CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

9月9日は重陽の節句です

2023年09月09日 12時09分32秒 | Weblog
9月9日は「重陽(ちょうよう)の節句」です。日本の五節句の1つです。
 菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべたお酒(菊酒)を楽しんだりして長寿や
無病息災を祈願します。栗ご飯で祝うこともされます。
宮中では「菊花の宴」が行われていました。
中国では奇数のことを陽数といい、縁起がよいとされてきた。
なかでも最も大きな陽数「9」が重なる9月9日を「重陽の節句」と制定。

平安時代から江戸時代ごろは、五節句の中でも最後の節句として、
最も盛んに祝われていたよう です。 

日本の五節句は以下の通りです。

1月7日 人日(じんじつ)七草粥
3月3日 上巳(じょうみ)ひな祭り
5月5日 端午(たんご)子供の日、菖蒲の節句
7月7日 七夕(たなばた)星祭り
9月9日 重陽(ちょうよう)菊の節句、栗の節句

 五節句の制度は明治6年(1873)に廃止されましたが、今でも
季節の変わり目の諸行事が行われ我々の生活の中の風習として根付いています。 

江戸時代には、庶民の間で「御九日」として秋の収穫祭と習合して祝われるようになります。
収穫した栗と米を一緒に炊いた栗ご飯などで神様に収穫を感謝しました。
現在では「御九日」の祭礼が各地で行われています。
長崎くんち」が最も有名な「御九日」の祭礼です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢字が日本に伝えられたのはいつか

2023年09月09日 05時52分25秒 | Weblog
仏教伝来については教科書に明確に書かれており「538年百済の聖明王が仏像と経論を
欽明天皇政府に献じた 」と記載されています。「日本書紀」には552年 と記載。
漢字の伝来については明確に書かれたものを見たことが無い。

そこで、標題の疑問について調べてみました。

A説(1世紀頃)
漢字が最初に日本に伝わったのは、多分、1世紀頃。 
弥生時代の遺跡から発掘された中国「新」の時代の貨幣「王莽銭(おうもうせん)」
の一種や、歴史教科書に登場する「漢委奴(かんのわのなの)国王」の刻印
がある「金印」(AD57年)がその証拠。 
AD107年に倭国王が、後漢に遣使しています。
その時には漢の楷書体が完成していたか。
漢の時代はBC200~AD200年の約400年間


B説(4世紀~5世紀)
漢字は4世紀~5世紀頃、朝鮮半島を経て日本に伝えられたとされています。
日本の遺跡からは1世紀頃に造られたと思われる貨泉が見つかっていますが、これを当時の日本人が漢字として認識していたかは定かではありません。

現在日本で確認できる最も古い漢字が使用されたものは稲荷山古墳出土鉄剣です。1968年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣で、金錯銘鉄剣ともいわれ471年のものとされています。鉄剣には115文字の銘文が刻まれていました。

C説(3世紀頃)
邪馬台国の時代、紀元3世紀頃「魏志倭人伝」で有名なように、この頃には、
日本と中国との間に使節の往来があったことは確かです。
外交文書を扱うことができなければ、使節としては体を成しません。
恐らく邪馬台国やそれに先立つ国々には、漢字を理解し、文書を扱うことの
できる人々がいたに違いないと考えられています。

270~310年頃に「論語」、「千字文」が百済から到来した事実も知られています。  


書き終わっても釈然としませんがこの辺でアップします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする