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椎名麟三の文学碑 in 山陽電鉄本社前 on 2015-11-9

2015年11月15日 05時18分40秒 | 神戸情報
本日は山陽電気鉄道(山陽電鉄)本社前にある椎名麟三の文学碑を写真紹介
します。 撮影:2015年11月9日

上の写真は椎名麟三文学碑の遠景です。バックは山陽電気鉄道の本社建物。
山陽電気鉄道は通称山陽電車とも言っています。

椎名麟三は昭和4年(1929)頃より、宇治川鉄道(現山陽電鉄)に車掌として
2年余り勤めていたこと、またその経験を生かし「美しい女」を執筆したこと
により昭和60年(1985)3月この地に文学碑が建てられた。

文学碑の正面には「考えてみれば人間の自由が僕の一生の課題であるらしい」
この文章は椎名麟三が1954年に書いた『自由の彼方で』のあとがきに書いた
ものと碑文に刻まれています。
『自由の彼方で』は1954年大日本雄弁会講談社より出版 のち
 新潮文庫、講談社文芸文庫より出版

碑文の側面には上の写真のような椎名麟三(本名:大坪昇)の略歴が書かれて
います。

読みずらいと思いますのでそのまま引用記載します。


椎名 麟三   本名 大坪 昇

1911年10月1日 姫路市生まれ少年期を大阪、姫路で過ごす

1929年     宇治川電気(株)電鉄部(現山陽電気鉄道(株))に
        入社、2か年余り車掌として勤務。のち上京
        して作家を志す。

1947年     「深夜の酒宴」を発表し戦後派第一の新人として世に出る。

1953年     自伝小説「自由の彼方で」を発表

1956年     「美しい女」で芸術選奨文部大臣賞を受賞・
        代表作であるこれらの作品は当社に勤務して
        いたころの生活を背景に書かれたもので、この頃より
        西代、須磨、姫路に想いをよせた多くの秀作を世に問う。

1973年3月26日  没 享年61歳

          1985年3月
             山陽電気鉄道株式会社


Wikipediaで紹介解説された椎名麟三像について引用させていただきます。

「父・大坪熊次(おおつぼ くまじ)と母・みすの、の長男として、兵庫県飾磨郡曾左村之内書写村(現・姫路市書写東坂(ひがしさか))に出生。両親ともに愛人を持ち、のちに父母ともに自殺した事から困窮し、14歳で家出。旧制姫路中学を中退し、果物屋での20時間労働、飲食店の出前持ち、燐寸工場の鉄具ひろい、コック見習いなどの職を転々とした。宇治川電気(現・山陽電鉄)の車掌時代にカール・マルクスを読みはじめるとともに日本共産党に入党。

 1931年(昭和6年)に特高に検挙された。獄中で読んだニーチェ『この人を見よ』をきっかけに転向。その後ニーチェの『大いなる正午』をきっかけに哲学にのめり込む。エッセイ「蜘蛛の精神」によれば、キルケゴール、ジンメルなどを師とあおぎ、後に入信することとなるキリスト教に関する知識を得た。小説に関してはドストエフスキーとの出会いを通して「小説なるものの真の意味」を知ったと述べている。戦後『深夜の酒宴』(1947年(昭和22年))で登場。1950年(昭和25年)、キリスト教へ入信。日本基督教団上原教会にて赤岩栄牧師から洗礼を受ける。以後キリスト教作家として活動。55年『美しい女』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1973年(昭和48年)3月28日に61歳で死去。」

平成27年(2015年)2月14日(土)から3月29日(日)まで姫路文学館で
寄贈記念「椎名麟三新資料展」が開催されました。

このイベントは椎名麟三の文学資料がご遺族の大坪家から寄贈されたことを記念
して開催されたものです。今回展示される資料のほとんどが未公開資料で、
椎名が手もとに保管していた原稿、創作ノート、草稿、書斎の本棚に置かれていた
愛蔵書、おもに家族にあてた手紙、演劇やテレビ、ラジオ関係の台本などがあります。

詳細の情報は下記サイトに記載されています。

姫路市書写山円教寺女人堂に向かう石段際の生家前にも岡本太郎による文学碑が
あるようです。
 詳細の情報は下記サイトに記載されています。







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