第59回配信です。
一、私と無教会派との関わり(郷土史関係以外)
「東京大学法学部に「過去の克服」はない」(by 今野元氏)(2016年09月07日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/73145d9c8d59fbf0b17fd0e866790535
「東京大学法学部に「過去の克服」はない」(by 今野元氏)(2016年09月07日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/73145d9c8d59fbf0b17fd0e866790535
今野元(1973生、愛知県立大学教授)
「南原繁」で自分のブログを検索してみたら65投稿もあった。
最初は、
史料編纂所の位置づけと職員の身分(その1)(2014年05月31日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d63680ac391f6e7a6d2434f2e3fa2762
南原繁と津田左右吉(2014年06月04日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bee91deefb5a73f43577dfc87ce2a43e
歌人としての南原繁(2014年06月09日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3cabcef3a47943005fc6d46793f9291d
藤林益三による矢内原忠雄の「写経」(2016年05月09日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/755acfb10b1559da51762a2a208af18b
「先生には複雑な心理学はなかった。政治的な指導もなかった。ただ理想主義一筋だった」(by 竹山道雄)(2017年06月28日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ed97972995a39f43ede99e8143ac49d1
二、赤江著「はしがき」の続き
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はじめに─キリスト教知識人の時代
日本の復興と宗教の使命
内村鑑三という震源
無教会という対象
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内村はその著述や青年たちへの感化によって、大正期以降の人格主義的な教養主義文化に大きな影響を及ぼした。政治学者の半澤孝麿が指摘するように、その影響力は「単にキリスト教界内にとどまらない、と言うよりはその外において巨大」であった(半澤1993:288)。日本におけるキリスト教の独特の存在感を考えることは、ある意味では、内村の影響圏を測量することなのである。
無教会という対象
内村の影響圏を記述する上で最重要かつ特権的な対象となるのが「無教会」である。内村の影響下でクリスチャンとなった人びとは、無教会主義者、あるいは無教会キリスト者と呼ばれる。序章で見るように、その信徒数は一九五〇年代には三万人とも五万人ともいわれる。無教会は、たんに内村の信仰であるだけではなく、それを継承する人びとによって担われた宗教思想運動なのである。
たが、無教会を語ることには独特のむずかしさがある。これも序章で論じることだが、無教会キリスト教は「信仰の内面性」と「組織や制度の不在」というふたつの特徴において高く評価されてきた。その結果、無教会をめぐる議論はしばしば「個人と国家」というふたつの極に分裂してしまう。【後略】
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