鎮守の森に囲まれた歴史ある神社湊川神社は地元では「楠公さん」の愛称で
親しまれている。 延元元年(1336)年5月25日、足利尊氏と「湊川の戦い」で、
弟正季とともに自刃した楠木正成(大楠公)やその長男正行(小楠公)が
祀られています。
明治5年(1872)に創建され、明治期、境内には多くの出店や茶屋が立ち並び、
庶民が楽しく集い、心のよりどころとなるような神社でした。
本ブログでは賑わっていた時代の様子について、下記資料から簡単に纏めてみました。
吉原大志 著「 歴史と神戸」 -- 52巻2号(297号) -- 2013.4
湊川神社境内の店舗営業:一九〇一年境内建物立ち退き問題を手がかりに
上の写真は境内が賑わっていた明治期の境内絵図です。
上の絵図で東門の近くに多くの店が建ち並んでいるいることが判ります。
店舗数は明治19年(1886)の段階で寄席、遊戯場、小売店など60軒に上ったという。
上の写真は明治34年(1901)8月25日に掲載された湊川神社境内に存在した営業の
種類とその数です。合計で108軒の店舗で古道具店16軒、植木屋13軒あります。
出典:上記の「歴史と神戸」
上の写真は明治34年(1901)8月17日付の又新日「楠社内建物の取払ひ」を基に
吉原大志氏が纏められました。
出典:上記の「歴史と神戸」
境内営業店舗の立ち退きは明治34年(1901)内務省から出された命令で順次実施
され明治38年(1905)時点では境内店舗の立ち退きが完了していることが
下の写真から判断できます。「神域浄化」の完成。
上の写真は明治38年(1905)の湊川神社
立ち退いた店舗は主に新開地へ行ったとのこと。詳細は未調査。
湊川神社の新設に奔走した北風正造
北風正造等は楠社造営御用掛に任じられ奔走する。明治4年(1871)5月1日には
楠社を湊川と宇治川間の全町村の産土神と定められ明治5年(1872)正月より
着工、同年5月25日の祭典(楠公の命日)までに落成させようとしたが延期となり
上棟式のみ行われた。北風荘右衛門は100両を寄付
湊川神社西門筋(昭和10年頃)
最後に、岩本敏男さんが作成された昭和10年(1935)頃の湊川神社西門筋の地図を
添付して筆を置きます。