投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月27日(金)21時02分59秒
下の投稿、川北稔氏の論文の骨休めに英文で750ページの本を読んだのではなく、あくまで翻訳ですので念のため。
ジャン・モリスの『パックス・ブリタニカ(上) 大英帝国最盛期の群像』(椋田直子訳、講談社、2006)の「第一章 ローマを継ぐ者たち」から少し引用すると、
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3 資産と活力と進取の気運
英国民をこの絶頂に押し上げた原動力は、多種多様だった。後ろ暗い企み、崇高な目的、信仰篤いこころざし、宗教には無縁の欲望─さまざまな衝動が国民を帝国主義者に変貌させた。「帝国主義者」という言葉自体、うさんくさいという侮蔑的なニュアンスが消えて、異論の余地なく正しいという市民権をほぼ確立していた。
当初は単純な話だった。ヴィクトリア朝の英国には、資産と活力と進取の気運があふれていた。刺激的な時代にあって、英国というダイナミックな国の資本は投資先を求め、活力は成功の機会を求め、数々の新発明は応用すべき新たな分野を求めていた。ついで、さまざまな予言者たちが登場した。最大多数の最大幸福を説く哲学者ジェレミー・ベンサム、世紀末の不安と混沌を叙情的に詠い上げた桂冠詩人テニスン、保守党の首相ディズレーリ、英国国教会からカトリックに改宗した枢機卿ニューマン等々が、広々とした空間や権力や華麗な宗教儀式を求める国民の本能をかきたてた。ダーウィンは、進化論についての半可通の解釈が世間に広まったため、動物同様人間にも効率よく進化した人種がいて、他を統率し、所有する権利を持つ、ということを証明したとみなされる始末だった。一方、伝道活動が盛んになると熱帯の先住民に注目が集まり、神の教えを知らない哀れな人々に救いの手をという声がわき起こった。ディケンズの『荒涼館』に登場する、「ニジェール川左岸のボリオブーラ・ガーに住む先住民に教育を」与えることに専念するあまり家を顧みないジェリビー夫人を想起されたい。紳士階級のあいだでは、トマス・アーノルドに代表されるパブリックスクール改革派が、特権に伴う奉仕の概念を植えつけた。これは当然、「新しいローマ」の理念につながっていく。
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といった具合です。(p21以下)
翻訳を読んだだけでも原文のキビキビした力強い文体が想像できますね。
講談社BOOK倶楽部サイト内の「講談社創業100周年記念企画 この1冊!」には講談社の編集者である鈴木一守氏がジャン・モリスの『帝国の落日』を
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本書は、英国の司馬遼太郎とも言われる著名な歴史作家モリスの代表作である。上下巻合わせて800頁以上の大作だが、面白いエピソードが次々に紹介されて読者をあきさせることがないのは、さすが英国の司馬遼と舌を巻く外はない。
http://konoichi.kodansha.co.jp/1103/07.html
と紹介していますが、「英国の司馬遼太郎」云々を見て、やっぱりみんな同じような譬えを思いつくものだなと感心しました。
また、私はウィキペディアの記事を見た後も、ウィキペディアは悪意を持った人が適当にウソを書くことも可能だから、とジャン・モリス女性説に微かな疑いを抱いていたのですが、鈴木一守氏の
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さらに、『帝国の落日』に登場するチャーチル、アラビアのロレンス、インド独立の闘士ガンディーほか大英帝国の英雄、女傑、市井の人々に至るさまざまな人物の心理描写もリアルで細やかである。実はジャン・モリスはもともとジェイムス・モリスといい、1970年代に性転換して改名したという事実を知れば、男女の壁を超越した人間心理の並はずれた洞察力をもっていることも納得できるのである。
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との記述を読んで、やっとジャン・モリス女性説に納得したのでした。
下の投稿、川北稔氏の論文の骨休めに英文で750ページの本を読んだのではなく、あくまで翻訳ですので念のため。
ジャン・モリスの『パックス・ブリタニカ(上) 大英帝国最盛期の群像』(椋田直子訳、講談社、2006)の「第一章 ローマを継ぐ者たち」から少し引用すると、
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3 資産と活力と進取の気運
英国民をこの絶頂に押し上げた原動力は、多種多様だった。後ろ暗い企み、崇高な目的、信仰篤いこころざし、宗教には無縁の欲望─さまざまな衝動が国民を帝国主義者に変貌させた。「帝国主義者」という言葉自体、うさんくさいという侮蔑的なニュアンスが消えて、異論の余地なく正しいという市民権をほぼ確立していた。
当初は単純な話だった。ヴィクトリア朝の英国には、資産と活力と進取の気運があふれていた。刺激的な時代にあって、英国というダイナミックな国の資本は投資先を求め、活力は成功の機会を求め、数々の新発明は応用すべき新たな分野を求めていた。ついで、さまざまな予言者たちが登場した。最大多数の最大幸福を説く哲学者ジェレミー・ベンサム、世紀末の不安と混沌を叙情的に詠い上げた桂冠詩人テニスン、保守党の首相ディズレーリ、英国国教会からカトリックに改宗した枢機卿ニューマン等々が、広々とした空間や権力や華麗な宗教儀式を求める国民の本能をかきたてた。ダーウィンは、進化論についての半可通の解釈が世間に広まったため、動物同様人間にも効率よく進化した人種がいて、他を統率し、所有する権利を持つ、ということを証明したとみなされる始末だった。一方、伝道活動が盛んになると熱帯の先住民に注目が集まり、神の教えを知らない哀れな人々に救いの手をという声がわき起こった。ディケンズの『荒涼館』に登場する、「ニジェール川左岸のボリオブーラ・ガーに住む先住民に教育を」与えることに専念するあまり家を顧みないジェリビー夫人を想起されたい。紳士階級のあいだでは、トマス・アーノルドに代表されるパブリックスクール改革派が、特権に伴う奉仕の概念を植えつけた。これは当然、「新しいローマ」の理念につながっていく。
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といった具合です。(p21以下)
翻訳を読んだだけでも原文のキビキビした力強い文体が想像できますね。
講談社BOOK倶楽部サイト内の「講談社創業100周年記念企画 この1冊!」には講談社の編集者である鈴木一守氏がジャン・モリスの『帝国の落日』を
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本書は、英国の司馬遼太郎とも言われる著名な歴史作家モリスの代表作である。上下巻合わせて800頁以上の大作だが、面白いエピソードが次々に紹介されて読者をあきさせることがないのは、さすが英国の司馬遼と舌を巻く外はない。
http://konoichi.kodansha.co.jp/1103/07.html
と紹介していますが、「英国の司馬遼太郎」云々を見て、やっぱりみんな同じような譬えを思いつくものだなと感心しました。
また、私はウィキペディアの記事を見た後も、ウィキペディアは悪意を持った人が適当にウソを書くことも可能だから、とジャン・モリス女性説に微かな疑いを抱いていたのですが、鈴木一守氏の
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さらに、『帝国の落日』に登場するチャーチル、アラビアのロレンス、インド独立の闘士ガンディーほか大英帝国の英雄、女傑、市井の人々に至るさまざまな人物の心理描写もリアルで細やかである。実はジャン・モリスはもともとジェイムス・モリスといい、1970年代に性転換して改名したという事実を知れば、男女の壁を超越した人間心理の並はずれた洞察力をもっていることも納得できるのである。
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との記述を読んで、やっとジャン・モリス女性説に納得したのでした。