8月11日(月)、早朝から辺野古へ。午前8時半頃、汀間漁港から船を出した。
大浦湾を横切りシュワブの浜に行くと、台風のために撤去されていた浮桟橋がもうほとんど再設置されている。いったい何時から工事を始めたのか。監視をしていたマスコミの方に話を聞くと、午前7時よりもかなり前から作業が始まったという。防衛局は、県に提出した埋立承認願書で、「海上工事の作業時間は、日の出1時間後程度から日没1時間程度前の間」に限るとしていたはずだ。最近の日の出はだいたい午前6時なので、午前7時以前に工事をすることはできない。これも、夕刻から早朝にかけて藻場に集まってくるジュゴンの保護のために決められたことだ。この違反行為は許されない。
現場に近づくと、すぐに海上保安庁のゴムボートが集まってきた。そして、マイクで「これより先は工事が行われており、危険ですから中に入らないでください。」と規制を始めた。少し動いても、ピッタリと並走してくる。
海上保安庁のゴムボートに阻止線を張られ、浮桟橋に近づけないので、海上保安官たちへの呼びかけを始めた。ちょうど私の乗っている船に同乗されているYさんが、スマホで中継されていたのだが、夜、戻ってパソコンを開くと、その映像がそのまま放映されている。そして、ある方がそれを書き起こしてブログに掲載されていた。
「----若い海上保安官の諸君、わかるだろう。今海上でもそうだし、シュワブのゲート前でもどれだけ多くの県民が毎日朝から夜まで、それこそ体を張って、抗議行動を続けている。あなたたちもその姿を見ただろう。何も感じないのか?
県民の怒り、悲しみ、そういったものをあのシュワブ前の抗議行動を見て、何も感じないのか? 恥ずかしいと思わないのか。
沖縄の県民が、これだけ体を懸け、命を懸けて抗議をしている。
その姿を見て、あなたたちは海上保安官としての本来の職務、そういったものを考え直し、こういった県民の抗議行動の妨害は、直ちにやめなさい。
シュワブのゲート前に行って、沖縄のおじいおばあたちの話を聞きなさい。
多くのお年寄りが戦争体験を持ったお年寄りだ。
例えば、ケラマ・座間味島で集団自決の現場から、かろうじて生き延びて、今もそういった過去の記憶に悩まされながら、今を生きている、そういったおばあたちが、今シュワブのゲート前で抗議行動している。
1944年に、対馬丸で沖縄の子どもたちが集団疎開をしたときに、米軍によって船が沈没された。
その現場にいたおじいが、もうああいったことは2度と繰り返したくない。そういった必死の想いで、今シュワブのゲート前に来ているんだよ。
沖縄の県民が、戦争体験を持つおじいおばあたちが、どれだけの想いを持って、この埋め立てに反対しているのか。あなたたちはすこしは想像力を働かせなさい。
今すぐ、シュワブのゲート前に行って、おじいおばあたちに頭を下げて、そういった想いを聞かせてもらいなさい。
おじいやおばあたちの話を聞いたら、自分たちがどれだけ恥ずかし事をやっていたのか、そのことに気がつくはずだ。
海上保安官としての誇りを、プライドをもう一度取り返し、防衛局のガードマンになることは直ちに拒否しなさい。
沖縄県民の怒り悲しみ、そういったおじいおばあたちの想いに少しでも心を寄せなさい。
それが海上保安官である以前に、今を生きる人間として当然のことでしょう。
はずかしいとは思わない?
防衛局のガードマンになるのは直ちにやめなさい。」
海上保安官たちは黙って聞いていたが、しばらくするとそのまま去っていった。
(カヌーを規制する海上保安庁のゴムボート)
完成した浮桟橋。明日以降、何時、海上ブイの設置が始まっても不思議ではない。
シュワブ沖に2機のオスプレイが現れた。今からこんな具合だから、基地ができれば、いったいどうなるのか?