学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「小さな霊場や聖地」

2012-02-29 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月29日(水)22時22分32秒

>筆綾丸さん
>8千万人
これは割とよく耳にしますが、元をたどると国立社会保障・人口問題研究所の発表に基づくもののようですね。
直近の推計では「平成72(2060)年の人口は8,674万人、65歳以上人口割合は39.9%」だそうです。

http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/point.pdf
http://www.ipss.go.jp/

私は赤坂憲雄氏とは関心を持つ対象がかなり重なっています。
例えば以下の記述のうち、前半は全く同じ現象に着目していますね。

------------
 海沿いを歩くと、いたるところに、小さな霊場や聖地が生まれつつあります。草むらのなかに卒塔婆が立っていたり、堤防の脇に花やお菓子が供えられている。一瞬にして奪われたたくさんの命、それぞれの思いや記憶が行き場もなく浮遊しているのです。2万人の魂を鎮め慰めるというのは、たいへんな仕事です。既成宗教はみな、うまく応答することができずにいますね。だからこそわたしには、人も獣も魚も草や木も「すべての命」の供養のために、という鹿踊りのメッセージが深く響いてくる予感があるのです。それはたぶん、浄土思想によってデザインされた平泉という中世都市にも存在した、どこか東北的な命の哲学を宿しているのです。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120123/art12012308120002-n2.htm

ただ、「浄土思想によってデザインされた平泉という中世都市にも存在した、どこか東北的な命の哲学を宿している」には賛同しかねますし、「深く響いてくる予感がある」といった深刻そうなレトリックも苦手です。
ま、私も多少哲学的なことを考えたりもするのですが、とりあえずは無理にまとめようとはしないで、「小さな霊場や聖地」を淡々と記録しておこうと思っています。
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歴史科学協議会主催シンポジウム

2012-02-29 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月29日(水)21時45分45秒

歴史科学協議会主催シンポジウム「原発震災・地震・津波―歴史学の課題―」

石橋克彦氏 「史料地震学と原発災害」
渡辺治氏「戦後史のなかで大震災・原発事故と復旧・復興を考える」
西村慎太郎氏「文書の保存を考える」
 司会:保立道久氏

【日時】3月24日(土)13時開始(12時30分開場)
【会場】学習院大学南3号館201教室(JR山手線目白駅下車)
【資料代】500円

【シンポジウム概要】
津波が奪った多くの人命、福島第一原子力発電所の事故、避難を余儀なくされた人々、広範囲に飛散した放射性物質。昨年3月11日に発生した東日本大震災がもたらしたものは、かくも厳しいことでした。
あれから1年たとうとしています。歴史学に携わる私たちも、この情況のなかで何をなすべきか、深く再考する必要があるのではないでしょうか。今回、石橋克彦さん、渡辺治さん、西村慎太郎さんを報告者に迎え、あの大震災が投げかけた課題に私たちがどう向き合うべきかを考える機会を持つことにしました。

※シンポジウム当日は、被災史料救援活動への募金をあわせて行います。ご協力をお願いいたします。
※事前申し込み不要です。非会員の方でもご参加いただけます。

お問い合わせは
 一般財団法人 歴史科学協議会
  〒114-0023 東京都北区滝野川2-32-10-222
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

歴史学研究会と比べて歴史科学協議会はイデオロギー色がかなり強いような感じがして、私は同会の行事には一度も参加したことはないのですが、テーマがテーマですし、司会者が保立道久氏だそうなので、できれば行ってみたいですね。
歴史研究者が行っている復旧・復興に関わる活動というと、今のところ「宮城歴史資料保全ネットワーク」等の団体が行っている資料レスキュー以外、特に
耳にしませんが、震災から一年が経過し、さすがに若い研究者の間では別の形態の活動の検討もなされていると思うので、そのあたりを質問してみたいですね。
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赤坂憲雄氏の見解

2012-02-28 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月28日(火)20時21分10秒

東日本大震災復興構想会議の委員であった赤坂憲雄氏も八沢浦に強い関心を持っておられて、産経新聞の連載「新章 東北学」でも何度か触れられていますね。
例えば、2月20日付の「(17)自然に還すという選択」では次のように言われています。

------------
 繰り返し訪ねてきた被災地があります。そのひとつが、福島県南相馬市の八沢浦(やさわうら)という場所です。明治30年代から干拓が行われ水田地帯になっているのですが、東日本大震災の津波でもとの浦や潟に還(かえ)ってしまいました。昨年の4月に訪ねて以来、それはわたしにとって被災地の原風景となりました。一面の泥の海を初めて目撃したときの、言葉にならぬ心の揺らぎを呼び返しながら、考えているのですが、たとえば、あの土地をどのように復興させるか、いくつかのシナリオが浮かびます。
(中略)
 こんなシナリオはどうでしょうか。それは潟や浦という自然生態系をそのままに受け入れることです。干拓される前の八沢浦には、風光明媚(めいび)な潟が広がっていて、漁が行われ、塩づくりが行われていました。日本の近代は潟をひとつひとつ壊し、水田に変えてきましたが、潟というのは生物多様性の宝庫でした。日本的な海辺の風景がそこに凝縮されていたのです。
 近代以降の「所有」という概念によって、わたしたちは山野河海を次々に分割してきたわけですが、それ以前はじつは、海も山も自然のテリトリーというのは「入会(いりあい)」だったのです。そこは基本的には「無主・無縁」の地であり、地域の人々が共同で利用するものでしたから、自然は分割されずに存続してきたのです。人間は自然からの恩恵を分かち合うために、少しずつ木を伐(き)り、山菜を採って、狩猟をする。この「入会」という観念こそが、まさに共同体にとって絆の核になっていたのです。
(中略)
 山野河海を分割して囲い込むようになった近代が、見えない壁にぶつかっています。だからこそ「所有」にたいして「無主・無縁」といった対比が生きてくるのです。たとえば、放射能に汚染されて住めなくなった土地を、地盤沈下で水に漬かった土地を、だれがどのように再生するのか。入会地として蘇(よみがえ)らせることができれば、いわゆる「新しい公共」のモデルとなりうるのかもしれません。
 潟としての再生と、再生可能エネルギーの基地とは並び立つのです。そこから得られる収入は、配当というかたちで分配され、多くの人が恩恵を共有するシステムが生まれるでしょう。「所有」の彼方(かなた)に、新たな世界のイメージが見えてくる、それを信じてみたいのです。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/dst12022007400001-n1.htm

赤坂憲雄氏は中沢新一氏と『網野善彦を継ぐ』という本を出しているくらいですから、ここで書かれていることも赤坂氏が網野氏の思想を踏まえて独自に発展させた思想との位置づけになるのでしょうが、出てきた結論については私は疑問を感じますね。
近代以降の「所有」という概念を観念的に否定するのは頭の体操としては分かるのですが、「所有」を本当にそんなに簡単に否定してよいのか。
「所有」を否定した後に、「多くの人が恩恵を共有するシステム」が本当に生まれるのか。

八沢浦を丹念に歩いていると、八沢浦干拓は決して順調に行った訳ではないことが分かります。
「海口閘門」の「大豊式ケーソン工法」など、今から見れば素朴な技術のように思えますが、大豊建設ホームページの「ニューマチックケーソン工法の歴史」を読むと、旧満州の大型ダム建設において極寒の水中コンクリート工事を行う必要から生まれた技術だそうで、素直にたいしたものだなと思いますね。
http://www.daiho.co.jp/tech/nk1/daiho-history.html

山田貞策のような傑出した指導者の下、多くの技術者・労働者・農民が結集し、困難をひとつひとつ粘り強く乗り越えて、やっと八沢浦干拓事業は完成し、「多くの人が恩恵を共有するシステム」が生まれたのに、それをたかが津波程度で感傷に溺れて放棄してよいのか。
赤坂氏が想定するような、別の形態の「多くの人が恩恵を共有するシステム」が本当に可能ならば、まあそれもよいでしょうが、おそらく夢想ないし妄想で終わると思います。
原発事故後の赤坂氏の文章を読むと、赤坂氏がこうした夢想ないし妄想に傾く一番大きな理由は、津波よりもむしろ放射能汚染の問題にあるのではないかと思うのですが、科学的な認識のレベルで、赤坂氏には疑問を感じることが多いですね。
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山田神社遷座祭・復興祈願祭

2012-02-27 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月27日(月)19時11分42秒

昨日、南相馬市鹿島区北海老字磯ノ上で行われた山田神社遷座祭・復興祈願祭の様子をアップしました。
(その1)から(その6)まであります。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54176731.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54183853.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54187427.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54187824.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54193284.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54196146.html

山田神社遷座の経緯・意義については青井阿蘇神社の「相馬市蒲庭字孫目鎮座山田神社 仮社殿設置について」に詳しく記述されています。

http://www.facebook.com/note.php?note_id=233675446727043

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「ヒューマンライツ・ナウ事務局長」

2012-02-25 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月25日(土)23時49分51秒

伊藤和子氏は弁護士だそうですね。

-------------
気仙沼市の西八幡前仮設住宅、小原木小学校住宅、旧月立小学校住宅の合計3箇所がハザードマップ上、土砂災害の危険地域と指定された場所に建設されている。
西八幡前仮設住宅住民によれば、入居から2か月ほど経過した頃に市の職員が訪れ、ハザードマップであることを告知した文書を手渡され、その場面を写真撮影され、市職員はそのまま説明せずに帰ったが、その後によく読んで初めてそのような危険地帯の仮設住宅であるとわかり衝撃を受けたという。危険に脅えながら暮らしている住民は、「津波の被害を受けたのに今度は山津波の危険と隣り合わせ」と嘆いている。
山の斜面に接した同仮設住宅は日当たりが悪く、「土台はべニアにタイル張りで、畳も敷かれずカーペットを敷いているが、布団で寝て起きると布団が著しく濡れている」「結露やカビも生じやすい。扉が凍って外出から帰ってきても扉があかないこともある」と住民は訴える。工事の手抜きのために部屋に隙間があいていて、家の中から外が見える状態で、市民団体が見かねて応急措置を講じたという。水道管が破裂して流れた水で、仮設住宅の前の道路面は長らく凍結していた。この仮設住宅にも食糧支援や医師・看護師の訪問支援もなく、仮設住宅のかくも劣悪な状況にあるにも関わらず、行政による対応はなされていない。
政府は、仮設住宅に対する寒さ対策として、畳の設置、断熱材の追加、水道管等の凍結防止(水抜き、断熱材追加、凍結防止ヒーター整備)を災害救助法上の国家補助の対象となるとするが(厚生労働社会・援護局 社援総発0928第1号等)、気仙沼市ではこうした寒さ対策は実現しないまま水道管凍結・破裂等の事態を迎え、未だに対策は不十分である。
(中略)
被災地では支援格差が深刻化している。被災地のなかには、行政の対応やボランティア組織の対応により、比較的支援が届いている仮設住宅も存在する。同じ宮城県でも石巻市では気仙沼では一切認められていない畳が敷かれており、移動が困難な仮設住民への移動支援もきめ細かい。
(中略)
「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」「西八幡前仮設住宅」の住民はヒューマンライツ・ナウ調査チームに対し「ここは姥捨て山だ」と訴えたが、仮設住宅のあまりにも過酷な条件、そして行政の対応の欠如が、被災者にそのような感想を抱かせている。
 声を挙げにくい立場に置かれた被災者にひたすら我慢と犠牲を強いたままでは、真の復興はありえない。
 国、宮城県、気仙沼市はこうした住民放置の実態を速やかに調査し、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が実現するよう、緊急の対策を講じるべきである。

http://hrn.or.jp/activity/topic/1-2/
http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/

「西八幡前仮設住宅、小原木小学校住宅、旧月立小学校住宅」のうち、私は小原木(こはらぎ)小学校の近くには行っています。
「ハザードマップ」にどのように書かれているかは知りませんが、「津波の被害を受けたのに今度は山津波の危険と隣り合わせ」というのはちょっと変な感じがしますね。
本当に危険だとしたら、そのような場所に長期間小学校を設けていたことの方が重大問題でしょうね。
リンク先のブログに写真が出ていますが、あまり危機感は感じられません。
http://green-mapnikki.seesaa.net/article/222593010.html

月立小学校には公式サイトがありますが、「本校の概要」を見ると、

-------------
学区は気仙沼の市街地から北西10kmほどに位置した宮城県の北端にある。南北8kmに広がる八瀬地域と呼ばれている地域で,その中央に本校は位置している。校舎は平成18年に新築移転し,光と風をテーマとした温かみのある明るい木造校舎である。現在の校舎の南側には,大正11年に建てられた木造2階建ての旧校舎があり,文化庁の有形文化財に登録されている。
http://www.k-macs.ne.jp/~tuki-s10/

と書かれていて、トップページの写真と照らし合わせてみると、旧校舎近辺が特に危険とは思えないですね。
仮設住宅を撮った写真を見ても、同様の印象を受けます。
http://mission-swtj.blogspot.com/2011_11_01_archive.html

「西八幡前仮設住宅」がどれほどの傾斜地にあるのか、ネットでも適当な写真が見つからないのでよく分からないのですが、小学校は地域の中ではむしろよい土地にあるのが一般的じゃないかと思います。
もともと山が海に迫っていて平らな土地が少ない中で、でも子供のために頑張って良い土地を確保しました、という場所が多いんですね。
だから、小学校の敷地の仮設住宅が危険だ、というのはにわかに信じがたいですね。
気仙沼も暫く行っていないので、ちょうどよい機会だから、近いうちに「西八幡前仮設住宅」を含め、三か所を実際に見てみたいと思います。
ところで、伊藤和子氏は気仙沼市に比べて石巻市は行政の対応が良いように書いていますが、仮に石巻市の雄勝町あたりを訪問していたら、ずいぶん違った印象を受けたんじゃないですかね。
気仙沼市の行政担当者も厳しい状況の中で頑張っているのに、「国、宮城県、気仙沼市はこうした住民放置の実態を速やかに調査し、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が実現するよう、緊急の対策を講じるべきである」などと居丈高に言われると、わずか二日程度駆け足で眺めただけで偉そうなことを言うな、と怒り出すんじゃないですかね。
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「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」

2012-02-25 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月25日(土)23時05分19秒

保立道久氏のブログを見たところ、「ヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子」氏の「東日本大震災からまもなく1年、今も「生存」が脅かされる仮設住民たち」という文章がそのまま転載されていました。

---------------
1 東日本大震災からまもなく1年が経過しようとしている。
各自治体が復興計画を策定する陰で、支援が遅れ、存在すら十分に知られていない孤立した仮設住宅があり、被災者は未だに「生存」が脅かされている。そして、こうした事態は冬の寒さとともに深刻さを増している。
2 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、2012年2月18日、19日の二日間にわたり、宮城県気仙沼市の仮設住宅、なかでも地元住民が「特に深刻だ」と訴える仮設住宅を訪問した。
 ヒューマンライツ・ナウ調査チームが訪れた「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」は、傾斜の厳しい山間に位置し、車がないと市街地への移動は困難である。
 しかし、最寄りのバス停までは1kmほどで、街灯も十分に設置されていない。住民は「夜は真っ暗だし、周辺には熊、鹿、まむしがいて外出するのが本当に怖い」と、実情を訴える。
 この仮設住宅に入っている56世帯中、36世帯が独居老人というが、行政からは食糧支援や医師・看護師の訪問支援は全くない。
 集会場に顔を出す住民は80名中10名くらいに過ぎないが、引きこもった住民への心のケアや、孤独死対策も行政はほとんど講じていない。
 車等の移動手段のない高齢者・障がい者への移動支援も全くなく、こうした人々は、通院のために有料・高額の介護タクシーを利用せざるを得ず、所持金を使い果たしていく状況という。
 この仮設住宅は山間に位置するため、周辺地域に比べて気温は5度くらい低い。ところが、暖房器具が入ったのは、昨年12月20日であったという。
 仮設住宅の水道設備の凍結防止が十分なされないまま、水道管は長らく凍結していた。この仮設住宅に限らず、気仙沼市では昨年10月末頃から水道管が凍結して使えなくなってしまうことが多いという。
 こうした事態に見かねた、地元や県外からの個人ボランティアの連日・無償の活動により食糧・物資供給等がなされ、人々の生存がなんとか支えられている状況であるが、今後どこまでそうした支援が続くのか懸念される。
独居老人の孤独死等、あってはならない事態をどうやって防ぐことができるのであろうか。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1-6578.html

「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」は、「傾斜の厳しい山間に位置し、車がないと市街地への移動は困難」とありますが、検索すると住所は「気仙沼市赤岩牧沢138-6」ですね。

http://www.actiz.jp/mypage.html/?tid=15031

地図を見ると、ここは海から3㎞、国道45号線から1.5㎞ほど離れた場所で、近くに「リアス・アーク美術館」や気仙沼西高、病院などもあります。
国道45号線まで行けば「マイヤ」という地元の大きなスーパーもあるような場所です。
まあ、東京の感覚だと「最寄りのバス停までは1kmほどで、街灯も十分に設置されていない」のは大変な場所でしょうけど、三陸だったら驚くような話ではないですね。
もっと厳しい条件の仮設住宅はいくらでもあります。
更に検索してみると、「Global UNI Community」という団体のサイトでは、仮設住宅住民よりの支援へのお礼の手紙に、

--------------
昨年は大変なご支援をいただき皆様の暖かい心のこもったご協力に感謝いたします。
私たちの仮説の場所は山のてっぺんに建てられていますが、すり鉢状になっている中に、9棟56世帯で住んでます。周りは草ぼうぼうでまむしや日本鹿、りす、小鳥、たまに子どもの熊などが出てきます。
http://www.npouni.net/blog/20120126-020647

とあるそうで、「周辺には熊、鹿、まむしがいて外出するのが本当に怖い」という表現は間違いではないとしても、「たまに子どもの熊」という住民の牧歌的な表現と比べると、いささか大げさではないかと思います。
三陸は、主要地方都市の繁華街を除くと、だいたいそんなもんなんですね。
まむしとか鹿とか熊とか、まあ出るんですよ。普通に。
「傾斜の厳しい山間に位置」というのも変な表現で、そもそも市営のテニスコートなんだから傾斜地のはずがないですね。
テニスというのは平らな土地でやるものですから。
一番変なのは「山間に位置するため、周辺地域に比べて気温は5度くらい低い」云々で、地図をみたらここは標高100メートル程度です。
住民の「山のてっぺん」というのもユーモアを込めた表現で、上記ブログの写真で明らかなように、実際には緩やかな丘陵地ですね。
周辺地域がどこと書いている訳ではありませんが、まあ、気仙沼市の海沿いとして、標高100メートルで気温5度違うというのはありえないでしょう。
標高1000メートルだったら50度違うという割合ですからね。
率直に言って、「ヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子」氏は物事を誇張し過ぎです。
保立道久氏は一応、実証的な歴史学者なんだから、せめて地図を見るくらいのことをしてから紹介したらどうですかね。
どこかの市民団体から得た情報を右から左に流すだけというのは、少なくとも東京大学教授、史料編纂所元所長、歴史学研究会元事務局長という要職にある(orあった)人にはふさわしくない軽率な行為だと思いますね。
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八沢浦排水樋門

2012-02-25 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月25日(土)19時59分56秒

2011年12月7日に訪問した「八沢浦排水樋門」(その1)(その2)をアップしました。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54133765.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54153970.html

ブログの方にも書いておきましたが、八沢浦の津波被害については、「農業農村工学会災害対応特別委員会東北関東大震災特別委員会(山形大学チーム)」の以下の二つの資料が役立ちますね。

「東日本大震災における農地・農業用施設の被害─福島県浜通り地方─」
http://www.tr.yamagata-u.ac.jp/~okutake/poster.pdf
「東日本大震災現地調査報告(速報-2)平成23年5月2日」
http://www.jsidre.or.jp/newinfo/touhokujishin/yamagata.pdf

河口には次のような碑がありました。

「明治三十九年十二月岐阜県出身山田貞策氏八沢浦干拓に着手
同四十四年岸壁海口に手動式樋門八基を据付け太平洋相手の自然的悪条件を克服し三百町の美田を造成せり
その後海口閘門は年々の改修にも拘らず老朽その極に達し機能を充分に発揮し得ざるに至る
昭和二十九年三月八沢干拓土地改良区創立同時に県営かんがい排水事業として一億余の巨費をもって海口閘門六百粍及千二百粍ポンプの改修並びに新設工事に着手
本海口閘門は大豊式ケーソン工法により昭和三十五年三月竣工せり
  昭和三十五年九月十四日
    八沢干拓土地改良区
    施工 大豊建設株式会社」

大豊建設株式会社のサイトを見ると、

-------------
1957年(昭和32年)に築島方式に代わる工法として、わが国で初めて福島県の八沢浦海口閘門に鋼殻ケーソン(当時は「浮沓」と称した。)を採用しました。 締切り・築島が不要となり、経済的で河川断面阻害率を低減できます。
http://www.daiho.co.jp/tech/nk1/technology.html

とありますね。
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八沢浦干拓地

2012-02-23 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月23日(木)23時04分48秒

先日訪問した八戸市から久慈市の間の漁港をアップするつもりでしたが、山田神社に関する新聞記事の参考として、先に八沢浦干拓地関係の記事をいくつかアップしておきます。
最初は昨年11月3日に訪問した八沢排水機場と山田神社です。
なお、「八沢」は「やさわ」と読みます。

「八沢排水機場・山田神社」(その1)(その2)
http://chingokokka.sblo.jp/article/54125133.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54125649.html

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山田神社

2012-02-23 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月23日(木)19時08分55秒

相馬市と南相馬市の境界沿いに八沢浦という広大な干拓地がありますが、ここの鎮守が山田神社です。
八沢浦の干拓事業を行った山田貞策にちなんで名づけられた山田神社は排水機場のすぐ横にあって、津波で流出しましたが、高台に移設して仮社殿を設置するそうです。
高台といっても、津波に襲われて多くの犠牲者を出した場所なのですが。
26日には私も伺ってみたいと思っています。

--------------
津波で流失、山田神社に仮社殿 球磨工高(熊本)贈る

 津波で流失した相馬市蒲庭の山田神社に、熊本県人吉市の球磨工高が仮社殿を贈る。国内唯一の宮大工養成コースの生徒が10年以上前に製作、学校の顔として玄関に飾っていた作品。26日、高台の南相馬市鹿島区北海老の磯ノ上公園に遷座する。
 神社は、南相馬、相馬両市にまたがる約350ヘクタールの八沢浦干拓事業の功労者山田貞策氏をたたえて昭和16年に建立された。農業の神大年神を祭り、豊作を祈願する地区民の心のよりどころだった。大津波が干拓地を襲い、神社は土台を残して流失した。地区の住民40人が犠牲になった。
 南相馬市でボランティア活動をしていた熊本県苓北町にある志岐八幡宮宮司の宮崎国忠さん(66)が、山田神社の神職森幸彦さん(53)と知り合ったのがきっかけ。宮崎さんは同県人吉市にある青井阿蘇神社の福川義文宮司と協力、球磨工高に寄贈を働き掛け、山田史郎校長が快諾した。
 仮社殿は高さ、幅とも2メートル。ひのき造り銅板ぶきで、細かい装飾が施されている。伝統建築専攻科の生徒が屋根を磨き、鳥居も製作した。年末年始は仮社殿を青井阿蘇神社に安置し、参拝者から搬送費用の寄付を仰いだ。
 26日は磯ノ上公園で、早朝から生徒らが設置作業を行う。午前9時半から森さんが斎主、宮崎さんが副斎主を務め、遷座祭と復興祈願祭を執り行う。
 森さんは「高校生の若いエネルギーがこもった社殿は、みんなの心に希望の灯をともしてくれる」と話している。
(2012/02/23 09:55)
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&blockId=9938226&newsMode=article

この記事に出てくる「磯ノ上公園」の周辺はこんな感じです。
http://chingokokka.sblo.jp/article/51675182.html

また、「うつくしま電子辞典」より山田貞策の項目を引用しておきます。

----------
山田貞策(やまだていさく)は、1869年岐阜県養老町(ぎふけんようろうまち)の代々庄屋(しょうや)をつとめた大農家に生まれました。
 農事改良による町の発展(はってん)に力をつくし、1898年に出崎栄太郎(でざきえいたろう)に水車式蒸気機関排水機(すいしゃしきじょうききかんはいすいき)を開発させました。この排水機を利用し、1906年から1928年まで、相馬郡八沢浦(やさわうら)で干拓事業(かんたくじぎょう)を行いました。荒地(あれち)を美田(びでん)とし、耕地面積(こうちめんせき)350ヘクタールの耕作地(こうさくち)を作り出し、たくさんの農作物(のうさくもつ)が収穫(しゅうかく)できるようになりました。
 1935年に山田神社が磯ノ上(いそのうえ)公園に建てられましたが、今は八沢浦干拓事務所の前にあります。
http://www.shidou.fks.ed.jp/jiten/cgi-bin/index.cgi?sheet=detail&name=%A4%E4%A4%DE%A4%C0%A4%C6%A4%A4%A4%B5%A4%AF&area=%C6%EE%C1%EA%C7%CF%BB%D4&hen=jn
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写真の利用について

2012-02-23 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月23日(木)17時02分16秒

先日、チャリティーイベントで使用したいとのことで、新ブログ掲載写真の使用許可依頼を受けました。
被災地の情報を広く共有するというのが新ブログ開設の目的ですので、どうぞご自由にお使いください。
素人写真ですが、画質だけは非常に良いものにしています。
これは、被災地の状況は日々変化していますので、きちんとした画質の記録を残しておけば、将来、何らかの形で役に立つことがあるかもしれないと思ってのことです。
トリミング・拡大等に充分耐える画質ですので、必要があれば適宜そのような加工をしてください。

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アリストテレスのストレステスト

2012-02-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月22日(水)22時18分28秒

フェイスブックを利用し始めたら、プロフィールを「タイムライン」としている人が結構いて、私はその意味が分からなかったのですが、ナビゲーションサイトを見ると次のような説明があります。

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新しいプロフィールページ・タイムラインは言うなれば「自分史」です。自分がFacebook上で投稿した出来事、アップした写真やチェックインしたスポットなどはもちろん、大学の卒業や、結婚といったライフイベント、いままで聞いた音楽や観た映画、作った料理など、自分に関するありとあらゆる事柄がタイムラインに積み重なっていきます。
いままで自分の過去の投稿を見るには、ひたすらウォールを遡っていかなくてはなりませんでした。しかし、タイムライン上では、過去の出来事にもあっというまにジャンプすることができます。例えば二ヶ月前に自分がランチでどんなものを食べていたのか、一年前にどんなところに旅行に行っていたのか、過去にあなたがシェアした投稿が、タイムラインでは一目瞭然です。
http://f-navigation.jp/manual/function/timeline_about.html

この説明を読むと、そんなものを人に曝け出してどうするんだ、みたいな感じもしないではないのですが、実例を見て行くと結構面白いものが多いですね。
実は私も新ブログを作るときに厖大な量の写真を整理する方法をいろいろ考えて、結局、「通常のブログと異なり各記事冒頭の日時は写真を撮影した日時に対応しており、投稿日時ではありません」という仕組みにしたのですが、これは発想としてはタイムラインに似ていますね。
私が買ったデジタルカメラの画像処理ソフトでは、個々の写真が、例えば「2012_0213_111332-IMG_4367.JPG」、即ち2012年2月13日の11時13分32秒に撮影した「4367」番、という具合に特定されます。
最後の4ケタは連番で、撮った順に1つずつ増えて行きます。
数百枚程度だったら適当に分類すればよいのですが、万を超えるデータを整理するためにはきちんとした原則が必要となり、私はデジタルカメラのデータ処理の仕方をそのまま活用して上記のような仕組みを考案しました。
しかし、発想としてはタイムラインに近づいたものの、それをタイムラインほど分かりやすい形で表示する知恵は浮かばなかったですね。
以前、フェイスブックの創立者をモデルにした映画『ソーシャル・ネットワーク』について、「ボート漕ぎの兄弟と同様の思いつきをした人は大勢いたはずですから、基本アイディアをあそこまで巨大なビジネスに発展させた過程が重要なのに、それを全く描こうとしない」莫迦映画と評したことがありますが、タイムラインのような工夫を次々に生み出すことで、短期間に世界中を巻き込む巨大ビジネスを作り上げたんでしょうね。
世の中には頭の良い人がいるものだなあと、つくづく感心します。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5703

フェイスブックは個々の写真のデータ量には制限があるものの、枚数は無限だそうなので、被災地以外の写真はタイムラインを利用してフェイスブックに置くことを思案中です。

>筆綾丸さん
「ふくしま うつくしま」は福島県の観光キャンペーンそのものですね。
ちょっと勘弁してほしいなと思います。
最近、私は「アリストテレスのストレステスト」というコピーを考案したのですが、残念なことに個人的には使い道がありません。
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ブータンシボリアゲハ

2012-02-21 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月21日(火)23時26分42秒

>筆綾丸さん
副島種臣の書として期待しすぎると、少々拍子抜けとなりますね。
もちろん、これはこれで素晴らしい字だとは思いますが。

「ブータンシボリアゲハ」の標本は、先般、ブータン国王夫妻が来日された際に日本側に寄贈されたそうですね。
日本蝶類学会のサイトには満面に笑みを浮かべた矢後勝也氏の写真が載っています。
http://butterflies.jp/archives/2011/12/20_165309.php

東大総合研究博物館の「研究者リスト」で矢後勝也氏の経歴を見ると、「平成5年4月~平成10年3月 鳩山邦夫事務所秘書(平成6年5月~平成6年7月 労働大臣秘書) 」という謎の職歴がありますが、本当に政治家秘書としての仕事をしていたんですかねー。
ちょうどこのころ、雑誌で蝶の標本箱を抱えてニンマリする鳩山邦夫氏の写真を見て、この人は総理大臣にはなれないだろうな、と思ったことがあります。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/people/faculty_yago.html

ご紹介の文章は矢後氏のものだと思いますが、これは「ブータンシボリアゲハ」を捕まえた瞬間の描写でしょうか。
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葦毛崎展望台・大須賀海岸

2012-02-21 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月21日(火)22時56分7秒

種差海岸は八戸の蕪島神社から「うみねこライン」を少し進んだところにある岩礁と砂浜の総称ですが、ここは夏に訪問すると本当にため息が出るほど美しい場所ですね。
種差海岸はかなり広いので、とりあえず西側の「葦毛崎展望台・大須賀海岸」をアップしておきます。
葦毛崎展望台の駐車場には「ホロンバイル」という珍しい名前の洒落たカフェテラスがありますが、「ホロンバイル」はモンゴルの地名だそうですね。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54069154.html

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八戸港

2012-02-19 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月19日(日)16時01分15秒

旅行が多かったために更新が遅れましたが、久しぶりに記事をアップします。
2月13日(月)に訪問した八戸は殆ど雪がなく、青森県西部・中央部と較べると別世界でした。

「八戸港白銀埠頭」
http://chingokokka.sblo.jp/article/54049449.html
「蕪島神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/54056098.html

蕪島神社は半年前の昨年8月4日に最初に訪問しました。
当時は港めぐり初心者だったのでウミネコが妙に珍しく、やたらと写真を撮ってしまいましたが、ウミネコはあまり可愛い鳥ではなく、被写体としてはイマイチですね。
とりあえず解説なしで写真のみアップしておきます。

2011年8月4日、八戸市・蕪島神社(その1)(その2)
http://chingokokka.sblo.jp/article/54059530.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54061342.html


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真冬の羽黒山(その2)

2012-02-19 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月19日(日)10時55分26秒

二年前の3月21日に羽黒山を訪問した際はずいぶん雪が多いなと思いましたが、比べてみると、二月の雪の量は本当にすごいですね。

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5377

副島種臣による三神合祭殿額の題字も確認してきました。
ま、堂内は撮影禁止となっていたのですが、私ひとりだったのでついつい撮影してしまいました。

http://www.dewasanzan.jp/keidai/haguro2.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6244



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