投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年12月22日(日)08時26分10秒
研究史の状況を正確に理解するために、『戦国大名武田氏の権力構造』の前掲部分に関連する注記も載せておきます。
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(3)池亨「大名領国制試論」(同著『大名領国制』の研究、校倉書房、一九九五年。初出一九八八年)。
(4)藤木久志「知行制の形成と守護職」(同著『戦国社会史論-日本中世国家の解体-』、東京大学出版会、一九七四年。初出一九六六年)、宮川満「戦国大名の領国制について」(『宮川満著作集 三 中世社会の諸問題』、第一書房、一九九九年。初出一九六七年)。
(5)藤木久志「戦国法の形成過程」(前掲注4藤木著書所収。初出一九六七年)、勝俣鎮夫①「相良氏法度の一考察」(同著『戦国法成立史論』、東京大学出版会、一九七九年。初出一九六七年)。
(6)石母田正「解説」(『中世政治社会思想』上、岩波書店、一九七二年)。なお、ポルトガル人宣教師が各地の大名を室町幕府将軍と同様に「国王」と呼称・表記していたことは、松本和也「宣教師史料から見た日本王権論」(『歴史評論』六八〇号、二〇〇六年)において詳細な検討がなされている。布教成果を喧伝する意図を割り引く必要はあるが、海外からも「国」と見なされていた点は軽視すべきではなかろう。
(7)永原慶二「大名領国制の史的位置-研究史的検討-」(同著『戦国期の政治経済構造』、岩波書店、一九九七年。初出一九七五年)。
(8)勝俣鎮夫②「戦国法」(前掲注5勝俣著書所収。初出一九七六年)。
(9)勝俣鎮夫③「戦国法の展開」(永原慶二・ジョン=W=ホール・コーゾー=ヤマムラ編『戦国時代-一五五〇年から一六五〇年の社会転換-』、吉川弘文館、一九七八年)。
(10)勝俣鎮夫④「戦国大名「国家」の成立」(同著『戦国時代論』、岩波書店、一九九六年。初出一九九四年)。
(11)藤木久志「村の動員」(同著『村と領主の戦国世界』、東京大学出版会、一九九七年。初出一九九三年)、山本浩樹「戦国期戦争試論-地域社会の視座から-」(『歴史評論』五七二号、一九九七年)。
(12)久保健一郎「後北条氏における公儀と国家」(同著『戦国大名と公儀』、校倉書房、二〇〇一年。初出一九九三~二〇〇〇年)等。
(13)前掲注3池論文。
(14)久留島典子『日本の歴史13 一揆と戦国大名』(講談社、二〇〇一年)、有光友学編『日本の時代史12 戦国の地域国家』(吉川弘文館、二〇〇三年等)。
(15)代表的な議論として、東国国家論が挙げられる。佐藤進一「幕府論」(同著『日本中世史論集』、岩波書店、一九九〇年。初出一九四九年)、同「室町幕府論」(同書所収。初出一九六三年)等を参照。また「中世の日本に単一の国家機構があった、というのは、それほど明瞭な常識的事実に属するのであろうか。この前提自身、十分吟味してかかる必要がありはしないだろうか」という石井進の問いかけも、改めて受け止める必要があるのではないか(「日本中世国家論の諸問題」、『石井進著作集 第一巻 日本中世国家史の研究』、岩波書店、二〇〇四年。初出一九六四年)。
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ちなみに最後の石井進氏の論文、「日本中世国家論の諸問題」は「後深草院二条」サイトに載せています。
2001年(平成13)10月に石井氏が亡くなって、その翌月にアップしたものですね。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/ishii-susumu-kaikototenbo-02.htm
石井進氏(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E9%80%B2_(%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)
丸島氏からは、
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なんつうか、サロン的な掲示板を作っていて、僕の本も色々議論してくれているんだけど、ほとんど「想像」上の空論なんだよね。研究史は勉強していない/する気がないのに、研究史を踏まえて議論したつもりになっているというか。前々から敬遠していたんだけど、嫌悪感しかない。
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a13b5bb5ba75b6b580fb6381da91abfb
などと言われていますが、私も「国家論」に関しては研究史を全く知らない訳ではないので、一応、昔から興味だけは持っていたことを示す意味も込めてリンクしておきます。
それにしても丸島氏が把握していると称する「国家論」の研究史が全く日本国内に限定されており、しかも上限が1912年生まれ、1973年の病気以降は研究活動を実質的に行っていない石母田正というのは、かなり驚きですね。