人間が困難な事に取組む場合、その達成には動機付け如何に依るというのが
動機付け理論である。
典型的な理論に「期待理論」と「達成動機理論」というのがある。
今、ワールドサッカーが開催中である。
日本が苦戦している。彼らがどのような動機に動かされているのだろうか?
私見であるが、下図のようなことを考えてみた。

一見してわかると思うのだが日本の対戦相手は、豪州<クロアチア<ブラジル
の順に手ごわいものとなっている。
「期待理論」からすれば、弱い相手と勝っても「勝って当たり前」となる。
一方、W杯に何回も優勝している強豪に勝てば「ニッポン チャチャチャ」では
ないが欣喜雀躍(手放しの喜びよう)、日本は世界に冠たる強さと、選手でも
ないわが国民は彼らに同化してしまう。彼らは国の補助を受けて出場している
のかも知れないし、日本代表かも知れないが「日本の威信」をかけて出場して
いるわけではなかろう。彼ら自身の栄光のために試合に臨んでいる。
むしろ私たち以上に「これはショー。ビジネスだ。」くらいの醒めた気分で
いるのかも知れない。彼らのパフォーマンスに私たちは一喜一憂しているのが
本当のところであろう。
そして、もうひとつの理論「達成動機理論」。
これは相手が強すぎた場合、持てる力を十分に発揮できない。
したがって、程よいところの困難さが自身の達成感と客観的な好成果が得られる
という考えと思う。
しかし、軽いと思われたオーストラリア戦では、まさかの逆転負け。
そして、昨日の互角であるが気合で勝てると思っていたクロアチア戦はドロー。
勝てる見込みの薄い覇者ブラジルとの試合は、この理論では勝とうという
同期付けにもならない、ということだろうか。
奇跡を。勝ち負けは誰にも予想できない。サドンはどこにでも現出する。
いい勉強になった。
動機付け理論である。
典型的な理論に「期待理論」と「達成動機理論」というのがある。
今、ワールドサッカーが開催中である。
日本が苦戦している。彼らがどのような動機に動かされているのだろうか?
私見であるが、下図のようなことを考えてみた。

一見してわかると思うのだが日本の対戦相手は、豪州<クロアチア<ブラジル
の順に手ごわいものとなっている。
「期待理論」からすれば、弱い相手と勝っても「勝って当たり前」となる。
一方、W杯に何回も優勝している強豪に勝てば「ニッポン チャチャチャ」では
ないが欣喜雀躍(手放しの喜びよう)、日本は世界に冠たる強さと、選手でも
ないわが国民は彼らに同化してしまう。彼らは国の補助を受けて出場している
のかも知れないし、日本代表かも知れないが「日本の威信」をかけて出場して
いるわけではなかろう。彼ら自身の栄光のために試合に臨んでいる。
むしろ私たち以上に「これはショー。ビジネスだ。」くらいの醒めた気分で
いるのかも知れない。彼らのパフォーマンスに私たちは一喜一憂しているのが
本当のところであろう。
そして、もうひとつの理論「達成動機理論」。
これは相手が強すぎた場合、持てる力を十分に発揮できない。
したがって、程よいところの困難さが自身の達成感と客観的な好成果が得られる
という考えと思う。
しかし、軽いと思われたオーストラリア戦では、まさかの逆転負け。
そして、昨日の互角であるが気合で勝てると思っていたクロアチア戦はドロー。
勝てる見込みの薄い覇者ブラジルとの試合は、この理論では勝とうという
同期付けにもならない、ということだろうか。
奇跡を。勝ち負けは誰にも予想できない。サドンはどこにでも現出する。
いい勉強になった。
ご冗談でしょう。(釈迦に説法みたいなもんですよ)
ところで、新しい章句場を楽しまれているようで
何よりです。
自らを動機付けするのは、自身のことゆえなのですが、
理屈ではわかっていても、
人を動機付けし動かすというのは難しいですよね。
4月に所属部署が変わってからまさに私も「困難な事に取組む場合、その達成には動機付け如何に依る」を実践しております。
事の重大さに気づいてないのが幸いして今のところつぶれる事も無くどちらかというとワクワク感を楽しんでおります。
ただ、勝負はこれからでしょう。
日本代表をそのように見下す対戦相手に存分の
試合をみせてほしいと思います。