学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

東京大学のホットスポット

2011-06-30 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月30日(木)07時08分58秒

私は津波に比べると原発問題に対する関心は希薄なのですが、それでも世間で学者・研究者と言われている人々の精神に降り注ぐ放射性物質の濃度には多少の興味があります。
日本史関係の顕著なホットスポットとして私がかねてから注目し、定点観測している「文教日本史」氏のブログを訪問したところ、「各大学でも放射線量を測定してほしい」というタイトルの記事の中で、東大の教員有志が東大総長に対して抗議活動を行っているとの記述がありました。

http://blog.goo.ne.jp/shuya1128/e/ace216abb672d16797bf3943ba421196

検索してみると、「『東京大学環境放射線情報』を問う東大教員有志のページ」がありましたが、これのことでしょうね。

https://sites.google.com/site/utokyoradiation/
https://sites.google.com/site/utokyoradiation/home/request

「放射線の健康への影響についてはさまざまな説があり、完全なコンセンサスは専門家の間でも得られていないものと承知しています。しかし、世界的にも標準的な考え方は、放射線による発がんリスクには放射線量にしきい値はなく、放射線量に比例してリスクが増加する、と言うもの(LNT仮説: Linear Non-Threshold=しきい値なし直線仮説)です。」という基本認識に基づき、「東京大学環境放射線情報」の記述はけしからんと怒っている人々のようですが、「賛同者氏名・所属」を眺めてみたところ、かなり偏りがあるような感じを受けたので、ちょっと分布を調べてみました。

https://sites.google.com/site/utokyoradiation/home/cosigners

その結果、氏名を公表している58名中、

第1位 総合文化研究科 21名
第2位 人文社会系研究科 8名
第3位 教育学研究科 7名
第4位 東洋文化研究所 5名

以下、2名のところが理学系研究科・農学生命科学研究科・新領域創成科学研究科・数物連携宇宙研究機構の4組織。合計8名。
1名だけのところが医学部付属病院・経済学研究科・医学系研究科・数理科学研究科・情報学環学際情報学府・社会科学研究所・史料編纂所・物性研究所・空間情報科学研究センターの9組織、9名となっていますね。
第1位の総合文化研究科だけで全体の36.2%、第4位までで70.1%を占めています。
私も一応は東大の卒業生なのですが、卒業後30年近く経過した間に大学の組織が激変してしまって、所属を見ても何をやっているのかわからないところが結構あります。
最も人数の多い総合文化研究科も名前すら知らなかったのですが、教養学部のある駒場キャンパスの方の大学院なんですね。

http://www.c.u-tokyo.ac.jp/department/index.html

東京大学のホットスポットは駒場キャンパスではかなり広範囲に、本郷キャンパスでは人文社会系研究科・教育学研究科・東洋文化研究所を中心に分布しているようです。

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金華山黄金山神社の鹿

2011-06-25 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月25日(土)16時57分43秒

金華山は弁財天信仰で有名な場所なので、かねてから一度行ってみたいと思っていたのですが、地震後、女川・鮎川からの定期船は中止となり、再開の見込みは立たないようですね。
ただ、帰宅してから黄金山神社のウェブサイトを見たところ、モーターボートで渡ることは可能らしいので、来月にでも参詣してみるつもりです。
同サイト内の「東日本大震災ドキュメント」には津波が押し寄せる前、引き潮で海峡の底が見えている写真が載っていますが、まるで映画「十戒」のような光景ですね。

http://www5.ocn.ne.jp/~kinkasan/index.html
http://www5.ocn.ne.jp/~kinkasan/002.html

>筆綾丸さん
『鹿男あをによし』を読んでから、テレビ版DVDも最初の方を少し見てみました。
テレビの方は設定をかなり変更している上、会話のリズムが不自然に早くて、原作ほど楽しめないのですが、ただ、主人公を玉木宏、堀田イトを多部未華子にしたキャスティングはすごいなと思います。
言われてみれば確かに玉木宏は鹿っぽい顔をしているし、多部未華子は「野性的魚顔」ですね。
多部未華子は美人の範疇に入るのか、というのが私の数年来の小さな悩みだったのですが、解決の糸口を得ることができました。

http://www.fujitv.co.jp/awoniyoshi/index.html


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御番所公園と金華山

2011-06-25 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月25日(土)16時21分27秒

18日の夕方5時過ぎ、牡鹿半島南端の御番所公園に行ってみると、展望棟という名前の円形の建物は閉鎖され、草が伸びた園内を雉が歩き廻り、野兎は私が近づいても動ずることなく、何だか徐々に野生に戻りつつあるような雰囲気でした。
金華山との間の海峡は、二つの方向からきた津波が激突してもの凄い光景になったそうですね。

http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/34375390.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5907


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鮎川

2011-06-24 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月24日(金)07時13分10秒

少し古いですが、3月24日のニューヨークタイムズの記事です。

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Japanese Town Mulls Future Without Whaling Industry
By MARTIN FACKLER

AYUKAWAHAMA, Japan ? At first glance, it seemed like just one more flattened building in a seaside town where a tsunami had leveled hundreds of homes. But survivors gathered at this one to stand and brood.
They came to what had been the headquarters of Ayukawa Whaling, one of only a handful of companies left in Japan that still hunted large whales. Those who gathered on a chilly recent Thursday spoke as if the company’s destruction two weeks ago had robbed the town of its soul.
“There is no Ayukawa without whaling,” said Hiroyuki Akimoto, 27, a fisherman and an occasional crewman on the whaling boats, referring to the town by its popular shorthand.
Japan’s tsunami seems to have succeeded ? where years of boycotts, protests and high-seas chases by Western environmentalists had failed ? in knocking out a pillar of the nation’s whaling industry. Ayukawahama was one of only four communities in Japan that defiantly carried on whaling and eating whales as a part of the local culture, even as the rest of the nation lost interest in whale meat.
So central is whaling to the local identity that many here see the fate of the town and the industry as inextricably linked.
“This could be the final blow to whaling here,” said Makoto Takeda, a 70-year-old retired whaler. “So goes whaling, so goes the town.”

http://www.nytimes.com/2011/03/25/world/asia/25whale.html?pagewanted=1&_r=1

この記事自体よりむしろ、在ニューヨーク日本総領事館がニューヨークタイムズに対して「あまりに冷酷であり、不適切な報道だ」と抗議したことが話題になりましたが、読み返してみても、この程度の記事に目クジラを立てることはなかったのでは、と思いますね。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110328/amr11032808430000-n1.htm

鮎川の港付近は地盤沈下が著しく、復興はなかなか難しい状況なのだろうなと感じました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5906




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集落の消滅

2011-06-22 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月22日(水)07時26分32秒

産経新聞の記事です。

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「元には戻らない…」 残ったのは5人だけ 住民移転で集落消滅の危機

 東日本大震災で住民が散り散りになり、「解散」同然の集落がある。津波で全戸の家が流された牡鹿(おしか)半島の大谷川(おおやがわ)浜(宮城県石巻市)。住民約80人は全員無事だったが、仮の解散式後には仙台市の親族宅やアパートに引っ越し、残ったのは5人だけだった。「もう元には戻らない」。三陸沿岸には、そんな消えかかっている集落がたくさんある。(荒船清太)

 住民らの避難場所となっているのは旧大原中学校の校舎だ。「若い人は戻ってこねえだろうなあ」。釣り船業、阿部政悦さん(52)は寝ころびながらそうつぶやいた。
 大谷川浜では集落26戸全戸が津波で流され、公民館を捨てて山に逃げるなどして約80人全員が逃げ延びた。一時は校舎の3階まで被災者が入っていたが、大半が石巻市内に移り住んでいた親族の家や仙台市内のアパートなどに移った。今では1階に3世帯5人が暮らすだけとなった。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110518/dst11051819210030-n1.htm


6月18日(土)は大川小学校訪問後、石巻市雄勝町と女川町を再訪してから女川原子力発電所に向かう女川牡鹿線を南下し、山越えして石巻鮎川線(金華山道)に入り、捕鯨で有名な鮎川港、更に牡鹿半島南端の御番所公園へ行ってみました。
旧雄勝町や旧牡鹿町は集落消滅の危機に瀕している地区が多いですね。
写真は大谷川浜地区の石巻市立谷川小学校付近で撮ったものですが、真ん中の写真に写っている女性はたまたま夫婦で来ていた人で、児童の父兄のようでした。
時折雨がパラつく曇天の下、荒涼とした部分を選んで撮影しているので陰気な写真になっていますが、津波がなかったら本当に風光明媚な場所で、子供を健康に育てるにはこれ以上恵まれた環境はないでしょうね。
この学校も集落と一緒に消滅してしまうとしたら、本当に残念です。

周囲の状況は下のブログに詳しいですね。

http://tokyopastpresent.wordpress.com/2011/06/07/%e9%9b%86%e8%90%bd%e8%a7%a3%e6%95%a3%e3%81%97%e3%81%9f%e7%9f%b3%e5%b7%bb%e5%b8%82%e5%a4%a7%e8%b0%b7%e5%b7%9d%e6%b5%9c%e3%83%bb%e8%b0%b7%e5%b7%9d%e6%b5%9c%e3%83%bc%e6%9d%b1%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%a4%a7/

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5905
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ショベルカー

2011-06-22 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月22日(水)07時11分26秒

大川小学校周辺はショベルカーだらけで、100日たってまだこの程度なのかという印象を受ける人がいるかもしれないですが、とにかく被災地が広すぎて、すぐ近くにも殆ど手が付けられていない状態の土地が多いですね。
4月13日の時点での大川小学校の様子を丁寧に紹介しているブログがあったので、比較のためにリンクしておきます。

http://shiminnokai.info/cat58/okawasho.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5904


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壁画

2011-06-21 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月21日(火)07時33分25秒

これも河北新報の記事です。

-----------------
学校側、対策の不備謝罪 石巻・大川小合同供養式

 児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明になっている宮城県石巻市大川小の合同供養式が18日、同市桃生町の斎場で営まれた。学校と市教委の関係者も出席し、津波発生時の避難場所を定めていなかった点など防災対策の不備を謝罪した。
 遺族でつくる実行委員会が主催し、約350人が参列。震災が起きた午後2時46分に合わせて黙とうした。2人の子どもを失った武山剛PTA会長は「子どもたち、先生のみ霊が安らかであるよう念じたい」などとあいさつ。学校行事の写真スライドも上映され、子どもたちの姿に遺族からすすり泣きが漏れた。
 市教委によると、同小の柏葉照幸校長は「安全に対する取り組みの不十分さ、すべては私の至らなさの結果です」などと保護者に陳謝。市教委の今野慶正事務局長は「学校の防災計画を点検、指導するなど、津波への危機意識を高めるべきだった。本当に申し訳ありません」と述べた。
 3月11日の地震直後、児童らは校庭に避難。津波が来る直前に北上川の橋のたもとにある小高い場所へ移動する途中、川から押し寄せた津波に襲われた。教職員も現場にいた11人のうち、10人が死亡、行方不明。保護者からは「裏山に登れば、多くが助かったはず」と疑問の声が出ていた。
 供養式の後は遺族会が設立され、学校近くに慰霊碑を建て、植樹を進める方針などを確認した。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110619t13007.htm


大川小学校の校舎は1985年に建てられたそうですが、ずいぶん斬新な設計で、地域の自慢の建物だったそうですね。
裏山の近くには日比谷の野外音楽堂を思わせるような小さな階段状の施設があり、その外側に宮澤賢治の作品をモチーフとした壁画が描かれていました。

 世界が全体に幸福にならない
 うちは、個人の幸福は
 ありえない・・・・・・

一番下の写真、中央に小さな道標のようなものがありますが、ここに「津波到達点」と書かれており、意外に低いなと感じました。
コンクリート壁を登るのは無理ですが、壁の切れた両脇からは小学生でも何とか上に行けますね。
引率された児童が向かった新北上大橋のたもとの微高地までは200メートル程ですが、そこまで行くと山を切り崩してコンクリートを吹き付けた垂直に近い急な壁になっており、裏山への逃げ場がないですね。
教師も大半が亡くなっているのに、なぜいつまでも責任追及をするのか、という論調が一部にありましたが、親にしてみれば、学校側の状況判断の誤りは許しがたいと思わざるをえないでしょうね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5903

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大川小学校にて

2011-06-20 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月20日(月)07時49分26秒

河北新報の記事です。

--------------
石巻の大川小学校で合同供養 震災百か日、遺族会結成

 東日本大震災は18日、100日目を迎え、各地では犠牲者を悼む百か日法要が営まれた。地震発生時刻の午後2時46分には、黙とうがささげられ、被災地は鎮魂の祈りといまだ癒えぬ深い悲しみに包まれた。
 全児童の約7割が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の犠牲者を悼む合同供養が18日、同市桃生町の「セレモニーホールものう」で開かれ、約400人が参列した。
 保護者らは同日、遺族会を結成することを決めた。在籍していた児童・教員の数と同じ121本の植樹などの活動をしていく。
 石巻市教委によると、合同供養では児童らの様子などを収録したDVDも上映された。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/2011061801000563.htm


18日(土)、私も大川小学校を訪問してみました。
午後1時半頃に行ったので、下の写真は河北新報に出ている写真よりは時間的に少し前の様子ですね。
小さな地蔵像が建立されていましたが、裏を見ると「百ヶ日忌にあたる平成二十三年六月十八日 有縁有志建立」とあります。
公立小学校の敷地内に地蔵像を建立することには、厳密には政教分離原則に反するのではないかという憲法上の問題があります。
津地鎮祭訴訟などで地方自治体は宗教的活動への関与に非常に慎重になっているので、今回の震災でも遺族感情に反する過敏な対応ではないかと思われる事例が結構生じてますね。
まあ、この地蔵像を撤去しろ、という訴訟は起きないでしょうが。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5902
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宮本常一とチョコレート

2011-06-17 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月17日(金)07時12分0秒

時々訪問している大村拓生氏のブログで武田尚子氏の『「海の道」の三〇〇年 近現代日本の縮図 瀬戸内海』(河出書房新社、2011年)という本が良いと書いてあったので、入手してパラパラめくってみたのですが、武田氏には『もんじゃの社会史‐東京・月島の近現代の変容』(青弓社、2009年)『チョコレートの世界史』(中公新書、2010年)という著書もあるそうで、ずいぶん研究の幅が広い方ですね。
『「海の道」の三〇〇年』の「あとがき」には宮本常一氏への言及がありました。

----------
 田島の調査を進める際に、私はしばしば一九五〇年代の河野通博(岡山大学)の田島調査の論文を参照した。河野もまたアチック・ミューゼアムで育てられた研究者の一人である。河野は一九五〇年の対馬調査に参加し、帰りの船で宮本常一と交わした対話のことについて次のように記している。「特に帰りの船の上で宮本常一さんにお目にかかったことが、私のその後に決定的な影響を与えたのであった。まさに大ショックだったのである。私が見落とし、聞きもらしたこと、島の人々のくらしについてベールに包まれて、どうしても聞けなかったことをこの人は島の人々の口を通してちゃんとつかんで来ていたのである。しかもその生きた具体的な事実にもとづいて、何と生き生きと島の歴史が組み立てられてゆくことか。対馬の厳原から壱岐までの間、私は宮本さんの話しに全く聞きほれたのであった。(中略)
 このようにアチック・ミューゼアムに集う研究者集団の薫陶を受け、岡山大学に勤務していた河野は一九五〇年代に田島を訪れ、当時の島の社会状況について記録した。私の田島調査は河野の研究に依拠するところが大きい。田島の調査に取りかかった頃、私は河野氏の関西の御自宅を訪ね、一九五〇年代の田島調査についての思い出をうかがい、調査が進むように励ましていただいた。
------------

現代において宮本常一の精神を受け継ごうとする人は、研究対象も当然のように、ごくあっさりと海外に広げていますね。

『「海の道」の三〇〇年』
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624297

『チョコレートの世界史』
http://heartfulbooks.blogspot.com/2011/02/blog-post.html

>筆綾丸さん
映画版の『鴨川ホルモー』を観てみましたが、菅原真役の荒川良良の怪演が光っていました。

http://www.youtube.com/watch?v=MwNh0Um356k

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ハダカデバネズミ

2011-06-15 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月15日(水)07時36分41秒

>筆綾丸さん
わはは。
再読してやっと気づきましたが、筆綾丸さんは二箇所目で「ハダカデブネズミ」と書かれていますね。
私はハダカデバネズミの名前すら知りませんでしたが、写真を見ると確かに裸で出っ歯であり、そのまんまのネーミングですね。

「ハダカデバネズミを見る人々」
http://portal.nifty.com/2006/07/22/a/

英語だとnaked mole rat で、裸モグラネズミですか。
これも納得できるネーミングですが、裸のネズミはみんなモグラのようだとも言えるので、出っ歯を強調する日本語名の方がより的確ですね。

「ハダカデバネズミを見るアメリカの人々」
http://r-fujisan.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-6406.html

「デジャ・ブ」と「デ・ジャブ」の違いは「革命家」と「カクメ烏賊」の違いのようなものですね。
ご紹介の『言葉の誕生を科学する』、早速注文してみました。

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若きスルメイカの悩み

2011-06-13 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月13日(月)23時28分52秒

網野さんや氏家さん、ナベツネさんの若い頃は革命すべきかスルメイカを悩み、全学連の世代は「帝国主義と対決」すべきかスルメイカを悩み、全共闘の世代は大学を解体すべきかスルメイカを悩み、自主管理労組連帯を横目で見ていた世代は連帯すべきかスルメイカを悩み、みんな悩んで大きくなったけど、今の世代はどうなのか。
国家が成長することを自明の前提としていた時代の若者の悩みは、その当時はそれぞれに真剣な悩みだったのかもしれないけど、不況で就職もままならない今の若い世代の閉塞感に比べれば、ずいぶん贅沢な悩みだったような感じもします。
歴史科学協議会の定款にある「当法人は、現代における帝国主義的歴史観に対決する人民の立場に立つ。」という表現など、10年・20年前だったら単純に時代遅れだなあと笑えましたが、中国が空母を持つ時代になったら、一回りして逆に新鮮な響きを持つのかもしれないですね。

>筆綾丸さん
『ホルモー六景』、読んでみました。
「もっちゃん」も着想が面白く、すごい才能ですね。
梶井基次郎の写真を初めて見たとき、この顔で「檸檬」はないだろうと思ったことがあります。


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連帯スルメイカ

2011-06-11 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月11日(土)15時44分17秒

♪連帯するよ
 連帯スルメイカ
 まほうのことばで
 たのしいなかまが
 ポポポポーン♪

http://www.youtube.com/watch?v=EsRm78ZSOgc&feature=related

歴史学研究会の総会決議案を起草したのは1960年生まれの某女史ではないかという噂を聞いたのですが、まあ、仮にそうだとしても、精神年齢111歳のレベルセブンの方が事務局長以外にもう一人いたというだけの話ですね。
原案からは「復興に向けて努力する被災者と連帯する」という表現が削除されていますが、一昔前だったら「連帯する」は、この種の声明で全く当たり前の「まほうのことば」だったはずです。
しかし、今では言語感覚が干からびていることのアピールにしかならないですね。

>筆綾丸さん
>そのあとから綺麗な花が咲き
栴檀は双葉より芳しく、奇才は高2にして既に奇人ですね。

>安倍晴明
福島市の福島稲荷神社は安倍晴明ゆかりという珍しい稲荷神社なので、4月に福島市に宿泊した際、夜中にわざわざ寄ってみたのですが、これといった特徴のない普通の神社で、安倍晴明を連想させるものは皆無でした。
稲荷神社なのに狐はいなくて狛犬だけ、というのも妙な感じでした。
陰陽師ブームにあやかって変な「伝統」を新たに作ったりするような神社もあるそうなので、普通であることはそれなりの見識の現れなのかもしれませんが、綺麗に整備されつくした境内はいささか退屈でした。

-------
 社伝によれば第六十六代一条天皇の永延元年(987年)、当時朝廷に重用された陰陽師の安倍晴明が奥羽下向の際、吹島の里(福島)にさしかかったところ、西には吾妻山が空にそびえ、北には信夫山が平原の中より屹然として突出し、南は阿武隈川の清流洋々として東流し、山水の風致、自然の景勝に目を見張るのみならず、地味肥沃にして農耕に適し、将来大いに有望な地相であるとして一祠を建て、衣食住を司る豊受比売命(伊勢神宮の外宮の神さま)を勧請し、此の里の総鎮守としたことに始まります。江戸時代には福島藩の鎮守とされ、代々の藩主の尊崇を集め、境内では市が開かれ賑わいをみせました。御鎮座以来一千年を越える歴史を刻み、風光明媚な温泉と果物の里、福島の鎮守様として「おいなりさん」の愛称で、広く福島市民に親しまれています。

http://www.fukushima-jinjacho.or.jp/guidance/detail/01fukushimainari.html



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もしドゲ

2011-06-08 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月 8日(水)23時47分41秒

「もし高校野球の女子マネージャーが道元の『正法眼蔵』を読んだら」

高校野球の女子マネージャーが道元を読んで甲子園を目指す青春小説。野球部のマネージャーの川島みなみは、偶然、道元の『正法眼蔵』に出会います。最初は難しくてめげそうになりますが、次第に野球部を強くするのに役立つことに気づきます。発売からわずか6カ月で100万部を突破した感動の一冊。9歳から90歳まで幅広い方に読まれています。家庭、学校、会社、ひとがあつまる組織のすべてで役に立つ本です。

http://moshidora.jp/?page_id=2

>筆綾丸さん
道元は瑩山紹瑾と違ってマネジメントの才能はあまりなさそうなので、道元を読んでも野球には役立ちそうもないですね。
道元のようなタイプの知性が現代に生まれたら、どんな方向に進むのか。
やはり物理学者あたりでしょうか。

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quantum leap

2011-06-06 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月 6日(月)00時13分8秒

>筆綾丸さん
人にあまり知られたくない音楽の趣味を晒すような感じがしてちょっとレスを躊躇っていたのですが、m-floに“quantum leap”という曲があります。

http://www.dailymotion.com/video/x1un26_m-flo-quantum-leap_music

震災後、やたら流れていた公共広告機構のCMの中で、度の強そうな眼鏡をかけたネクタイの似合わない小太りの男が「日本の力を信じてる」とか言っていたので、誰なんだこいつ、名札をつけろ、と思っていたら、後でm-floのVERBALだと知ってびっくりしました。
私の年代でm-floが好きと公言するのは若干の勇気が必要ですが、私はTUTAYAでm-floのアルバムを殆ど借りている他、公演を録画したDVDをいくつか購入し、おまけに『alien alter egos―神のパズル それは僕自身』というVERBALの自伝まで買ってしまったそれなりのファンです。
その私ですら、いつもサングラスをかけている人が牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて出てこられても、ちょっと対応に困るよなあ、と思ったくらいですから、知らない人は全く知らないでしょうね。

http://www.youtube.com/watch?v=EOKp-vZK_Yg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=D5Q8eYRzR90&feature=related

quantum leapはアメリカでも、特に音楽の世界では以前から好まれている言葉のようです。
また、ソニー元社長の出井伸之氏がクオンタムリープという投資会社を設立していますね。

http://www.qxl.jp/aboutus/message.html

それと、実は私、8月に仙台に引っ越すことを考えておりまして、これも震災前には全く想定していなかったささやかなquantum leapですね。



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東北独立

2011-06-04 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 6月 4日(土)01時05分7秒

>筆綾丸さん
『プリンセス・トヨトミ』を長岡市の映画館で見ました。
堤真一・中井貴一・笹野高史・江守徹などの名優が大真面目に演じているので強引に納得させられてしまいますが、実に奇妙な物語ですね。
菅直人の最近の言動を見ていると、東北もそろそろ真面目に独立戦争を検討すべき段階に入ったのではないかと思えてきます。
井上ひさしの『吉里吉里人』という革命の手引きもありますし。


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