学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

石浜飯綱神社

2011-08-30 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月30日(火)15時27分36秒

8月17日に南三陸町歌津地区を訪問した際、地図に飯綱神社が出ていたので、こんなところにも飯綱神社があるのかと思って石浜集落に行ってみました。
神社の石段の下には、元はアーチ状だったと思われるブキミな物体の一部が残されていて、何じゃこれ、と思ったのですが、後で調べたら長さ5.3メートルのシロナガスクジラの顎骨だそうですね。
まあ、趣味が良いかどうかは別として、漁村の神社ならではの奉納物です。


神社内に奉納された幟を見ると大漁祈願が大半ですね。
上のリンク先でも祭神が稲荷だとしており、「飯綱稲荷神社」と書いている幟も少数ながらあるので、稲荷との混同が生じているようです。
一番下の写真の左隅の幟は「稲※神社」となっていますが、※は独創的な文字なので、単なる誤字のようですね。

※写真
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「要するに首から上の質が違う」

2011-08-29 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月29日(月)23時11分38秒

経団連の米倉弘昌会長は独特の辛辣な言語感覚の持ち主で、私はけっこう前から米倉氏のコメントに注目しているのですが、今回もいいですね。
菅直人氏に比べれば、あの松本龍氏の「首から上の質」も普通だったように思います。


>筆綾丸さん
ご紹介のブログは京都の人の感覚が伺えて面白いですね。
歴史学研究者の団体は、声明云々は別として、純粋に学問的な問題として「放射能汚染と差別」について議論の場を設けるべきじゃないですかね。
特に中世を研究している人は、網野善彦氏の業績などを踏まえて、いろんな観点から議論ができるように思います。
ちょっと前までだったら、例えばハンセン病差別の場合、現代人は内心では「昔の人は無知だったからしょうがないけど、らい病なんて実はたいしたことないんだよ」といったお高く止まった姿勢で中世人を眺めていたはずですが、原発事故を契機に、多くの研究者が得体の知れないものに対する中世人の恐怖をリアルに想像することが可能になったともいえますね。
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歴史研究者が考えるべきこと

2011-08-27 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月27日(土)10時36分49秒

歴史学研究会のホームページを見ると、

------------
【声明・アピール】
【2011.08.04】大阪府議会における、「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議し、あわせて本条例「違反」教職員の処分基準を定めることに反対する

【教科書採択についての緊急アピール】
【2011.07.19更新】緊急アピール:育鵬社版・自由社版教科書は子どもたちに渡せない



がトップに出ていて、「年中行事絵巻」が再開されたようですが、震災と原発事故後の歴史研究者団体のあり方として、本当にこれでいいのですかね。
私は現時点で緊急の必要性があり、かつ歴史学界に基礎的な研究蓄積があって、歴史研究者が社会に貢献できる一番重要な課題は「放射能汚染と差別」の問題だと思いますけどね。
例えば陸前高田の被災松を京都市が拒否した事件は、私は極めて不合理な差別だと考えますので、歴史学研究会や日本史研究会など、差別と闘う人々と連帯することを標榜してきた団体は、それこそ「緊急アピール」を出してもいいのではないかと思うのですが、そんな動きは全くないのですかね。
今年の日本史研究会の大会は京都女子大学で行われるそうなので、時間に余裕があれば参加し、被災松の問題をどのように考えるのかを質問してみたいですね。


日本史研究会

>筆綾丸さん
絶対安全な京都に住みながら「拙宅の放射線量は0.05マイクロシーベルト」などと騒いでいる馬鹿は京都でも珍しいと思いますので、私は歴史学者一般に対する信頼は維持しています。
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東名のカキ

2011-08-27 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月27日(土)09時43分2秒

私は海のない県で生まれ、ずっと東京近辺で暮らしていたので漁港は物珍しく、用もないのにうろうろしてしまいますね。
写真は「東名共同かき処理場」です。

宮城県漁協鳴瀬支所カキ部会

※写真
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野蒜築港跡

2011-08-27 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月27日(土)09時01分10秒

24日(水)の早朝、東松島市の野蒜海岸周辺に行ってみました。
野蒜に来たのは4回目で、今回初めて複数の漁港を廻ってみましたが、船舶はかなり残っているようで、それなりに動き始めている感じでした。
しかし、住宅地区の復興は非常に困難と言わざるを得ないですね。
野蒜築港跡に近い石上神社は鳥居のみを残して消失、丸山の塩釜神社は高さ50メートルほどの小山の上にあって津波被害を免れたものの、地震で大きく壊れた社殿には手入れが全くなされていない状態でした。
野蒜の後、仙台方面に戻って松島の瑞巌寺に参詣し、遊覧船で松島湾めぐりをしてみましたが、松島は津波被害が殆どない地域なので、ただの観光旅行でしたね。

野蒜築港跡

※写真
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子泣き爺

2011-08-23 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月23日(火)00時00分9秒

私も別に悪意をもって野口実氏の掲示板のアラを探そうとしている訳ではありません。
8月9日の野口氏の投稿を見た後、変だなと思ってグーグルで「市川定夫」を検索してみたら、一番最初のページに子泣き爺のような老人が出てきたのでびっくりしました。
それでも野口氏が自ら修正するか、関係者の誰かが気づいて意見を述べるのを待っていたのですが、10日経っても何の変化もないので、こちらに書いてみました。
京都女子大のお嬢さんたちは数学・物理・化学・生物といった理系の科目には縁がないのかもしれませんが、京大を出ている美川圭氏や岩田慎平氏あたりは、「自然と人工では大違いのようです」などと書いてあるのを見て、何の疑問も抱かないのですかね。
映像をちょっと眺めて、京大農学部ブランドを信頼してしまうのでしょうか。
それとも実際には疑問を抱いたにもかかわらず、人間関係に配慮して黙っていたのでしょうか。
反原発でありさえすれば、どんなに非科学的でどんなに愚かな言動であっても許されてしまうのが現状ですが、せめて大学関係者はそれなりの矜持と責任感を持って発言してほしいですね。

>筆綾丸さん
『文藝春秋』9月号に万城目学氏の「やけどのあと-人気作家の東電株主総会突入記」が出ていますね。
京大法学部卒の俊才ではあっても会社員生活が短い人なので、ちょっと世間知らずなところがあり、そこがまた笑えます。
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気仙沼・一景島神社

2011-08-22 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月22日(月)23時12分47秒

気仙沼市の北野神社の神主さんが運営されているブログ「天神山日記」に一景島神社の「招魂鎮魂祭」のことが書かれていたので、市内中心部に入ると、まず最初に一景島神社に参詣してみました。
魚市場から先に進んだのは初めてなのですが、気仙沼も南三陸町と同様、瓦礫撤去が極めて遅れていて、民主党政権は・・・(以下同文)。
ついで五十鈴神社・猪狩神社に参詣し、屋根だけ残して流出した浮見堂を見た後、鹿折の工場地区を一回りしたのですが、多少の時間の余裕があったので、急遽フェリーで大島に行ってみることにしました。
大島は沖縄のアメリカ軍海兵隊が救援活動を行ったことで話題になりましたが、気仙沼中心部よりは復興が進んでいて、活気があるように感じました。
正味1時間半ほどの滞在だったので行動範囲は限られており、寺社にも参詣できませんでしたが、近いうちにまた訪問してみるつもりです。

気仙沼・北野神社

※写真
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「なつかしい未来へ」(byちばのり店@南三陸町)

2011-08-22 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月22日(月)22時32分20秒

南三陸町の瓦礫の撤去は遅れており、震災から五か月以上経っているのに民主党政権はいったい何をやっているのか、と思わずにはいられないですね。

※写真
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特別養護老人ホーム「慈恵園」

2011-08-22 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月22日(月)22時03分7秒

20日(土)は南三陸町と気仙沼市を訪問してみました。
未明に出発し、午前6時過ぎに南三陸町の防災庁舎前に着くと、一人の僧侶が読経されていました。
私は建物に近寄って写真を撮りたかったのですが、その方の邪魔をするようで申し訳なかったので、JR南三陸駅・特別養護老人ホーム「慈恵園」・志津川高校などを見てから再び防災庁舎に戻ると、僧侶は姿を消し、代わりに被災地見学のバスツアーの人が大勢いて賑やかなほどでした。

「慈恵園」では多数の高齢者が亡くなっているのですが、場所はそれなりの高台であって、津波の避難場所に指定されていたそうですね。
津波襲来時には「慈恵園」にいた人々は志津川高校に逃げたそうですが、「慈恵園」から見ると志津川高校は山の上のような感じで、健常者であっても移動は大変であり、車椅子の人を運ぶのは本当に難しかったろうなと思いました。

「河北新報」(6月6日付)

※写真
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「自然と人工では大違い」?

2011-08-19 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月19日(金)08時35分48秒

野口実氏の掲示板で、野口氏が「国土が汚染されて人がいなくなる」というタイトルで、

------------
 放射線の問題。なによりも子どもたちへの影響が心配です。いよいよ少子化が進行するということも。
 「国破れて山河あり」と比べても。
 大理石建築の多いローマや日本の温泉地でも放射線量が高いところがあるそうですが、自然と人工では大違いのようです。↓


と書かれていたので、リンク先の「【放射能】自然放射線と人工放射線のちがい / 市川定夫氏」という映像を見てみたのですが、ちょっと奇妙な感じがしました。
市川定夫氏は「原水爆禁止日本国民会議」(原水禁)という反核団体の元議長で1935年生まれの方ですが、映像に出てくる市川氏はずいぶん若いですね。
野口実氏は最新の研究成果の発表だと思っているようですが、市川氏の経歴と照らし合わせると、おそらく1980年代初頭くらいの映像ではないかと思います。
まあ、京都大学農学部を出て遺伝学を専攻し、ムラサキツユクサの研究等で有名な人だそうですが、現時点で問題となっている人体の低線量被曝に関する研究としては、あまりに迂遠で古くさいものとなってしまっているのではないですかね。
反原発の立場の研究者であっても、自然放射線と人工放射線がその危険性において違うと考える人は珍しいと思いますね。

原水禁ニュースより(2007年の時点での市川定夫氏の写真)

>筆綾丸さん
『天上紅蓮』をパラパラ見てみましたが、愚書ですね。
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熊沢の石仏

2011-08-18 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月18日(木)09時56分17秒

こちらは雄勝半島南端の白銀崎にある白銀神社に参詣した後、大須集落に向かう途中の路傍で見かけた石仏ですが、一番左の石仏の脇にある自然石の組み合わせは母を慕う子に見立てているのですかね。
着想も造形も面白いですね。

※写真
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神社と鐘楼

2011-08-18 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月18日(木)09時38分54秒

>筆綾丸さん
最初は神社に鐘楼があるのも変な感じがしましたが、東北地方で生まれ育ったら、むしろ神社に鐘楼がない方が不思議に思えるのかもしれないですね。
下の写真は雄勝町大浜の葉山神社です。
石段の下から見上げたときはそれほど被害を蒙っていないように見えたのですが、建物全体が歪んでいて、鐘楼はずっと下の道路脇に横転していました。
ここの石仏のうち、一番手前のものは全身が布にくるまれていましたが、せめて顔くらい出してくれないと何が何だか分からないですね。
布をめくって覗き見るのも罰当たりのような感じがしたので、深く追及はしませんでしたが。

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ベレー帽の石仏

2011-08-16 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月16日(火)09時12分25秒

終戦記念日の昨日は石巻市雄勝町の半島部分を廻り、新山神社(雄勝)・塩釜神社(明神)・葉山神社(大浜)・龍沢寺(立浜)・北野神社(同)・白銀神社(桑浜)・熊野神社(荒)等に参詣してきました。
写真は雄勝町明神の塩釜神社境内で見かけたベレー帽をかぶった石仏ですが、なかなかお洒落ですね。
名振浜も再訪するつもりだったのですが、陽射しが強すぎて荒浜海水浴場あたりで頭がクラクラしてきたので断念し、早めに戻ることにしました。
夜は亘理町荒浜で行われた灯籠流しに行ってみましたが、この種の行事はニュース映像を通して受ける印象と実際にその場を訪問した場合に受ける印象が大きく異なりますね。

※写真
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東北地方の神と仏

2011-08-15 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月15日(月)07時54分21秒

津波とは特に関係ありませんが、東北地方の神社を廻っていると、境内に石仏があるのは全く当たり前で、誰も違和感を感じないみたいですね。
「不動明王神社」「不動尊神社」などという目が点になりそうなネーミングの神社も少なからず存在し、観音様を祀るお寺なのに入口に堂々たる鳥居があったりすることも結構あります。
宮城県亘理町の阿武隈川河畔にある湊神社の御神体は、地元教育委員会の案内板によると流れ着いた十一面観音だそうで、まあ、神仏分離前は○○仏が祀られていたけれども現在は○○○ノミコトです、みたいなパターンは関東でもよく見かけますが、現在でも御神体が観音様という神社が存在することは、ちょっとしたカルチャーショックでしたね。
今はあまり落ち着いて調べものをする時間が取れないのですが、東北地方における神仏分離の実態についてはきちんと調べてみたいですね。
写真は岩手県野田村の野田漁港を見下ろす「お台場公園」で撮ったものです。

野田村通信ブログ

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津波浸水区域の建築制限

2011-08-15 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 8月15日(月)07時06分20秒

13日は大船渡と陸前高田に行ってきましたが、どちらも瓦礫撤去が進んだだけで、相変わらず厳しい状況ですね。
陸前高田は単なる通過を含めて五度目ですが、満潮時に訪問したのは今回が初めてで、地盤沈下した沿岸部にヒタヒタと水が押し寄せてくる光景は少し怖かったですね。
少し高台になったところで、プレハブ店舗で営業を再開したスーパーやコンビニが集まっている一画を見かけ、駐車している車が多かったので店に入ってみたところ、非常に賑やかで驚きました。
帰宅後に「岩手新報」を見たところ、下の記事に紹介されていた店舗ですね。
宮城県知事の村井嘉浩氏は立派な見識を持つ人物だと思いますが、少なくとも被災地の建築制限に関しては岩手県の達増拓也知事の発想の方が優れているように感じます。

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行政決定、待てない 本県津波浸水区域への店舗再建

 本県の沿岸地域で、東日本大震災の津波被害があった場所に店舗などを再建する動きが止まらない。政府の復興基本方針には財源も明記されず、自治体のまちづくりの計画も進まないため「行政の決定を待っていられない」と、事業主らがやむにやまれず着工したケースが多く、建築に理解を示す自治体もある。
▽車で1時間
 スーパー「マイヤ」(本社・大船渡市)は4日、陸前高田市の津波浸水区域の土地を借りて仮設店舗を開業した。市内の主なスーパーは全壊。夫婦で来店した農業の男性(78)は「これまで車で1時間以上かけて隣町に買い物に行っていた。本当に便利になった」と笑顔を見せた。
▽生活のため
 震災後、沿岸部に建築制限をかけた宮城県と違い、本県は浸水区域内の建築を制限する条例を定めるよう市町村に求めた。結果として、条例を定めた自治体はない。
 県などによると、震災後に県が許可した浸水区域内の建築確認申請は7月末までに計65件。飲食店などの店舗も17件含まれる。県の担当者は「制限する条例がないため、建築確認が申請されたら基本的には許可している」と話す。
 コンビニ大手ローソンも、陸前高田市のマイヤ仮設店舗そばで営業を再開。同社広報は「支援関係者やボランティアのニーズがあり、インフラとして必要。沿岸店舗は再開させず、避難マニュアルを徹底するなど個別に判断している」と説明する。
 被災地の建築制限 宮城県では被災地の復興過程で無秩序な開発を防ぐという観点から、建築基準法84条に基づき、県内7市町の被災市街地で新築や増改築を制限している。期間は特例で通常の2カ月間から最長8カ月まで延長された。一方、岩手県は沿岸市町村に対し、同法39条に基づき津波などの危険が大きい「災害危険区域」を指定、建築を制限する条例を定めるよう求めているが、成立例はまだない。


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