姫路城の大手門はかっては二重枡形門という特に厳重な構造であった。
時期は池田時代=池田輝政による築造時(1601-1609)=第Ⅱ期
三重の城門=桜門、桐一門、桐二門(現在の大手門の位置)からなっていた。

上の写真は内曲輪の縄張図(全体)第Ⅱ期
出典:姫路城世界遺産登録30周年記念展 姫路城(2013) Page5
上記の桐一門を通れば、三の丸広場のほぼ中央に幅21mの大手道が大天守方向に
向かっていた。
三の丸大手道の幅は21m、長さ約200m

上の写真は上に添付の内曲輪の縄張図の内、現在の大手門付近の拡大図です。

上の写真は同じく大手門付近の門と石垣、堀などをより視覚的に表した絵です
時期は第Ⅲ期 本多時代(1618~1639)本多忠政による西の丸築造時
出典:姫路城世界遺産登録30周年記念展 姫路城(2013) Page15
姫路侍屋敷図 寛延4年(1751)~宝暦4年(1754)姫路市立城郭研究室作成
上の絵図には三重櫓である太鼓櫓が桐一門の左側(西側)に描かれています。
太鼓櫓は現存していません。

上の写真はかってあった三重櫓を示した図(赤丸で囲んだ場所)
出典:日本城郭研究センター編「姫路城の基礎知識」(2009)Page19
太鼓櫓は上記図の中央下部の赤丸部にあった
三重櫓は西・乾・東小天守に残されています。
明治7年(1874)大阪鎮台第10連隊の姫路城移転時、御屋敷、向屋敷など三の丸にあった
建物全てが取り壊されました。
現在の大手門は昭和13年(1938)桐二門の位置に建造されました。
現在の桜門橋は平成19年(2007)に建設されました。

上の写真はGoogleマップによる大手門付近の地図です。

上の写真は桜門橋の南側より撮った姫路城天守。 当日は霞がかかってぼやけていました。
撮影:2025年3月1日

上の写真は桜門橋の手前より大手門方面を撮ったもの
撮影:2025年3月1日

上の写真は大手門付近 撮影:2025年3月1日

上の写真は史跡姫路城の石碑と内堀の石垣
史跡姫路城の石碑の後方に太鼓櫓がありました

上の写真は太鼓櫓跡を石垣の内部から撮ったもの
撮影:2025年2月27日

上の写真は大手門を正面から撮ったもの
撮影:2025-2-27

上の写真は大手門左側の石垣
上から2段目の石垣に刻印、3段目は石棺を利用したもの
刻印は「斧(よき)」、元総社門で使われていた石材を近代に移設
撮影:2025-2-27
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