こう、何かしなくては、と思いながらなかなかそれに向かうことができない、そんなときって(しょっちゅう、いや、いつも)ある。
今もそんな状態。
そんなときに、梅雨のように黴臭い臭いを発しながら、それでいてほろ苦い想いも連れ立って、ふと記憶の底から湧きあがってきたひとつの詩が・・・
早速、記憶を頼りに詩の一断片を検索エンジンにかける。(何と便利な世の中になったことか。もっと進歩してほしいものだ。)
あっという間に、515件の該当ページが検索された。
検索結果の最初のページにその詩はあった。
詩の墓標Ⅰ
の中の1編である。(どれかは読者のご想像に任せる)
このHP主のプロフィールを拝見していて、またまた、ふと、夭折の詩人 大関松三郎を思い起こしてしまった。
「妖精の詩」
遠い昔、小学校の講堂兼体育館で彼の伝記映画を見たことと一緒に。
今もそんな状態。
そんなときに、梅雨のように黴臭い臭いを発しながら、それでいてほろ苦い想いも連れ立って、ふと記憶の底から湧きあがってきたひとつの詩が・・・
早速、記憶を頼りに詩の一断片を検索エンジンにかける。(何と便利な世の中になったことか。もっと進歩してほしいものだ。)
あっという間に、515件の該当ページが検索された。
検索結果の最初のページにその詩はあった。
詩の墓標Ⅰ
の中の1編である。(どれかは読者のご想像に任せる)
このHP主のプロフィールを拝見していて、またまた、ふと、夭折の詩人 大関松三郎を思い起こしてしまった。
「妖精の詩」
遠い昔、小学校の講堂兼体育館で彼の伝記映画を見たことと一緒に。
同年代のようですが、思い出すと胸が張り裂けそうになるような日本の農家の原風景も同じなんでしょうか。
松三郎は新潟の詩人のようでしたから、映画も新潟限定の映画なのかも知れません。
多分当時の機械化以前、棚田という事情が同じであれば同じと思います。とても自分にはやっていける仕事ではないと子供心に感じていました。