学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

飯舘村長泥地区

2012-07-30 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月30日(月)11時58分39秒

野馬追からの帰り、飯舘村に寄ってみました。
写真は国道399号線を南下し、長泥地区に入るところに設けられたバリケードです。
長泥は7月17日の避難区域の見直しで、飯舘村で唯一「帰還困難区域」に指定されてしまった地区で、この先には「長泥の桜」として近辺では有名な場所があります。
リンク先は4月28日に撮影した長泥の様子ですが、バリケードが設けられたのは「展望広場」の手前で、三枚目の写真の網の間から見えているのが「展望広場」ですね。

http://chingokokka.sblo.jp/article/55589959.html

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飯舘・長泥地区「帰還困難」に 荒れる故郷、墓前に別れ

 福島第1原発事故の避難区域の見直しで、福島県飯舘村が17日、新たな3区域に再編された。放射線量が高い長泥地区は村で唯一、5年以上帰還不能で立ち入りも制限される「帰還困難区域」に指定された。自由に立ち入りできる最後の日の16日、住民は荷物出しや墓参りで一時帰宅し、自宅に別れを告げた。(福島総局・浦響子)

 長泥地区は村の南端で山林に囲まれたのどかな地域だ。74世帯276人が住んでいたが、原発事故で避難した。車道脇に雑草が伸び、田んぼには白い夏草の花が揺れていた。あるじを失った住宅は所々壁が傷んでいる。(後略)
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/07/20120717t63008.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6506

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野馬追はひたすら暑かった。

2012-07-30 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月30日(月)11時37分27秒

相馬野馬追、昨日の甲冑競馬と神旗争奪戦を見てきました。
勇壮な写真はネットでいくらでも見られるので、あまり勇壮でない写真を少しだけ。
一枚目は雲雀ヶ原の祭場地入口から本陣山を見たもので、中央の「羊腸の坂」を除き観客がびっしりですね。
ニ・三枚目は神旗争奪戦の中休みの様子。
炎天下を走り廻った「武者」はもちろん行事関係者・報道関係者もけっこうバテていて、本陣山の観客も陽射しに耐えきれず、かなり帰ってしまった頃の様子ですね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6505

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「万事すべからく流転する」?

2012-07-29 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月29日(日)10時08分2秒

『河北新報』の書評欄を見ていたら、青山七恵氏の『すみれ』という本の書評の冒頭、「全国の小学生に告ぐ。ずーっと続くわけねえだろ、夏休み。万事すべからく流転するって昔の偉い人も言ってんだよ」とありました。
評者は「宮田和美(ライター)」という方ですね。
まあ、ガラの悪い文体はともかくとして、この人は「すべからく」を「全て」という意味で理解しているらしいことは感じとれます。
試しに<"すべからく流転">でグーグル先生に聞いてみたら、1420件出てきました。
「万物はすべからく流転する」と書いている人が非常に多いのですが、ヘラクレイトスは万物に流転しなさい、流転すべきであるとは言っていないと思いますけどねー。

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保立道久氏の言う「日本資本主義に特徴的な論理」が分からない。

2012-07-29 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月29日(日)08時10分4秒

>筆綾丸さん
「八紘一宇」がどういう意味かを聞かれて直ぐに答えられる人は戦前でもそれほどいなかったんでしょうね。
確かにスローガンとしては曖昧なのが良さそうですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%B4%98%E4%B8%80%E5%AE%87

山形県鶴岡市出身の衆議院議員・加藤紘一氏は1939年生まれだそうですから、名前は「八紘一宇」から来ているんでしょうね。
どうでもよいことですが。

>徳岡孝夫
「原爆の爆発を制御」ではなく、「核分裂を制御」ですね。
それなりに実績のある人だと思っていたのですが、妙なことを言いますね。

原発事故後、いろんな人が登場していろんなことを言っていましたが、立派な人物だと思っていた人に幻滅されられることも多いですね。
原発事故後、6か月経過した時点でなお「被爆」と「被曝」の区別がついていなかった東京大学史料編纂所教授の保立道久氏については以前から少し批判してきましたが、同氏の言われることは最近ますます理解できなくなってきました。

---------
福島の原発災害と東北の津波災害については国家保障と東電による全面賠償を実現するほかないと思う。災害の多い、この列島の国家・政府が、国家保障の体系をもっていないのは決定的な問題である。
阪神大震災の時に、現地で永井路子さんと一緒の講演会で話した時、「国家保障が実現するのは必然である」と述べたが、これは(若干の進展はあったものの)、結局、実現せず、苦い記憶になっている。

ヨーロッパでは相当の国家保障があるにもかかわらず、なぜ、日本でそれが実現しないかは日本社会論にとって本質的な問題であると思う。これはなぜ国土計画・都市計画が不在であり、「乱開発」がもたらされるかという問題と裏腹の関係にある。そして、いわゆる「私有財産」の保障はしない、「私有財産の自由」のという日本イデオロギーが根本にある。
正確につめてみたことはないが、これは資本主義一般の問題ではなく、日本資本主義に特徴的な論理である。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/

<いわゆる「私有財産」の保障はしない、「私有財産の自由」のという日本イデオロギー>とありますが、日本語として変なのはいつものことなのでとりあえず置いておくとして、「私有財産」の保障をしない「私有財産の自由」があるように書いているのは論理的に破綻していると思います。
まあ、正直、何を言っているのか分からないので批判のしようがないのですが、歴史学研究会の人たちだったら保立氏の論理が理解できるのしょうか。
10年前、物好きな私は「歴史学研究会創立70周年記念シンポジウム」に出席して保立氏の「社会構成論と東アジア」という基調報告を聞いたのですが、あまり興味がない理論的な話だったので、内容はそれほど理解できませんでした。
古いタイプの歴史学者である犬丸義一氏との質疑応答も、あまりかみ合っていないように感じました。
ただ、理解できないにしても、保立氏の理路整然とした(orしているように見える)話し方に圧倒されて、自分とは思想は違うけれども実に頭の良い人だなあと思っていました。

犬丸義一
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/06ac5441a8971a3ada912df93428d77f

しかし原発事故で保立氏への認識は一変し、これが東大教授の知的水準なのかなあ、と思うことが多いですね。

(補足)
「国家保障」について保立氏が一般とは異なる独自の理解をしていて、ヨーロッパの資本主義にはその「国家保障」が伴われているけれども日本にはないから「日本資本主義に特徴的な論理」だというようなことですかね。
まあ、「国家保障」をどのように定義しているのかが分からないので、どっちにしろ理解できないのですが。
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地蔵院の散り椿

2012-07-26 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月26日(木)22時37分19秒

>筆綾丸さん
これは知りませんでした。
速水御舟が描いた椿は今はもうないんですね。

http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=33
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/jizou-in_tubaki-dera.htm

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丸森町の牛石

2012-07-26 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月26日(木)22時16分21秒

牛石も写真を撮ってきたのですが、宮城県の「大河原家畜保健衛生所」サイトの方が分かり易いですね。

http://www.pref.miyagi.jp/ok-kaho/album14.htm

近くの「牛魂碑」には「牛頭明王」と書かれた木製卒塔婆があり、これもちょっと珍しい感じがしました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6500
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大日如来日吉神社

2012-07-26 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月26日(木)22時03分18秒

先日、宮城県南部の丸森町から白石市越河に向かう道を走行していたところ、「牛石の道」という案内板を見かけ、これは用明天皇伝説に関係するものではなかろうかと思って行ってみたところ、牛石は「諏訪大明神」ゆかりとのことで、用明天皇には特に関係はありませんでした。
牛石に向かう途中、鳥居の懸額に「大日如来日吉神社」と書かれているのを見かけたのですが、大日如来と日吉神社がどのような関係にあるのか理解に苦しみ、とにかく見てみようと石段を登り始めたものの、夏草が生い茂っていて虫も多く、途中で断念しました。
帰宅してから検索してみたところ、丸森町の瑞雲寺というお寺の副住職さんが運営している「@丸森の巨石伝説!」サイトに冬季の訪問記録が出ていました。
これを見ると、大日如来堂とは別に日吉神社があるだけなので、別に不思議ではないのですが、だったら鳥居に「大日如来日吉神社」と書くのはおかしいだろう、と思うのは関東地方の感覚なんでしょうね。

「大日如来・日吉神社 丸森町耕野」
http://zuiunzi.net/igu/bsrisuto15/71.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6499
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復興屋台村周辺など

2012-07-23 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月23日(月)19時44分40秒

気仙沼関係記事、追加します。

「御伊勢崎・杉ノ下漁港」(2012年3月1日)
http://chingokokka.sblo.jp/article/57190119.html
「雪の地福寺」(2012年3月1日)
http://chingokokka.sblo.jp/article/57191172.html

「復興屋台村周辺(その1)」(2011年12月11日)
http://chingokokka.sblo.jp/article/57193484.html
「復興屋台村周辺(その2)」(2011年12月11日)
http://chingokokka.sblo.jp/article/57194142.html
「『お魚いちば』から魚市場まで」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57205844.html

>筆綾丸さん
『伝説の中の神』を再読してみたので、後で書きます。
亀レス、すみませぬ。

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尾崎神社の「契約碑」

2012-07-21 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月21日(土)10時06分21秒

気仙沼関係の記事、追加しました。

「松崎尾崎・尾崎神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57153047.html
「古谷館・八幡神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57144360.html
「古谷館・八幡神社再訪」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57160325.html
「波路上漁港」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57162669.html
「地福寺」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57172631.html
「杉ノ下地区の慰霊碑」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57173784.html


尾崎神社の境内には「契約碑」なるものがありました。

---------
  契約碑
 尾崎神社並同境内ヲ維持スルニ当リ従来尾崎神社別当ニシテ同
 地々主タル熊谷源治郎ト松岩村青年団第二尾崎支部ト協議ノ上
 大要左ノ通リ契約ス 但契約証ハ二通作成両者各一通ヲ所持ス
 一、熊谷源治郎ハ松岩村青年団第二尾崎支部ニ対シ尾崎神社境内並参
   道ト其周囲ノ地域約三百坪ヲ無料ニテ永久貸与スルモノナリ
 一、社殿ノ移転改修ヲ為ス場合ハ両者協調スルモノトス
 一、同地域ニ関スル一切ノ行為ハ総テ松岩村青年団第二尾崎支部ノ承
   諾ヲ要スルモノトス 以上
      昭和七年十一月十七日
        宮城県本吉郡松岩村尾崎百九番地
              松岩村青年団第二尾崎支部長 小野寺盛康
     昭和九年二月十一日
       為後日 岩村青年団第二尾崎支部 建之
http://chingokokka.sakura.ne.jp/sblo_files/chingokokka/image/2012_0313_153949-IMG_8345.JPG

無償で永久貸与を受けたにしては借りている方がずいぶん偉そうな感じがしないでもないですが、契約内容とともに、昭和9年の時点で「契約碑」なるものを建立するという発想も興味深いですね。

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源通光

2012-07-21 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月21日(土)09時47分42秒

>筆綾丸さん
きりぎりすを詠んだ和歌といえば後京極摂政太政大臣・藤原良経の

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む

が一番有名でしょうが、良経は建永元年(1206)に38歳の若さで急死しているので、翌建永二年の「最勝四天王院障子和歌」には名前が出てこないのですね。

藤原良経
http://blogs.dion.ne.jp/misohito/archives/8258149.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositune.html

源通光は後深草院二条の祖父なので、妙になつかしい名前のように思えてしまうのですが、この人は1187年生まれなので、建永二年(1207)には21歳ですね。
「やまとうた」から経歴を引用させてもらうと、

-------------
内大臣土御門通親の三男。母は刑部卿藤原範兼女、従三位範子。通宗・通具の異母弟。承明門院在子(後鳥羽院妃)の同母異父弟。
内大臣定通・大納言通方の同母兄。子に大納言通忠・同雅忠・式乾門院御匣ほかがいる。
後鳥羽天皇の文治四年(1188)、叙爵。正治元年(1199)、禁色を聴される。右少将・中将などを経て、建仁元年(1201)、従三位に叙せられる。
同二年には正三位・従二位と累進。同年末、父を亡くすが、その後も後鳥羽院政下で順調に昇進し、同四年四月、権中納言。
土御門天皇の元久二年(1205)、正二位に昇り、中納言に転ず。建永二年(1207)二月、権大納言。建保元年(1213)、娘を雅成親王に嫁がせる。
順徳天皇の建保五年(1217)正月、右大将を兼ねる。同六年十月、大納言に転ず。同七年三月、内大臣に至る。
(後略)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mititeru.html

とのことで、2歳で叙爵、15歳で公卿、21歳で権大納言ですから、建永二年(1207)は恵まれた前半生の真っ最中ですね。
『最勝四天王院障子和歌』の

旅人の袖のあらしの秋更けてしらぬ露散る宮城野の原

は通光の歌としては特に優れたものではないでしょうが、手慣れた感じはしますね。

落たぎつ滝の白玉わが袖にかけてぞすずむ夏の日ぐらし(布引滝)
和歌の浦や汐干をさして行く鶴のつばさの波にやどる月影(和歌浦)
大井川入江の松をしるべにて昔の波にうかぶもみぢ葉(大井川)
おしねほす鳥羽田のくろにゐる雁の涙にむせぶ秋の稲妻(鳥羽)
涼しさに秋ぞうちいづる泉川柞の森の岸のした水(泉川)

http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/teika/saisyo.html

などは新鮮な感じがします。
後鳥羽院に気に入られただけあって、才能豊かな人ではありますね。


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岩井崎

2012-07-20 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月20日(金)12時00分55秒

気仙沼関係記事、更に追加します。

「岩井崎・琴平神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57140290.html
「『海の殉難者慰霊塔』と明戸霊園」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57143014.html
「古谷館・八幡神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57144360.html

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猪狩神社、人が神になる一事例

2012-07-20 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月20日(金)09時36分17秒 編集済

気仙沼市関係記事、追加しました。

「魚町・五十鈴神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57126261.html

五十鈴神社には猪狩神社という摂社があって、猪狩新兵衛なる人物を祀っています。
海苔養殖と製塩で地元に貢献したそれなりに立派な人物ではあるのですが、前半生はけっこう無茶苦茶な人ですね。
明治10年、この人物が亡くなる直前に神社の祭神にしてしまったようで、正直、この種のメンタリティが今一つ分からないですね。

猪狩新兵衛
http://www.yokotaya.co.jp/etc-html/rekisi.html

なお、写真だけアップしておいて整理していなかったいくつかの記事にコメントを付しておきました。

気仙沼市「波路上・御伊勢崎」
http://chingokokka.sblo.jp/article/51051164.html
南三陸町「長須賀海水浴場」
http://chingokokka.sblo.jp/article/51044929.html
南三陸町「泊浜漁港」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57109981.html

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東北の歌枕

2012-07-20 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月20日(金)08時27分0秒

「最勝四天王院障子和歌」から例えば「宮城野」を抜き出してみると、

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宮城野やあかつき寒くふく風になく音もよわききりぎりすかな 御製

草枕また宮城野の露にして浅くも秋をながめつるかな 慈円

旅人の袖のあらしの秋更けてしらぬ露散る宮城野の原 通光

宮城野の秋にみだるる虫の音に露とふ風をそでにまがへて 俊成女

宮城野の木の下わくる旅の袖露をたよりの秋の花ずり 有家

移りあへぬ花のちくさにみだれつつ風のうへなる宮城野の露 定家

宮城野は宿かる袖も松虫の鳴く夕かげの萩のうは露 家隆

ふる里をしのぶもぢずり露みだれ木の下しげき宮城野の原 雅経

宮城野の草葉の露をあらそひてまた故郷をたれおもふらん 具親

宮城野のうつろふ秋にあしびきの山立ちならし鹿ぞ鳴くなる 秀能
------------

ということで、後鳥羽院以下、どの人も一度も陸奥に行っていないのに実に見事に詠むものですね。
「宮城野&和歌」で検索したら、登米伊達家現当主の伊達宗弘氏のサイト(「伊達八百年の歴史とみちのくの文学散歩」)に、

--------
この能因法師はみちのくを二度訪れ、また、全国各地を行脚し、晩年、和歌の手引書を著しています。そのなかで能因は、みちのくを山城、大和に次ぐ第三の歌枕の国として位置付けています。能因歌枕によるとその数の多いのは、山城(京都〉の86、大和(奈良)の43、陸奥(むつ)の42、摂津(大阪)の35、出羽の19で、この陸奥の国と出羽の国を合せた東北全体では、歌枕としては京都に次ぐ数の多さです。
 ちなみに、仙台から松島の方を辿ってみても、つつじが岡、宮城野そして多賀城に入って野田の玉川、おもわくの橋、沖の石、末の松山、壷の碑、浮島を経て、塩釜、まがき島、松島、雄島と続きます(後略)
http://www5.ocn.ne.jp/~date0731/zuihitsu/txt94.html

とありました。
まあ、「最勝四天王院障子和歌」に陸奥の歌がやたらと多いのは別に特殊な理由によるのではなく、もともと陸奥に歌枕が多いだけ、ということですかね。
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「最勝四天王院障子和歌」

2012-07-20 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月20日(金)07時52分43秒

>筆綾丸さん
>和歌の名所は遠く陸奥という「幽玄」の名所にまで及び、

水垣久氏の「やまとうた」に「最勝四天王院障子和歌」が載っているのでどこの国が多いのかを数えてみたところ、

摂津(7)
山城・陸奥(6)
大和(5)
播磨(4)
伊勢・駿河(3)
紀伊・近江(2)
河内・肥前・因幡・丹後・尾張・遠江・信濃・武蔵(1)

となっていて、「統治」の対象としてはずいぶんバランスが悪いですね。
基本的には京都周辺しか関心がなくて、九州は松浦山(肥前)1箇所だけ。
東の方は駿河3、尾張・遠江・信濃・武蔵が各1なのに、何故か陸奥は6箇所、全体の13%で、突出して多いですね。
ちょっと不思議な感じがします。

「やまとうた」
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/teika/saisyo.html

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気仙沼・一景島神社

2012-07-18 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月18日(水)20時06分42秒

気仙沼市内の変化の様子を順次アップします。
最初は去年8月20日に訪問した一景嶋神社の様子。

「一景島神社とその周辺(その1)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57116872.html
「一景島神社とその周辺(その2)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57118095.html

ついで去年12月11日に再訪したときの様子。

「師走の一景島神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57119213.html

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