投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月29日(水)22時31分4秒
>筆綾丸さん
昨日は細かいことをブチブチ言ってしまいましたが、『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』は非常に優れた本ですね。
森鴎外の「かのように」も登場します。(p126以下)
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森鴎外が見た保守的プロテスタンティズム
一六六七年にドイツの国法学者ザムエル・プーフェンドルフ(一六三二~九四)が匿名で出版した『ドイツ帝国の状況について』という書物がある。その中で、彼はローマ・カトリック、ルター主義、そしてカルヴィニズムの三つの宗派を取り上げ、その特徴を述べている。ルター主義については、支配者に対する臣民の忠誠を強めた点を挙げている。「どの宗教も〔ルター主義〕以上によい方法でドイツ諸侯のために功績をあげたものはない。この宗教〔ルター主義〕と同様の仕方で君主国にとって使い勝手のよいものとして世間に広まった宗教はない」「事実ルター主義の教えで、その根拠が市民としての教えや法と相反するというものを見て取ることはできない」と述べている。まさに一つの政治的支配領域と教会の特別な関係、これこそがルター主義の特徴であろう。
このようなドイツ社会のルター派の姿を知るためによい材料がある。それは一九一二年(明治四五)年一月の『中央公論』誌に掲載された森鴎外(一八六二~一九二二)の短編「かのように」である。この短編は日本で初めて保守的プロテスタンティズムを読み解いた作品かもしれない。というのも、鴎外がこの小説の中で、ヴィルヘルム期ドイツにおいて、プロテスタンティズムが担っていた社会的な機能を正確に描き出しているからである。
それが神学者でも社会学者でもなく、陸軍軍医総監であった森林太郎によってなされた、ということが興味深い。当時の日本の神学やプロテスタンティズムはそのようなことは考えてもいなかったに違いない。
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少し検索してみたら、このあたりの記述は「ベルリンの日本人と東京のドイツ人:日本におけるアドルフ・ハルナック」(『聖学院大学総合研究所紀要』No.50、2011.3)を簡単にまとめたもののようです。
この論文は聖学院大学のサイトからダウンロードできますね。
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_id=3113
フロイトに本格的に取り組むのも躊躇われて、暫くは18世紀の啓蒙主義とフランス革命の勉強でもしていようかなと思っていたのですが、急遽予定を変更して、明日からは巻末の「参考文献一覧」に出てくる文献のうち、深井智朗氏が翻訳しているものを中心にいくつか読んでみるつもりです。
五條秀麿の手紙(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/35e6dcdccbb3df021601109a5670b320
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/749396dca7e34e24dd7faf3f62eba3aa
五條子爵は考へた(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a2b1ce2ca76d6528aae519f1b2663fd1
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/287adacbbbb7d87e6d5b365afc15916a
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
小太郎さん
昨日、少し立ち読みしてやめたのですが、もう一度、手に取ってみます。
「隣人を愛するとは、隣人を食べないことだ」というのは、何も知りませんが、修道士らしい倒錯的な餓死の奨めでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6
深井智朗氏出身の東京神学大学の存在は、恥ずかしながら、知りませんでした。
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正門とは反対側の鬱蒼たる林の中に隣りの国際基督教大学へ通じる小径が通っている。この道は、国際基督教大学側から東京神学大学へ向かうとき「出家の道」、逆方向のときは「還俗の道」と冗談で呼ばれる。
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冗談とはいえ、仏教臭い命名ですね。
http://www.bbc.com/news/world-europe-39426147
フランスの大統領選候補のフィヨン氏の妻ペネロプは架空雇用疑惑で揺れているのですが、BBC は彼女を紹介するとき、Welsh-born (ウェールズ生まれの)という語を必ず付けます。welsh という動詞には、ウェールズ人を侮辱した語で、借金や義務をごまかす、という意味があるのですね。