学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「かのやうに」とアドルフ・ハルナック

2017-03-29 | 深井智朗『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月29日(水)22時31分4秒

>筆綾丸さん
昨日は細かいことをブチブチ言ってしまいましたが、『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』は非常に優れた本ですね。
森鴎外の「かのように」も登場します。(p126以下)

-------
森鴎外が見た保守的プロテスタンティズム

 一六六七年にドイツの国法学者ザムエル・プーフェンドルフ(一六三二~九四)が匿名で出版した『ドイツ帝国の状況について』という書物がある。その中で、彼はローマ・カトリック、ルター主義、そしてカルヴィニズムの三つの宗派を取り上げ、その特徴を述べている。ルター主義については、支配者に対する臣民の忠誠を強めた点を挙げている。「どの宗教も〔ルター主義〕以上によい方法でドイツ諸侯のために功績をあげたものはない。この宗教〔ルター主義〕と同様の仕方で君主国にとって使い勝手のよいものとして世間に広まった宗教はない」「事実ルター主義の教えで、その根拠が市民としての教えや法と相反するというものを見て取ることはできない」と述べている。まさに一つの政治的支配領域と教会の特別な関係、これこそがルター主義の特徴であろう。
 このようなドイツ社会のルター派の姿を知るためによい材料がある。それは一九一二年(明治四五)年一月の『中央公論』誌に掲載された森鴎外(一八六二~一九二二)の短編「かのように」である。この短編は日本で初めて保守的プロテスタンティズムを読み解いた作品かもしれない。というのも、鴎外がこの小説の中で、ヴィルヘルム期ドイツにおいて、プロテスタンティズムが担っていた社会的な機能を正確に描き出しているからである。
 それが神学者でも社会学者でもなく、陸軍軍医総監であった森林太郎によってなされた、ということが興味深い。当時の日本の神学やプロテスタンティズムはそのようなことは考えてもいなかったに違いない。
--------

少し検索してみたら、このあたりの記述は「ベルリンの日本人と東京のドイツ人:日本におけるアドルフ・ハルナック」(『聖学院大学総合研究所紀要』No.50、2011.3)を簡単にまとめたもののようです。
この論文は聖学院大学のサイトからダウンロードできますね。

http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_id=3113

フロイトに本格的に取り組むのも躊躇われて、暫くは18世紀の啓蒙主義とフランス革命の勉強でもしていようかなと思っていたのですが、急遽予定を変更して、明日からは巻末の「参考文献一覧」に出てくる文献のうち、深井智朗氏が翻訳しているものを中心にいくつか読んでみるつもりです。

五條秀麿の手紙(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/35e6dcdccbb3df021601109a5670b320
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/749396dca7e34e24dd7faf3f62eba3aa
五條子爵は考へた(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a2b1ce2ca76d6528aae519f1b2663fd1
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/287adacbbbb7d87e6d5b365afc15916a

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

餓死の奨め? 2017/03/29(水) 15:04:07
小太郎さん
昨日、少し立ち読みしてやめたのですが、もう一度、手に取ってみます。
「隣人を愛するとは、隣人を食べないことだ」というのは、何も知りませんが、修道士らしい倒錯的な餓死の奨めでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6
深井智朗氏出身の東京神学大学の存在は、恥ずかしながら、知りませんでした。
-----------------
正門とは反対側の鬱蒼たる林の中に隣りの国際基督教大学へ通じる小径が通っている。この道は、国際基督教大学側から東京神学大学へ向かうとき「出家の道」、逆方向のときは「還俗の道」と冗談で呼ばれる。
-----------------
冗談とはいえ、仏教臭い命名ですね。

http://www.bbc.com/news/world-europe-39426147
フランスの大統領選候補のフィヨン氏の妻ペネロプは架空雇用疑惑で揺れているのですが、BBC は彼女を紹介するとき、Welsh-born (ウェールズ生まれの)という語を必ず付けます。welsh という動詞には、ウェールズ人を侮辱した語で、借金や義務をごまかす、という意味があるのですね。
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「隣人を愛するとは、隣人を食べないことだ」

2017-03-28 | 深井智朗『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月28日(火)21時44分50秒

>筆綾丸さん
深井智朗氏の『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』を購入して五十ページほど読んでみたのですが、予想に反して文章は軽快で、あまりにサクサクと読み進めることができて、逆にちょっと不安になりますね。
少し引用してみると、

------
 中世ヨーロッパの人々にとって大きな問題は死であった。食物が絶えず不足し、医療はほとんど成立せぬため、生まれてきた子どもが成長して大人になる確率は低く、平均寿命も短い。キリスト教を伝えにきた修道士に「隣人を愛するとは、隣人を食べないことだ」と教えられ、最終的にはペストの脅威にさらされた中世ヨーロッパの人々にとって、死は圧倒的な力であらわれ、戦う前から負けを宣告されてしまうような相手であった。予測できず、突然、逃れがたくやってくる死は、人々の生活の豊かさや充実などよりも、はるかに切迫した問題であった。
------

といった具合です。(p7)
「隣人を愛するとは、隣人を食べないことだ」という表現、私は初めて聞きましたが、キリスト教史をやっている人にとっては出典を明示する必要もないほど自明なことなのか。
他にも微妙な違和感を覚える箇所がいくつかあったのですが、一応全部読んでから感想を書くつもりです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

二つの仙洞御所 2017/03/26(日) 13:11:16
小太郎さん
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/03/102423.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E4%BA%95%E6%99%BA%E6%9C%97
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html
深井智朗氏は知らないのですが、『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』は面白そうですね。
ルターの肖像画は『クラーナハ展―500年後の誘惑』(西美)に出展されていて、クラーナハの絵がなければルターの宗教改革はあれほど流行しなかったのではないか、とも言われているようですね。

キラーカーンさん
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170325/k10010924571000.html
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/sento.html
東宮御所は仙洞御所に、秋篠宮邸は東宮御所に、それぞれ改称される、ということのようですが、京都御苑内の仙洞御所の名称はそのままなんでしょうかね。・・・現住の仙洞御所と無住の仙洞御所と。

豚足ならぬ蛇足
http://www.bbc.com/news/world-asia-39361984
数日前になりますが、この記事の面白さは独裁者をおんぶしているのは誰かということではなく、肥満児 Kim Jong-un の豚のような(piggy)背中(back)というところにあるらしく、英国人らしい皮肉な表現と読むべきなんでしょうね。
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「最高存在の祭典」の演出家

2017-03-27 | 山口昌男再読

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月27日(月)10時27分10秒

>筆綾丸さん
>ルターの肖像画

私自身にプロテスタントに対する若干の敵意があるためか、ルターの顔も何だか猜疑心に満ちているように見えて、あまり良い人相とは思えません。
日本共産党の小池書記長みたいな感じ、と言ったらルターに失礼でしょうか。
日本の共産党員やそのシンパはプロテスタントに親和性が高く、反宗教を正統教義に掲げてはいても、実はゾンビ一神教徒ではなかろうか、というのが私の乱暴な仮説です。
ま、冗談半分ではありますが、実際に日本のプロテスタント人脈を辿って行くと、共産党ともけっこう繋がりますね。
以前に少し調べた鵜飼兄弟などもその一例です。

「鵜飼信成とジョー小出」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f9657bdf226e23d1e87dc905efa4276c
「彼の容貌は野坂参三と酷似」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be7bde0dedbd37b2a7437f60b48c66ee

>クラーナハの絵がなければルターの宗教改革はあれほど流行しなかったのではないか

「マラーの死」を描き、ロベスピエールの「最高存在の祭典」を演出したダヴィッドはフランス革命の広告代理店であり、電通や博報堂の原点みたいなものだな、と私は思っているのですが、クラーナハもそんな感じがしないでもないですね。

Jacques-Louis David(1748-1825)
https://en.wikipedia.org/wiki/Jacques-Louis_David
Cult of the Supreme Being
https://en.wikipedia.org/wiki/Cult_of_the_Supreme_Being

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

二つの仙洞御所 2017/03/26(日) 13:11:16
小太郎さん
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/03/102423.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E4%BA%95%E6%99%BA%E6%9C%97
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html
深井智朗氏は知らないのですが、『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』は面白そうですね。
ルターの肖像画は『クラーナハ展―500年後の誘惑』(西美)に出展されていて、クラーナハの絵がなければルターの宗教改革はあれほど流行しなかったのではないか、とも言われているようですね。

キラーカーンさん
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170325/k10010924571000.html
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/sento.html
東宮御所は仙洞御所に、秋篠宮邸は東宮御所に、それぞれ改称される、ということのようですが、京都御苑内の仙洞御所の名称はそのままなんでしょうかね。・・・現住の仙洞御所と無住の仙洞御所と。

豚足ならぬ蛇足
http://www.bbc.com/news/world-asia-39361984
数日前になりますが、この記事の面白さは独裁者をおんぶしているのは誰かということではなく、肥満児 Kim Jong-un の豚のような(piggy)背中(back)というところにあるらしく、英国人らしい皮肉な表現と読むべきなんでしょうね。
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ピーター・ゲイ『歴史学と精神分析─フロイトの方法的有効性』

2017-03-25 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月25日(土)08時54分37秒

珍しく長考に入っていて投稿が少ない状態が続きますが、悪しからず。
3月一杯くらい山口昌男の再読をしようかと思っていたところ、山口の初期の作品を少し読んでいるうちに、山口のオリジナルな部分より、むしろその基礎となっている文献をきちんと読む必要性を感じるようになり、特にピーター・ゲイは重要だなと思っています。
昨日も『歴史学と精神分析─フロイトの方法的有効性』(成田篤彦・森泉弘次訳、岩波書店、1995)をパラパラ眺めていて、納得できる部分が多いなとは思ったのですが、本格的にフロイトに近づくと暫く帰って来れなくなりそうなので、若干の躊躇を感じている状況です。

-------
フロイト理論の歴史学への適用が阻まれてきた原因を明らかにし,「エディプス・コンプレックス」「過剰決定説」等の概念と心理面からの人間分析が歴史を見る上で豊かな可能性をもつことを説く.豊富な資料による説得的立論,鋭い問題意識,平明な叙述を特長とする歴史家が,精神分析的歴史学(サイコヒストリー)を提唱した書物.

https://www.iwanami.co.jp/book/b258308.html

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取り急ぎ

2017-03-20 | 山口昌男再読

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月20日(月)10時04分15秒

>キラーカーンさん
>日本の憲法学者は、コーランの代わりに「日本国憲法」を持ったISの神学者みたいなもの

わはは。
多くの憲法学者は自らを宗教的な比喩で語られるのを嫌悪するでしょうが、性格的には一神教に親和的な人が多そうですね。
それも特別に潔癖で説教好きなプロテスタントの牧師タイプ、典型的には木村草太氏のような人が多そうです。
木村草太氏によれば職業として憲法を教えている人は日本全国で六百人ほどいるそうですが、学問の進歩という観点からはそれほど必要とも思えない人々がこれほど大量に存在するのは、ひとえに憲法学界が巨大な「お受験産業」だからでしょうね。
本当に体制が変わって新しい憲法秩序が誕生してしまったらお役御免になるアンシャン・レジームの高僧たちは、日本国憲法の奥深い教義を倦まず弛まず説教し続ける宿命を負っているのでしょうね。

♪冷蔵庫のなかで凍りかけた憲法を
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/91d73ba9a7f5ad192ce3172cade5de6f

>筆綾丸さん
トランプになって良かったことは、行政と司法の関係など、アメリカの基本的な政治制度を改めて見直すきっかけを沢山提供してくれることですね。
ま、知的な面で面白いというだけですが。

土日はミュージカルの観劇で忙しく(?)、今日は別件で出かけなければならないので、取り急ぎ短いレスで失礼します。

※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記三つの投稿へのレスです。

ユング的なるもの 2017/03/17(金) 15:45:35(筆綾丸さん)
小太郎さん
石川氏は才能の持ち腐れと云うべきかもしれませんが、氏ほどの能力でも、世界を相手に渡り合うには及び腰になってしまうということなのでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E9%80%A3%E9%82%A6%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20170316_14/
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20170317_09/
アメリカにおける連邦裁判所と州裁判所の棲み分けという制度は、日本人には馴染みにくいもので、ハワイ州連邦裁判所による executive order (ツイッター爺の行政命令)への差し止めの効力が全土に及ぶのであれば、メリーランド州連邦裁判所による同様の判断は屋上屋を架すもので不必要だろう、という気がしました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%82%A6%E5%80%92%E7%94%A3%E6%B3%95%E7%AC%AC11%E7%AB%A0
東芝の関連で、日本のメディアは連邦倒産法の第11章を第11条と云い、麻生大臣は Chapter 11(チャプターイレブン)と云い、chapter(章)と article(条)に関して、あの大臣でもたまには正確な云い方するんだな、と思いました。

村上春樹は河合隼雄を敬愛していると記憶していますが、春樹の小説はユング的で、とりわけ、『ノルウェーの森』の自殺する直子などはその傾向が強く、少なくともフロイト的ではないですね。ユングの世界は恐いので、なるべく近付かないようにしているのですが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E6%92%83_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

クリント・イーストウッド『目撃』の再放送を見ていたら、主人公(盗賊)使用の金庫は Monticello safe company(モンティセロ金庫会社)製で、アメリカ人は safe でニヤッとしながら、モンティセロの聖人(トマス・ジェファーソン)を思い浮かべるのだろうな、と思いました。

わが国の憲法「学者」 2017/03/19(日) 00:45:29(キラーカーンさん)
お久ぶりです

>>日本の憲法学者に期待されるのはデモの先頭に立つことではなく

日本の憲法学者は、コーランの代わりに「日本国憲法」を持ったISの神学者みたいなものですから

>>他の先進国の憲法学者と肩を並べて、新しい国際環境の中での新しい憲法秩序を構想

する必要を認めないというところなのでしょう

We are judges, not Platonic Guardians. 2017/03/19(日) 17:14:34(筆綾丸さん)
https://www.washingtonpost.com/local/social-issues/lawyers-face-off-on-trump-travel-ban-in-md-court-wednesday-morning/2017/03/14/b2d24636-090c-11e7-93dc-00f9bdd74ed1_story.html?utm_term=.45606b2c7907
https://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Court_of_Appeals_for_the_Ninth_Circuit
ワシントン・ポストの記事を読んで、ほんの少しですが、司法の事情がわかりました。
ハワイ州を所管する連邦控訴裁判所は第9巡回区に属し、裁判官数は現在25名(欠員4名)で、そのうち、行政命令の差し止め賛成者は少数(7名)だから、控訴審になれば、差し止め判決は逆転する可能性が高いようですね。最後は連邦最高裁の判断次第ですが。

控訴審の座席番号6の裁判官(Jay S. Bybee)の見解は、ごく真っ当に思われますが、少数意見のようですね。
---------------
“Above all, in a democracy, we have the duty to preserve the liberty of the people by keeping the enormous powers of the national government separated,” Judge Jay S. Bybee wrote for the dissenters. “We are judges, not Platonic Guardians. It is our duty to say what the law is, and the meta-source of our law, the U.S. Constitution, commits the power to make foreign policy, including the decisions to permit or forbid entry into the United States, to the President and Congress.”
---------------

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Only Yesterday─「立憲主義」騒動とは何だったのか?

2017-03-17 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月17日(金)10時59分48秒

>筆綾丸さん
憲法学者が市民運動の先頭に立って政権の打倒を図るというのは、遥か半世紀以上も昔、60年安保騒動のコミカルな二番煎じでしたね。
高度経済成長前の「発展途上国」の時期だったら、ケイモウ的な憲法学者が民衆を導く自由の女神ないし男神として活躍することもさほど不自然ではなかったかもしれませんが、先進国となってから幾星霜の今日では、日本の憲法学者に期待されるのはデモの先頭に立つことではなく、他の先進国の憲法学者と肩を並べて、新しい国際環境の中での新しい憲法秩序を構想することではないかと思います。
日本語の壁に守られた日本史学と異なり、憲法学は言葉の壁など存在しない世界で、実際に石川氏は英語・フランス語・ドイツ語に精通し、おそらくそれ以外にも何か国語はそれなりに理解できるほどの有能な人ですから、国際的レベルの研究を進めるだけの基礎的能力は充分にある人なのでしょうが、そういう人材が何故に清宮四郎研究のような田舎臭い黒ミサ研究をやっているのか。
本当に不思議ですし、もったいないことだと思います。

>フロイト
私が学生の頃は大学生協書籍部の書棚にユングが溢れていて、フロイトなんかもう古いという風潮があったような微かな記憶がありますが、私自身は全く興味が抱けず、ユングもフロイトも読みませんでした。
私が個人的にそれなりの危機意識を感じてユング、というか河合隼雄が日本人向けに分かりやすく翻案してくれたユングの学説に夢中になったのは世間のユングブームの相当後、1990年くらいでしたが、その個人的ユング熱も、河合の『宗教と科学の接点』(岩波書店、1986)を読んで、これは駄目だなと思い、急速に冷えてしまいました。
現在の私の関心は「宗教的空白」なので、宗教に妥協的なユングよりも無神論を徹底したフロイトの方が参考になりそうです。
フロイトの無神論についてはピーター・ゲイの『神なきユダヤ人』に既に結論は出ているのですが、『フロイトⅠ・Ⅱ』でフロイト学説が生まれた背景、家庭環境や社会環境を少し詳しく見ておきたいですね。

河合隼雄(1928-2007)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

黒ミサとマタタビ 2017/03/16(木) 14:22:44
小太郎さん
東大法学部教授と云えば、世界的にはともかく、少なくとも日本では最も中心的な地位の筈ですが、なぜ黒ミサのようないかがわしいマージナルな領域に入れ込むのか、奇妙なパラドックスではありますね。

若い頃、フロイトとマーラーに深入りしたことがありますが、あの世界は一度入ると抜け出すのに苦労するので、最近は、遠くから眺めるようにしています。

昨日、『猫忍』を見ました。深手を負った忍者がマタタビのエキスを飲んで元気になる、というストーリーは笑えました。父上は、忍者の世界に身を置いているのに緊張感が微塵もなく、弛んだ唯のデブ猫ですが、首から下げた手裏剣はなかなかのアクセサリーでした。
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石川憲法学の「土着ボケ黒ミサ」

2017-03-15 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月15日(水)10時11分48秒

前回投稿で「日本史の場合、もともと歴史理論の分野以外ではポン引き的「紹介者」は少ない反面、ある意味、大半が「土着ボケ」の「黒ミサ」研究者」とか書いてしまいましたが、まあ、日本語の壁の中でチマチマと実証的な研究をしている人が大半であることは間違いないので、それほど的外れな評価でもないと思います。
日本史学と対照的なのは憲法学の世界で、ここは本当に「ポン引き」だらけですね。
「ポン引き」が下品すぎる比喩だとしたら「出羽守」に代えてもよいですが、憲法学者には「アメリカでは」「フランスでは」「ドイツでは」という研究をしている人が沢山います。

政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cdd56ed6e2392024e84a98319fba59d5
政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7d20f8f704404b77bf37a4f30dc0e8bb

そうした出羽守の集団の中で異彩を放っているのが清宮四郎研究に打ち込んでいる東大教授の石川健治氏で、石川氏の「7月クーデター説」の論理を追って行くうちに私も清宮四郎に妙に詳しくなってしまいました。
実は今、山口昌男『本の神話学』とピーター・ゲイ『ワイマール文化』を起点にドイツ・東欧・ロシアの近現代史を調べる上で石川健治氏の論文を丁寧に読んだことが非常に役に立っていて、個人的には石川氏に大変感謝しているのですが、改めてワイマール共和国に存在した綺羅星のごとき知識人の群れの中に清宮四郎を置いてみると、石川氏は何でこの程度の人を一生懸命追いかけているのかなあ、という素朴な疑問も湧いてきます。
ワイマールの知識人たちの中ではハンス・ケルゼンでさえも形式論理をひたすら追求した「小物」の一人程度のような感じがしてくるのですが、そういう目で見ると、後世に残る学問的業績といえばケルゼン『一般国家学』の邦訳程度しかない清宮など単なる翻訳業者であって、知識人の範疇にも入らない人になりそうですね。
前にも石川氏の清宮四郎研究は「憲法考古学」「憲法郷土史」ではないか、と書いたことがありますが、「土着ボケ黒ミサ研究」の方が適切かもしれません。

石川健治教授の「憲法考古学」もしくは「憲法郷土史」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cf4f5a44c409b736631232d49b35e0f1
「学問空間」カテゴリー:石川健治「7月クーデター説」の論理
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/acc8623b1062539f5d4cf51384c012da

>筆綾丸さん
中世の伊勢神宮を調べていたときに三重大学教授・山田雄司氏の論文をいくつか読んだことがあります。
個人的には「怨霊」など全然興味がありませんが、何を研究対象とするかは学問の自由の問題ですから、他人が口出しするような話ではありません。
ただ、山田氏が行政や地元経済界の意向を汲んで、方向性が非常に限定された研究施設を大学内に設けることを主導しているのは何だか嫌な感じですね。

ピーター・ゲイの『神なきユダヤ人』が非常に良い本だったので、同じ著者の『フロイト』も入手してみたのですが、ここまで手を広げると収拾がつかなくなりそうな予感もして、ちょっと迷っているところです。

-------
「ぼくの内部ではぐつぐつと発酵がすすんでいる」「きっとぼくはいま繭の中にいるんだ。ここからどんな生き物が這いだすのか、想像もつかない」1897年にフロイトは、親友フリースに宛てて書いている。それから2年余、1900年という象徴的な年に、精神分析の誕生を世に知らしめた『夢判断』は刊行された。本書は、20世紀最大の事件の生みの親について書かれた伝記の文字通りの決定版であり、名だたる歴史家の執念の傑作である。
1856年、モラヴィアの小さな町で、貧しいユダヤ人毛織物商人の家庭で生を享け、4歳でウィーンに移る場面からはじまるこの伝記は、世紀末ウィーンの細部から精神分析の胚胎、『夢判断』の衝撃、ユングをはじめ弟子たちとの出会いと別れ、アンナ・Oやドーラ、鼠男、狼男といった患者の様子など、フロイトにまつわるありとあらゆる出来事が、時代のうねりとともに描きつくされる。L巻は1856-1915まで。全2冊。

http://www.msz.co.jp/book/detail/03188.html

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

猫忍 2017/03/13(月) 13:35:04
小太郎さん
万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』の冒頭に、柘植屋敷の八十近い長老の至言がありますが、平成の忍者学とは。「地域創生」などという馬鹿なことはやめて、そっと寝かせておけばいいのに、と思います。
-----------------
「忍びの連中がまだ何とかまともだったのは永禄生まれまでだな。あとはもう、どうしようもないハズレばかり。天正生まれはとにかく腕が悪い。文禄生まれはそれに加えて頭まで悪い」
-----------------

http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000001114_all.html
http://www.kadokawa.co.jp/product/321412000235/
田舎の大学はそんな調子で落ちてゆくんですね。逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず。『忍者の歴史』という本を上梓した人もいますね。近い将来、私の専門は、忍者の中でも、抜け忍とくノ一です、というような奴が出てくるかもしれません。

http://www.bsfuji.tv/nekonin/pub/
落ち目のフジテレビが満を持して放つドラマ、『猫忍』。

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「国際忍者研究センター」の土着ボケ黒ミサ研究

2017-03-13 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月13日(月)11時49分8秒

ツイッターで三重大学「国際忍者研究センター」の研究員募集がちょっと話題になっていますね。
朝日新聞の2月21日付記事によれば、

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三重大、忍者の国際研究センターを伊賀に設置へ

 「地域創生」への貢献を掲げる三重大学が、学外の研究拠点、地域サテライトの設置を本格化させている。一足早く地域との連携が進む伊賀市の伊賀サテライトでは17日、双方が協力を確認し合う式典があり、大学側が2017年度中に「国際忍者研究センター」(仮称)を市内に設ける考えを明らかにした。【中略】
 忍者の研究センターには、専門の研究員1人を配置。国際的にも注目されている忍者についての学術拠点にするという。

ということで、3月9日付の三重大学の教員公募を見ると、確かに「忍者研究に関し実績のある者」が応募資格となっています。


最初にこのニュースを聞いたときは単純に面白い話題だなと思いましたが、ただでさえ少ない歴史系研究者の就職先が「忍者研究に関し実績のある者」みたいなキワモノ研究者に占拠されてしまうのは悲惨というべき事態ではなかろうか、という思いがジワジワとこみあげてきます。
「地域創生」みたいなことを学術分野で推し進めると、こんな「土着ボケ」の「黒ミサ」研究になってしまうのですかね。
なお、「土着ボケ」「黒ミサ」は、山口昌男「ユダヤ人の知的熱情」の次の文章より借用しました。(岩波現代文庫版『本の神話学』、p40以下)

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 同胞の読めない(と本人たちだけが思っている)外国語の新着書棚のセールスのような文章を書いて、同胞を威嚇しながら利ざやを稼ぐだけが本とのつき合い方ではないはずであり、多くの場合創造的な思考というのはそういった「年金生活者」的文筆業者(相も変らず外国文学紹介屋を兼ねる大学教師に多い)とは無縁なのである。もちろん一見イキな恰好をしなければ商売がなり立たないポン引き的「紹介者」と決定的に異なる、チャペックやクルティウスのごとき、新しい文学の発掘者と創造的知性が二重写しになる場合もないではない。だが、多くの場合、紹介屋の文章は「新しさ」を装えば装うほど、「読み捨て」られる速度は増し、その多くは十年の歳月にすら耐えることはできないといっても、だれにも失礼にはならないだろう。【中略】われわれもそろそろ「新しさ」の祭祀〔カルト〕を離脱し、そこに投資される莫大なエネルギーを、新に歳月の侵蝕作用に耐える知的生産に転化しなければならない時期にさしかかっているのではないか。「土着ボケ」の黒ミサと文化的ポン引きを司祭とする「新しさ」の祭祀をいかに同時に止揚していくかこそが、二十世紀後半のこの国の知的生産に携わる者の課題にちがいない。
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まあ、日本史の場合、もともと歴史理論の分野以外ではポン引き的「紹介者」は少ない反面、ある意味、大半が「土着ボケ」の「黒ミサ」研究者ともいえそうですが、「国際忍者研究センター」はちょっとひどすぎる感じがします。

>筆綾丸さん
エマニュエル・トッドがヴォルテールの『哲学書簡』にはクエーカー教徒に関する笑える話が載っているとか書いていたので、『哲学書簡』の最初の方だけは読んでいたのですが、啓蒙思想の基本を押さえるために他にも色々読む必要がありそうです。
以前、レナード・バーンスタインのことを調べている時に気になった『カンディード』も、比較的短い作品のようなので早めに読んでおきたいですね。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ヴォルテールのアナグラム 2017/03/11(土) 14:57:37
小太郎さん
ヴォルテールは恐ろしく難解な人ですね。

日本語のウィキに、「Voltaireという名はペンネームのようなもので、彼の名のArouetをラテン語表記した"AROVET LI" のアナグラムの一種」とありますが、これでは LI の意味がまるでわかりません。仏語には「anagramme d’Arouet l.j. (le jeune)」とあり、ヴォルテールは次男坊なので、LI は le jeune(若い方の奴)に依拠するらしく、アナグラム作成においては I と J は交換可能なのですね。
もうひとつの説明は、「inversion des syllabes de la petite ville d'Airvault (proche du village dont est originaire la famille Arouet」、つまり、アキテーヌ地方のアルエ家発祥の村の近くにエルヴォーという小村があり、これを vault-air と反転させれば、無声の lt が有声化してヴォルテールという発音になる(まるで Epiphanie のように)、ということのようですが、ヴォルテールのような反逆的な思想家が先祖の本貫の地などに拘泥したろうか、という疑問が湧いてきますね。
真偽は不明ですが、いずれにせよ、俺はvolontaire(自発的な、頑固な)だ、と言いたいのでしょうね。

ご紹介の英文の最初の Note に「If you with to copy the text, you are welcome to do so. 」とありますが、with は wish の微笑ましい誤りですね。
ヴォルテールの原文は、若い頃に詩人を目指しただけあって、綺麗に韻を踏んでいるのですね。この詩の形式が、フランスの詩の伝統では、どのような位置付けをなされるものなのか、知識がないのでまるでわかりません。一連における行数などはかなり変則的ですが、フランスのインテリなら、これを見て、ああ、あれだね、と何か思い当たるものがあるのでしょうね。

どうでもいいことですが、ヴォルテールが洗礼を受けたとされる Église Saint-André-des-Arts(サン・タンドレ・デ・ザール教会)は、1807年に取り壊されて、現在は広場になっているとありますが、冬の寒い日に、写真にあるカフェで vin chaud(ホットワイン)を飲んだことがあります。
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『神なきユダヤ人』

2017-03-11 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月11日(土)09時17分6秒

>筆綾丸さん
ありがとうございます。
The Voltaire Society of America というサイトに原文と英訳が掲載されていたので英訳を読んでみましたが、けっこう難しいですね。


「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」はヴォルテールの思想全体の中で位置づける必要がありますから、若干遠回りにはなりますが、ピーター・ゲイの『自由の科学─ヨーロッパ啓蒙思想の社会史』あたりを読んでみようかなと思っています。
昨日からピーター・ゲイの『神なきユダヤ人─フロイト・無神論・精神分析の誕生』(入江良平訳、みすず書房、1992)に取り組んでいるのですが、なかなか良い本です。
ピーター・ゲイは信頼できますね。

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1918年、フロイトはオスカー・フィスーへの手紙の中で、次のような問いを提出した。「ところで、敬虔な信仰者が誰一人として精神分析を創造しなかったのはなぜでしょう。そのためには完全に神なきユダヤ人を待たなければならなかったのは、どうしてなのでしょうか。」
無信仰を貫いたユダヤ人フロイトが精神分析を生んだのは何故か。〈科学としての精神分析〉に彼が固執したのは、どのような理由からか? 『ワイマール文化』等で知られ、他の追随を許さぬ浩瀚な『フロイト伝』の著者でもあるピーター・ゲイは、フロイト自らが提出し、しかし自身はそこにとどまることはなかった問いかけに、本書で応じた。数多くの文献を渉猟し、ウィリアム・ジェイムズ、ダーウィン、ティリッヒらとの比較も交えつつ、19-20世紀のウィーン社会、当時の宗教vs.科学の論争、ユダヤ人の対応などを著者は再現する。
精神分析生誕をめぐる一大問題に挑戦した、刺戟に満ちた興趣尽きぬ書である。

ウィキペディア日本語版のピーター・ゲイの項目、『ワイマール文化』の脚注に<山口昌男は『本の神話学』-第1章「二十世紀後半の知的起源」で、旧訳版の誤訳の多さを指摘している(中央公論社、現・岩波現代文庫)>とあるのを見て、ちょっと笑ってしまいました。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

条件法現在と仮定法過去が織り成す悩ましい神学の綾 2017/03/10(金) 14:32:59
ヴォルテールの言説「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」(Si Dieu n'existait pas, il faudrait l'inventer.)の背景は知らないのですが、原文は実際とは異なることを述べる条件法現在形だから、含意として、現実には神は存在するから、発明する必要はなく、安心した、と胸を撫で下ろしていることになるのでしょうね。
他方、この言説を反転させたバクーニンの「if God really existed, it would be necessary to abolish Him.」(神が本当に存在するというなら、そいつは破棄(廃止)する必要がある)は、現在の事実に反することを述べる仮定法過去形だから、含意として、現実には神は存在しないから、破棄(廃止)する必要はない、まあ、当然のことだがね、とさもつまらなそうな顔をすることになるのでしょうね。
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Bakunin argued in his book God and the State that "the idea of God implies the abdication of human reason and justice; it is the most decisive negation of human liberty, and necessarily ends in the enslavement of mankind, in theory and practice." Consequently, Bakunin reversed Voltaire's famous aphorism that if God did not exist, it would be necessary to invent Him, writing instead that "if God really existed, it would be necessary to abolish Him.
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フランス革命を挟んで、前者は18世紀の時代精神を、後者は19世紀の時代精神を表していて、鴎外が引用するファイヒンガーの Philosophie des Als-Ob(「かのように」の哲学)は、両者の中間に位置する折衷案的な20世紀の時代精神を表しているのかもしれませんね。とすれば、21世の時代精神はどうなるのか。ゾンビ神学? Goddamn it!

蛇足
大阪の「悪友(わるとも)学園」の某理事長は、マレーシアの北朝鮮大使館の職員と入れ替えても、まったく遜色のない人ですね。
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「心清き人間の残酷さ」─ウッドロウ・ウィルソンの場合(その1)

2017-03-10 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月10日(金)09時09分0秒

私は内村鑑三や南原繁・矢内原忠雄などの無教会主義のキリスト教徒を調べているときに「心清き者がもつ無慈悲さ」を感じたのですが、リチャード・ホフスタッターはウッドロウ・ウィルソンを論じる中でこの表現を使っていますね。
『アメリカの政治的伝統Ⅱ』(岩波書店、1960)では、泉昌一氏は「心清き人間の残酷さ」と訳しています。(p119)
ただ、当該部分はアメリカの政治史に詳しくない者にとっては若干分かりにくいので、前提としてウッドロウ・ウィルソンの家系・生育環境を述べた部分を少し紹介しておきます。
「第十章 ウッドロウ・ウイルソン─リベラリストとしての保守主義者」の冒頭です。(p100以下)

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 ウッドロウ・ウイルソンの父は長老教会派の牧師であった。かれの母もやはり長老教会派の牧師の娘であり、かれらのうちにはカルヴィン主義の精神が不滅の焔をあげて明々と燃えていた。かれらの子ウイルソンは人生を神の意志の不断の実現とみなし、人間を道徳律の世界における「選ばれたる道徳的代理行為者」とみることを両親から学んで知っていた。若きトミー・ウイルソンが教会の座席にすわって、父が神の言葉を民衆に伝えるのを聞いたとき、かれは自分の人生のあるべきモデルをじっと見つめていたのである。かれは聖職者になろうと志したことは一度もなかったが、精神的教化を弘め、かれが拠ってもっていた「奉仕」への強い清教徒的衝動を表明する手段として政治を選んだのだ。すでに幼年時代からかれは、偉大な人間になって人々に多いに奉仕しようとのほとんど無私の野心にとりつかれていた。ものすごく生真面目で、厳格で、自己に厳しかったウイルソンは自己の長老教会派的訓練にひどく悩まされた。「私はきまじめすぎるのです」とエレン・アクスン宛の初期の手紙のなかで殆ど泣かんばかりに書いている。青年時代に二度かれは自己のうちにわだかまっていた強迫的観念に押しひしがれた。強い罪悪感をいだいていたかれは、一点のけがれもない完全性にたいする内面の要求を公事にもとめ、寛容という知的能力はこれをまったく捨ててしまった。初期のバークに関するエッセイのなかで、「ある人間が国内の敵と死にものぐるいで闘っているとき、その人に寛大で愛想がよいことを期待すべきではない」としみじみのべている。「寛容は」と同じ頃書かれたある論文のなかで、

賞賛すべき知的資質ではある。しかし、それは政治の世界では殆ど価値がない。政治は名分の戦い、主義間の試合である。統治は無意味な礼譲を容れるにはあまりに重大な事柄である。

と書いている。
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「名分」には傍点が振ってありますが、原文ではイタリックかもしれません。
ま、仮にウィルソンが学者を一生続けていたら、「寛容という知的能力はこれをまったく捨ててしまった」としても特に差し支えない、というか学者には間々あることですが、政治家、しかもアメリカ合衆国大統領としてはけっこうヤバイのでは、という感じが漂ってきますね。
クロムウェルやロベスピエールが合衆国大統領になるようなものでしょうか。

Woodrow Wilson(1856-1924)
https://en.wikipedia.org/wiki/Woodrow_Wilson
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「一本のフルートより音程の悪い楽器は何か」(by ミヒャエル・ハイドン)

2017-03-09 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 9日(木)13時13分6秒

山口昌男の自称後継者たち、例えば『山口昌男 人類学的思考の沃野』(東京外国語大学出版会、2014)の寄稿者を見ても音楽が得意そうな人はあまりおらず、もしかすると山口以降はあまり耕す人のいない「沃野」なんでしょうか。
そういえば視覚的な分野では多数の著作を出している自称天才の高山宏氏なども音楽への言及は少ないような感じがします。
ま、あまり数多く読んでいる訳ではありませんが。

ところで、「音楽 プロ・アマ対談」の中に、モーツァルトのフルート嫌いに関する発言があります。(p422以下)

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山口 フルートの音楽の幸せ不幸せというものの中には、技巧的な要素が強いから、オーケストラの中でも目立つということがあると同時に、今度はソロにおいて、ほかの渋い音楽と比べると少し─特にロマン派以後は。
金 ロマン派の時代には、余りにも無視されたという感じですね。楽器の発達が一番早く出た楽器のわりに、一番おくれたという面があるんですよね。要するに、たとえばリード楽器だったら、リードで、同じ指使いをしても、半音くらい簡単に変えられるんですよ。それで変えても、たとえばオーボエで半音口だけで変えても、音色とか音質ががっくり悪くなるということはないんですよ。何とかなるんですよ。ところが、フルートの場合は、そんなことをすると音色がガサガサになったりしちゃうわけですよね。やはりオーボエなんかは、リードがあるためにカバーできる面がすごくあるので、不自由なメカニズムの時代は、あっちのほうが断然表現力があったんじゃないですかね。モーツァルトがフルートがきらいだという、僕たちにとって非常に悲しい話があるんですけれども、実際はそういうことだったんじゃないかと思うんです。
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モーツァルトがフルートを嫌っていたというエピソードだけ知っていた私は、ふーん、としか言いようがないのですが、ちょっと面白い話ですね。
ついでに、この金氏の発言の後をもう少し引用してみると、

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山口 だけど、不自由のほうが工夫できてカバーできるところ、個人技を許すところがあるのかもしれないですね。
金 だけど、その不自由さがモーツァルトの五十年ぐらいの間に、フルートだけが残って、オーボエか何かのリードのつくり方か何かで名人がすごくぞろぞろ出てきて、それをつぐひとが出てきたんじゃないかと思うんですよ。フルートだけが取り残された。それからもう一つは、おそらくモーツァルトはザルツブルクでしょう。ザルツブルクにモーツァルトの先輩の同僚でミヒャエル・ハイドンがいて、彼が曰く、一本のフルートより音程の悪い楽器は何か─二本のフルートだって。こんなことを書いているところを見ると、フルートは音程の調節ができなかったんですよね。特にザルツブルクにおけるフルーティストはできなかったんじゃないかと思う。
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というやり取りがあります。
テープ起しに慣れない人がやっているのか、あまりに細かく口調を再現し過ぎていて読みづらい部分がありますが、「一本のフルートより音程の悪い楽器は何か」の答えが「二本のフルートだって」というのは笑えますね。

Michael Haydn(1737-1806)
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Haydn
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"the ruthlessness of the pure in heart"

2017-03-09 | 山口昌男再読

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 9日(木)12時12分51秒

少し検索してみたら「心清き者がもつ無慈悲さ」は "the ruthlessness of the pure in heart"で、『アメリカの政治的伝統─その形成者たち』(田口富久治・泉昌一訳、岩波書店、1959)に出てくるみたいですね。
後で確認してみます。
また、ウィキクォートによれば、ヴォルテールの発言として有名な「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」(Si Dieu n'existait pas, il faudrait l'inventer.)は、

「三人の詐欺師の本の著者への書簡」。1770年11月10日。
Épître à l'Auteur du Livre des Trois Imposteurs

が出典だそうですが、どんな文脈での発言なのか、正確に理解したいですね。
邦訳はあるのかな。

「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」(by ヴォルテール)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2101a017933d9a219cdf5cadc2751515

>筆綾丸さん
四半世紀前に山口昌男を熱心に読んでいた頃は自分に音楽の素養が全くなく、音楽関係の記事も馬耳東風的に読み流していましたが、今読むと非常に面白いですね。
山口とフルート奏者・金昌国の「音楽 プロ・アマ対談」(『オペラの世紀─山口昌男音楽対談集』、第三文明社、1989所収。初出は『音楽の友』1983・11)によれば、北海道の田舎町の菓子屋の息子として育った山口昌男の音楽的環境は貧しいものだったようですが、疎開してきた音楽評論家の藁科雅美と仲良くなって、レコードを聴かせてもらったりしたそうです。
大学に入ってから、当時としては極めて高価な六千円ほどの真鍮製のフルートを買おうとしたら、商売人の親に、「そういう軟弱なことをしてもらっちゃ困る。学業に必要な本のお金だったら幾らでも出すけれども、そういうふうなことには金出さない」と言われ、アルバイトで金を貯めてやっと購入し、三年くらい相当熱心にやったそうです。
本人によれば結局はそれほどモノにならなかったそうですが、若い頃に単に聴くだけでなく自ら楽器に打ち込んだ経験が、後になって非常に役に立ったようですね。

「日本ショパン協会創立50年/北海道・美幌町ゆかりの藁科雅美」
http://masaokato.jp/2010/03/12/121655

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

騎士団長と椿 2017/03/07(火) 19:08:42
小太郎さん
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO13568590S7A300C1000000
『ドン・ジョヴァンニ』に関して、引用の続きは以下のとおりですが、村上春樹の新作『騎士団長殺し』は『ドン・ジョヴァンニ』に由来するそうですね。まだ読んでませんが。
----------------
そうとすれば、ドタバタ演劇的クライマックスである剣戟の直後に、死に行く騎士長の死に際のアンダンテの三重唱は、その典型的な例であるといえよう。P・J・ジュ―ヴはこのくだりを次のように描く。「騎士長のいまわの言葉<Sento l'anima partire魂が消えてゆくのを感じる>は、ほとんど地平線を這い、そして三つの声の群れは言葉にはつくしがたい易しさを帯びます。殺害者と犠牲者が並行して、しかも一連の似たようなフレーズでー殺害者は犠牲者よりも悲壮に歌います。(以下略)
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https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/90000/261660.html
『五瓣の椿』(2001)の再放送が始まりましたが、導入部に『春の祭典』が使われているのに、クレジットタイトルにストラヴィンスキー(1882‐1971)の名前がなく、著作権上、問題があるような気がします。初演時以来、誰からも指摘されなかったのかな。不思議なことです。

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「心清き者がもつ無慈悲さ」

2017-03-07 | 山口昌男再読

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 7日(火)13時31分14秒

前回投稿で引用した部分の次に、

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 モーツァルトが入会して間もない頃、オーストリアのフリーメイソンにはヨーゼフ二世の熱烈な支持者が多く、その分、皇帝も彼らを手厚い保護のもとに置いた。彼は一七八〇年に単独の統治者となると、敬虔な母親が共同統治者であった時代よりも、もっと自由に、急速に改革を推し進めた。【中略】フリーメイソンの中でも合理主義の信奉者たちは、これらの政策を賞賛した。彼らにとってはヨーゼフ二世は理想的な君主であり、徳の高い独裁者であった。
 しかしながら、これらの賞賛はことごとく幻滅に変わってしまう。ヨーゼフはあまりに性急に容赦なしに上からの改革を押し付け、個人の感情や私的な財産にはほとんど配慮しなかった。彼は柔軟性のない、妥協を許さない人物で、アメリカの歴史学者リチャード・ホフスタッターがかつて言ったように「心清き者がもつ無慈悲さ」を実践したのである。
------

とありますが(p91以下)、ピーター・ゲイが想定する読者にとっては常識と思われたのか、ホフスタッターの発言の出典は明示されていません。
一応、『改革の時代─農民神話からニューディールへ』(斎藤真他訳、みすず書房、1967)『アメリカの反知性主義』(田村哲夫訳、みすず書房、2003)を入手してパラパラ眺めてみたのですが、直ぐには見つからず、どうしたものかなと思っています。
ま、「心清き者がもつ無慈悲さ」はよくある現象ですが、ホフスタッターがどんな人を念頭に置いて発言しているのかにちょっと興味があります。

Richard Hofstadter(1916-70)
https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Hofstadter

>筆綾丸さん
ご引用の後半はアルフレート・シュッツですね。
アルフレート・シュッツについてはこの掲示板でも石川健治氏の「コスモス─京城学派公法学の光芒」の関係で少し言及したことがありますが、そのときは現象学的社会学者としてのシュッツでした。
山口昌男の引用を読む限りでも、音楽に関する造詣は大変なものですね。

『アルフレート・シュッツのウィーン』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/57671951daff8ed87f1f50cd7e386f23

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Walled Off と Waldorf 2017/03/05(日) 16:09:30
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20170305_06/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
山口昌男『本の神話学』(1977 中央公論社)の以下の記述は(モーツァルトと「第三世界」」)、ベツレヘムに最近オープンしたバンクシ―の The Walled Off Hotel の解説として読めなくもないですね。ホテル名をフッサール風に意訳すれば、間主観性ホテル(Hotel Intersubjektivität)となり、一度は宿泊してみようか、という気になるかもしれません。
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・・・モーツァルトはゲリラの戦略家として描かれる。「モーツァルトは大胆不敵な作戦でわれわれの息の根を止める戦略家である。彼は、われわれが、それと気づいた時には意外なルートから現われて面前にあり、城を占領してしまっている」といった変幻自在なトリックスター(策士)として描かれる。(77頁)
・・・モーツァルトはオーケストラを使って内的時間の同時性、すなわち舞台上の人物の意識の流れと観客の意識の流れの同時性を実現し、両者の間に”間主観性”の共同体を樹立するという。この”間主観的”共同体の実現こそ彼の重唱のねらっているところなのだという。(117頁)
-------------

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2
昔のことですが、中国の会社に買収される前、ニューヨークのこのホテルに宿泊したことがあって、Walled Off は Waldorf のパロディでもあるんだろうな、と思いました。

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「神をも畏れぬ、悪党の親玉ヴォルテールがくたばりました!」(by モーツァルト)

2017-03-05 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 5日(日)13時44分48秒

前回投稿の「宗教的な寛容と政治改革をめざす世俗的なメイソンの側にいたようである」については、慎重を期すため、もう少し丁寧に引用しておきます。
まず、前提として、若い頃のモーツァルトはザルツブルクの君主=大司教の従僕でしたから、生計を維持する必要からも神やカトリック教会を全否定するなどおよそ考えられない立場にいた訳ですね。
例えばヴォルテールが1778年に死んだとき、パリにいた22歳のモーツァルトは父レオポルトに「神をも畏れぬ、悪党の親玉ヴォルテールがくたばりました! まるで犬死です、獣死にかもしれません─当然の報いです」という手紙を送っています。(p45)
1781年、コロレド伯ヒエロニムス大司教との間の様々な軋轢の果てに、とうとう大司教に仕えるアルコ伯爵から文字通り尻に足蹴を食らわせられて縁切りされた結果、経済的な面では教会から独立し、代償として生活の不安定さを甘受する立場に身を置いた訳ですが、その後も神や教会への立場が著しく変化した訳でもないようですね。
そして、1784年、28歳のモーツァルトはフリーメイソンに入会することになります。
ピーター・ゲイによれば、

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 モーツァルトがどれくらいフリーメイソンに荷担していたかについて明らかにしていないが、宗教的寛容と政治改革をめざす世俗的なメイソンの側にいたようである。彼はこの頃、父親に宛てて聖職者をさす「パフ」という侮辱的な言葉を用いて、「聖職者というのは何でもできるのです」と書いている。こんなことを言ったからといって、彼が異端であったということではない。しかし、モーツァルトのカトリック信仰は(父親と同様)、強固なものではなく、現実の世界の経験を広く受け入れ、教会の権威にはそれなりに批判的であった。われわれはモーツァルトがヴォルテールの徒ではなかったこと、自分の出世に絡まないかぎり、政治に関して驚くほど無関心であったことを知っている。彼の生涯における最後の二年間、一七八九年から九一年にかけて、ヨーロッパはフランス革命によって震撼させられたが、彼の書簡にはこの歴史上の大動乱に関する言及は一言も見られないのである。それでも彼は善行や知恵の普及のために、伝統的なキリスト教の教えに賛同できない役人や学者、博愛主義者の仲間になることができたのである。『魔笛』は、これから私たちが見ていくように、たくさんの要素を含んでいるが、しかし、それはまた真実、愛、人間の価値に対する合理主義的なフリーメイソンの賛美でもある。パパゲーノとパミーナは彼のもっとも偉大なジングシュピールの中で、「男と女、女と男は神にまで至る」と歌う。
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ということですが(p91)、『魔笛』に触れると話がどんどん複雑になるので、とりあえず今はこの程度にとどめておきます。

>筆綾丸さん
>この人はそもそも満足な日本文が書けないのではないか
その通りですね。
日本語が出来ないのだから、英語が駄目でもドイツ語は大丈夫だったのでは、という可能性も皆無ですね。
まあ、1912年に生まれた人が1970年に行った翻訳を今頃批判しても仕方ありませんが、先に引用したのと同レベルの文章が二百数十ページ続く悪夢のような事態に直面して、ついつい文句を言ってしまいました。

>『インフェルノ』
私も観ましたが、掲示板にわざわざ感想を書きたいと思うような作品ではなかったですね。
ダン・ブラウン原作の映画は全て問題解決の期限が極めて短く設定され、トム・ハンクスが巨体を揺らして慌ただしく駆けまわる水戸黄門的ワンパターンですが、何であんなせわしない展開にしなければならないのか、本当に不思議です。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

「パリの有閑マダムたち」 2017/03/04(土) 15:52:39
小太郎さん
ご引用の到津十三男の翻訳文をみると、この人はそもそも満足な日本文が書けないのではないか、という印象を受けますね。

http://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2017/03/0302.html
NHKの9時のニュースでも、『応仁の乱』を取り上げていました。垣根涼介『室町無頼』に呉座氏の著書を織り交ぜて、大河ドラマになるかもしれないですね。

http://bd-dvd.sonypictures.jp/inferno-movie/#!/
http://jackie-movie.jp/
ダン・ブラウンですが、機内で暇潰しに見た『インフェルノ』は何ともくだらぬ内容でした。有閑マダムたちでごった返すパリの映画館で、監督と主演に惹かれて見た『ジャッキー』は『インフェルノ』以下の駄作で、仕舞いには腹が立ちました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170303/k10010898181000.html
「日本アカデミー賞」という茶番劇とはいえ、『シン・ゴジラ』は最優秀作品賞に選ばれたのですね。
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モーツァルトとフリーメイソン

2017-03-04 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 4日(土)09時47分54秒

『ワイマール文化』はちょっと気になるところがあって中断し、代わりに気晴らしを兼ねて同じくピーター・ゲイの『モーツァルト』(高橋百合子訳、岩波書店、2002年。原著は1999年)を読んでみたのですが、これは「18世紀から20世紀にかけての文化史研究の第一人者であり、精神分析的手法を歴史学研究に導入したパイオニアとして知られる」(同書カバーより)碩学が、その研究生活の円熟期に自身も楽しんで書いたであろうことが伺われる好著で、翻訳も非常に良いですね。
一昨年、群馬県内の女子高校を卒業した大学生が中心となって活動するミュージカル劇団Alumnae(アラムニー)の第15回公演『MOZART!』を観て以来、モーツァルトとフリーメイソンとの関係が少し気になっていたのですが、ピーター・ゲイの記述は納得できます。
少し紹介すると、

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 モーツァルトが、ウィーンにおけるエリート層の中を動いていたという証拠が必要ならば、一七八四年十二月半ばにフリーメイソンに入会しているという事実を挙げることができる。彼が入会していたロッジ(支部)は「善行」と呼ばれるもので、当時ウィーンにあった八つのロッジの中では小規模なものであった。モーツァルトは、彼の音楽の崇拝者であることを公言していたヨハン・エステルハージー伯爵の邸で頻繁に演奏していたが、おそらくこの人物は、彼の貴族の友人やパトロンの中でも最も有力なフリーメイソンであった。身分の高いフリーメイソン─王侯、大臣、大土地所有者の貴族など─は有力ではあったが、ロッジの中では少数派で、裕福な人々、もしくは少なくともいい人脈を持っている人々、例えば官僚、作家、商人、出版社の人々などが、会員の大半を占めていた。
【中略】
 フリーメイソンは儀式や疑似系譜を作ることに熱心で、しかも、たとえ空想上のものだとしても、自分たちの起源を古く名誉あるところに求めた。しかし、フリーメイソンのロッジがヨーロッパ大陸と北アメリカのイギリス植民地に広がり始めたのは、十八世紀も初めのことであった。モーツァルトが会員になったときには、西欧にはおよそ七百のロッジが散在していた。それが一七八一年にウィーンにも現れ始め、後のそこの最大のロッジとなる「真の協和」がスタートし、モーツァルトが加わるときまでには、およそ二百人の会員とウィーンの知的エリートの中でもそうそうたるメンバーを擁していた。彼らは会合を開き、語り合った。
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ということで(p88以下)、ダン・ブラウンの小説の世界とは異なり、フリーメイソンは別に「秘密結社」というほどのおどろおどろしい組織ではなく、社会の知的エリートの集まりですね。
ウィーンのフリーメイソンの特徴は、

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 ハプスブルク家の領土は、啓蒙主義へ傾倒していたにもかかわらず、依然として権威主義的な国家で、その中にあては、教育ある者でも根本的な政治や宗教の問題を互いに論じ合うこともできず、いわんや改革計画をおし進めることなど考えられなかった。その中でフリーメイソンのロッジは博愛主義の活動に眼を向ける、真剣な話をする場となっていた─それはいわば実際の活動を伴う、レベルの高いコーヒーハウスのようなものであった。
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というものです(p89)。
「実際の活動を伴う、レベルの高いコーヒーハウス」は、ウィーンだけでなくフリーメイソン全体についても非常に的確な比喩ではないかと思います。
しかし、

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 不幸なことに、フリーメイソンはどうしても苛烈な内部分裂を起こすことがあり、モーツァルトもそれを目撃することがあった。ロッジは儀式や会員同士の道徳観のまとまりを強調した─彼らはただひとつの美徳を信奉していた─にもかかわらず、共存不能のイデオロギーの不安定な混合物でしかなかった。影響力の大きなフリーメイソンは、古い時代の錬金術に起源をもつ折衷主義の神秘思想に浸りきっていた。こうした得体の知れない考えをもつ人々が、啓蒙主義の道徳に全面的に肩入れする他の会員(そのエネルギーは批判的合理主義のみから引き出されていた)とうまく共存することもあったが、下手をすると、しばしば争いを起こした。
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という事情があり(p89)、「古い時代の錬金術に起源をもつ折衷主義の神秘思想に浸りきっていた」「得体の知れない考えをもつ人々」が残した資料が、後にダン・ブラウンのメシのタネになったりする訳ですね。
モーツァルト自身はどちらに属していたかというと、「宗教的な寛容と政治改革をめざす世俗的なメイソンの側にいたようである」(p90)というのがピーター・ゲイの結論です。

ミュージカル劇団Alumnae
http://alumnae.ciao.jp/index.html
https://twitter.com/alumnae_musical
コメント
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