CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

yokohama  air cabinが横浜みなと未来21に誕生 on 2021-4-22 と神戸港ロープウエー構想

2021年04月21日 15時53分12秒 | 神奈川県情報

2021年4月22日、yokohama  air cabinが横浜みなと未来に開業するとの情報を

本日(4月21日)関西テレビ「めざまし8」で知りました。

写真紹介します。

都市型循環式ロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」はJR桜木町駅前から運河パーク

を結ぶもので明日(4月22日)に開業するとのこと。

上の写真は運行ルートを示したもの。

上の2枚の写真は昼間、地上よりみた都市循環式ロープウエー

上の写真はロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN)から横浜みなと未来方面の景観

上の写真は夜間のロープウエー「yokohama air cabin」

詳細については下記の公式サイトを参照してください。

YOKOHAMA AIR CABIN - 日本初、世界最新の都市型循環式ロープウェイ (yokohama-air-cabin.jp)

 

運行会社「泉陽興業株式会社」の公式サイト(下記)でも詳細な情報を得ることができます。

 世界最新式都市型循環式ロープウェイ | 泉陽興業株式会社 SENYO KOGYO CO.,LTD.

 

Youtube動画をGooで共有させていただきました。

 ヨコハマエアキャビンの救助訓練と内覧会

 

神戸港ロープウエー構想

神戸市においても、神戸港(新港第2突堤付近~神戸ハーバーランド)の1.2Kmの都市型ロープウエー

が計画(神戸港ロープウエー構想)されています。都市型ロープウエー1.2Kmは国内最長

2021年の秋には、新港突堤西地区で劇場型アクアリウムや商業施設が開場する予定で

こちらと、メリケンパーク、ハーバーランドに乗降駅を建設し神戸港一帯の回遊性を

高める計画である。

詳しくは神戸新聞2021年1月3日の1面トップに記載されています。

上の写真は神戸市における海上ロープウエーのルート

 

神戸市における水族館(アクアリウム)などの開発計画については下記ブログで

纏めています。

 建設が進む新港突堤西地区(第1突堤基部)再開発事業 on 2020-9-16 追記版 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

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須磨駅家(大田町遺跡) 

2021年04月21日 06時34分15秒 | 神戸情報

須磨駅家(大田町遺跡)について調べて纏めてみました。

参照資料は以下のとおりです。

1) 兵庫県教育委員会編 大田町遺跡発掘調査報告書
    神戸市大田郵便局等新築工事に伴う発掘調査報告書(1993)

2) 兵庫県教育委員会編 兵庫県古代官道関連遺跡調査報告書Ⅳ(2018)

3) 兵庫県立考古博物館編 風土記1300年記念特別展「古代官道 山陽道と駅家」(2014)

4) 神戸市教育委員会編 平成10年度神戸市埋蔵文化財年報(2001)

須磨駅家の概要

須磨駅家は畿内摂津国西端の駅家で、藤原純友に襲われた須岐駅の候補の一つ

とされています。(芦屋駅家の説もあり)

現在のところ須磨駅家の所在地の有力候補である神戸市須磨区大田町・戎町にある

大田町遺跡では「荒田郡 中富里 荒田直□□」と書かれた奈良時代前期の円面硯が

出土しており郡を越えた官衙があったことが推測されます。

荒田郡が当地(大田町)のことを指すのならば、雄伴郡成立前に荒田郡と呼称されて

いたことが判り、興味深い資料である。

大田町遺跡からは上記円面硯のほか奈良~平安時代の堀立柱建物、山陽道の側溝と

思われる溝、皇朝十二銭(和同開珎、萬年通宝、神功開宝等)や銅製丸鞆、越州窯青磁、

緑秞陶器、灰秞陶器などが出土しています。

大田町の西にある行幸町遺跡や天神町遺跡からは銅製鉸具(かこ)や古大内式軒丸瓦

帯金具が出土しておりこちらも須磨駅家の候補地にあがっています。

上の写真は太田町遺跡、行幸町遺跡及び天神町遺跡の位置を示しました。出典:2)のPage16

天神町遺跡の位置には西国街道沿いにあった旧前田家邸宅跡(神戸市須磨区天神町)

があり、前田家はその昔、駅家の管理運営を任されていた駅長の末裔ではないかと思われ、

しかも、後に須磨の関が設けられる位置で、この周辺に駅家があったものと推測されます。

前田家の邸内には、元宮長田神社があり、前田家は大宰府神社へ毎年、ここの菅原道真

所縁の菅の井の水を届けていたそうです。

上の写真は須磨天神町遺跡から出土した古大内式軒丸瓦の破片

出典:4)Page218

 

明治期の地図と大田町遺跡

上の写真は明治18・19年の地図で赤で大田町遺跡の位置を示しました。

上の写真は明治18年(1885)の大田町遺跡(須磨駅家)の位置 出典:2)Page16

 

須磨駅家~明石駅家間の山陽道

上の写真は須磨駅家~明石駅家の山陽道のルート 出典:1)Page57

須磨駅家~明石駅家の山陽道のルートは、近世と同じく海岸沿いを通っていたか、

鉢伏・鉄拐山の切り立った崖の続く海岸ルートを迂回して

須磨駅家~多井畑~塩屋~舞子~朝霧~明石駅家を経由する多井畑ルート

須磨駅家から北に向かい白川峠を通り布施畑から大山寺、長坂を通過し明石駅家に

到達する白川ルートが考えられています。

 

 

大田町遺跡出土の円面硯

上の写真は大田町遺跡から出土の内面硯  出典:3)Page46

上の2枚の写真は内面硯を図示したものです。文面「荒田郡 中富里 荒田直□□」

出典:1)Page71

 

大田町遺跡の発掘調査

 大田町遺跡は平成2年(1990)んの試掘調査によって発見された遺跡で平成3年

 (1991)1月23日~3月20日、関西文化財調査会により第1次発掘調査が実施された。

 続いて同年に第2次及び第3次発掘調査が行われています。

 発掘調査の概要については以下の表のとおりである。 出典:1) Page1

また発掘調査の場所については以下のとおりである。 出典:1)Page2

発掘調査はその後も継続して実施され神戸市教育委員会の平成27年(2015)の

神戸市埋蔵文化財年報では第19次にまで進んでいます。

第1次~第3・5次調査で奈良時代から平安時代の堀立柱建物を中心とする遺物から

古代山陽道に置かれた「須磨駅家」の有力候補と考えられてきている。

しかしながら、その後の発掘調査では須磨駅家跡の決定的な遺物は出土していない。 

駅家関連用語

(1)官道

上の2枚の写真は古代官道に関する解説図です。

都のある畿内(大和、山城、摂津、河内、和泉)以外の地は七道(山陽道、東海道、

東山道、北陸道、山陰道、南海道、西海道)に分けられ都から放射状に官道が各国府

へ向けて走った。

大路:山陽道

中路:東海道、東山道、北陸道

小路:山陰道、南海道、西海道

(2)駅家(うまや)

大宝元年(701)の大宝律令の制定により中央集権的な国家体制を目指して大和朝廷は

五畿七道と呼ばれる行政区画を設置し、官道を整備していった。

都(藤原京、平城京、平安京)から大宰府まで伸びる古山陽道はその中でも重要な官道であった。

古代山陽道は都から大宰府までの約800Kmを5日の行程で往来しました。(160Km/1日)

これらの官道には公の使者に馬や食料を提供し宿泊もできる駅家(うまや)又は単に駅と

呼ばれる施設をほぼ30里(約16Km)ごとに設置した。古山陽道では8km毎に設置。

駅家の施設としては、業務を行い駅使の宿泊施設となる区画施設を伴う駅館(駅館院)、

厩舎と水飲み場、食事の調理場、馬具・駅稲・酒・塩などの倉庫などがありました。

駅家は孝徳天皇大化2年(646)正月「駅馬伝馬を置け」の詔により創設された。

上の写真は布勢駅家(兵庫県たつの市)の模型

(3)駅鈴

駅使など公の使者が朝廷より支給された鈴で、駅家や駅馬使用の許可証にあたります。

(4)駅使(えきし)

駅馬に乗用して往来することを許された公使のことです。

中央から諸国に派遣される使者(朝使)には文書を伝達する使者(送書使)と派遣先

で特定業務を行う使者(検校使)がいます。諸国から中央へ向かう使者には国司が

任じた「四度使(よどのつかい)」と呼ばれる朝集使、計帳使、税帳使、貢調使があり、

税物や多くの報告、帳簿を中央に提出した。

(5)駅戸(えきこ)

駅戸は駅務に服する義務を負った特定の農民です。

(6)駅子(えきこ)

駅使の乗用する駅馬の飼育者で駅戸の課丁があてられました。

尚、須磨駅家での駅馬は13疋との記録があります。

(7)駅長

駅長は駅戸の中で富裕で才能のあるものが選ばれ、原則として終身の間任用されました。

須磨駅家では前田家の祖先がその任にあったとされる。

(8)駅起稲(駅稲)

各駅家を運営するための財源として都の兵部省により管轄。

駅田として大路では4町、中路では3町、小路では2町と規定

4町から収穫される白米は約4,800Kgになります。

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山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その16(最終回) 夢前川駅(山陽電車)

2021年04月20日 04時42分07秒 | 神戸市以外の兵庫県

2020年10月28日、山陽電車の西飾磨駅で下車し北西の英賀城跡を目指して

歩き出し帰りは山陽電車の夢前川を南下して戻るコースで散策してきました。

巡った場所をリーズで書いていきます。

本日はその第16回(最終回で「夢前川駅(山陽電車)」について

写真紹介します。散策に当たって下記の資料を持って巡回しました。

 tsuda.pdf (himeji.lg.jp)

 

 

シリーズ過去の記事にリンク

第1回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その1 今在家地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回  山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その2 英賀城広辻口石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その3 道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その4 英賀城本丸跡石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その5 中浜地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その6 英賀薬師周辺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回   山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その7 歌乃の清水の石碑と道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その8 河下口の跡碑と大木濠跡の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その9 祥福布袋尊堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その10 英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その11 英賀神社と英賀城址公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第12回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その12 光琳山 教法寺と光琳御殿所 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第13回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その13 英賀明神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第14回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その14  本徳寺跡碑(明蓮寺) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第15回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その15 英賀本徳寺跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は夢前川駅(山陽電車)の駅舎遠景です。左手が夢前川。

背後は製鉄記念広畑病院の建物です。

上の写真は駅舎のPRの壁画 ここは桜の名所です。

上の2枚の写真は駅のホーム内、夢前川の看板とホームに到着した山陽電車の普通列車。

上の写真は過去の訪問地と⑯夢前川駅(山陽電車)の位置を示しました。

 

細川地蔵 ②英賀城広江口石碑  ③道標  ④英賀城本丸跡石碑 ⑤中浜地蔵

英賀薬師の周辺 ⑦歌乃の清水跡 ⑧河下口の跡碑と大木濠跡の碑

祥福布袋尊堂 ⑩英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 

⑪ 英賀神社と英賀城址公園 ⑫光琳山 教法寺と光琳御殿所 ⑬英賀明神社

本徳寺跡碑(明蓮寺) ⑮英賀本徳寺跡

 

長く時間がかかってしまいましたがやっと最終回を書き終えました。

ご訪問頂いた方々には感謝致します。

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聖徳太子1400年御遠忌大法会 in 叡福寺 と聖徳太子所縁の寺社

2021年04月19日 04時13分44秒 | 大阪情報

聖徳太子は推古天皇30年2月22日(新暦換算622年4月8日)に死去されていますので

今年は没後、1400年の聖忌となることから、叡福寺で「聖徳太子1400年御遠忌大法会

が執り行われています。

聖徳太子1400年御遠忌大法会の要項

開催期間:2021年4月10日~5月11日 拝観時間は9:00~16:30(受付は16:00まで)

開催場所:叡福寺 大阪府南河内郡太子町太子2146  TEL:0721-98-0019

拝観料:大人 1,500円 小人 700円

公式サイト:上之太子 叡福寺 【公式】 聖徳太子御廟所 (eifukuji-taishi.jp)

期間中は、「聖徳太子絵伝」が特別に公開されるほか、雅楽、献華式、献茶式、

新作能、狂言などの奉納行事も予定されています。

大法会の詳細内容については上記の公式サイトを参照してください。

 

叡福寺のGoo地図は下記サイトに記載しています。

 聖徳太子墓(叡福寺北古墳)訪問記 on 2014-12-2 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)


 

聖徳太子関連年表
538年 仏教伝来(一説では552年)
540年 大伴金村、任那問題で失脚
552年 蘇我稲目と物部尾輿が崇仏論争
562年 新羅が任那を滅ぼす
574年 聖徳太子生誕
      574年2月7日(敏達天皇3年1月1日)出生地は橘寺     
577年 百済より経論、律師、禅師、仏工、寺工渡来
585年 物部守屋等 仏寺、仏像などを焼き捨てる
     聖徳太子の父・橘豊日皇子が即位(用明天皇)
587年 崇仏派の蘇我馬子が物部氏を滅ぼす
588年 蘇我馬子が飛鳥寺の造営を開始
582年 蘇我馬子が崇峻天皇を謀殺
      推古天皇即位
593年 聖徳太子が摂政となる、四天王寺建立開始
594年 仏教興隆の詔
600年 第1回の遣隋使を派遣
601年 斑鳩宮を造営
603年 冠位十二階を定めた
605年 諸王諸臣に、褶の着用を命じる。斑鳩宮へ移り住む
604年 十七条憲法を制定
615年 仏教を篤く信仰し「三経義疏」を著す
622年 聖徳太子死去
      622年4月8日(推古天皇30年2月22日)

さらに詳細は http://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Sh%C5%8Dtoku   

聖徳太子墓

上の2枚の写真は叡福寺の聖徳太子墓(叡福寺北古墳) 撮影:2014-12-2

 

近つ飛鳥博物館の常設展で聖徳太子墓(叡福寺北古墳)の展示の説明版を
示します(上の2枚の写真)

聖徳太子墓(叡福寺北古墳)訪問記 on 2014-12-2 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上記ブログより聖徳太子の墓所に関する記載を再掲載します。

この墓には聖徳太子の他に聖徳太子の母君の穴穂部間人皇后(あなほべのはじひとこうごう)と
妃の菩岐々美郎女膳臣女(ほききみのいらつめかしわでのおみのむすめ)の3人が
葬られていることから三骨一廟と呼ばれています。

造営年代と納骨時期について:
聖徳太子は生前にこの地に廟を造ることに決め、推古28年(620年)に墓所を造営したとされる。
推古29年、太子の母・穴穂部間人皇后が死去したのでこの墓に埋葬した。
更に推古30年(622)2月、大后の眠る廟に、太子と前日に亡くなった妃の
菩岐々美郎女膳臣女が合葬された。
法隆寺金堂に安置されている釈迦像の光背に刻まれた銘文による


石室は現在宮内庁の管理下にあり立ち入ることができない。

近年での学術調査として宮内庁職員である富岡鉄斎が、明治12年に入廟し、
このときも三棺合葬となっている石室図を記録として残しています。
明治の初めまでは石室にはいることが可能で先人がいくつかの記録を残している。

 

聖徳太子所縁の寺社

(1)法隆寺

  

上の写真は法隆寺西院伽藍 五重塔 撮影:2015-12-20

 訪問記:法隆寺 on 2015-12-20 その10 (最終回) 法隆寺大宝蔵院の百済観音 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

(2)橘寺

上の写真は橘寺(太子堂)です。 撮影:2011-5-16

訪問記:奈良散策記 その4 橘寺 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp) 

 

(3)斑鳩寺

上の写真は斑鳩寺 三重塔 撮影:2018-4-18

訪問記:斑鳩寺訪問記 on 2018-4-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

(4)鶴林寺

上の写真は鶴林寺の本堂(左)と太子堂(右) 撮影:2014-1-8

訪問記:鶴林寺の修正会/鬼追い on 2014-1-8 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

    鶴林寺 on 2009-12-8 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

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山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その15 英賀本徳寺跡

2021年04月18日 04時47分57秒 | 神奈川県情報

2020年10月28日、山陽電車の西飾磨駅で下車し北西の英賀城跡を目指して歩き出し

帰りは山陽電車の夢前川に南下して戻るコースで散策してきました。

巡った場所をシリーズで書いていきます。

本日はその第15回で「英賀本徳寺跡」について写真紹介します。

散策に当たって下記の資料を持って巡回しました。

 tsuda.pdf (himeji.lg.jp)

 

シリーズ過去の記事にリンク

第1回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その1 今在家地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回  山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その2 英賀城広辻口石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その3 道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その4 英賀城本丸跡石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その5 中浜地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その6 英賀薬師周辺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回   山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その7 歌乃の清水の石碑と道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その8 河下口の跡碑と大木濠跡の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その9 祥福布袋尊堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その10 英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その11 英賀神社と英賀城址公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第12回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その12 光琳山 教法寺と光琳御殿所 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第13回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その13 英賀明神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第14回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その14  本徳寺跡碑(明蓮寺) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

英賀本徳寺は、天正8年(1580)羽柴秀吉の英賀攻めのあと、秀吉の命で亀山の地に移転させられた。

亀山御坊本徳寺への訪問記については下記のブログで纏めています。

 姫路の黒田官兵衛ゆかりの地訪問記 on 2014-6-25 その7 亀山本徳寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

かっての英賀本徳寺は下の写真のように夢前川の川床となっている所にありました。

明応年間(1492~1501)に蓮如の弟子空善が建立した寺で、蓮如の孫実玄を迎え

播州浄土真宗の本拠とした。

永正12年(1515)に英賀御坊(英賀本徳寺)は完成した。

英賀御坊は昭和13年(1938)日本製鉄広畑製鉄所の誘致に伴う夢前川の改修工事

(昭和16年)によって河川敷となった。

上の写真は英賀本徳寺の復元図です。

 

 

 

上の2枚の写真は歌野橋から英賀本徳寺跡を臨んだものです。出典:Googleアース

上の写真は過去の訪問地と⑮英賀本徳寺跡の位置を示しました。

 

細川地蔵 ②英賀城広江口石碑  ③道標  ④英賀城本丸跡石碑 ⑤中浜地蔵

英賀薬師の周辺 ⑦歌乃の清水跡 ⑧河下口の跡碑と大木濠跡の碑

祥福布袋尊堂 ⑩英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 

⑪ 英賀神社と英賀城址公園 ⑫光琳山 教法寺と光琳御殿所 ⑬英賀明神社

本徳寺跡碑(明蓮寺)

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日米首脳会談 Youtube動画(ライブ放送) on 2021-4-16(米国時間)

2021年04月17日 08時09分31秒 | Weblog

2021年4月16日(米国時間)、日本時間では4月17日未明に米国ワシントンで日米

首脳会談が行われました。Youtubeでライブ配信されていましたのでGooで共有しました。

President Biden Participates in a Press Conference with H.E. Suga Yoshihide, Prime Minister of Japan

 

以下は主にNHKテレビからの写真です。

上の写真は午前4時(日本時間)すぎからの拡大会合が始まったと報道の場面

上の2枚の写真は拡大会議の場面

米国側からはケリー特使は欠席ながらバイデン大統領の主要閣僚が出席

日本側は首相側近や実務レベルが中心。 出典:4月17日 BS7の番組より

冒頭部のYoutube動画

 President Biden Hosts H.E. Suga Yoshihide for an Expanded Bilateral Meeting

 

上の3枚の写真は6時(日本時間)過ぎから行われた記者会見

上の写真は共同記者会見での主な発言 出典:4月17日 BS7の番組より

 

テレビ東京が作成したYoutube動画をGooで共有

日米首脳会談で共同声明 52年ぶりに「台湾」明記(2021年4月16日)

共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の

平和的解決を促す」と明記した。日米首脳の合意文書に「台湾」が盛り込まれるのは、

日中国交正常化前の1969年に佐藤栄作首相とニクソン大統領が出した共同声明以来。

関連サイト:

 President Joe Biden, Japanese PM Yoshihide Suga reaffirm alliance, address China in summit - UPI.com

 

 共同宣言全文

  【全文】日米首脳 共同声明 | 日米首脳会談 | NHKニュース

 

   (英)日米首脳共同声明 (mofa.go.jp)

   (和)日米首脳共同声明 (mofa.go.jp)

 

 

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天智天皇陵前の日時計の碑 on 2017-4-13

2021年04月17日 04時56分01秒 | 京都情報

新型コロナの影響で外出を控えており、ブログは昔に訪問した記事を中心に投稿

しています。

本日は2017年4月13日に訪問した天智天皇陵前の日時計を写真及び関連の写真を

紹介します。

当日はJR山科駅で下車し、京都山科の毘沙門堂門跡を訪問した後、琵琶湖疎水沿いに

桜を観て京都地下鉄東西線御陵駅をめざして歩いていて、途中で見つけたのが

日時計の碑」です。

毘沙門堂への訪問記は下記のブログで纏めています。

 京都山科 毘沙門堂 on 2017-4-13 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真が「日時計の碑」です。

三条通りに面して天智天皇山科陵前に建立されたものです。

日時計の碑は高さ170cm、幅95cmで天智天皇の時代に日本で最初に漏刻(水時計)を

建設したことに因んで建てられた。

正面に「天恩無窮」の文字と「日時計」の文字が刻まれています。

 天恩無窮の意味は「天皇の御恩は極まりない」です。

裏面は「昭和13年(1938)6月建立 京都時計商組合創立20周年記念」と刻まれています。

 

『日本書紀』に登場する天智天皇10年4月25日(太陽暦では671年6月10日)の
6月10日が時の記念日に定められ天智天皇を祀る近江神宮では
この日に「漏刻祭」が実施されています。

 

時の記念日 in 明石市立天文科学館 on 2013-6-10 | 散策とグルメの記録

一昨日(2013-6-10)は時の記念日ということで明石市立天文科学館が無料開放の日であったので行ってきました。無料な上に上の写真のような子...

散策とグルメの記録

 

上述のように天智天皇は初めて漏刻を作り水時計を作りました。

昭和56年(1981)に発見された飛鳥寺の西にある水落遺跡がその遺構といわれている。

水落遺跡については下記ブログで纏めています。

 飛鳥水落遺跡 on 2016-10-6 天智天皇は水時計で民や役人を管理しようとした? - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真は近江神宮内の古代火時計の展示と説明パネル 撮影:2020-3-3

 

上の2枚の写真は近江神宮の「時の記念日」に関する展示 撮影:2020-3-3

近江神宮には時計館宝物館(背後に写っている)があります。

上の写真も近江神宮の漏刻関連の展示 撮影:2020-3-3

 

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山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その14  本徳寺跡碑(明蓮寺)

2021年04月17日 04時42分45秒 | 神戸市以外の兵庫県

2020年10月28日、山陽電車の西飾磨駅で下車し北西の英賀城跡を目指して歩き出し

帰りは山陽電車の夢前川に南下して戻るコースで散策してきました。

巡った場所をシリーズで書いていきます。

本日はその第14回で「本徳寺跡碑(明蓮寺)」について写真紹介します。

散策に当たって下記の資料を持って巡回しました。

 tsuda.pdf (himeji.lg.jp)

 

シリーズ過去の記事にリンク

第1回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その1 今在家地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回  山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その2 英賀城広辻口石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その3 道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その4 英賀城本丸跡石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その5 中浜地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その6 英賀薬師周辺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回   山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その7 歌乃の清水の石碑と道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その8 河下口の跡碑と大木濠跡の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その9 祥福布袋尊堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その10 英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その11 英賀神社と英賀城址公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第12回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その12 光琳山 教法寺と光琳御殿所 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第13回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その13 英賀明神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

英賀本徳寺跡碑

上の3枚の写真は「英賀本徳寺址」碑 側面に説明文あり

この碑は昭和3年(1928)英賀村青年団が英賀本徳寺跡に建てた石碑で、昭和13年(1938)

日本製鉄広畑製鉄所の誘致に伴う夢前川の改修工事(昭和16年)によって明蓮寺に移設

されたものである。

上の写真は現地説明板

天正8年(1580)羽柴秀吉の英賀攻めのあと、秀吉の命で亀山の現在地に移転させられた。

亀山本徳寺への訪問記にリンクしておきます。

姫路の黒田官兵衛ゆかりの地訪問記 on 2014-6-25 その7 亀山本徳寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

明蓮寺の基本情報

住所:姫路市飾磨区英賀西町2丁目105  TEL:079-236-0134

山号:消雲山  宗派:浄土真宗 真宗大谷派  御本尊:阿弥陀如来 

創建:永正14年(1517)英賀城第6代藩主・三木通規の家臣 神出左衛門の母 妙蓮尼

 

明蓮寺の境内を写真紹介していきます。

本堂

上の写真は本堂

上の写真は平成大改修工事 平成14年11月3日に竣工

庫裡

山門

手水舎

上の2枚の写真は手水舎と瓦部分のアップ

 

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山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その13 英賀明神社

2021年04月16日 04時20分56秒 | 神戸市以外の兵庫県

2020年10月28日、山陽電車の西飾磨駅で下車し北西の英賀城跡を目指して歩き出し

帰りは山陽電車の夢前川に南下して戻るコースで散策してきました。

巡った場所をシリーズで書いていきます。

本日はその第13回で「英賀明神社」について写真紹介します。

散策に当たって下記の資料を持って巡回しました。

 tsuda.pdf (himeji.lg.jp)

 

シリーズ過去の記事にリンク

第1回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その1 今在家地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回  山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その2 英賀城広江口石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その3 道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その4 英賀城本丸跡石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その5 中浜地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その6 英賀薬師周辺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回   山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その7 歌乃の清水の石碑と道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その8 河下口の跡碑と大木濠跡の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その9 祥福布袋尊堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その10 英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その11 英賀神社と英賀城址公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第12回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その12 光琳山 教法寺と光琳御殿所 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は英賀明神社の拝殿正面より撮ったものです。

御祭神は保食神と住吉神です。地元では「住吉さん」「明神さん」と呼ばれ親しまれています。

英賀城主三木通近により移され摂社となった英賀彦神社の位置に建てられたと考えられている。

現在、英賀明神と呼んでいる。

御神燈に慶応2年(1866)の銘が刻まれています。

上の写真は英賀明神社の境内への入口

上の写真は英賀明神社に隣接して建つ英賀西町集会所

上の写真は過去の訪問地と⑬英賀明神社の位置を示しました。

 住所は姫路市飾磨区英賀西町2丁目

細川地蔵 ②英賀城広江口石碑  ③道標  ④英賀城本丸跡石碑 ⑤中浜地蔵

英賀薬師の周辺 ⑦歌乃の清水跡 ⑧河下口の跡碑と大木濠跡の碑

祥福布袋尊堂 ⑩英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 

⑪ 英賀神社と英賀城址公園 ⑫光琳山 教法寺と光琳御殿所

 

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山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その12 光琳山 教法寺と光琳御殿所

2021年04月15日 04時53分40秒 | 神戸市以外の兵庫県

2020年10月28日、山陽電車の西飾磨駅で下車し北西の英賀城跡を目指して歩き出し

帰りは山陽電車の夢前川に南下して戻るコースで散策してきました。

巡った場所をシリーズで書いていきます。

本日はその第12回で「光琳山 教法寺と光琳御殿所」について写真紹介します。

散策に当たって下記の資料を持って巡回しました。

 tsuda.pdf (himeji.lg.jp)

 

シリーズ過去の記事にリンク

第1回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その1 今在家地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2回  山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その2 英賀城広江口石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第3回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その3 道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第4回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その4 英賀城本丸跡石碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第5回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その5 中浜地蔵 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第6回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その6 英賀薬師周辺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第7回   山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その7 歌乃の清水の石碑と道標 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第8回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その8 河下口の跡碑と大木濠跡の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第9回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その9 祥福布袋尊堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第10回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その10 英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第11回 山陽電車 西飾磨駅から夢前川までの散策記 on 2020-10-28 その11 英賀神社と英賀城址公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

教法寺

上の2枚の写真は教法寺の本堂と本堂に掲げられた「光琳山」の扁額

住所は姫路市飾磨区英賀宮町2丁目148-1

Goo地図を添付しておきます。

 

 

天保元年(1830)説教場として建立されました。

御本尊の阿弥陀如来は英賀本徳寺から贈られたものだそうです。

上の写真は過去の訪問地と⑫教法寺の位置を示しました。

 住所は姫路市飾磨区英賀宮町2丁目148-1

細川地蔵 ②英賀城広江口石碑  ③道標  ④英賀城本丸跡石碑 ⑤中浜地蔵

英賀薬師の周辺 ⑦歌乃の清水跡 ⑧河下口の跡碑と大木濠跡の碑

祥福布袋尊堂 ⑩英賀神社南東の常夜燈と宮東地蔵尊跡 

⑪ 英賀神社と英賀城址公園

上の写真は親鸞聖人の石像

上の写真は教法寺の右脇に建つ小さな祠

 

光琳御殿所

上の写真は光琳御殿所の外観と内部

光琳御殿所は、第5代英賀城主の次男、藪之内武康が、永正9年(1512)に英賀御坊

の東に源正寺を開き、自分は帰依して光琳坊と称したことなどを記した石碑があります。

(下の写真)

上の写真は上述の石碑 碑文は昭和51年(1976)4月に書かれました。

碑文の詳細な内容(全文)は判読できず。

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