1日
恵心院は「真言宗智山派」に属する宇治古刹「朝日山恵心院」であります。
 9世紀初期(平安時代)すなわち第52代、嵯峨天皇の弘仁13年(西暦822年)
弘法大師(空海)の開基であります。
 此の場所が、嘗て大師入唐の際、学びし唐の青龍寺の地形(裏に山丘、前に大河あり)に
似たるを以って『龍泉寺』と称されたのであります。その後、種々の戦火にあい、
堂宇破却したるを、寛弘2年(西暦1005年)比叡山横川の恵心僧都(源信)によって再興され、
寺号を「朝日山恵心院」と改め称されたのであります。
 江戸時代に入って、淀藩主永井氏の庇護を受けて伽藍の整備がなされたが、
数度の兵乱にかかり破却衰滅していたが真言宗の一沙門によって中興され、現在まで法灯を守護している。
 天正17年(西暦1589年)豊臣秀吉公、並びに徳川家康公より30石の御朱印を給わり、
堂塔完備境内荘嚴を極め、当地方に於ける真言宗の大道場として繁栄したが、
今は僅かに永禄2年(西暦1559年)造営の本堂及び楼門を残すのみとなりました。  



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長岡京跡

2024年08月11日 04時47分40秒 | 京都情報
2015年10月25日14時から、京都府向日市鶏冠井町大極殿55-2他で進められている
長岡宮跡第508次調査の発掘現場で現地説明会がある為出かけ下記のブログを書きました。


今回、歴史ウォークマップ「むこうまち」を歩こう!というパンフレットに
長岡京跡の全体図を解説した図があったので記憶として添付しておきます。
現在、断捨離で室内の資料類を処分する作業に取り組んでいるのでブログに
資料として蓄積する作業の一貫です。



長岡京は784年から794年の10年間山城国乙訓郡に存在した日本の首都である。
延暦3年(784)11月11日、桓武天皇(737-806 天皇在位は781-806)の命により
奈良の平城京より遷都された。

長岡京は、政治や儀式を行う大極殿や朝堂院などの官庁街と天皇の住まいである
内裏からなる宮域と、貴族や都市住民の居住域である京域に分けられます。

中心部の宮域はすべて現在の向日市域にあり、東西約1.0Km、南北約1.6Kmの大きさで
周囲は築地大垣で囲まれていました。
京域は東西4.3Km、南北5.3Kmで碁盤の目状の整然と区画されていました。
長岡京には位を有する役人が750人、下級役人や日雇いで役所の雑役に従事する人々は
約7,000人もいたといわれます。
役人の他に寺院の僧尼、専門的技術者、諸国から駆り出された農民などあわせて
5万人以上の人々が住んでいたといわれます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都市電 日本で最初に路面電車を走らせた京都電気鉄道と蹴上水力発電所

2023年12月28日 05時51分47秒 | 京都情報
日本最初の電気鉄道(チンチン電車)は明治28年(1895)、京都の岡崎公園一帯で
開かれた博覧会への客輸送のため、明治28年(1895)2月1日伏見(油掛通)と
京都駅(七条停車場)の間の6Kmの区間で開通
しました。私鉄の京都電気鉄道(株)が運営。
京都市民に親しまれた市電は昭和45年(1970)まで走りました。
線路幅は1067mm 。その狭い線路幅から「N電」(ナローのN) の愛称で親しまれました。

電気鉄道(チンチン電車)ができた背景ですが、京都では 琵琶湖疏水を利用した
蹴上水力発電所が 明治23年(1890)に完成し, その電力を利用して上述のとおり
明治25年(1892)に 日本で最初の営業路線となる電気鉄道 (電車) が開通した。
開通当初は、東海道線に踏切があって その南側が起点となっていたが 明治34年に
高倉跨線橋が完成して, 京都駅北側の路線と接続された。
上の写真は京都市内を走るチンチン電車
出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page27

東京では馬車鉄道が盛んであったため路面電車の開通は遅れて明治36年(1903)に開業しています。
日本で最初に電車を走らせたのは明治23年(1890)、藤岡市助で東京・上野で開かれた
第3回内国勧業博覧会に電車を出品し、実際に走らせています。
上の写真は藤岡市助が導入したアメリカ製の電車。わずか400mの区間を走っただけだが、
反響は大きかったそうです。
出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page26

また、京都駅の北東側に電気鉄道事業発祥地の碑が設置されています。
2012年3月21日に写真を撮っていますので写真紹介します。
上の写真は電気鉄道事業発祥地の碑 撮影:2012年3月21日

電気鉄道事業発祥地の碑は昭和50年(1975)2月1日に日本国有鉄道、京都市交通局、
関西電力株式会社、阪急電鉄株式会社、京阪電気鉄道株式会社、近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社、京福電気鉄道株式会社、
鉄道友の会京都支部の協力で設置されたようです。

碑に書かれている文章を引用させていただきます。
日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。
即ち明治二十八年二月一日 京都電気鉄道株式会社は 東洞院通り七条下る
鉄道踏切南側から 伏見下油掛通りまで 六キロの間に軌道を敷き
電車の運転を始めた。
この成功を機として 我が国電気鉄道事業は漸次全国に広がり
今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。
よってその八十周年にあたり 先人の偉業を讃えてこの記念碑を建てる。


石碑には当時のチンチン電車の写真もありました(下の写真)ので掲載しておきます。
 

伏見下油掛通りにも昭和45年(1970)2月1日に碑が建立されているようです。

琵琶湖疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、
明治18年(1885)起工され、明治23年(1990)に竣工した。

一方、琵琶湖疎水を利用する蹴上発電所は当初の計画にはありませんでしたが
明治21年(1888)に田辺朔郎と高木文平が米国コロラド州アスペンの
銀山で視察した水力発電に関心を持ち、導入が決定されました。
この結果、電力は京都の産業復興や日本初の路面電車の誕生に大きく寄与しました。
当初、蹴上水力発電所が稼働していないときは 路面電車も動かなかったようです。
蹴上水力発電所については下記ブログで詳細に書いています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭 主な祭事と2022年の山鉾巡行で注目されている話題

2022年07月03日 04時57分21秒 | 京都情報

祇園祭は、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは
「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く。京都の
夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭である。
京都及び各地に流行った疫病退散を祈願したのが元々の由来である。

コロナについては第6波から第7波が来るのではと懸念される状況ではありますが、

疫病退散の願いが届くように願っています。

本ブログでは7月1日から31日までの主な祭事を整理しました。

7月1~18日 吉符入  祭の無事を祈願する。この日の夜から祇園囃子の稽古が始まる

  1日 長刀鉾町お千度 長刀鉾の稚児が神前で祭礼の無事を祈る神事

  2日 くじ取り式  山鉾巡行の順番をくじで決める式

     山鉾町社参  山鉾連合会長はじめ各山鉾町の代表者が八坂神社に参詣する

  7日 綾傘鉾稚児社参 綾傘鉾を先導する6人の稚児が八坂神社に参詣する

  10日 お迎提灯  神輿洗の神輿を迎えるために提灯行列が所定のコースを巡る

     神輿洗式  中御座神輿を四条大橋に運び、鴨川の水で清める神事

10~14日 前祭 山鉾建て 前祭の山鉾23基を建て始める 

12~13日 前祭 山鉾曳初め 山鉾建て完了後、町内の直線道路を往復。昇初めも実施

  13日 長刀鉾稚児社参 長刀鉾の稚児が巡行の無事を祈り立烏帽子水千姿で参詣

     久世稚児社参 神幸祭、還幸祭の神輿に供奉する2人の稚児が八坂神社に参詣

  15日 斎竹建て   山鉾巡行の開幕を告げる「注連縄切り」の青竹を建てる

  16日 岩見神楽   八坂神社の境内の能舞台で岩見神楽が奉納される

     前祭 宵山  山鉾巡行の前夜、町会所などに山鉾の人形や織物などが飾られる

  17日 前祭 山鉾巡行 23基の山鉾が巡行する

     神幸祭(おいで)3基の神輿が氏子地域を巡行し、御旅所に渡御する

18~21日 後祭 山鉾建て 後祭の山鉾11基(鷹山が追加)の組み立てが行われる

20~21日 後祭 山鉾曳初め 山鉾建て完了後、町内の直線道路を往復。昇初めも実施

  23日 後祭 宵山  山鉾巡行の前夜、提灯にあかりが灯され祇園囃子が賑やかに奏でられる

  24日 後祭 山鉾巡行 11基の山鉾(今年から鷹山が追加)が巡行する

     花傘巡行   馬長や児武者などが列を整えて所定のコースを巡行する

     還幸祭(おかえり) 御旅所に奉安されていた3基の神輿が八坂神社に還る

  28日 神輿洗式   10日と同様に神輿を清め、その後に蔵へ納められる

  31日 疫神社夏越祭 八坂神社の境内摂社・疫神社の大茅輪をくぐり、護符を授かる

上述の2022年祇園祭の日程に関する詳細は下記サイトで紹介されています。

 祇園祭2022日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・) - 京都ガイド (kyototravel.info)

2022年は3年ぶりに祇園祭のハイライト的存在である山鉾巡行が実施され稚児も選出されました。

本ブログでは2022年の祇園祭で話題になっている下記の2つの項目について紹介します。

 1)祇園祭・芦刈山の小袖が復元新調

 2)後祭で「鷹山(たかやま)」が196年ぶりに復活参加

 

1)芦刈山 小袖

祇園祭の芦刈山保存会(京都市下京区綾小路通西洞院西入ル)は2022年5月30日、山鉾最古のご神体衣装とされ、重要文化財に指定されている小袖「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖(あやじしめきりちょうぼたんもんかたみがわりこそで)」を復元新調したと発表した。

1960年代に芦刈山町の蔵で見つかり、70年に国重文に指定された。墨書により1589(天正17)年に寄進されたことが分かっており、山鉾では最古の衣装です。現物は京都国立博物館に寄託されている。経年劣化していたため、これまで同保存会では、御神体に着せることはなかった。

京都新聞がYoutube動画を作成されていますのでGooで共有させていただきました。

祇園祭・芦刈山の小袖、復元新調(2022年5月30日、京都市中京区)

新たに製作した小袖は、7月の祇園祭前祭の宵山期間(7月14~16日)に展示し、17日の山鉾巡行で御神体に着せるという。





上の2枚の写真は芦刈山の巡行です 撮影:2016-7-17

貧しさのため妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす
謡曲「芦刈」を題材にした山。御神体(人形)は天文6年(1537)七条仏師運慶
の流れをくむ康運作(墨銘あり)。御神体の衣装は天正17年(1589)銘をもち
重要文化財に指定されています。

小袖について文化庁のデータベースより要項を記しておきます。

名称:綾地締切蝶牡丹文片身替小袖(あやじしめきりちょうぼたんもんかたみがわりこそで)

重文指定年月日 :昭和45年(1970)5月25日  所有者:芦刈山保存会

銘文:衿裏「天正十七年己丑年六月吉日」の墨書銘がある。

時代:桃山時代 寸法:身丈135.5 裄62.0 袖丈46.5 袖幅30.0 衿幅13.0 (㎝)

品質・形状:表白萌黄締切蝶牡丹文綾地、裏白地平絹の袷仕立て。前身頃、後ろ身頃とも大きく二段に分けて段替とし、さらに片身替にして四区に分ける。地は経糸と緯糸の色を替えた六枚綾地綾とし…

解説文:祇園祭りの芦刈山の人形が着用していた小袖である。段・片身替とし萠葱と白地を交互に織りわけ、地文に蝶牡丹文を織り出した綾で室町時代末期の特色が強く、数少ない当代の遺品としても優れている。

 

鷹山(たかやま)

鷹山は江戸末期に休み山となって以来、なんと約200年ぶりの巡行復帰となります。

7月24日の後祭(あとまつり)の山鉾巡行で披露されます。

KyodoニュースがYoutube動画を作成されていますのでGooで共有させていただきました。

祇園祭「鷹山」、復活へ 196年ぶり参加目指す

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その26(最終回) 舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)

2022年01月29日 04時54分31秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第26回(最終回)で11月19日の午前中に訪れた

舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)を写真紹介します。

製塩土器や海の祭祀に使われた銅鏡や玉類などの考古資料や日本海海運の歴史を伝える

北前船の模型、城下町田辺の歴史にまつわる資料や国内屈指の浮世絵コレクション

糸井文庫の貴重な資料などが展示されています。

このシリーズも執筆に長期間を要しましたがやっと最終回に漕ぎつけました。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第23回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第24回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その24 鸕鷀神社(うのもりじんじゃ) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第25回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その25 舞鶴かまぼこの展示 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

舞鶴市郷土資料館 (舞鶴ふるさと発見館)の基本情報

住所:舞鶴市南田辺1(舞鶴西総合会館1階) TEL:0773-75-8836

開館時間:9:00~17:00  休館日:毎月第3水曜日 / 12月29日~1月3日  

展示室入場料:大人100円、市外学生50円

リニューアルオープン年月:平成28年(2016)7月

公式サイト:舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館) | 株式会社トータルメディア開発研究所 (totalmedia.co.jp)

舞鶴市郷土資料館は昭和48年(1973)桑飼下縄文遺跡発掘調査を契機として郷土の

文化的遺産を保存・展示し、市民の教育文化んお向上に資するための施設として開館。

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

海とともに生きる

上の写真は舞鶴市郷土資料館 (舞鶴ふるさと発見館)の展示「海とともに生きる」

上の写真は平成10年(1998)2月に浦入(うらにゅう)遺跡で出土した縄文時代前期後半

(紀元前3,300年頃)の丸木舟1艇の写真が展示されています。

 

上の写真は志高(したか)遺跡から出土の縄文土器(縄文早期末 紀元前5,000年頃)

上の写真は小橋遺跡の有舌尖頭器(左)と女布(にょう)遺跡の有舌尖頭器(右)

いずれも縄文時代草創期(紀元前8,000年前)

上の写真は浦入遺跡から出土の磨製石斧(蛇紋岩製、富山湾産)と黒曜石(隠岐産)

時代は縄文時代、この頃から日本海側で各地と交易があった証拠となる遺物である。

上の写真は千歳下遺跡から出土の玉類、破鏡、鉄器、鉄悌の展示

発掘調査は平成11年(1999)に実施。上の展示は古墳時代の祭祀に関わる遺物。

上の写真は「笠百私印」刻印製塩土器などの展示

上の3枚の写真は浦入遺跡の製塩関係の展示

上の写真は銅鐸、青銅器祭器の展示

舞鶴の祭と祈りのこころ

上の写真は平野屋太神楽(平野屋自治会館蔵)

上の写真は千歳天満宮の振物衣装(千歳自治会館)

日本海大交易の時代

上の3枚の写真は北前船の展示と説明パネル

城下町田辺の歴史と文化

上の写真は城下町田辺の歴史と文化の展示遠景

上の写真は朝代神社祭礼絵巻(全3巻)の展示

上の写真は牧野氏時代の城下町の町名と現在の自治会の対応表

上の写真は伊藤雋吉(しゅんきち)(1840-1921)の業績紹介コーナーの展示遠景

伊藤雋吉は舞鶴市手代町(現宮津口)出身の下級武士ですが、明治維新後新政府に

出仕して、海軍創設に関わりました。舞鶴鎮守府建設時には海軍次官として

樺山・仁禮・西郷の三大臣に仕えました。

上の写真の海図と伊藤雋吉の説明パネルでは海軍での歩みが解説されています。

上の写真は伊藤雋吉に関する解説。

舞鶴ふるさと発見館(舞鶴郷土資料館)だより 令和3年11月でも紹介されています。

 

糸井文庫

上の写真は糸井文庫の展示遠景

糸井仙之助(1874-1949)によって収集された丹後地方ゆかりの錦絵や書籍、古文書

郷土玩具、浮世絵など2,200点のコレクション。

上の写真は舞鶴市郷土資料館も入場券に描かれた糸井文庫の浮世絵「酒呑童子」

海軍の遺産

上の2枚の写真は海軍の遺産の展示説明文

上の写真は新舞鶴市街地図の展示

上の写真は明治19年(1886)の調査測量段階から明治34年(1901)10月1日の舞鶴鎮守府

開庁までの推移が書かれた年表の展示

 

舞鶴のみほとけたち

上の写真は舞鶴のみほとけたちの展示

舞鶴ゆかりの人物

上の写真は舞鶴のゆかりの人物の展示

その他の展示

最後に日支事変の戦死者の新聞切り抜きの展示(下の2枚の写真)を添付して筆を置きます

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その25 舞鶴かまぼこの展示

2022年01月28日 04時29分41秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第25回で11月19日の午前中に訪れた高速バス待合所

内の舞鶴かまぼこの展示を写真紹介します。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第23回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第24回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その24 鸕鷀神社(うのもりじんじゃ) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は展示の遠景

製造するための機械や説明パネルが掲示されていました。

舞鶴かまぼこの美味しさの秘密を説明したパネル(上の写真)

「舞鶴かまぼこ」には以下のような特徴があるそうです。

  京都府のサイトよりの引用です。

  1. 舞鶴かまぼこ協同組合の研究室で高度な検査に合格した良質な原料のみを購入、使用しているため、製品の高い品質を維持しています。
  2. 近海でとれた鮮魚(シログチ、エソ、トビウオ等)のすり身を4割以上使用しています。
  3. 特有のコシを出すために、すわり(45度で30~40分)、本蒸し(85度で30~40分)という舞鶴独自の2段階蒸し上げ方法を採用しています。

上の写真は舞鶴かまぼこを販売している店の紹介パネル

舞鶴かまぼこ手形は京都交通が販売しています。

1,000円で市内バスの乗り放題や提携の資料館・博物館などの入場料が無料になる

などの特典があります。

かまぼこ手形の詳細は下記サイトで紹介されています。

 京都交通株式会社:information:舞鶴かまぼこ手形 (kyotokotsu.jp)

上の写真は舞鶴かまぼこ〇枚掛けの展示

飾りかまぼこの台座製作に使用されます。明治~大正時代に使用されていました。

舞鶴かまぼこの商品群(上の写真)

舞鶴かまぼこの製造工程

上の3枚の写真は舞鶴蒲鉾の製造工程の説明

かまぼこ原料の歴史

上の写真は蒲鉾の原料の歴史

舞鶴蒲鉾協同組合及び組合員の歴史

上の写真は舞鶴蒲鉾協同組合及び組合員の歴史の説明パネル

 文政8年(1830)4代目の高野屋作兵衛が「細工かまぼこ」を手掛ける

 明治40年(1907)嶋田岩蔵が嶋岩を創業

         山源の創業

上記のような項目が記載されています。

 

バレンタインギフトの紹介:嶋七の公式サイト

 京都・舞鶴かまぼこ嶋七の今日の笑顔 (goo.ne.jp)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その24 鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)

2022年01月26日 05時43分52秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第24回で11月19日の午前中に訪れた村社 鸕鷀神社

(うの森神社)を写真紹介します。

明倫小学校の対面にある神社です。

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第23回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)の基本情報

住所:京都府舞鶴市南田辺8 (小字二の丸8番)

御祭神:鸕鷀草葺不合尊(神武天皇の父) 社格:円満寺村の村社

御利益:蝮除け、地域安全、家内安全、五穀豊穣

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

上の2枚の写真は鸕鷀神社の境内遠景と中景

上の写真は鸕鷀神社への入り口

上の写真は現地説明板 城下町倶楽部が選んだ舞鶴百選の一つ

鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)は、京都府舞鶴市南田辺にある神社。難字のため、

うのもり神社、うの森神社とも表記され、地元では「うの森さん」と親しまれている。

「丹哥府志」には鸕鷀大明神と記述されています。

創建年代は不詳。もともとは当地周辺の円満寺村の氏神だった。

鸕と鷀は両方とも鵜(う)の意味である。

上の写真は村社 鸕鷀神社と書かれた石碑

安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、細川氏が田辺城を築城した際、円満寺村の

村民が4軒だけ残して喜多村(きたむら)に移住させられた。

それ以降、城内の二の丸に奉斎され、城の守護神になった。しかし、祭日には円満寺村の

村民達は城内に入ることが許されていたという。

境内には今でも田辺城の石垣が残されている。築城期の、自然の石を積んだ

「野面(のづら)積」で、博打岬の花崗岩を切り出した石ともされる。

明治になってからか、場内からの移転の動きがあったが、財政難で中断、さらに浄財を

集めてようやく完成したのが現在の神域。

現在の社殿は大正元年(1912年)10月に竣工したもの。屋根はカヤ、随所に銅板が用いられている。

御祭神は鸕鷀草葺不合尊(明治以降に鸕鷀を連想して定められた)。初代神武天皇の父にあたる。

鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は日向の鵜戸神宮の御祭神である。

境内には、蝮(マムシ)除けの御砂があり、持ち帰ることができる。

昔、この辺りに藁葺き商として暮していた男がおり、ある時、道を歩いていたら足元に蛇が巻きついていきた。

蛇が離れようとしないので、そのまま当社まで歩いた。ヘビは強い毒性のある

マムシだったが、男は当社の白い砂をマムシにかけた。

すると、マムシは男の足から離れ、当社の神域から逃げて行ったという。

現在も、農作業を行う人が砂を取りにくることがあるという。

祭礼は春まつりと秋の2回。7日前の幟立て、前日清掃などは地区の振興会が管理している。

酉年の正月には、初詣客も多くなるという。

上記文章と下に添付の動画は下記サイトを参照しました。

 鸕鷀神社 京都府舞鶴市南田辺 - 神社と古事記 (buccyake-kojiki.com)

うのもり神社 舞鶴 京都 / Unomori Shrine Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校)

2022年01月25日 05時35分35秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第23回で11月19日の午前中に訪れた明倫館

(現明倫小学校)を写真紹介します。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は明倫小学校の遠景

廻りを塀で囲み旧明倫館の雰囲気を醸し出している。

現在の校舎は、昭和56年から2年間をかけて全面改築されたが、正門は「明倫館」

当時のものを移築したもので、昔ながらの面影を今に伝えている。

明倫小学校の基本情報

住所:舞鶴市北田辺128−1 TEL:0773-75-1225

設立年月日:明治6年(1873)4月13日 来年(2023)には150周年を迎える

公式サイト:舞鶴市立明倫小学校 - 舞鶴市立明倫小学校 (maizuru.ed.jp)

上の写真は明倫小学校の校門として利用されている田辺藩の藩校「明倫館」で使用

されていた由緒ある門。2017年(平成29年)2月28日に舞鶴市指定有形文化財に指定。

藩校は天明年間(1781-1788)田辺城の三の丸に開かれた「明倫斎」に始まり、

文久年間(1861-1863)に増改築され「明倫館」と改称されました。

明治5年(1872)学制の頒布により明倫校となりました。「明倫館」の土地と建物を引き継ぎ、

庶民の学校として明治6年(1873)4月13日、誕生したのが、「明倫小学校」である。

「明倫」とは、「人倫を明らかにする」ということを意味する。すなわち、「人の守るべき

道義を明らかにする」という意味である。

上の2枚の写真は舞鶴百撰の碑と明倫館(明倫小学校)の現地説明板

上の写真は舞鶴田辺城資料館の展示

上記資料の説明文の内容を要約・加筆して記述します。

田辺藩の藩校は天明年間(1781-1788)、田辺城6代藩主の牧野宣成により城内三の丸に

「明倫斎」として開校。「明倫齋」が創立された年月は明らかではないが、第3代藩主の

牧野英成のとき、河村久八、杉本剛齋の二人が学事を担当し、学問所を開設したのが

田辺藩文教の始まりだと言われている。

文政・天保期(1818-1844)には8代藩主の牧野節成が、江戸で儒者・文章大家の名声を

博していた田辺藩士、野田笛浦を帰国させ、明倫斎の儒員として藩学の刷新を図らせた。

野田笛浦は、学問所奉行、明倫斎学識となって勧善寮・蔵修寮を増設し、藩学に昌平学派

を育成した。文久年間(1861-1863)、9代藩主の牧野誠成は「明倫斎」を増改築して

「明倫館」と改称し職員を拡充した。藩校は大手門を入った東側にあり、明倫館、勧善寮

(高等学問所)、蔵修寮(学問所奉行、係員の詰所)から成っていた。自らも藩校において

講義を行った。江戸藩邸にも、仮校を設け「済美堂」と号した。

藩校には、士族の子弟が8歳から元服の年に至るまで学んだ。入学すると「小学」「家札」

「四書」「近思録」「五経」の順に素読。生徒を小学生、四書生、五経生、学頭生(卒業生)

の4科に分けた。「五経」が終わると歴史を加える。12歳になると「小学」解読(数人で書物を

読み合わせ論じ合う)の授業を行った。進学の度に従って会読、輪読(書物を数人で調べ

講義し合う)を行った。

修行時間は、辰時(午前8時)から、講釈・会読・輪読。午時(午後1時)から、読書。

未時(午後3時)から、習字・算術であった。学科は主に漢学。ほかに算法、筆道、習礼など。

また、場所を移し、弓道、馬術、槍術、剣術、砲術、弓術、遊泳を学んだ。

職員には会長(のちに学問所奉行)、学頭(学事担当)、記録方などの他に習字師、算師、

習礼師などの教師50余名がいた。経費はすべて藩費でまかなった。

藩費で他国へ遊学させることもあった。

安政年間(1854-1860)には、百余名が学んでいたことが記録されている。

上の写真は舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)の展示

かっての明倫館の姿を再現した模型

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする