沖縄平和市民連絡会のSさんに1冊の本をお借りした。対馬丸事件の軌跡の生存者・平良啓子さんの『海鳴りのレクイエム』(民衆社)だ。
平良啓子さんは現在79歳。1944年、1400人もの犠牲者を出した対馬丸事件の奇跡の生還者だ。彼女は当時、小学校4年生。学童疎開のために対馬丸で九州に向かっていた。ところが8月22日、米軍の潜水艦に攻撃され対馬丸は沈没。平良さんたちは小さなイカダで6日間漂流した後、無人島に漂着し奇跡的に救助された。この事件で亡くなった学童は767名、救助された学童はわずか59名だったという。平良さんはそのうちのお一人だ。
撃沈され奇跡的に乗り込んだイカダでの凄惨な漂流の状況。お兄さんやお婆さん、そして仲良しだったいとこなどが暗い海に飲み込まれていく様子などはもちろん凄まじいが、私には、当時のヤンバルの村(彼女の生まれは高江の北・国頭村安波)での生活の様子を描いた「第1章 うるわしのヤンバル」が特に興味深かった。小さい子どもも、水汲みや子守、豚の世話など、家族の一員としてせいいっぱい働く毎日。それでも子どもたちは村の中央を流れる安波川で暗くなるまで泳ぎ、魚を捕って遊びまわる。町への陸路はなく、山原船に頼るヤンバルの孤立した村だが、人々の生活の様子が生き生きと描かれている。当時、隣村の高江でもこのような人々の暮らしがあったのだろう。
平良啓子さんは、現在、毎週高江のヘリパッド建設反対運動の座り込みに来られている。彼女については先のブログでも紹介させていただいたので(高江に通い続ける対馬丸事件の軌跡の生存者・平良啓子さん(ブログ 2014.2.24))、あわせて参照してほしい。
(平良啓子さん。高江の座り込みテントで。(本年2月))
6月6日の沖縄タイムスに平良啓子さんの談話が掲載された。天皇皇后が6月27日に那覇の対馬丸記念館を訪問し、生存者や遺族と懇談するという。そこでは遺族・生存者たちの複雑な心境が語られている。
「(天皇皇后が対馬丸記念館を訪問するとの発表を)生存者たちはさまざまに受け止めた。---(記念館の理事長は)『沖縄は天皇に対し、複雑な感情を持っている。もろ手を挙げて喜ぶわけにはいかない』と前置きした上で---。同乗した兄と祖母、いとこを失った平良啓子さんは懇談会への出席を断った。『日本軍が沖縄に来たのと引き換えに、口減らしのために危険な海の中を疎開させられた。皇民化教育を受けた末に海に沈んだ子どもたちの無念を思うと、すんなりと『出席します』とは言えない」と心境を明かした。」
(那覇市にある対馬丸記念館)
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『海鳴りのレクイエム』の本を入手したいと思って調べると、宜野湾市の古本屋にあったので、すぐに購入した。