学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

Neil Armstrong

2012-08-26 | その他
Neil Armstrong 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月26日(日)08時23分44秒

ツイッターでNeil Armstrong 氏の死去に関するNASAの記事を見かけて読んでみたのですが、FAMILY STATEMENT の"a reluctant American hero"という表現が面白いですね。
直訳すれば「嫌々ながらの、気乗りのしないアメリカンヒーロー」ですが、意訳して「アメリカンヒーローと呼ばれるのを好まなかった」などとすると、かえって原文の味わいが損なわれる感じがします。

http://www.nasa.gov/topics/people/features/armstrong_obit.html
http://www.nasa.gov/home/hqnews/2012/aug/HQ_12_600_armstrong_family.html

最後の一文も洒落てますね。

For those who may ask what they can do to honor Neil, we have a simple request. Honor his example of service, accomplishment and modesty, and the next time you walk outside on a clear night and see the moon smiling down at you, think of Neil Armstrong and give him a wink.”

今度、雲のない夜に外を歩いていて、月があなたに微笑んでいるのを見たら、ニール・アームストロングのことを想ってウィンクしてください。

"the moon smiling down at you" というのをもう少しうまく訳せたらいいのですが。



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『山家心中集』の成立時期

2012-08-25 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月25日(土)07時55分43秒

>筆綾丸さん
「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」が詠まれた時期ですが、いつも参考にさせてもらっている水垣久氏の「やまとうた」には、

-------
【補記】いつの作とも知れない。『西行物語』などは晩年東山の双林寺に庵していた時の作とする。いずれにせよ「春死なむ」の願望が現実と化したことで、この歌は西行の生涯を象徴するかの如き一首となった。因みに西行の入寂は文治六年(1190)二月十六日。我が国の陰暦二月中旬は恰も桜の盛りの季節であり、しかも十六日がまさに満月に当たった(藤原定家『拾遺愚草』)。西行往生の報を聞いた都の歌人たちは、この歌を思い合わせて一層感動を深めたのだった。なお第二句は「花のもとにて」で流布し、『古今著聞集』『西行物語』などでもこの形で伝わるが、「花のしたにて」が正しいようである。
【他出】御裳濯河歌合、山家心中集、西行家集、古今著聞集、西行物語、六華集、兼載雑談
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saigyo.html

とありますね。
『山家心中集』の成立時期が重要なのでしょうが、五味文彦氏の『西行と清盛』p192には、

--------
 西行の歌集には『山家集』のほかに『山家心中集』と称される歌集があって、これと『山家集』を比較すると、歌数が三七四首といたって少なく、後年の歌をほとんど収録していない。その末尾には、西行が歌を集めて送ったことを語る、先に揚げた「花ならぬ」や「世を捨てて」という歌を載せているが、これらは『山家集』においては途中(一二三九と一二四〇)に収録されている。これらのことから、『山家集』に先立つ歌集であると考える見解が出されているが、その点はほぼ首肯できよう。
-------

とあります。
この後も説明が続きますが、結論として五味氏は四〇代の歌と位置づけていますね。
確かに死が現実のものとして差し迫った時期ではなく、四十代くらいの方がよさそうですね。

>四国八十八ヵ所の札所巡り
いいですねー。
『とはずがたり』に出てくる崇徳天皇の白峰御陵には前々から行ってみたいと思っているのですが、なかなか実現できません。
それと、渋いところでは土御門天皇の配流地にも行ってみたいですね。

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松川浦の「古湊」と「飛鳥湊」

2012-08-21 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月21日(火)15時06分57秒

下の投稿でリンク先とした相馬市サイト内の「松川浦県立自然公園」に分かりやすい地図が出ていますね。
「大洲海岸(その1)」の写真は地図の「古湊」近辺、「大洲海岸(その2)」の写真は「飛鳥湊」近辺ですね。
参考までに「松川浦のうつりかわり」の説明も転記しておきます。

---------------
現在、松川浦での船の出入りは、松川浦大橋のある、岩盤が掘られている地点で自由に行き来できるようになっていますが、それにいたるまで浦口は大きく変化してきました。
年代は不詳ですが大昔、浦の出口は、現在大洲公園となっている古湊あたりだったといわれています。
中世社会時代(西暦1000年)のころには、浦の出口は中州の真ん中ころにありましたが、次第に北上して、しまいには鵜の尾岬の南下まで来ました。この川口は飛鳥湊と呼ばれ、川口が時々変わることからこの名が付けられたといわれています。
この飛鳥湊の川口も潮流の変化や暴風などにより、砂が流れ込み、塞がれることがあったため、浦の北の方、原釜港に近い方を開削して新たな川口をつくることになりました。
松ケ江村、飯豊村、磯部村の三ヶ村組合が事業主体となったこの工事は、明治41年(1908)1月に始められ、明治43年に現在の川口が完成し、飛鳥湊の旧川口は閉じられました。
この新しい川口には、板橋が架設されましたが、大正2年8月に暴風雨により流され、その後は渡船での利用となりました。
平成2年度より松川浦漁港関連道工事の橋梁として、松川浦大橋の建設が始まり、平成7年3月16日に橋長520.3メートル、全幅9.75メートルのPC斜橋が完成。相馬を代表する観光名所となっています。

http://www.city.soma.fukushima.jp/kanko/matukawaura_hensen.html

この記事の執筆者は西暦1000年ごろを「中世」としている点、少し気になりましたが、特別な意図はなさそうですね。
明治43年に現在の河口が開削されるまで開口部であった「飛鳥湊」で防波堤が崩壊したことは、やはりここが一番弱い部分だった、ということなんでしょうね。
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大洲海岸(その2)

2012-08-21 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月21日(火)09時47分26秒

大洲公園付近までの防波堤は至るところで崩壊していますが、防波堤に並行して道路(大洲松川浦ライン)を設けている部分は鵜の尾岬のすぐ手前までしっかりしていますね。
写真は車を降りて2㎞ほど進んだ地点、鵜の尾岬との間の防波堤崩壊部分です。

参考:「松川浦の空撮写真」(震災前の大洲海岸の様子)
http://shi.na.coocan.jp/mathukawaura.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6522
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大洲海岸(その1)

2012-08-21 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月21日(火)09時39分12秒

昨日、福島県相馬市の大洲海岸に行ってきました。
南側の磯部漁港から「大洲生活環境保全林(大洲公園)」の少し先まで車で行けますが、「古湊船溜」付近で道路が崩壊しています。
その先は歩きました。

参考:「松川浦県立自然公園」(相馬市公式ホームページ内)
http://www.city.soma.fukushima.jp/kanko/matukawaura_index.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6521
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2012年夏の北上総合支所跡など

2012-08-19 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月19日(日)08時59分57秒

8月16日の石巻市と女川町の様子をいくつかアップします。

「2012年夏の大川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57665391.html
「2012年夏の丸山地蔵」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57675571.html
「2012年夏の北上総合支所跡」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57669733.html
「分浜・五十鈴神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57668100.html
「指ヶ浜の間寛平さん」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57664326.html
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「みちのくマラソン」の「応援ラン」

2012-08-18 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月18日(土)21時27分0秒

久々の更新です。

「名取市陸上競技場の間寛平さん(その1)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57657689.html
「名取市陸上競技場の間寛平さん(その2)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/57658813.html

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名取市の寛平さん

2012-08-18 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月18日(土)17時19分18秒

今朝、名取市陸上競技場で行われた「みちのくマラソン」の「応援ラン」の様子です。
寛平さんがボソボソと小さな声で話すのを聞いていると独特の世界に引き込まれてしまって、無茶苦茶笑いますね。
変な人だなあ。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6518

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宮戸島・月浜(その2)

2012-08-18 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月18日(土)08時07分24秒

月浜は黄色い砂岩が波に侵食されて出来た造形が魅力的な場所で、観光資源として基礎力がありますから、はずみがつけば復興は早そうですね。

参考:去年10月26日の様子
http://chingokokka.sblo.jp/article/53088825.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/53095105.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6517
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宮戸島・月浜(その1)

2012-08-18 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月18日(土)07時59分25秒

昨日は東松島市の宮戸島・野蒜海岸・大曲浜に行ってきました。
写真は宮戸島の月浜です。
月浜海水浴場の本格的な再開は来年に持ち越しだそうですが、相当な活気が感じられました。

参考:「奥松島体験ネットワーク」
http://chingokokka.sblo.jp/article/53088825.html
http://okumatutaiken.aikotoba.jp/index.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6516

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弁財天曼荼羅スカーフ、追加製作

2012-08-17 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月17日(金)12時29分13秒

「弁財天曼荼羅スカーフ」、新たに50枚製作しました。
価格は一枚10,000円、配送料は800円(日本国内)です。

購入を希望される方はメールにて
iichiro.jingu@gmail.com
宛に、

・ご氏名
・送付先ご住所
・電話番号(※運送会社への依頼に際し、必要となります)

の三点をご連絡いただければ送付します。
商品受領後、三日以内に10,800円を下記銀行口座にお振込み願います。

 金融機関名:七十七銀行
 支店名:大河原支店
 口座番号:普通 5460263
 口座名義:ジングウ イイチロウ
 ※振込手数料はお客様負担となります。

商品は横浜の老舗スカーフメーカー・株式会社丸加にデザイン・制作を委託したもので、品質には自信を持っていますが、万一お気に召さない場合は、商品受領後三日以内に上記アドレスにメールの上、送付元に返送願います。
返送の際の配送料はご負担をお願いします。

「伝統横濱スカーフ」
株式会社丸加
http://www.marca-scarf.jp/index.html
http://www.marca-scarf.jp/other/company.html



大きさは 90cm×90cm です。
原画である長谷寺能満院所蔵の「天川弁財天曼荼羅図」(伝詫間法眼筆)は97.7×40.2cmで、面積は原画の約2倍です。
現在、所在が確認されている「天川弁財天曼荼羅図」は、長谷寺能満院に伝詫間法眼筆と琳賢筆の2種、高野山親王院と石山寺に各1種、合計4種のみです。
最も有名なのは中沢新一氏の『悪党的思考』口絵に掲載されている琳賢筆のものですが、これはひとつひとつの素材は面白くても若干散漫な配置になっているので、今回は構成が緊密な伝詫間法眼筆のものをベースとしました。
その他、「天川弁財天曼荼羅図」の詳細については、「学問空間」のカテゴリー「妙音天・弁財天」をご参照願います。
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/dff8728715822dfbb429fe60de6f7351

※大きな画像
http://chingokokka.sakura.ne.jp/sblo_files/chingokokka/image/s-E69C80E7B582E5AE8CE688903-66348.jpg

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猫との遭遇(その2)

2012-08-17 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月17日(金)11時02分37秒

一番上が草むらを駆け抜けて行く猫ですね。
私もけっこう動揺していたので、ピントが合っていません。
二枚目は拝殿のあった中間の平場から見た分浜の海岸線です。
三枚目は少し下の石段途中から家族連れが水遊びをしている様子を撮ったものです。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6514


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猫との遭遇(その1)

2012-08-17 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月17日(金)10時50分34秒

昨日、雄勝町分浜の五十鈴神社に参詣し、津波で全壊した拝殿から本殿に向かう屋根つきの長い階段を見あげたところ、暗闇の中にギラッと二つの目が光りました。
こんなところに猫かな、それとも狸かなと思ってカメラを向けるや否や、その動物がドドドッと階段を駆け下りてきて、うわっ、襲われる、と身構えたところ、急に見えなくなって、あれ、どうしたのかなと思った次の瞬間、その動物が足元を駆け抜けて行きました。
後姿はやっぱり猫でしたが、飼い猫だったのが野生化したらしく、けっこう獰猛な雰囲気でしたね。

以下、宮城県神社庁サイトの「県内神社の紹介」より。

------------
五十鈴神社
鎮座地: 宮城県石巻市雄勝町分浜字分浜238
主祭神: 天照皇大神
例祭日: 10月21日
由緒:
室町時代の応永31年(1424)の文書に「わけ之神めいの宮」と記されているが、その創祀のことはわからない。慶長9年及び延宝2年再建された社殿は天保8年山火事によって全焼。嘉永4年に至って建てられ明治に至り、同5年旧社名を改め村社に列せられた。

宮城県神社庁
http://miyagi-jinjacho.or.jp/

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6513


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みちのくマラソン、間寛平さん

2012-08-17 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月16日(木)19時40分58秒

>筆綾丸さん
ブログの更新をサボっているので、掲示板も何となく書きづらく、レスが遅れてしまいました。
東大中退の謎の老スナイパーの件、三重県かどこかに武器庫を持っていたという話を週刊誌で読んだことがあります。
佐野眞一氏の本はずいぶん前に読みましたが、非常に後味が悪かったですね。

昨日は名取市閖上と亘理町荒浜、今日は石巻市と女川町に行ってきました。
大川小学校の前で「KANPEI みちのくマラソン」というステッカーを貼った中型バンを見かけ、そういえばコメディアンの間寛平が被災地でマラソンをするというニュースを聞いたような気がするな、程度に思っていたところ、国道398号線(リアスブルーライン)を石巻市雄勝町から女川町に向かう途中、観客のいない山の中を求道者のように黙々と走る本人に出会いました。
写真は女川町の指ヶ浜に先回りして撮ったものです。
声援を受けると、暑さでヘロヘロになっているにもかかわらず、ひょうきんなポーズを取っていました。
また、「焼きホタテ、食べていかない」などと余計なことを言う人にも、「ありがと」と丁寧に答えていましたね。

よしもとニュースセンター
http://yoshimotonews.laff.jp/news/2012/08/post-4355.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6512


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西の西脇と東の西脇

2012-08-04 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 8月 4日(土)15時35分26秒

>筆綾丸さん
レスが遅れてすみません。
NHKの問題の番組は西脇順一郎氏が中心となって製作したものですが、科学的知識に乏しい人が変な正義感と功名心に駆られて突進してしまったようですね。
西脇順一郎氏は兵庫県出身だそうで、兵庫には西脇市もあり、それなりに西脇姓が多そうですね。
http://www.nhk.or.jp/saiyo/teiki/obog/html/profile007.html

他方、西脇順三郎は新潟県小千谷の裕福な商家に生まれた人ですが、新潟では西脇という名字は珍しいですね。
http://lib.city.ojiya.niigata.jp/index_006.html

私もICRPのことはよく知らないのですが、特に政治的な団体とは思っていません。
ICRPの文書で現在の福島に一番関係しているのはICRP111というものですが、これは非常に優れた内容だと思います。
邦訳も出ていますが、それなりに難しいですね。
http://www.jrias.or.jp/books/cat/sub1-01/101-14.html

buvery氏というツイッターの世界では非常に有名な人が中心となってツイッター上の勉強会を行い、その結果を冊子にまとめていますが、これは分かりやすいですね。
http://dl.dropbox.com/u/28775595/Intro_ICRP111_ver1_2_1.pdf

暫くあちこち移動しなければならず、次の投稿も少し先になりそうです。
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