(伊湯岳山頂から見下ろした広大な米軍北部訓練場 (2009.8.8撮影))
(北部訓練場の施設図(前掲書 P211)。左上に「フォールアウト・シェルター」(核シェルター)がある。)
以前、高江に行った際、Mさんから米軍北部訓練場の施設配置図のコピーを見せてもらった。そこには、「フォールアウト・シェルター」と明記された施設がある。「フォールアウト」とは、放射性降下物のことだから、いわゆる「核シェルター」のことらしい。
北部訓練場に何故、「核シェルター」があるのか? 出典は、梅林宏道氏の『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』(高文研)だというので、さっそく読んでみた。同書には次のように書かれていた。
「辺野古弾薬庫の場合と同じように、ここにもフォールアウト・シェルターが存在していることに注目しよう。---かって、この訓練場で核兵器を扱うことが想定されており、放射能事故を懸念していたことを示すものであろう。」(P212)
また、辺野古弾薬庫の章では、次のように書かれている。
「これらのフォールアウト・シェルターは1959年に建設されている。つまりその当時には辺野古弾薬庫は核兵器を扱っており、核事故にそなえて人員の避難場所を確保していたことを示している。」(P142)
1971年12月の国会・沖縄返還協定特別委員会などでも、沖縄各地に、アメリカ軍人とその家族のために核用の待避場があることが問題となっている。北部訓練場でも、以前、核兵器の使用が想定され、そのために核シェルターまで実際に配置されていたのだから驚く。
この北部訓練場の核シェルターは、今も存在しているのだろうか?