11月14日(水)、今日の沖縄タイムス、琉球新報とも、米軍の警告板問題が1面トップに大きく掲載されている。(下は、琉球新報)
この問題は、11月6日、私のブログの警告板の写真を見て調べられた京都の前田佐和子さんから1983年の事例を教えていただいたものだ。7日に図書館等で資料を探し、当時の衆議院予算委員会、外務委員会の議事録を確認後、フェイスブックで情報を流した。そして、8日朝に、野蒿ゲート前のミニ集会で、問題の警告板を前に皆に説明。午後、普天間爆音訴訟団のTさんから防衛局に抗議していただいた。また、沖縄タイムスの記者に詳細を説明するとともに、その日のブログで詳しく紹介した。
沖縄タイムスは、13日(火)に、この問題を1面と社会面トップで大きく報道。また、照屋寛徳議員が午後の衆議院予算委員会でこの問題を取り上げると事前通告をしたこともあって、米軍は、日本政府の要請を受け、その日の午後1時頃に、この警告板をすぐに撤去した。午後の予算委員会では玄葉外相が、「不適切」だったと答弁している。
この問題を取り上げてわずか1週間、まさか、こんなに早く警告板が撤去されるとは思わなかった。それにしても、痛快な出来事だった。
(最初にこの問題を指摘された前田佐和子さん、ありがとうございました。なお、前田佐和子さんは、この問題について、Peace Philosophy Centerに詳しく投稿されているので、是非、ご一読ください。)
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なお、11月14日(水)、大山ゲートでの早朝の抗議行動に参加した後、午後、所用で京都に向かいました。 17日(土)には沖縄に戻りますが、それまで、ブログの更新はできないかもしれません。
(14日(水)、大山ゲートでの米兵車両への抗議行動)
(Tさんは、今朝も、米軍車両の基地進入を少しでも遅らせるためにノロノロ運転をされた。)