10月に入っても雨の日が多い。いつになったらお天気は安定するのか?
こんな日は、ラジオの音楽を聞きながら過ごすのもよい。
地元にFM多摩というコミュニティFM放送局がある。送信出力はわずか10W(ワット)
なので聴取可能地域は狭い。
アマチュア無線の電話級(4級)に許可される出力である。
自転車で多摩川沿いを通勤ラジオで聞きながら、どこまで聞こえるか確認したら、北は
羽村、南は狛江あたりかな。
でも、高台、たとえば津久井の城山湖とか、八王子の高尾の奥の陣馬山あたりでは
十分聞こえる。
こんな微弱電波のFM放送局ではあるが、そして経営的にも苦しいのか、
メジャーなFM局にはない良さがあると思う。今のFM局は音質はいいのかも知れないが
中身は中波ラジオ局と変わらないというか、それ以下の番組が多い。
とにかくくだらないおしゃべりとぶつ切りのCMとで全く浸れるという雰囲気でない。
それに比べてコミュニティFMは、70年代のFM黎明期の雰囲気がある。
途切れなしに音楽をかけてくれる番組、その合間に控えめな局の紹介。それが
一番いい。
コミュニティFMの中でも世田谷FMが都心という事もあり、その他地域にも配信して
いるようで、土曜午後の7,80年代のフォーク、ニューミュージックの番組も良い。
究極は特定ジャンルごとのインターネットFMが流星すればいいと思う。当然、経営的に
成り立たないだろうからおしゃべり抜きになり、曲目はHP上で紹介することになる。
落語専門、講談専門、浪曲専門とか、クラシック、ジャズ、ロック等々の専門局が
よりどりみどりにボランラリー精神旺盛に出てくれば、と期待している。
ネックは著作権法だろうな。
特許権すら数年なのに、なんで作者没後50年も権利が存続するのか?
特許権並でいいのではと思う。その方が創造性に寄与すると思う。
販売する気も、入手も出来ない状態にしながら、保護するというのは過剰な権利で
文化発展にとって損失である。
たとえば、昔にラジオのドラマ番組を録音したとする、その音源はどこにも存在して
いない。たまたま録音した人がネット上で公開できるかというと、そうではないらしい。
著作権とか著作隣接権とか放送権とか、いろいろやっかいな法律で何重にも保護されて
単に録音して持っているからといって公開できないようだ。
多分、同好の士の興味をとどめる事はいずれ困難になるだろう。
そのようなネット技術とか交換の場が容易されてくるだろう。
レコードはレコードに過ぎないのでは?やはり、ライブに本質があるわけで、レコードは
ライブ会場に足を向けさせるプロモーションの位置付けと考えた方が妥当ではないのか。
そのような複製技術のない時代ですら芸術的な営みがあったわけで、
電子的・機械的な技術ができたことで著作者の独占というのはおかしい。
どんどん複製される事が人気のバロメータくらいに考えるのがいいと思う。
映画のDVDソフトより1時間程度の音楽CDが高いというのは流通機構が旧態依然で
既得権の保護にやっきになっているからではないのか?
何時間も楽しめる本が1000円前後で買えるのに。
やはり、この業界変わらないといけないのではなかろか。
コミュニティFMから話が変な方向に逸れてしまった。
こんな日は、ラジオの音楽を聞きながら過ごすのもよい。
地元にFM多摩というコミュニティFM放送局がある。送信出力はわずか10W(ワット)
なので聴取可能地域は狭い。
アマチュア無線の電話級(4級)に許可される出力である。
自転車で多摩川沿いを通勤ラジオで聞きながら、どこまで聞こえるか確認したら、北は
羽村、南は狛江あたりかな。
でも、高台、たとえば津久井の城山湖とか、八王子の高尾の奥の陣馬山あたりでは
十分聞こえる。
こんな微弱電波のFM放送局ではあるが、そして経営的にも苦しいのか、
メジャーなFM局にはない良さがあると思う。今のFM局は音質はいいのかも知れないが
中身は中波ラジオ局と変わらないというか、それ以下の番組が多い。
とにかくくだらないおしゃべりとぶつ切りのCMとで全く浸れるという雰囲気でない。
それに比べてコミュニティFMは、70年代のFM黎明期の雰囲気がある。
途切れなしに音楽をかけてくれる番組、その合間に控えめな局の紹介。それが
一番いい。
コミュニティFMの中でも世田谷FMが都心という事もあり、その他地域にも配信して
いるようで、土曜午後の7,80年代のフォーク、ニューミュージックの番組も良い。
究極は特定ジャンルごとのインターネットFMが流星すればいいと思う。当然、経営的に
成り立たないだろうからおしゃべり抜きになり、曲目はHP上で紹介することになる。
落語専門、講談専門、浪曲専門とか、クラシック、ジャズ、ロック等々の専門局が
よりどりみどりにボランラリー精神旺盛に出てくれば、と期待している。
ネックは著作権法だろうな。
特許権すら数年なのに、なんで作者没後50年も権利が存続するのか?
特許権並でいいのではと思う。その方が創造性に寄与すると思う。
販売する気も、入手も出来ない状態にしながら、保護するというのは過剰な権利で
文化発展にとって損失である。
たとえば、昔にラジオのドラマ番組を録音したとする、その音源はどこにも存在して
いない。たまたま録音した人がネット上で公開できるかというと、そうではないらしい。
著作権とか著作隣接権とか放送権とか、いろいろやっかいな法律で何重にも保護されて
単に録音して持っているからといって公開できないようだ。
多分、同好の士の興味をとどめる事はいずれ困難になるだろう。
そのようなネット技術とか交換の場が容易されてくるだろう。
レコードはレコードに過ぎないのでは?やはり、ライブに本質があるわけで、レコードは
ライブ会場に足を向けさせるプロモーションの位置付けと考えた方が妥当ではないのか。
そのような複製技術のない時代ですら芸術的な営みがあったわけで、
電子的・機械的な技術ができたことで著作者の独占というのはおかしい。
どんどん複製される事が人気のバロメータくらいに考えるのがいいと思う。
映画のDVDソフトより1時間程度の音楽CDが高いというのは流通機構が旧態依然で
既得権の保護にやっきになっているからではないのか?
何時間も楽しめる本が1000円前後で買えるのに。
やはり、この業界変わらないといけないのではなかろか。
コミュニティFMから話が変な方向に逸れてしまった。
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