私は60歳にしてリタイヤしたが、その後も嘱託として働いていた団塊世代が65歳になり新たな活躍の場を求めているようだ。
60代はまだまだ元気である。
元気に働くことを求めている人たちがいるならそういう場を提供するのが社会の役目であろう。
それぞれに所を得させて生活(「たつき」とも読むと若いころ父に教えられた)を成り立たせられる世こそ望ましい。
齢を重ねていれば何でもござれというわけにはいかないので、体力知力仕事に対する意欲に応じて働く場の取捨選択できるといい。
GDPかGNPかは知らぬが人口減社会に向かっているのだから嘗てのようにその高さでランクされることに悲観する必要はない。
むしろ、一人当たりの高さを目指す政策がこれからの指針に思う。
所詮は人口が多い方が有利に決まっている。
そのことで張りあうことから脱却し別の指標を選ぶべきだろう。
幸いに60代以上の人々も元気だ。
これらの人たちに「教育教養」が生き甲斐になろう。
この「教育教養」を提唱した方の着眼点に敬意を表する。
すなわち、
教育:今日行くところがある。
教養:今日用がある。
そのように日々生きようとすれば徒に心が体が老けることもないだろう。
そういう場はきっと見つかる。
私も3年雌伏し今がある。
どのような人たちと親交を結ぶか、結ぼうとするかの活動がリタイヤ後こそ大事なのかと思う。
60代はまだまだ元気である。
元気に働くことを求めている人たちがいるならそういう場を提供するのが社会の役目であろう。
それぞれに所を得させて生活(「たつき」とも読むと若いころ父に教えられた)を成り立たせられる世こそ望ましい。
齢を重ねていれば何でもござれというわけにはいかないので、体力知力仕事に対する意欲に応じて働く場の取捨選択できるといい。
GDPかGNPかは知らぬが人口減社会に向かっているのだから嘗てのようにその高さでランクされることに悲観する必要はない。
むしろ、一人当たりの高さを目指す政策がこれからの指針に思う。
所詮は人口が多い方が有利に決まっている。
そのことで張りあうことから脱却し別の指標を選ぶべきだろう。
幸いに60代以上の人々も元気だ。
これらの人たちに「教育教養」が生き甲斐になろう。
この「教育教養」を提唱した方の着眼点に敬意を表する。
すなわち、
教育:今日行くところがある。
教養:今日用がある。
そのように日々生きようとすれば徒に心が体が老けることもないだろう。
そういう場はきっと見つかる。
私も3年雌伏し今がある。
どのような人たちと親交を結ぶか、結ぼうとするかの活動がリタイヤ後こそ大事なのかと思う。
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