



直木賞受賞第一作! 『昭和の犬』の次は、『近所の犬』。相鉄線沿線のおんぼろアパートでもっさり暮らしている「私」は、近所の犬を見るのをたのしみにしている。お金持ちのプライド犬モコ、姉のように優しかったシャア、昭和じゃないスピッツ拓郎、男好きのグレース、聡明で情緒豊かなラニ、とんま顔でたらし犬のロボ……近所の犬にとって「私」は、飼い主でも家族でもない。ただの通りすがり。ただの近所の人間だ。それでも、それなのに、胸に去来するものは……?ユウモラスな筆致を、軽やかにたのしんで読める一冊。傑作書き下ろし犬ウォッチング小説。






はじめに で、幼児に動物園はおもしろい場所だろうか?
そういえば自分が行きたいから連れて行ったようなものだったかもしれない。
記憶を辿ると・・・

すぐに飽きて自動販売機のジュースを眺めていたり、もういい?なんて聞かれたり、早く帰ろっ!
親の私たちは教育上よろしのではないか?なんて思ったのかもしれないし、動物園は楽しいよ!って連れて行っていたのかもしれない。
子供によります・・・子供だっていろいろ
大人になりすぎても、孫はいないから、たまぁ~にぷら~っとひとりで自動販売機でチケット買って、るんるるん♪がバレないように、ウヒヒと動物園を徘徊している。って、書いて・・・やはり子供はダシだったのか?
「借飼」しゃくし・・・「借景」ならぬ「借飼」
いろいろと条件が整わず飼えないからね。
あ、スピッツだ。
スピッツってまだいたんだ。やっぱりうるさいんだ。
敷地内祖父母宅で初めての犬がスピッツだった。吠えること吠えること、誰にでもとりあえず吠えていた。老衰でいなくなった後チンが来た。
3匹子供を生んで一匹だけ目が見えなかった子がお母さんのもとに残ってあとは貰われて行った。
目が見えないからあちこちぶつかり危ないからって、人間がいるときは誰かがいつも抱っこしていたけれど、トコトコ歩いていってはぶつかって血だらけになったり、池に落ちたりして、神経使っていたのか、ちっとも大きくならないで大人になった。名前はトコだった。
おいで~って手を叩くと一目散にかけてきて抱きついた。すっごく可愛いトコだった。ってことを思い出した。
あ、プラッシー・・・
そうそうお米屋さんで売っていたんだっけ。
ワンコ飼えるマンションにワンコ飼うからと意気揚々と越してきたのに、いろいろと考えてワンコはいない。
すなわち私も「借飼」
エレベーターで乗り合わせると、いい子ね~・・・とやっている。
ほにゃらら公園のワンココミュニティー・・・なにちゃんママって幼稚園のお迎えのごとく、ママもパパもジィもバァも集まっておしゃべりしている。
因みに我が家は柴犬じゃないとダメらしい。
柴犬かぁ~けっこう大きいよね。マンションの規約ぎりぎりってところでしょうか?
抱っこしてマンションの敷地から出ないといけない。びっろ~んとのびてる柴犬連れだすのか?
我が家はやはり「借飼」ってことで・・・ウサギのココアが怖がると可哀想だし。

可愛いワンコたちに出会えて、楽しく読めました。「読飼」

