ここ暫く投稿を休んだ分、元旦早々にも連続投稿を行うつもりなので年末のご挨拶というのも若干変な気分ですが、今年の投稿はこれで最後とします。
筆綾丸さん、また、このようなマニアックな掲示板に訪問してくださった皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年12月30日(火)21時27分4秒
昆野伸幸氏の『近代日本の国体論』は大変な労作であり、また名著であると思いますが、第三部第三章「三井甲之の戦後」だけはちょっと納得が行かないですね。
昆野氏は同章の最後を、
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その後の三井は、戦後初期における現在の状況への反発を乗り越えて、積極的に適応していった。天皇の「人間宣言」、衆・参両院における教育勅語排除・失効決議などを通して、伝統的国体論は上から解体せしめられていった。このような動きに対応するかのように、彼の認識においては、天皇は神から人間へと変貌を遂げ、普遍宗教との関わりで捉えられるとともに、「デモクラシイ」の観念が偽装を超えて血肉化していった。
(中略)
確かに占領下における一連の上からの改革によって、伝統的国体論の思想的主柱はことごとく倒され、その権威は失墜した。それでは三井における戦後の思想的帰結は、上からの改革に対する現状追認に過ぎないのであろうか。そうとも言い切れない。三井の悪戦苦闘に示されるように、個々の思想家のレベルにおける営為には、単なる現状追認ではなく、まがりなりにも戦後という時代の中で積極的に自己革新をなそうとした一面があるのではないか。少なくとも彼らの戦後における変説を「変節」「転向」「偽装」とのみ判断するだけでは、国体論の思想性を正確に把握することはいつまでたってもできないだろう。
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と締めくくられるのですが、少なくとも三井甲之の場合、変説は「変節」「転向」「偽装」ではなく、老化現象なのだと思います。
三井甲之は1883年生まれなので終戦時には満年齢で62歳であり、山梨県の大地主という地位と名誉と財産は農地解放で消失し、更に子供の死去といった個人的不幸が重なって体力・気力が失われ、要するにボケてしまったと考えるのが一番自然です。
何より昆野氏が紹介する文章の数々には戦前の三井甲之の文章に見られた異様な覇気が全く存在せず、弱々しい老人の繰り言が続くだけですね。
戦前の三井甲之の思想については片山杜秀氏の「写生・随順・拝誦─三井甲之の思想圏」(『日本主義的教養の時代─大学批判の古層』)がよく整理されていて、三井甲之に流れ込んで行った様々な思想の全体像が綺麗に把握できます。
ただ、三井甲之は主観的には独創的な深い思想を構築したつもりだったのでしょうが、客観的には各種思想をバラバラに寄せ集めただけとしか言いようがないですね。
例えばベルクソンの「生の哲学」にしても、ある種の神秘主義的な面は確かにありますが、人を他者への攻撃に駆り立てるような危険思想でも何でもありません。
ま、昆野伸幸氏には深く思想を分析する能力がありますが、もともと対象たる三井甲之に独自の深い思想がある訳ではなく、更に戦後はボケが重なっていますから、あまり熱心に分析しても仕方ないような感じがします。
ということで、ちょうど大田俊寛氏の『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社、2011)を読んだときと同じようなミもフタもない感想になってしまいました。
カルトの臭い
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a51d2ae1fbd0dd1bdfc233c25718bc9c
>筆綾丸さん
ここ数日、『現代思想二月臨時増刊号 総特集網野善彦』を読んでいたので、『日本史の森をゆく』は購入済みですが、まだ目を通していません。
感想は後ほど。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7626