なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

オーストラリア

2009年06月17日 | 
に負けましたねえ、あーあ。
 というわけで、全然違う話、本日も「ためしてガッテン!!」は実に面白かった。全く、この番組の医療情報って凄い。こっちを観てたから「ガオ~~!」と吼えずに済みましたね、吠え立ててると、うちの猫が怖がるのでね。

 で、鬱病について。こないだやってたドラマ<「ツレがうつになりまして。」は、原田さんの演技がまさに迫真で、真剣に観てしまったんですけど。あっしの体験は、こんな感じ。

 一人暮らしだから、2年かそこらで寛解(症状が収まること、回復や治癒とは違う)したのだ、自殺未遂っぽいことは実家暮らしのときにやった、ハルシオン飲みまくりで。で、起きられなくなった。これねえ、具体的に「死にたい」んじゃないのよ、とにかく意識があると、その間つらい、嫌な思いから全く逃げられない、意識がなくなっちゃえばいいのに、の延長上にあるんですよね。

 一人暮らしを始めてから、そういう思考に落ち込みやすい自分の思考上のクセを考え直す余裕が、ややできてきたんですね、家族や身内に振り回されずに済むようになったからね。「思考方法の癖」ってのは、実は、親からもたらされてること多し、だから、特に親は断ち切らないとダメじゃないか、と思うんだが。場合によっては身内がいるのも考えものだ、身内がそばにいると、どうしてもそいつに気兼ねしちゃうんですよ。昔の自分を演技したりしたくなったり、それができなくて落ち込んだり。

 で、あっしの場合はですね、こういう思考方法の癖=「~~するべき」とか「~~しなければ」に支配されてた、ということ。例:飲み会には行かなければならない、飲み会に行ったら楽しく盛り上がらないと、友達はつくるべきだ、家族は大切にしなければならない、等々。スンゲー些細な、つまらん事までこういう発想に支配されてたのよね。飲み会なんか、別に毎度毎度行く必要ないじゃない、飲み会行って、話すことがなければ黙ってたっていいじゃない、友達は「作る」ものじゃない「なってしまう」ものでしょうが、下らないアホが家族にいたら、そんな奴、大事にする必要がどこにあるんだ、こういう風に、「別の考え」を、自分の思考全てについて一々思いつかなくちゃならない、これは、英語を習うのとよく似てる、と後から思った。思考の文法を変えなくちゃならないのよ。そんなの、簡単にいくわけがない。だってなあ、こういう文法って、日本語と同じに「親から刷り込まれてる」んだもん!書き換えは極めて困難なんだ、できるけどさ。英語と同じだよ。

 だからさあ、「心の風邪」っていう鬱病の表現は間違い、と断言できますね。風邪なんかじゃない、「心の結核」だよ。真剣に取り組まないと、慢性化して手に負えなくなるぞ、で、「回復」という表現もなー、と思ってる。あっしをマイナス方向に引き込む他人(含む家族)の言動&行動には、牙をむいて戦う、か、逃げる、かしないと、確実に再発する、という危機感。最近は常に戦ってますね、これはねえ、自営業だから、鍛えられたのね、どうも、逃げても追っかけてくるものらしいって分かったから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする