投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年10月31日(金)20時45分9秒
『歴史学研究』922号(2014年9月号)をパラパラめくっていたら、「シリーズ3.11からの歴史学【その4】」で、高澤紀恵氏(国際基督教大学教授)が「歴史学が存続するために」というタイトルの「提言」を書かれていました。
いささか大袈裟なタイトルであり、「Ⅰ 歴史学の課題?」「Ⅱ 反知性主義に抗して」の内容にはあまり賛同できなかったのですが、「Ⅲ 再び歴史学の課題」の次の文章には、歴史学研究会にもこうしたことを考える人がいるのか、と少し驚きました。(p26)
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では、こうした人間観に裏付けられた反知性的学術体制の中で、そしてまた、3・11の衝撃が取り戻すべき対象としての「日本」再建物語に回収されてしまった現在、歴史学に関わる者はいかにその責務をはたしていけばよいのであろうか。この数年、個人的経験を通して考えていることを二点述べてみたい。
第一は、大学の歴史教育についてである。現在も、歴史学を教える多くの大学では、日本史、東洋史、西洋史という学科やコースの枠組みが残っている。高校の教科は、周知のように、日本史と世界史の二教科に区分されている。私たちの認識を堅固に再生産するこうした枠組みを、組み替えることはできないのであろうか。もとより、史料に基づく緻密な実証に歴史学の強みがあることを否定するつもりはないし、フィールドとする地域によって習得すべき言語も史学史的伝統も異なる。しかしその習得は、「日・東・西」の枠組みでなければできないわけではないだろう。たとえば、歴史を専攻する学生たちが、複数の地域を主専攻、副専攻として学び、卒業論文は主専攻で書くといったシステムが作れないだろうか。複数地域は、日本と朝鮮半島でもいいし、日本とイギリスでも、メキシコと中国でもいい。母語だけで思考するのではなく、多言語状況を引きうけ、複数の言語を往還する経験が、世界を読み解く上で大切な意味をもつと思うからである。いわゆる「外国史」を学ぶ者は、フィールドの事象を日本語に置き換える中で半ば無意識にこの往還を行っているのだが、日本列島の過去について一定程度の知識を持つことで、この営為を自覚化することが可能となる。逆に日本史を学ぶ者には、この営為が列島の過去を相対化する視点を育むことになる。歴史を学ぶ者が言語や国家によって区切られた境界を幾重にも越えることこそ、「過去を共有した私たち」という物語を揺さぶる上で有効なはずである。(後略)
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「多言語状況を引きうけ、複数の言語を往還する経験が、世界を読み解く上で大切な意味をもつ」との一般論を否定する人はいないと思いますが、「歴史を専攻する学生たちが、複数の地域を主専攻、副専攻として学び、卒業論文は主専攻で書くといったシステム」を作ることは実際には極めて困難でしょうね。
「いわゆる「外国史」を学ぶ者は、フィールドの事象を日本語に置き換える中で半ば無意識にこの往還を行っている」のですから、高澤氏の実際上の懸念はいわゆる「日本史」を学んでいる人たちに向けられているはずですが、少なくとも現状では、「日本史」を専攻する人たちは文学部の中でも外国語への対応能力が低い人々ですね。
冷たい言い方ですが、実際にそうなのだから仕方ありません。
私も、いわゆる「日本史」を専攻する研究者にこそ「多言語状況を引きうけ、複数の言語を往還する」能力を持った人が必要だと思うのですが、そうした研究者を育てるための現実的なひとつの手法は、要するにエリート育成ですね。
つまり「歴史を専攻する学生たち」一般ではなく、その中から高度な外国語能力のあるグループを選別し、そのグループだけに「複数の地域を主専攻、副専攻として学び、卒業論文は主専攻で書くといったシステム」を適用するという訳です。
まあ、これが唯一かどうかは別として、ひとつの現実的な提案ではありますが、こうした提案を「日・東・西」の枠組みを堅持する大学に受け容れてもらうことができるか、また、そもそもこのような発想を歴史学研究会内部で受け容れてもらうことができるかというと、まず無理でしょうね。
『歴史学研究』922号(2014年9月号)をパラパラめくっていたら、「シリーズ3.11からの歴史学【その4】」で、高澤紀恵氏(国際基督教大学教授)が「歴史学が存続するために」というタイトルの「提言」を書かれていました。
いささか大袈裟なタイトルであり、「Ⅰ 歴史学の課題?」「Ⅱ 反知性主義に抗して」の内容にはあまり賛同できなかったのですが、「Ⅲ 再び歴史学の課題」の次の文章には、歴史学研究会にもこうしたことを考える人がいるのか、と少し驚きました。(p26)
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では、こうした人間観に裏付けられた反知性的学術体制の中で、そしてまた、3・11の衝撃が取り戻すべき対象としての「日本」再建物語に回収されてしまった現在、歴史学に関わる者はいかにその責務をはたしていけばよいのであろうか。この数年、個人的経験を通して考えていることを二点述べてみたい。
第一は、大学の歴史教育についてである。現在も、歴史学を教える多くの大学では、日本史、東洋史、西洋史という学科やコースの枠組みが残っている。高校の教科は、周知のように、日本史と世界史の二教科に区分されている。私たちの認識を堅固に再生産するこうした枠組みを、組み替えることはできないのであろうか。もとより、史料に基づく緻密な実証に歴史学の強みがあることを否定するつもりはないし、フィールドとする地域によって習得すべき言語も史学史的伝統も異なる。しかしその習得は、「日・東・西」の枠組みでなければできないわけではないだろう。たとえば、歴史を専攻する学生たちが、複数の地域を主専攻、副専攻として学び、卒業論文は主専攻で書くといったシステムが作れないだろうか。複数地域は、日本と朝鮮半島でもいいし、日本とイギリスでも、メキシコと中国でもいい。母語だけで思考するのではなく、多言語状況を引きうけ、複数の言語を往還する経験が、世界を読み解く上で大切な意味をもつと思うからである。いわゆる「外国史」を学ぶ者は、フィールドの事象を日本語に置き換える中で半ば無意識にこの往還を行っているのだが、日本列島の過去について一定程度の知識を持つことで、この営為を自覚化することが可能となる。逆に日本史を学ぶ者には、この営為が列島の過去を相対化する視点を育むことになる。歴史を学ぶ者が言語や国家によって区切られた境界を幾重にも越えることこそ、「過去を共有した私たち」という物語を揺さぶる上で有効なはずである。(後略)
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「多言語状況を引きうけ、複数の言語を往還する経験が、世界を読み解く上で大切な意味をもつ」との一般論を否定する人はいないと思いますが、「歴史を専攻する学生たちが、複数の地域を主専攻、副専攻として学び、卒業論文は主専攻で書くといったシステム」を作ることは実際には極めて困難でしょうね。
「いわゆる「外国史」を学ぶ者は、フィールドの事象を日本語に置き換える中で半ば無意識にこの往還を行っている」のですから、高澤氏の実際上の懸念はいわゆる「日本史」を学んでいる人たちに向けられているはずですが、少なくとも現状では、「日本史」を専攻する人たちは文学部の中でも外国語への対応能力が低い人々ですね。
冷たい言い方ですが、実際にそうなのだから仕方ありません。
私も、いわゆる「日本史」を専攻する研究者にこそ「多言語状況を引きうけ、複数の言語を往還する」能力を持った人が必要だと思うのですが、そうした研究者を育てるための現実的なひとつの手法は、要するにエリート育成ですね。
つまり「歴史を専攻する学生たち」一般ではなく、その中から高度な外国語能力のあるグループを選別し、そのグループだけに「複数の地域を主専攻、副専攻として学び、卒業論文は主専攻で書くといったシステム」を適用するという訳です。
まあ、これが唯一かどうかは別として、ひとつの現実的な提案ではありますが、こうした提案を「日・東・西」の枠組みを堅持する大学に受け容れてもらうことができるか、また、そもそもこのような発想を歴史学研究会内部で受け容れてもらうことができるかというと、まず無理でしょうね。