JR西日本の情報誌「JR西Navi」の2022年3月号に下の写真のような桜スポットとして
津山城・鶴山公園の桜が紹介されていました。
これに、刺激され2012年7月18日に訪問した津山城に関する記事を書く事にしました。
折しも3月9日の読売テレビ「若一調査隊」でも津山城とその周辺について紹介されて
いましたので一部、その写真を引用紹介します。
上の写真は昨日(3月13日)の4ch 朝のTBSニュースで紹介されていた伊豆大島の
早咲の桜の一種の寒咲大島の開花情報で満開でこれから1週間が見頃だそうです。
この季節これから続々と開花情報が放送されると思います。
津山城の基本情報
住所:岡山県津山市山下(さんげ)135 TEL:0868-22-3310(津山市観光協会)
築城時期と築城者:慶長9年(1604) 森蘭丸の弟の森忠政が13年の歳月をかけて、
元和2年(1616年)に完成
主要城主:森氏、越前松平氏 文化財史跡区分:国指定史跡
復元、整備:平成17年(2005)に本丸備中櫓を木造で復元
公式サイト:津山城(鶴山(かくざん)公園)│つやま小旅 (tsuyamakan.jp)
所在地のGoo地図を添付しておきます。
これから使用する写真は特記が無いものは2012年7月18日撮影の写真です。
津山城の立地と古地図
上の写真は現在のGoogle地図に出雲街道(黄色)で示したもの
出典:3月9日の読売テレビ「若一調査隊」
上の写真は津山城下町(惣構え)
出典:3月9日の読売テレビ「若一調査隊」
撮影:2012年7月18日
津山城跡
撮影:2012年7月18日
津山城復原図
上の写真は江戸時代前期の津山城 撮影:2012年7月18日
上の写真は現在の津山城跡
出典:3月9日の読売テレビ「若一調査隊」
上の写真は鶴山公園案内図 撮影:2012年7月18日
廃城令前の津山城
上の写真は明治時代初期(明治5年)の津山城の天守閣
出典:3月9日の読売テレビ「若一調査隊」
本丸備中櫓(復元)
備中櫓は本丸御殿の南に位置し、その名は森忠政の娘婿である池田備中守長幸に由来
すると伝えられている。撮影:2012年7月18日
森忠政の銅像
撮影:2012年7月18日
森忠政の略歴
撮影:2012年7月18日
森忠政の父親の森可成(もりよしなり)(1523-1570)については下記ブログで
書いています。森可成の墓は大津市の聖衆来迎寺にあります。
大津市坂本 明智光秀の所縁の場所訪問記 on 2020-3-3 その6 聖衆来迎寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
本丸からの眺望
撮影:2012年7月18日
津山城跡に桜を植えた福井純一
撮影:2012年7月18日
津山城跡に桜を植えた人
福井純一
鶴山公園は、岡山県内で唯一「全国桜名所百選」に選ばれている桜の
名所である。この桜の植樹に尽力したのが、福井純一である。
純一は明治11年(1787年)津山市本町中2丁目に生まれる。津山成器小
学校から同志社中学に進むが、父が病で倒れたため、中退して帰郷する
。町会議員から市制とともに市議会議員、昭和7円、第三代目の市議会
議長に就任する。
明治32年(1889年)、県有地だった津山城跡は、公園にするという条件で
津山町に払い下げられた、明治33年(1900年)から津山市が公園化に手
をつけ、純一も桜植樹の中心的な役割を担うことになる。「城跡を桜で埋
めるなんて阿保の沙汰じゃ」と揶揄されながらも、私財を投じるとともに寄
付集めに奔走する。
明治40年(1915年)と昭和3年(1928年)に御大典記念植樹が行われた
。津山城跡が桜で覆われるようになったのはこのころからである。
純一は昭和32年(1957年)生涯の大半を津山城跡の桜にかけた80年の
生涯を終えた。
上の写真は現地で掲示の津山さくらまつり 2012年4月1日~15日のポスター
撮影:2012年7月18日
鶴山館
撮影:2012年7月18日
上の2枚の写真は鶴山館の建物外観と内部の参勤交代の大名行列展示
鶴山館は冠木門東側の三ノ丸(東南)に、明治38年、旧藩・修道館を移築した建物。
津山藩別邸庭園(衆樂園)
上の3枚の写真は衆樂園の現地説明板、入り口部及び内部の庭園 撮影:2012年7月18日
衆樂園は津山藩2代藩主・森長継(ながつぐ)が京都から作庭師を招いて造営された
廻遊式庭園。京都御苑内にある仙洞御所を模して造られました。春の桜、夏の睡蓮、
秋の紅葉、冬の雪景色など、四季折々の景観美を楽しむことができます。
2002年9月には「旧津山藩別邸庭園(衆楽園)」として国の名勝に指定されました。