中東戦争の影響でオイルショックになる前に就職出来たのが幸いだった。
学生時代、塾講師や家庭教師で初任給以上を稼いでいたのでこのままでもいいかな、とは思っていなかった。
先々考えたら分に合わないと。
あの頃フリーターという言葉はなかったが、そこそこの稼ぎはできた時代だった。
でも、その先を考えれば所詮は学生の余技に過ぎない。
その先のことを考えたらとても割に合わない。
それが考えられないと浮世稼業になってしまう。
社会に対する甘い認識を払拭してこそ社会へのパスポートになるのだ。
74年もまだまだ高度成長期の後半ではあるが先々希望が持てた。
企業の賃上げストは当たり前だった。
入社したての私らにはストは関係ない。
まだ組合員ではないとこのことで、当時の国鉄や私鉄や「わが社」がストをしようと君らには関係ないと出勤を指示された。
では、どうやって職場に?
会社の枢要たる人事総務は寮から職場への送迎バスを用意して普段より早い6時頃の集合を伝えた。
バスは東名高速に。
途中に渋滞。
あまりの渋滞に生理的欲求に抗しきれず我慢できなくなり下車して高速道路の斜面で用を足す。
昼前にようやく仕事場に着く。
こんな思いは中学時代の豪雪で早起きして4時間ほどかけて学校にたどり着き、今日は休校と居合わせた先生に告げられた以来だ。
いや、その後、高校時代、冬場は下宿していたころ家から下宿に向かう際、雪で国道が渋滞しあまりの長い時間にここでも生理的に我慢できなくなったことがあった。
なぜか意味もなくそんなことが思い起こされた。
我を通すのも良い。
でも、その結果を他責しないことを矜持としてほしい。
自分を目鼻が効くと思えば、そうすれば良い。
そうでなければ平凡とはいえ着実な道を選択するのも決して意に沿わないことと自らを詰ることもない。
少ない社会経験で自分をいっぱしの人間と思って誰もが成功するわけではない。
リスクを取らない人生の選択でも多くの決断・判断を伴う。
そのひとつひとつをわが身のことと受け取らざるを得ないことはいくらでもある。
今日は、まだ小学年の低学年に騒ぐんではないほかの人に迷惑だろう、と叱責した。
でも、そういうこほど大人を甘く見て自分を正当化する言葉を吐く。
多分、家庭環境では言い負かされるなという「教育」が自然になされているのだろう。
将来どうなるかはわからない。そのこのことだから。
ま、目に余るようなら声掛けするだけにとどめるに如くはない。
生活道路を平気で左側を歩くのも目に余る。
こどもを手をつないで道路側に歩かせる。
カップルが女性を道路側に、それも左側を。
なんだか自己中心的に自分の安全確保のためにこどもや女性を盾にしているようで見ていて吐き気がする。
それが今、ごくありきたりな風景になっている。
スマフォに目を奪われながら左側を歩いて直前に気づいて「なんだよ、このおっさんは!」という人に出会うと・・・
つい、じじくさい内容になってしまった。
やれやれだ。
学生時代、塾講師や家庭教師で初任給以上を稼いでいたのでこのままでもいいかな、とは思っていなかった。
先々考えたら分に合わないと。
あの頃フリーターという言葉はなかったが、そこそこの稼ぎはできた時代だった。
でも、その先を考えれば所詮は学生の余技に過ぎない。
その先のことを考えたらとても割に合わない。
それが考えられないと浮世稼業になってしまう。
社会に対する甘い認識を払拭してこそ社会へのパスポートになるのだ。
74年もまだまだ高度成長期の後半ではあるが先々希望が持てた。
企業の賃上げストは当たり前だった。
入社したての私らにはストは関係ない。
まだ組合員ではないとこのことで、当時の国鉄や私鉄や「わが社」がストをしようと君らには関係ないと出勤を指示された。
では、どうやって職場に?
会社の枢要たる人事総務は寮から職場への送迎バスを用意して普段より早い6時頃の集合を伝えた。
バスは東名高速に。
途中に渋滞。
あまりの渋滞に生理的欲求に抗しきれず我慢できなくなり下車して高速道路の斜面で用を足す。
昼前にようやく仕事場に着く。
こんな思いは中学時代の豪雪で早起きして4時間ほどかけて学校にたどり着き、今日は休校と居合わせた先生に告げられた以来だ。
いや、その後、高校時代、冬場は下宿していたころ家から下宿に向かう際、雪で国道が渋滞しあまりの長い時間にここでも生理的に我慢できなくなったことがあった。
なぜか意味もなくそんなことが思い起こされた。
我を通すのも良い。
でも、その結果を他責しないことを矜持としてほしい。
自分を目鼻が効くと思えば、そうすれば良い。
そうでなければ平凡とはいえ着実な道を選択するのも決して意に沿わないことと自らを詰ることもない。
少ない社会経験で自分をいっぱしの人間と思って誰もが成功するわけではない。
リスクを取らない人生の選択でも多くの決断・判断を伴う。
そのひとつひとつをわが身のことと受け取らざるを得ないことはいくらでもある。
今日は、まだ小学年の低学年に騒ぐんではないほかの人に迷惑だろう、と叱責した。
でも、そういうこほど大人を甘く見て自分を正当化する言葉を吐く。
多分、家庭環境では言い負かされるなという「教育」が自然になされているのだろう。
将来どうなるかはわからない。そのこのことだから。
ま、目に余るようなら声掛けするだけにとどめるに如くはない。
生活道路を平気で左側を歩くのも目に余る。
こどもを手をつないで道路側に歩かせる。
カップルが女性を道路側に、それも左側を。
なんだか自己中心的に自分の安全確保のためにこどもや女性を盾にしているようで見ていて吐き気がする。
それが今、ごくありきたりな風景になっている。
スマフォに目を奪われながら左側を歩いて直前に気づいて「なんだよ、このおっさんは!」という人に出会うと・・・
つい、じじくさい内容になってしまった。
やれやれだ。
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