本日は神戸ゆかりの有名人シリーズの第6回で経済評論家の「故内橋克人さん」
をテーマに書いていきます。
内橋克人さんを選んだきっかけは2022年3月12日(土)の朝、NHK総合テレビの
「あの人に会いたい」という番組で紹介されていたからです。
経済評論家 内橋克人(うちはし・かつと)さんは2021年9月1日に急性心筋梗塞のため
鎌倉市の病院で死去されました。89歳とのこと。
シリーズ過去の記事
第1回 滝川クリステルさん
第2回 プロゴルファー古市忠夫さん
第3回 政井マヤさん
第4回 佐川満男さん
第5回 瀬戸カトリーヌさん
上の写真は昭和7年(1932)神戸市須磨区生まれの内橋克人さんが2011年のTV出演で
戦時中の戦争体験を語っておられます。権現さんというのは地元では有名な神社で
證誠神社を指しています。
上の5枚の写真は戦時中、戦争を止められなかった原因と戦後も基本的に
変化していないと切々と話されていた内橋克人さん。
これらの思考は戦争の原体験から生まれたものですとも語られました。
以下、Wikipediaより内橋克人さんの略歴を引用紹介します。(一部加筆)
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本の経済評論家。神戸市須磨区の出身。
兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、35歳(1967)で神戸新聞を退社フリーとなる(上京)。
日本の高度経済成長を支えた現場の技術者たちを活写した『匠の時代』で脚光を浴びた。尚、匠の時代は夕刊「フジ」で連載したものが書籍となった。一方で『「技術一流国」ニッポンの神話』において技術立国で向かうところ敵なしと言われていた日本経済が大量生産・大量消費を前提とした量産効果に依存しているという弱点を抱えていることを指摘、主流の技術評論家や経済評論家の楽観論を批判した。
人間中心の共生経済の大切さを訴え続けた。「規制緩和という悪夢」「共生の大地」などの著書を相次いで出版。95年の阪神・淡路大震災では被災者の立場に立った地域再生を唱える。東京電力福島第1原発事故後は脱原発の活動に参画した。
また、バブル崩壊後もよく唱えられている「改革」が剥き出しの市場原理主義に則っていて社会的費用を弱者に転嫁しかねないと指摘、アメリカ流の聖域なき構造改革に厳しく警鐘を鳴らし、その対抗思潮をいち早く展開した。
読売テレビ制作の「ウェークアップ!」のレギュラーコメンターもしていた。
「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている。
2006年、第16回イーハトーブ賞受賞。
2009年、第60回NHK放送文化賞受賞。
日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人。
2013年には自伝的作品として「荒野渺茫(びょうぼう)」を出した。
2021年9月1日午後4時37分、急性心筋梗塞により神奈川県鎌倉市の病院で死去した。
主な著書
『外資のなかのニッポン』三一書房・三一新書 1968
『恐るべき外資企業 高収益商法の秘密』エール出版社 1971
『外資商法で儲けろ 超高収益商法から学ぶもの』エール出版社 1972
『優績店への挑戦 ドキュメント 地域密着化に成功した銀行支店の記録』近代セールス社 1972
『挑戦する幹部 「管理から指揮へ」のリーダーシップ』日本能率協会 MSDシリーズ 1974
『伝説の日本人 明治・大正・昭和"型やぶり人間"考』ダイヤモンド社 1975 「破天荒企業人列伝」新潮文庫、「日本資本主義の群像」現代教養文庫
『危機こそ好機である 売上アップの逆転商法』文潮出版 マネーシリーズ 1976
『「安宅崩壊」以後これからの昇進・仕事・人間関係』徳間書店 1978
『恐慌 サラリーマン恐怖時代 ドキュメント』東洋経済新報社 Vブックス 1978 のち新潮文庫、現代教養文庫
『匠の時代 先駆的開発者たちの実像』サンケイ出版 1978 のち講談社文庫、岩波現代文庫
『続・匠の時代』サンケイ出版 1978 のち講談社文庫
『続々・匠の時代』サンケイ出版 1979 のち講談社文庫
『経営の匠・その生き方 「企業新世代」を拓く経営テクノクラートの実像』サンケイ出版 1980
『続々々・匠の時代』サンケイ出版 1980
『続々続々・匠の時代』サンケイ出版 1980
『新・匠の時代1(「生命の海」を拓く)』サンケイ出版 1980 のち文春文庫
『ニッポン地球時代 匠・海外篇』1-3 日本経済新聞社 1981-82
『幻想の「技術一流国」ニッポン』プレジデント社 1982 のち新潮文庫、「「技術一流国」ニッポンの神話」現代教養文庫
『新・匠の時代2(インターフェロンから核融合まで)』サンケイ出版 1982
『社長辞典』サンケイ出版 1983
『日本エネルギー戦争の現場』講談社 1984
『考える一族 カシオ四兄弟・先端技術の航跡』新潮社 1985 のち文庫、「考える一族 : カシオ四兄弟・先端技術の航跡」岩波現代文庫
『「重厚長大」の復権 5年後,日本の企業はどうなっているか』講談社 1985 「「重厚長大」産業の復権」文庫
『原発への警鐘』講談社文庫 1986
『ガンを告げる瞬間』新潮社 1987 のち講談社文庫
『「手法革命」の時代』中央公論社 1987 のち講談社文庫
『新・匠の時代』2 文芸春秋 1988
『ジャパン・システム激変の新図式 突然変わり出した不可欠構造』青春出版社プレイブックス 1988
『退き際の研究 企業内権力の移転構造』日本経済新聞社 1989 のち講談社文庫
『尊敬おく能わざる企業』光文社カッパ・ホームス 1991
『「革新」已む能わざる企業』光文社カッパ・ホームス 1992
『隗より始めよ 日本企業の生存条件』光文社カッパ・ホームス 1993
『破綻か再生か 日本経済への緊急提言』文芸春秋 1994 のち講談社文庫
『共生の大地 新しい経済がはじまる』岩波新書 1995
上の写真は内橋克人さんの代表的な著書。
下記のNHKサイトで内橋克人さんの考え方や功績を纏められています。
追悼 内橋克人さん “働く人の尊厳”訴え - NHK NEWS おはよう日本 - NHK
上記サイトでバブル崩壊期までは「世帯所得の中央値」は順調に延び550万円の水準と
なったが規制緩和の名のもとに非正規労働者の拡大した結果、所得水準は下がり
450万円のレベルで現在までの約20年間は450万円のレベルのほぼ平行線となった。
バブル景気が破綻した1990年以降、失われた30年間と評されています。
上の写真は生まれて間もない頃の内橋克人さん。
上の写真は神戸新聞社の記者時代(1957-1967)の内橋克人さん
昭和32年(1957)当時、戦争を経験した記者が多くいた神戸新聞には記者三訓というものが
あったといいます。記者三訓は以下のとおりです。
1)必ず現場に行き、自分の目で確かめろ。いかなる時もこの鉄則を怠るな
2)上を向いて仕事をするな。上とは権威のことであり、上司でもある
3)攻める側ではなく、攻められる側にいつも身を置くように
上の写真はフリーになった頃の内橋克人さん
上の写真は「匠の時代」の後の著書「幻想の技術一流国ニッポン」で市場原理主義や
規制緩和万能論を批判しています。
「尊敬おく能(あた)わざる企業」「共生の大地」「もうひとつの日本は可能だ」
「始まっている未来」「規制緩和という悪夢」。題名から内橋克人さんの思想が感じられます。
上の3枚の写真は番組の中で持論を述べられる内橋克人さん。
亡くなられるまで内橋克人さんは神戸新聞の客員論説委員として「針路21」で論説を
寄せられています。2020年10月5日の神戸新聞「針路21」では安倍首相を継承した菅首相の
政策について批判、さらにコロナ対策のためケタ外れの財政支出による巨額・財政赤字の
国家的処理(すなわち戦後のようなデノミなど)の危惧についても警鐘されています。
アベノミクスがについては「国策フィクション(虚構)」と断じた。
日銀の「マネー・ジャブ・ジャブ」(市場に円を供給し続ける)は現在も継続しています。
株高バブルの継続では失われた30年からの脱却はできない。
新たな経済再生のシナリオが必要である。
上の写真はFood(食糧)、Energy(再生可能エネルギー)、Care(介護・医療:コミュニティの再生)
FEC自給圏を提唱されています。
神戸新聞の「日々小論」2021年9月で論説委員長の勝沼直子さん、論説顧問の三上喜美男さん
編集委員会幹事の森玉康宏さんが内橋克人さんについて寄稿されています。