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播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺

2022年02月10日 04時15分46秒 | 神戸市以外の兵庫県

長い間、中断していた表題のシリーズを再開します。

播磨町散策シリーズの第3回で梅谷家4代目の梅谷七右衛門清政と関係が深い金泉寺

の墓地を中心に写真紹介します。

金泉寺は昔、尼寺でしたが現在は無住の寺となっています。

シリーズ過去のブログ

第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

金泉寺の基本情報

住所:兵庫県加古郡播磨町本荘2丁目12−32 

宗派:浄土真宗 山号:海寿山 別名:角之坊

 

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

上の2枚の写真は金泉寺の遠景です。無住の寺にも拘わらず、地元の有志により

よく管理されているようです。

上の写真は入り口の地蔵尊

金泉寺の由緒

宝永7年(1710)、本荘村の中では屋敷が不足し、屋敷を持てない百姓も多いなか、

大水が出て喜瀬川が氾濫し堤や水門が流出しました。東本荘村の庄屋、梅谷七右衛門清政は

藩の命によりその復旧に当たりました。この時、5年の歳月と延べ3万人の人足を投入して

敷地を拡げる工事を行いました。

こうして新しく生まれた土地は土地境界を明確にした上で、村内の屋敷を持たない百姓

38軒を選んで与え、自立させました。またこれを機会に、村の中にあった三味(埋め墓)

を川の東に移し、その跡地には新しくお堂角の坊(金泉寺)を建て、堂守を置いて朝夕読経を

させたうえ、毎年7月7日に施餓鬼を行って、この地に葬られた人々の供養を怠りませんでした。

梅谷七右衛門清政、29歳 時は正徳2年(1712)のことでした。

上記文章は下記サイトより引用しました。

 播磨町 梅谷七右衛門清政 (harima.lg.jp)

上の2枚の写真は本堂と本堂に架かる扁額

宝暦5年(1755)、梅屋七右衛門清政は金泉寺(角之坊)に唐戸を建て半鐘を釣りました(72歳)

上の写真は累代の堂守の墓群

上の写真は梅谷家の墓群

梅谷七右衛門清政の直系かどうかは未調査で不明

この周辺は梅谷姓が多いようである。

本庄・梅谷氏は最初、平郡姓を名乗っていました。元禄(1688-1704)の頃、加古郡口里村

(加古川市尾上町)の梅谷氏から妻を迎え、その後、寛保年代(1741-1744)に松平姫路藩主

に仕え、梅谷に改姓し、七右衛門を襲名しています。

関連動画:

 東播フォーカス第59回「梅谷七右衛門清政とゆかりの文化財」

 

上の写真は享保3年(1718)の年代が判読できた墓石


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