演奏会
2019年05月12日 | 遊
尽くし。この2日間はあちこち回ってました。とはいっても、ミューズではない。
昨日は和光市サンアゼリア。小ホールでリサイタル。小さな演奏会で値段も安いし、じゃあなんで行ったかというと、自分のヴァイオリンのセンセがゲストで出るから。プーランクのヴァイオリンソナタ、ピアノもヴァイオリンもめっちゃ難しー曲でございます。
この演奏は、久しぶりに、ヴァイオリンソナタを「室内楽」として聴けた、のが大きな収穫でしたね。ヴァイオリンとピアノ、音が合わなかったり、キューが合わなかったり、なんかお互いがしっくりこない演奏が多いように思うのだけど、今回は違いました。ので、いつまでも聴いていたくなった。で、先生の音をじっくり聴けたのもよかった。色々反省・・・・・。いかん、やっぱり、もうちっと音を丁寧に拾った方がいい。。。。
で、今日はアミーゴ。こちらはバロックの演奏会。テレマン特集。アミーゴでのコンサートはレクチャー風が多いのだけど、今回もそんな感じでした。テレマンさん、バッハと比べるとなんか影が薄い感がありますが、結構好きなんだな。聴いてて気持ちのいい曲が多い。テレマンとバッハは知り合いだったという。そうなんだ・・・・。テレマンさんはものすごい多作家なんだけど、ついでに自分の楽譜を一々彫って、印刷物にして出版、なんてことまでやってたそう。どういう時間の使い方をしてたんだろう???まさか、直接彫って作曲してたとか?ネームを作らずに漫画を描くって、魔夜峰央さんは言ってるけどさあ。
テレマンとバッハの音楽に対する姿勢が、全然違うんだな、という事が分かって面白かった。バッハの作った曲は=神様に捧げる音楽で、とにかく話法完璧、その代わり、実際に弾くのはやたら難しい、になっちゃう。テレマンはその反対。色んな人が気軽に音楽を楽しめるように、テクニックは普通とか易しめで、楽器指定とかもあまりせず、誰でも楽器を持ち寄ってすぐ合奏できます、みたいな曲を量産して、さらに出版して、とやってた、から、当時テレマンさんは大人気だったらしい。
聞いてて思ったこと。現代クラシックがだめになった(とつくづく思ってるんだけど)理由ですけど、「誰もが楽しく演奏やら合奏できる曲を作曲家が全く提供できていない」というのが大きいんじゃないかな。
日本には、優秀な現代作曲家が山ほどいる。で、日本には、世界一「アマチュアオーケストラ」がある。アマオケ、いつもいつもおなーじ曲をぐるぐる演奏してるんですよ。金管や木管の都合もあるから、まあ、3管編成くらいで、となると、ブラームス・チャイコ・ドボルザーク・ベートーヴェンくらいかなあ。時々シベリウスとかマーラーとか。日本の作曲家の曲となると、普通のアマオケはまずできない。理由は2つある。
1)難しすぎる:変拍子&変な和音の連続で、理解不能。
2)ヘンな楽器を使いすぎる:日本に数台しかないようなやつ・演奏できる人がほとんどいない楽器とか。
こういう曲って、でも、プロオケでも再演はなかなか難しいよね。下手すると1回演奏してお蔵入り、になっちゃう場合が多いんじゃないかな。それじゃあ、書いた意味が全然ない、と思うんだけど。
それとも、まさか、演奏してほしくない、とか???
アマオケがレパートリーにできるような、編成ごく普通・テクニックまあ普通、で、各楽器にそれなりの見せ場があって盛り上がります、みたいな曲を作って、再演してもらえれば、著作権料だってガッポガッポとはいかないかもしれないけど、まあ、それなりに手に入るでしょうに。そういう曲は「低級」扱いなんでしょうかね?それともシロートをなめてるの?
まあ、アマオケ側にも問題はあるかもしれない。ストラヴィンスキーみたいな難曲をやってのける我々は凄いだろう
みたいなドヤ顔を決めたがるアマオケって結構あって、つまりまあアマオケ側も「普通の曲」を小ばかにする傾向があるのだよね。
こんなことやってるから、クラシックが「自己満の固まり」、あるいは「えばりたい人たちの集合体」になっちゃって、その雰囲気が毛嫌いされる、わけだ。
そんなのがうっとうしくて、オケにいられなくなっちゃった、というのもあるか。オーケストラ曲にそもそもあまり興味がない、というのもあるか。でもねえ、単に合奏する仲間ってのが見つからないし。結局、一人でコツコツってなっちゃう。
昨日は和光市サンアゼリア。小ホールでリサイタル。小さな演奏会で値段も安いし、じゃあなんで行ったかというと、自分のヴァイオリンのセンセがゲストで出るから。プーランクのヴァイオリンソナタ、ピアノもヴァイオリンもめっちゃ難しー曲でございます。
この演奏は、久しぶりに、ヴァイオリンソナタを「室内楽」として聴けた、のが大きな収穫でしたね。ヴァイオリンとピアノ、音が合わなかったり、キューが合わなかったり、なんかお互いがしっくりこない演奏が多いように思うのだけど、今回は違いました。ので、いつまでも聴いていたくなった。で、先生の音をじっくり聴けたのもよかった。色々反省・・・・・。いかん、やっぱり、もうちっと音を丁寧に拾った方がいい。。。。
で、今日はアミーゴ。こちらはバロックの演奏会。テレマン特集。アミーゴでのコンサートはレクチャー風が多いのだけど、今回もそんな感じでした。テレマンさん、バッハと比べるとなんか影が薄い感がありますが、結構好きなんだな。聴いてて気持ちのいい曲が多い。テレマンとバッハは知り合いだったという。そうなんだ・・・・。テレマンさんはものすごい多作家なんだけど、ついでに自分の楽譜を一々彫って、印刷物にして出版、なんてことまでやってたそう。どういう時間の使い方をしてたんだろう???まさか、直接彫って作曲してたとか?ネームを作らずに漫画を描くって、魔夜峰央さんは言ってるけどさあ。
テレマンとバッハの音楽に対する姿勢が、全然違うんだな、という事が分かって面白かった。バッハの作った曲は=神様に捧げる音楽で、とにかく話法完璧、その代わり、実際に弾くのはやたら難しい、になっちゃう。テレマンはその反対。色んな人が気軽に音楽を楽しめるように、テクニックは普通とか易しめで、楽器指定とかもあまりせず、誰でも楽器を持ち寄ってすぐ合奏できます、みたいな曲を量産して、さらに出版して、とやってた、から、当時テレマンさんは大人気だったらしい。
聞いてて思ったこと。現代クラシックがだめになった(とつくづく思ってるんだけど)理由ですけど、「誰もが楽しく演奏やら合奏できる曲を作曲家が全く提供できていない」というのが大きいんじゃないかな。
日本には、優秀な現代作曲家が山ほどいる。で、日本には、世界一「アマチュアオーケストラ」がある。アマオケ、いつもいつもおなーじ曲をぐるぐる演奏してるんですよ。金管や木管の都合もあるから、まあ、3管編成くらいで、となると、ブラームス・チャイコ・ドボルザーク・ベートーヴェンくらいかなあ。時々シベリウスとかマーラーとか。日本の作曲家の曲となると、普通のアマオケはまずできない。理由は2つある。
1)難しすぎる:変拍子&変な和音の連続で、理解不能。
2)ヘンな楽器を使いすぎる:日本に数台しかないようなやつ・演奏できる人がほとんどいない楽器とか。
こういう曲って、でも、プロオケでも再演はなかなか難しいよね。下手すると1回演奏してお蔵入り、になっちゃう場合が多いんじゃないかな。それじゃあ、書いた意味が全然ない、と思うんだけど。
それとも、まさか、演奏してほしくない、とか???
アマオケがレパートリーにできるような、編成ごく普通・テクニックまあ普通、で、各楽器にそれなりの見せ場があって盛り上がります、みたいな曲を作って、再演してもらえれば、著作権料だってガッポガッポとはいかないかもしれないけど、まあ、それなりに手に入るでしょうに。そういう曲は「低級」扱いなんでしょうかね?それともシロートをなめてるの?
まあ、アマオケ側にも問題はあるかもしれない。ストラヴィンスキーみたいな難曲をやってのける我々は凄いだろう

こんなことやってるから、クラシックが「自己満の固まり」、あるいは「えばりたい人たちの集合体」になっちゃって、その雰囲気が毛嫌いされる、わけだ。
そんなのがうっとうしくて、オケにいられなくなっちゃった、というのもあるか。オーケストラ曲にそもそもあまり興味がない、というのもあるか。でもねえ、単に合奏する仲間ってのが見つからないし。結局、一人でコツコツってなっちゃう。