学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

勝俣「無縁」論

2013-10-26 | 東日本大震災と研究者

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年10月26日(土)21時48分38秒 編集済

『一揆の原理』で、なるほどな、と思ったのは例えば次のような箇所です。(p204以下)

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 中世一揆研究の第一人者である勝俣鎮夫氏は、一揆の結合原理は「無縁」であると主張した。一揆メンバーは、一揆に参加するにあたって、それぞれが血縁・地縁・主従の縁など諸々の「縁」を断ち切った。彼らは「無縁の場」という非日常的な空間を自ら創出することによって、はじめて「縁」を超越した「共同の場」である一揆を形成し、個々のメンバーの平等性と自立性を確保することができたのだという。この“縁切り”のための儀式として勝俣氏が重視したのが、例の「一味神水」なのである。
(中略)
 しかし、ここまでの章で述べてきたように、「一味神水」の神秘性を過大に評価すべきではない。私が思うに、どうも「無縁」論は、「神への信仰によって人々が平等になる」という理屈が先行しているようだ。「神の前では人間、みな平等」という発想は現代人にはとっつきやすいものだが、残念ながら史料的に証明されているとは言いがたい。
(中略)
 一揆契状の決まり文句である「水魚の思いを成す」・「一味同心の思いを成す」は、従来、神への信仰心によって諸々の「縁」=身分制から解き放たれた者たちの精神的連帯と解釈されてきた。言い換えるならば、自由で平等な、まるで「市民革命」を成し遂げた「近代的個人」のような人々の集団として、一揆を理解していたのである。
 要するに、マルクス流の「唯物史観」をしりぞけて宗教的側面を重視した勝俣「無縁」論も、一揆に自由と平等、個人の尊厳、さらには身分制を突き崩す革命的な要素を求めるという根っこの部分では、「階級闘争史観」とつながっているのだ。
 だが一揆の「一味同心」とは、そのような抽象的・理念的なものではなく、赤の他人との間に実の親子兄弟同然の親密な関係=絆を築くことを意味しているのではないだろうか。「無縁」の産物として語られることの多い一揆であるが、実はその根底に、擬制的な親子兄弟という、「縁」を秘めているのである。
 一揆の結成は、神仏の前での「無縁」空間の創出というより、旧来の「縁」をいったん切断した上で新たな「縁」を生み出す行為、と把握すべきである。
----------

言われてみれば当たり前なのだけれど、当たり前のことをあっさり言うためには鋭い直感だけでなく、旧来のそれなりに重みのある学問的蓄積を覆す地味な努力が必要ですね。
私は網野善彦氏の「無縁」論は胡散臭いなとずっと思っていたのですが、勝俣鎮夫氏の文章には網野氏とはまた違った独特の魅力があるので、読んでいるとついつい勝俣ワールドに引きずり込まれてしまっていました。
しかし、呉座氏のドライかつ無粋な案内に従ってセイレーンの歌声の聞こえない距離まで離れてみると、確かに勝俣「無縁」論には問題が多いですね。

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『天皇ナイト~天皇の恋愛事情と天皇総選挙!~』

2012-12-11 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年12月11日(火)20時41分47秒

うーむ。
2013年1月31日の催しだそうですが、後深草院と二条が登場しそうな予感。
本郷和人氏も多方面でご活躍ですね。

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『天皇ナイト~天皇の恋愛事情と天皇総選挙!~』

古事記編纂1300周年を迎えますます天皇熱が高まったといっても過言ではない2012年。
そして今年、皇室ウォッチャーとしてお馴染み、辛酸なめ子さんが挑んだ話題の新刊『天皇愛一冊でわかる歴代天皇、その愛の軌跡』の出版記念を兼ねたイベントを開催。
神武天皇まで遡って歴代天皇の恋愛事情を探るという今までなかなか語られてこなかった歴史のタブーに挑む。
お酒を飲みながら天皇の性愛事情を熱く語ったり、真面目に女性宮家創設問題を議論したりと、「天皇の恋愛事情をまじめに学ぼう」をテーマに、天皇の恋愛事情に振り回された日本を語る。

【出演】本郷和人(東京大学史料編纂所准教授、大河ドラマ「平清盛」時代考証担当)、辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト、皇室ウォッチャー)、ほか!?
【司会進行】滝乃みわこ(編集、イラストレーター)

OPEN18:30 / START19:30
前売¥1,800/当日¥2,000(共に飲食代別)
※前売券はe+チケットにて12/2(日)より発売開始!!!!!!!!!!
ご購入はこちらから→ イープラスチケット購入
【お問合せ】ロフトプラスワン(03-3205-6864)

http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/schedule/lpo.cgi?year=2013&month=1


>ますます天皇熱が高まったといっても過言ではない2012年
過言です。
過言の滝。

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東京電力&無主物

2012-06-12 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月12日(火)12時51分28秒

うーむ。
ちょっと気になって、「東京電力&無主物」で検索してみたら、未だに東京電力に対する轟々たる非難の嵐で、中には無主物などと主張する法律家はアイヒマンと同じだ、などと言っている人がいますね。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-585.html

ネット上で、今回の原発事故で飛散した放射性物質は無主物と考えても別に法律的には間違ってないんじゃないですか、などと言っているのはどうも私だけみたいですが、そうすると私もアイヒマンと同類ですかね。
まあ、殆どの人が「無主物」=「無責任」と短絡していますが、私だって東京電力にあらゆる責任がないと言っている訳ではなくて、東京電力の責任を追及する法的なルートは複数存在することを前提に、物権的請求権の主張はまずいでしょ、と言っているだけですけどね。
「無主物」かどうかは法的な価値判断であって、一般の人の認識とはずれることがあってもおかしくはないのですが、ここまで一色に染まってしまうのは何だか怖いですね。


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「鯨缶タンク」撤去

2012-06-12 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月12日(火)09時47分9秒

今日の『河北新報』より。

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「鯨缶タンク」撤去へ 水産加工会社、被災者感情に配慮

 東日本大震災の津波で流され、宮城県石巻市の県道に横倒しとなっていた缶詰をかたどった巨大なタンクが、今月末から解体されることになった。保存を求める声もあったが、所有する水産加工会社が被災者感情に配慮して撤去を決めた。
 「木の屋石巻水産」の本社工場正面にあった鉄製タンクは高さ10.8メートル、直径9メートルで、飼料用の魚油タンクとして使用されていた。2007年に鯨大和煮の缶詰のデザインに塗り替えられ「世界一の鯨缶」として観光客らに親しまれていた。
 震災で津波の直撃を受け、約300メートル離れた県道石巻女川線の中央分離帯に流れ着いた。震災遺構として注目されたが、被災者から「震災を思い出すので見たくない」との声も寄せられた。
 解体したタンクの一部は、同社が市内と宮城県美里町に建設予定の工場のベンチなどに活用する考え。木村隆之副社長(57)は「会社にとっても大切なシンボルで、壊すのは忍びない。震災を風化させないよう、思いを込めて生まれ変わらせたい」と話している。

これ、法律的には物権的請求権の問題ですね。
津波という不可抗力により水産加工会社の所有地上にあった「鯨缶タンク」が宮城県所有の県道上に移動すると、宮城県は水産加工会社に対して、土地所有権に基づく物権的妨害排除請求権を有しており、「鯨缶タンク」を県道上から撤去せよ、と請求することができます。
逆に、水産加工会社は宮城県に対して、「鯨缶タンク」の所有権に基づく物権的返還請求権を有するのですが、問題の性質上、宮城県は「ご自由にどうぞ」と言うだけで、訴訟に発展するはずもないですね。
このあたり、理論的な枠組み自体は、放射性物質が「無主物」であるかどうかで争いになった二本松のゴルフ場裁判の場合と同じです。
「鯨缶タンク」は巨大なものだから、誰もそれが「無主物」だなどとは主張しませんが、だんだん小さくなって放射性物質レベルの極限的な小ささまで行ってしまうと、「無主物」だとの主張がおかしい訳ではないですね。

『ヴェニスの商人』と物権的請求権
「無主物」はオーソドックスな論理
『週刊現代』と小出裕章助教
「概念の相対性」と保立道久氏
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「震災と在日韓国人」

2012-05-30 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月30日(水)06時52分31秒

『河北新報』のコラム「河北春秋」より引用。(2012年5月30日)

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東日本大震災では何が起き、あるいは起きなかったのか。発生した事実は写真や動画、体験談などで記録されつつある。一方で、起こらなかったことに目を凝らすのは難しい▼福島県立博物館長で学習院大教授の赤坂憲雄さんは「震災と在日韓国人」というテーマに関心を寄せる。1923年の関東大震災では、多くの朝鮮人が暴行・虐殺されたとされる。「朝鮮人が放火している」などの流言飛語が不幸な歴史を生んだ▼悲劇を繰り返さないでほしい。赤坂さんは震災直後から、祈るような気持ちだったという。「東北では今回、在日の人たちへの差別はなかったと思う。それは、なぜか」と問う▼まず本人たちから話を聞こう。被災地で、在日韓国人から聞き書きするプロジェクトを始めた。目標は100人。大学の研究者やライター、作家らが協力する
▼大震災では混乱時にも争わず、店の前に整然と並ぶ人々の姿が称賛された。だが、表面からは見えにくい場で、何が起きていたのか。在日韓国人の視点から見直すことで、新たな問題が浮上するかもしれない▼「起きなかったこと」を透視する作業は、想像力と根気が要る。だが、気付かなかった震災の姿を探ることにもつながるはず。成果は来年3月にも出版される。

赤坂憲雄氏って、やっぱりちょっとずれていますね。
「悲劇を繰り返さないでほしい。赤坂さんは震災直後から、祈るような気持ちだったという」とありますが、関東大震災後の朝鮮人虐殺は、その時点での特有の歴史的背景・社会情勢があったから発生したのであって、同様の事態が2011年3月の東北で起きるはずがありません。
そういう頓珍漢な心配をするのは単に赤坂氏の頭が悪いからですね。
差別による悲劇は別の形で現に発生しているのだから、関心はそちらに集中しろ、と私は思います。
もちろん「在日韓国人の視点から見直すこと」自体は意味があるでしょうね。
なんで「韓国人」に限定するのかはよく分かりませんが。
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緑のたぬき・中沢新一

2012-05-26 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月26日(土)08時21分55秒

>筆綾丸さん
私は一時期、中沢新一にけっこうはまっていまして、オウム事件前の作品は全部読んでいます。
『悪党的思考』の後醍醐天皇論など傍線を引いて熱心に読み込んだのですが、後深草院二条のホームページを始めて間もない頃、本郷和人氏と話す機会があって、『悪党的思考』をどう思うかを聞いてみたところ、下らない本だと吐き捨てるように言われていましたね。
ま、私も今はそう思っているのですが。
中沢新一の文章は芸術・芸能の世界にいる人には良い刺激になり、その範囲にとどまってくれるのであれば別に社会に迷惑はかけませんが、現実政治に関わってはいけない人ですね。
今年の一月、中沢新一が「緑の日本」という政党をつくると発表しましたが、その後どうなったのか、あまり動きがありません。
この政党がそれなりに目立つようになったら、私はささやかな抵抗として中沢新一批判の新ブログを作ろうと思っていまして、そのタイトルは「緑のたぬき・中沢新一」です。
私の中沢新一批判の眼目は、中沢新一は家系がダメ、という無茶苦茶なもので、中沢一族を四代前まで遡って、この一族からは非常に頭の良い人が輩出しているけど、現実政治に関わるとトンチンカンなことばかりやっていて、全然ダメな人たち、ということを示そうと思っています。
ゴールデンウィークに笛吹市に行こうと思ったのも、中沢一族に関係する場所の風景を撮影するためでした。
ま、「緑の日本」が社会に根付かず、あっさり枯れてくれれば私も手間がはぶけて一番良いのですが。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

マティスのダンス 2012/05/24(木) 21:14:06
小太郎さん
昨日、読み終えました。
僭越ながら、優秀な研究者ですね。冷静な論考で面白く読みました。
外連味とハッタリの中沢新一氏に対する批判は、残念ながら相当抑制的で、いやいや、もっとやれ、と思いました。今後の著作に注目したい研究者ですね。

「・・・多くの研究がオウム事件の原因を、七〇年代後半から八〇年代以降の日本社会、すなわち、高度経済成長を達成した後の日本社会の問題に帰着させていることである。このような着眼はまったく間違っているというわけではないが、端的に言って、視野が狭すぎる。(中略)それとは逆に、仏教研究を専門とする学者によって執筆された論考にしばしば見られるものだが、オウムの問題を、例えば仏教史全体から考察しようとすることは、視野が広すぎる」(19頁)
この「視野が広すぎる」というところで、飲んでいたコーヒーを思わず吹き出してしまったのですが、
「本書の結論を先取りして言ってしまえば、オウムとは、ロマン主義的で全体主義的で原理主義的なカルトである、ということになる」(22頁)
とすると、「視野が広すぎ」ないか、と懸念を抱きましたが、広すぎもせず狭すぎもせず、見事に分析しているなあ、と感心しました。

「ウェーバーは『支配の社会学』という著作で、人間社会における支配の形態を、合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配の三つに大別した。このなかで合法的支配とは、形式的に正しい手続きで定められた規則に基づいて行われる支配形態であり、典型的には官僚制を指す。次に伝統的支配とは、古から存在する秩序と支配の神聖性に対する畏敬の念に基づくものであり、典型的には家父長制を指す。最後にカリスマ的支配とは、支配者の持つ天与の資質(カリスマ)、とりわけ呪術的能力や英雄性、弁舌の才に対する信奉者の情熱的な帰依によって成立する支配形態であるされる」(127頁)
全然関係ないことですが、佐藤進一氏の「主従制的支配と統治権的支配」という有名なテーゼは、周知のことなのかもしれませんが、なんだ、ウェーバーのパロディか、と言って悪ければ、借用だな、少なくとも氏の独創ではないな、と思われました。

「そのもっとも代表的なものは、イスラム神秘主義のスーフィズムから着想を得たと思われる集団舞踊であり、それはグルジェフの宇宙論を再現するための緻密な構成と、即興的に変化するダイナミズムを混合させた前衛的な内容であったと言われる。この舞踊はアメリカの公演も行われ、グルジェフの名を舞台芸術家として知らしめる一因となった」(160頁)
これも全然関係ないのですが、アンリ・マティスの「ダンス」という傑作は、もしかすると、グルジェフの影響があるのかもしれないな、と思いました。ストラヴィンスキーの音楽やロシア・バレーとの関係は、あとで調べてみます。

「グルはインドの主要な輸出品である」(94頁)
こういう表現は知らなかったのですが、上手いことをいう人がいるものですね。中沢新一氏などは、さしづめ、輸入業者の一人で、ずいぶん儲けたのだろうな、と思いました。

「岩手を訪れた麻原一行は、地元のヒヒイロカネ研究家に会い、この地方で「餅鉄」と呼ばれる鉱石がヒヒイロカネであることを知らされる」(215頁)
恥ずかしながら、こういう鉱石の名も知りませんでした。
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謎の安冨歩ワールド

2012-05-03 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月 3日(木)21時11分47秒

東京大学東洋文化研究所の公式サイトを見ると、安冨歩氏の「研究テーマ」は「魂の脱植民地化」になっていますね。

「魂の脱植民地化」とは「外部から押し付けられたモノを自分自身の真の姿と信じ込まされ、魂が主体的・自律的な運動を自ら放棄してしまうこと」だそうです。

ま、それはどうでもよいのですが、東洋文化研究所においては「魂の脱植民地化」で予算が取れるらしいので、うらやましいと思う大学関係者もいるでしょうね。
また、アマゾンに出ていた安冨歩氏の著書『生きる技法 』の内容紹介によると、同書は、

-------
最初に「生きるための根本原理」を導入しておきます。
それは―
【命題1-1】自立とは多くの人に依存することである。
人はどうしたら自由になれるか。幸福になれるか。
自分自身の内奥の感覚に忠実にしたがうこと。
さまざまな呪縛から脱出した東大教授、命がけの体験的人生論。

というものだそうです。
更に同書の星四つのレビューによれば、

--------
著者が、配偶者や母親から自立する過程で、感じ、考え、心から納得したことだけを記している点で200頁に満たない小冊ではあるが、非常に読み応えのある内容となっている。
人が二人以上集まればそこに力関係が生じるのは世の習いであり、我々は恐怖や不安から自ら進んで隷属を選ぶのである。
著者は、自分が欲すればそのような状態から脱して、「自己愛」ではなく「自愛」に基づいた「創発的」な生き方ができると説く。
--------

のだそうです。
母親からの自立はまだ理解できますが、配偶者から自立する必要がある人とはいかなる人物なのか。
そういう人が書いた「命がけの体験的人生論」を金を払って読みたいと思う人がいるのも不思議ですね。
安冨ワールドとその周辺は謎だらけですね。
ま、あんまり関わりたくはないですが。

>美川圭氏
武田邦彦氏に頼んで『平清盛』の視聴率低下状況を一次関数にしてもらったら、年末にはマイナスの数字になりそうですね。
美川氏は「貴族社会の美の世界は、薄汚い庶民の世界の対極にある。その美の世界は、その庶民からの富の徹底的収奪の所産である」と言われていますが、この部分は何だか古色蒼然たる人民史観のような感じがして、美川氏らしくないちょっと奇妙な記述ですね。
平家の冨のうち、少なくとも貿易から得たものは「庶民からの富の徹底的収奪の所産」ではないと思いますけどね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

精神の崩壊/μSv(マイクロシーベルト))という物理の単位 2012/05/03(木) 02:42:15
小太郎さん
老害の言う「一次方程式」は、察するに「一次関数」のことらしく、変数xは時間、係数aが正の増加関数なので、5mシーベルトになるxを求めれば「3年4ヶ月後」となるようですね。この伝で、三重県などとケチなことは言わず、日本全域や地球にヒトが住めなくなるのは何年後か、ぜひ計算してもらいたいものです。「一次方程式」や「一次関数」は、けっして、バカでもマヌケでもないんですがね。

『安富計算法』を眺めてみました。
負けず嫌いの強烈な性格ですが、ヒトは、なぜ、こんなふうに精神が崩壊してしまうのだろうか?

http://rokuhara.sakura.ne.jp/bbs/
美川圭氏に誰もコメントせず、だんだん、孤高の呟きのような感じになってきましたね。
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一年後の武田邦彦氏

2012-04-28 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月28日(土)09時30分5秒

中部大学教授・武田邦彦氏が昨日発表した見解では、「2015年4月1日になると、三重県には住めなくなる」そうですね。

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「あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日」

ある読者の方が線量計を持っておられて、それを使って毎日、定点観測を続け、その結果をお送りいただいた。測定は毎日、朝は職場、夕はご自宅玄関前、夜は自宅居間就寝前 の3回の測定を標準として、その平均値を整理しておられます。場所は三重県です。
それをグラフにプロットしてご自宅付近の放射線量の変化を見ておられます。科学的に正確でデータもシッカリして、これこそ「被曝の問題を日本人一人一人で取り組み、より安全な生活を目指そう」という活動のなかですばらしいものと思います。
データの詳細は別にして、昨年の9月頃より三重県の放射線量はわずかならが上がっていて、一次方程式(y=ax+b)で書けば、今年の1月から3月までの平均がb(つまりおおよその最初の状態)が毎時0.10マイクルシーベルト、a(変化)が0.004(マイクロシーベルト/日)です。
もちろんデータは個人が測定したもので、ある場所に限定されますし、また最小自乗法でaやbをだされていますが、それも科学的には問題はありません。
これから計算しますと、若干の内部被曝なども加味して、三重県の外部からの被曝が1年5ミリになるのは、2012年1月から3年4ヶ月後となります。つまり、2015年4月1日になると、三重県には住めなくなるという計算結果です。
「人を脅すようなことを言うな!」というおじさんの声が聞こえてきそうですが、脅したりだましたりしている訳ではありません。戦争で言えば、ミサイルが飛んできたとか、何時に日本列島に到着するという計算をして、その結果をそのままお伝えしているだけです。
NHKは「台風の進路、いつ頃台風が来るか」を放送しますが、それと同じです。台風より緊急性が高いかも知れませんし、台風の進路予想より確実性も高いかも知れません。
1年5ミリというと成人男子でも白血病になったら「労災」が適応される線量です。つまり、日本国は「1年5ミリの被曝を受けたら、白血病になる」と認定してきたのです。もちろん、現在の日本政府は知らない顔をするでしょうが、これは厳然とした事実なのです。また電力会社の従業員も1990年ぐらいから1年1ミリに自主規制してきているのですから、1年5ミリの場所に子供も一緒に住むわけにはいきません。
また、三重県はほぼ日本の平均的な線量率ですから、ほぼ日本に住めなくなることを意味しています。このブログでも再三、書いてきましたし、国会の委員会でも参考人で述べましたが、「福島の除染、汚染された野菜、瓦礫の運搬」を続けていると、日本には住めなくなります。
福島原発から漏れた量が80京ベクレルであること、これは日本に拡散したら日本が住めなくなる数字であることを認識し、政府、自治体、電力は本腰になって日本列島を汚染されないように全力で取り組んでください。

私は一年前に↓のように書きました。


先程、「紫苑」掲示板で「武田邦彦」を検索したら、今でも

------------
ネットから得られる原発問題の事実関係に関する情報の中で、私が信頼し、対応の参考にさせて頂いているのは、中部大学の武田邦彦氏、写真家の藤原新也氏、同業の文教大学教授中村修也氏のブログです。

という投稿が残っていますが、野口実氏は現時点でも武田邦彦氏を「信頼」されているんですかね。
そうだとしたら、三重県が危ない以上、京都府からも逃げ出さなければならないと思いますが。
文教大学教授中村修也氏はどうされるつもりなのか。

一年前は情報の混乱の中で武田邦彦氏のような存在が多くの人の注目を浴びましたが、まあ、mad scientist だった訳ですね。
一年後にこれだけ変なことを言っているのだから、三年後、五年後にはもっと変なことを言うはずです。
野口実氏も、武田邦彦氏の名前を含め、放射能関係の記事を整理された方がよいのではないですかね。
いつまでも放置しておくと、将来、文化勲章や文化功労者といった各種栄典の受賞の妨げになることだってありうると思います。
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対抗力

2012-04-15 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月15日(日)05時02分21秒

>筆綾丸さん
>登記簿上の対抗力
対抗力というのは実体法上の概念なんですね。
実体法が登記手続きに優先されなければいけないので、実体法上の権利関係が明確になった場合、登記手続きが不備だから実体法上の権利関係を登記に反映できません、などということは許されるはずがないと私は思っています。
リンク先の文章、いろいろすっきりしない点が多いのですが、私も登記関係は全く自信がないので今後の課題としておきます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

岡先生 2012/04/14(土) 21:29:20
小太郎さん
ご引用のサイトに、次のようにありますが、国に対する不動産登記引受請求訴訟のようなものは前例がないのですね。民法施行後、一世紀以上経過するので、一例くらいあるかと思いましたが。本来は国有財産であるが、そのことに関して、残念ながら、登記簿上の対抗力がない、という変則的な状態になるのでしょうね。これは法律上の不備と言うべきなのかどうか。
ーーーーーー
とはいえ、民法上は国の姿勢がどうであろうと、元の所有者が土地の所有権を放棄した以上は国有財産に組み入れられるはずです。
(中略)
ここで国に対して土地の登記名義を引き受けるよう訴訟をするかということも考えられますが、私の調べた限り、前例はないようです。
ーーーーーー

『われ敗れたり』に、次のような不思議な記述があります(75頁~)。
ーーーーーー
そしてふと、昔、数学者の岡潔先生を、奈良のご自宅から宝塚までご案内したときの不思議な体験を思い出しました。岡先生は将棋が大好きで、すごく強かった。そんな岡先生があるとき、名人戦をご覧になりたいというのでご案内したのです。しかし、岡先生は対局場のホテルの前にたどりつくと、突然道端にしゃがみこんで、小枝で数式を地面に書きつけはじめたのです。そして、そのままみじんも動こうとせず、XやらYやらfやら、こちらにはまったく理解できない数式、記号をもくもくと書き続けておられました。そのとき以来の不思議な感覚がよみがえりました。
ーーーーーー

名人戦の一局は、普通、二日がかりで時間は充分あるから、数式を完成させた天才的数学者は、お、もう、こんな時間か、とかなんとか言いながら、対局場に入ったのでしょうね。その間、米長氏が何をされていたか、不明ですが。さすがに、対局場の畳の上には数式は書かなかったと思いますね。岡先生の没年を考えると、このときの名人は不世出の怪物大山康晴ですね、おそらく。家元制名人という制度ができてから、今年はちょうど、四百年になるのだそうですね。

将棋も囲碁も、もはやコンピュータに誰も勝てない、という状況になったとき(近い内になるでしょうが)、将棋や囲碁は人間の知的ゲームとして残り続けるのか。それとも、ともに滅びて、そう言えば、昔、将棋とか囲碁とかいうものがあったそうだね、ということになるのか。
人間が誰も勝てなくなると、次は、コンピュータ対コンピュータになると思いますが、このとき、果たして、「最強」のコンピュータという概念は成り立つのかどうか。つまり、「最強」という概念は有限なのか無限なのか。近未来的には、すべて答えが出てしまうのか。世の中には、もう、あまり未練はありませんが、その辺の状況はみたいものですね。
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某所にて

2012-04-11 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月11日(水)23時46分12秒

「いろいろと話題を醸した大著」の書評をされるとの記事を見かけましたが、あの本のことですかね。
ご苦労さまです。

紫苑掲示板で美川圭氏が激怒されているように、「家盛決起」のストーリーは理解しにくいところが多かったですね。
でも、私はフカキョンが好きなので、次回も見るつもりです。
いっそのことフカキョンを主役にしてほしいくらいですね。

>筆綾丸さん
船舶には船舶登記という不動産登記類似の制度があるのですが、漁運丸は物理的に存在しなくなったものとして滅失登記済みだったのかもしれないですね。
私も船舶登記は分からないので、不動産登記からの推測ですが。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

海老と老船 2012/04/09(月) 20:20:52
小太郎さん
http://fr.wikipedia.org/wiki/Crevette
「漁運丸」でしたか。仰るとおり、ウィキは凄いですね。
フランスの国営放送は、海老(crevette)漁船としてますが、烏賊(squid)釣り漁船ですね。烏賊は海老で釣るので、特派員が勘違いしたのか、あるいは、老朽船と海老が混乱したのでしょうか。
北海道新聞によると、所有者らしき人は全く未練がないように報じられていて、薄情者のような印象を受けますが、フランスの抒情的な記事とは随分違いますね。フレデリック氏は、案外、ロマンチストなのかもしれません。
北海道新聞にある、所有権はない、という話が気になりました。自然災害により行方不明になった船舶の所有権の喪失(放棄)について、国内法にどのような規定があるのか。また、「幽霊船」の公海並びに他国沿岸における法的地位はどうなっているのか。
このくらいの船だと、魚雷ではなく「艦砲射撃」で沈めるのですね。
中国語には、「漁運丸終沉到約300米深海底」とありますが、意外に浅瀬なんですね。また、「船上燃油會迅速飄散或揮發,對沿岸生態?染有限」と、中国の新聞が生態系に言及しているのは意外ですね。
中国では、天才・地才・人才に対して、ときどき、鬼才と言いますが、やはり、あまり良い意味ではないのですね。
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間違い探し(その2)

2012-03-30 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月30日(金)09時38分30秒

大河ドラマの「王家」問題は、とうとう国会で議論の対象となりましたね。
以下、片山さつき議員のホームページに出ていた「3月29日 総務委員会質問骨子」からの抜粋ですが、この中に明らかな誤りがあります。
それは何でしょうか。

それにしても、国会で本郷さんの名前が出てくるとは・・・。
大河ドラマの影響力はすごいですね。

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今低視聴率に喘いでいる清盛ですが、皇室の呼び名を王家という言葉を使っていることに大変な批判がでておりますが、この時代考証をやった方が東大資料編纂所の准教授の本郷さんという方で、この方の学説なんでしょうが、一般的な学説ではありません。文科省や教科書検定関係者にも聞きましたが、そうではありません。
1972年の新平家物語では吉川英治原作ということもあってか、皇室は皇室のままで、王家という呼称は使っておりません。何故この王家という呼称をNHKとして決定したのか。批判があってプロデューサーが一般的ではないということをおっしゃって、若干ホームページなどは直しておられるのですが、そういう修正をされるんだったら、何故もっと慎重にまた宮内庁にもお聞きになったのかと、皇室にとって先祖の呼称ですから非常に重要で、我が国でも平安時代の王家という呼称が、一般的であったとういう歴史教育のコンセンサスは全然ありません。そこはどう考えてこのような判断をされたのでしょうか。

http://satsuki-katayama.livedoor.biz/archives/6896824.html

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二次方程式の解の公式

2012-03-29 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月29日(木)21時55分4秒

>筆綾丸さん
>交わり合いながら
これ、いいですね。
読書の楽しみのひとつとして誤植探し・勘違い探しがありますが、これは相当なお宝ですね。
前に書いたかもしれませんが、私のコレクションでの自慢の逸品は東京大学名誉教授で知的財産法の権威である中山信弘氏の『ソフトウェアの法的保護』(有斐閣, 1986年/新版, 1988年)です。
物理の法則や数学の公式は独占的な権利の対象とはなりえないことの説明の中に、例示として二次方程式の解の公式が出て来るのですが、それが間違っているんですね。
ルートの中の「b二乗-4ac」が「b二乗-ac」になっていて、知的財産権法の権威の方の本だけに結構笑えます。

中山信弘
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E4%BF%A1%E5%BC%98
二次方程式の解の公式
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F


※単独では意味不明ですが、これは筆綾丸さんの下記投稿を受けてのものです。

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6307

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『週刊現代』と小出裕章助教

2012-03-20 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月20日(火)09時42分48秒

>筆綾丸さん
そうですね。
裁判所に要求する仮処分の内容は明確でなければなりませんが、今の段階ではちょっと無理、との判断なんでしょうね。
新聞や週刊誌の記事だけを基礎にして議論するのは怖いなと思って、きちんとしたものがないか探していたのですが、ご紹介の記事は気づきませんでした。
確かに良くまとまっていますね。
それと、「法学部で民法をきちんと勉強した人なら誰でも考えるオーソドックスな論理」は少し言い過ぎでしたね。
物権的請求権を認めるとどうなるか、という法律効果から、逆に「物」とは何か、と法律要件を絞り込んで行く発想は、法学部で一応勉強して単位を取りました、というだけの人では無理かもしれません。
裁判所も無主物との主張をそのまま認めている訳ではないですから、難しい問題ではありますね。

ついでですが、『週刊現代』では、

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■恥ずかしくありませんか
この無責任な主張を、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は強く批判する。
「東電は、実に恥ずかしい会社だと思います。いくら法律上、そうした用語なり概念があるとは言え、誰が考えてもおかしい理屈です。
 もともと東電がウランを買ってきて所有し、それを核分裂させて生成されたのが、セシウムなどの放射性物質。れっきとした東電の所有物とみなすべきです。
 だいたい、これまでずっと東電は『原発は絶対に安全です。決して放射性物質をバラ撒いたりしません』と、主張していたのですよ。なのに結局は無主物どころか、強烈な毒物をバラ撒いたわけです。これで『自分たちには責任がない』と言うとは、どういう精神構造をしているのでしょうか」
 さすがに、この東電サイドの「セシウム無主物論」は、東京地裁に認められなかった。裁判所も詭弁が過ぎると判定したのだろう。
 しかし、裁判の「結果」は別だ。サンフィールド社が求めた除染実施の仮処分申し立ては、10月31日の決定で却下されてしまった。
 東京地裁(福島政幸裁判長)は、「サンフィールド社が東電に除染を求める権利はある」としながら、一方で「除染は国や自治体が行うもの」だから、東電はやるべきではない、だから申し立ては認められない、というのである。
 では、国や自治体が東電に代わってすぐに除染をしてくれるのかと言えば、そうでもない。「除染の方法やこれによる廃棄物の処理の具体的なあり方がいまだ確立していない」ので、すぐにできないという。
 同様に、8700万円の休業補償の請求についてもあっさり却下された。こちらも東電の主張そのまま、「文部科学省が4月に出した学校の校庭使用基準である毎時3.8マイクロシーベルトを下回っているから、ゴルフ場を休業する必要はない」と言うのである。

■裁判官もしっかりしないと
 サンフィールド社の弁護団の1人は、こう憤る。
「4月の文科省の基準はもともと暫定値。実際に8月には、『年間1ミリシーベルト以下、毎時1マイクロシーベルト以下』と変更になりました。被曝線量がそれを超えた場合、速やかに除染せよ、というのが新たな文科省の見解です。
 にもかかわらず、10月末に出た決定で、なんで『毎時3.8マイクロシーベルト』の基準が根拠になるのか、意味が分かりません」
同じく弁護士の紀藤正樹氏もこう首を傾げる。
「『除染方法や廃棄物処理のあり方が確立していない』とまで言うのは、裁判長の個人的な価値観や政策評価が出過ぎています。これでは、現在行われている除染処理のあり方を否定することになってしまう。
 また『毎時3.8マイクロシーベルト以下なら営業に支障がない』という部分にも、裁判官の価値観が色濃く出ています。風評被害もあるわけですから、営業に支障がないと言い切るのは無理があります。
 全体に、裁判官の心証、価値観が東電側に傾いているようで、不公平な決定という感じがしますね」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/29579?page=4

とありますが、裁判の記事に何で「小出裕章助教」が出てくるのか、訳が分かりません。
法律のことなど理解しているはずがないのに、何にでも口を挟む方がよっぽど恥ずかしい態度であり、「どういう精神構造をしている」のかと思います。
それと弁護士の紀藤正樹氏が明晰さを欠く論評をしていますが、この人は小佐古敏荘氏の「内閣官房参与の辞任にあたって」を「小佐古敏荘氏の学者としての良心を感じます。名文として、後世に残ると思います」と評価した人なので、私は以前からちょっと変わった弁護士だなと思っていました。

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5835
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5837
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「無主物」はオーソドックスな論理

2012-03-20 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月20日(火)07時56分24秒

赤坂憲雄氏が『新東北学』で変なことを書いているのは気づいていたのですが、「無主・無縁の原理」と結びつけている点を除くと、同じような誤解をしている人は多いですね。
誤解の出発点は、おそらく「プロメテウスの罠」という朝日新聞の連載の一部、2011年11月24日付の前田基行氏の記事だと思います。
ネットで拾ったその内容は、

---------------
 放射能はだれのものか。
 この夏、それが裁判所で争われた。
 8月、福島第一原発から約45キロ離れた二本松市の「サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部」が東京電力に、汚染の除去を求めて仮処分を東京地裁に申し立てた。
 ーー事故のあと、ゴルフコースからは毎時2?3マイクロシーベルトの高い放射線量が検出されるようになり、営業に障害がでている。責任者の東電が除染をすべきである。
 対する東電は、こう主張した。
 ーー原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。
   したがって東電は除染に責任をもたない。
 答弁書で東電は放射性物質を「もともと無主物であったと考えるのが実態に即している」としている。
 無主物とは、ただよう霧や、海で泳ぐ魚のように、だれのものでもない、という意味だ。
 つまり、東電としては、飛び散った放射性物質を所有しているとは考えていない。
 したがって検出された放射性物質は責任者がいない、
と主張する。
 さらに答弁書は続ける。
  「所有権を観念し得るとしても、既にその放射性物質はゴルフ場の土地に附合(ふご
   う)しているはずである。つまり、債務者(東電)が放射性物質を所有しているわ
   けではない」
 飛び散ってしまった放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。そんな主張だ。
 決定は10月31日に下された。
 裁判所は東電に除染を求めたゴルフ場の訴えを退けた。
 ゴルフ場の代表取締役、山根勉(61)は、東電の「無主物」という言葉に腹がおさまらない。
  「そんな理屈が世間で通りますか。無責任きわまりない。
   従業員は全員、耳を疑いました」
 7月に開催予定だった「福島オープンゴルフ」の予選会もなくなってしまった。
 通常は年間3万人のお客でにぎわっているはずだった。
 地元の従業員17人全員も9月いっぱいで退職してもらった。
  「東北地方でも3本の指に入るコースといわれているんです。
   本当に悔しい。除染さえしてもらえれば、いつでも営業できるのに」
 東電は「個別の事案には回答できない」(広報部)と取材に応じていない。(前田基行)

http://takeshikawamoto.com/note/2011/11/27-045620.php

というものですが、この記事の内容、また、前田基行記者の以下の経歴を見ると、前田基行氏は正義感には溢れていても、法律、特に民法の物権法の理解は全くできていない人ですね。

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前田基行(まえだ・もとゆき)
北海道生まれ。北海タイムス、北海道新聞をへて2002年に朝日新聞社に入社。
名古屋報道部時代に税金の無駄遣いやトヨタの労働問題などの調査報道を担当。
プロメテウスの罠では第1シリーズ「防護服の男」と第4シリーズ「無主物の責任」を担当。
http://blog.nicovideo.jp/niconews/2012/02/030281.html

また、『週刊現代』の2011年12月12日付「トンデモ裁判、呆れた論理 東電弁護団それを言っちゃあ、おしめえよ」というリンク先の記事も、誤解の典型ですね。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/29579

物権的請求権の話は分かりにくいと思いますが、ひとつのポイントは、物権的請求権の要件として故意・過失は必要ではない、ということです。
台風でAの家から瓦が飛ばされて隣のBの土地に落ちた場合、瓦の物理的移動についてBには何の責任もありませんが、AはBに対して、瓦の返還請求権を有します。
逆に、Aにも何の責任もありませんが、BはAに対して、邪魔な瓦を撤去せよという妨害排除請求権を有します。
物権的請求権は責任追及や正義実現を目的とはせず、物の秩序が混乱したときに、それを整理整頓するだけなんですね。
「附合」も同じで、くっ付いてしまったものを切り離すのに過大な費用がかかる場合、物に対する権利関係を整理整頓するだけです。
仮に附合の原因として誰かに非難に値する行為があった場合、「附合」が責任追及を遮断する訳ではなく、「不法行為」で損害賠償等の請求をすることは可能です。
二本松市のゴルフ場の仮処分申請のケースは、東京電力側が狡猾なのではなく、むしろゴルフ場側の弁護士のやり方がトリッキーですね。
不法行為で通常の裁判を起こすのではなく、物権的請求権の問題にした上で、更に仮処分という短期決戦を狙っています。
仮処分は事実関係・権利関係が明確な時に早期に救済を図るのが目的ですから、原発事故や除染といった新しい複雑な問題の解決に対応できなくてもやむをえないですね。
ゴルフ場側の弁護士は、自らの主張が裁判所に認められるはずがないのを知りながら、マスコミ受けする話題作りのためにやったのだと思います。
『週刊現代』に出ていた東京電力側の弁護士名を見ると、「長島・大野・常松法律事務所」という有名な巨大弁護士事務所の人ですが、無主物との主張は特別に有能な弁護士が考え付いた特殊な論理ではなく、法学部で民法をきちんと勉強した人なら誰でも考えるオーソドックスな論理ですね。
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『ヴェニスの商人』と物権的請求権

2012-03-19 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月19日(月)10時47分57秒

>筆綾丸さん
私も新聞記事を通してしか事実関係を知らないのですが、物権法の範囲では、東京電力の弁護団の主張は特におかしくはないと思っています。
所有権は「物」を排他的・独占的に使用・収益・処分できる権利ですが、あまりに小さすぎて、実際上、排他的・独占的支配の対象とはなりえない物は所有権の対象外、と考えるのは筋が通っています。
所有権の対象であれば、円満な排他的・独占的な支配ができない場合、所有権者には返還請求権・妨害排除請求権等の物権的請求権が認められ、国家(裁判所)はその実現に協力しなければなりません。
所有者Aの物が他人Bの土地に存在する場合、AはBにその物を返還しろと請求でき(物権的返還請求権)、他方、その物が存在することによりBの円満な土地支配が妨げられている場合、BはAに対して、その物をどかせ、と請求できます(物権的妨害排除請求権)。
ゴルフ場の仮処分の事件では、ゴルフ場の円満な土地支配が害されたとして、妨害排除請求権が問題となりましたが、仮に原発から出た放射性物質が東京電力の所有権の対象とすると、逆に所有者である東京電力は放射性物質が付着した土地・建物などの不動産の所有者、自動車その他の様々な動産の所有者、更に人体に取り込まれた場合にはその人に対してまで、放射性物質の返還請求権を有することになってしまいます。
即ち、東京電力が放射性物質の回収を求めたら、放射性物質の付着する不動産・動産の所有者は、回収を受忍しなければなりません。
人体の場合、放射性物質の分離・回収要求を認めたら殺人行為の肯定になりますから、東京電力の弁護団の主張は、東京電力はシャイロックではない、という穏当で常識的な主張ですね。
放射性物質以外でも、例えばある人Cが咳をしてインフルエンザのウイルスを他人Dに移した場合、当該ウイルスの所有権がCにあるとして、CがDにウイルスの返還請求権を持つ、という結論は異常です。
あまりに微小な物については、そもそも所有権の対象外であり、無主物だと考えるのは、決しておかしなことではありません。
民法242条・243条の「附合」も物権法上の概念であって、ある人の所有物と他の人の所有物が結合し、両者を切り離すのに多額の費用がかかる場合には、社会経済的観点から無駄なことはせず、一方の所有にして他方には「償金」(民法248条)を与えることにしましょう、というだけの話で、所有権のぶつかり合いを調整しているにすぎず、もともと思想や哲学の問題ではないんですね。
そして、「無主物」や「附合」はあくまで物権法の問題であって、「最終的な責任」を決定している訳ではありません。
ある人が変な物質を排出した結果、離れた場所にいた人が損害を蒙った、というのは多数の判例が蓄積されている公害の場合と同じ状況であり、公害は「不法行為」(民法709条)の問題として扱われてきました。
工場の煙突から吐き出された個々の物質の所有権が誰に帰属するのか、などと争った人はいません。
不法行為の枠組みでの解決が一番素直であり、その場合、金銭賠償が原則ですが、原状回復などの特定的救済もありうるので、放射性物質を除去しろ、という請求が認められる可能性もあると思いますね。
ゴルフ場のケースは金銭賠償も否定したそうで、新聞記事から得られる限りの情報だと、その理由が若干弱いように感じるのですが、仮処分事案であることも考慮する必要がありそうです。

物権的請求権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E6%A8%A9%E7%9A%84%E8%AB%8B%E6%B1%82%E6%A8%A9
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