学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

神頼み

2010-11-28 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月28日(日)20時30分49秒

『後深草院二条』の更新を中止してからずいぶん経つのですが、頻繁に更新していたころから私がずっと考えていたのは、ネットに日本史に関する質の高い情報を大量に提供するためにはどうしたらよいのだろう、ということでした。
情報を提供する能力を持っているのは個々の研究者ですが、研究者にとってネットに情報を提供するメリットが何かあるかというと、まあ、殆どないでしょうね。
メリットがないばかりか、公知でない情報をうっかり提供したら、他の研究者に盗まれてしまう危険もあります。
従って研究者が関与するサイトは、学界の業務連絡・情報交換や研究者間の親睦、といった範囲に止まるのが大半です。
背後に膨大な情報、深遠な知識があることは示唆できても、実際に提供される情報の量は貧弱ですね。
では質の高い情報をネットで提供する方法はないのかというと、ひとつの方法は私が『後深草院二条』の「参考文献」でやっていたように、研究者の論文を転載してしまうことですね。
もちろん著作権法違反です。
著作権法違反には刑事罰があるし、民事の損害賠償請求等の対象にもなりますが、私は今のところ刑事罰を受けることなく、民事裁判の被告にもならず、平穏に暮らしています。
それにはいろいろ理由がありますが、私が違法な転載により私的な利益を得ている訳ではないことはかなり大きな要因ですね。
利益を得ていないどころか、更新作業につぎ込んだ膨大な時間を他の有償の仕事に費やした場合に得られたであろう収入を考えると、少なくとも数百万円の損失を蒙っていますね。
でもまあ、私のような人間であっても、違法な行為を長く続けるのは実際上困難です。
さて、有能な人が数人いればかなりの情報提供ができるのは明らかで、著作権の問題も大半は相応の対価を支払えば済む訳ですから、結局のところ、ある程度の資金さえあれば問題は解決できそうです。
その資金を得るためにはどうしたらよいのだろう、と私は長い間考えていたのですが、最近になってようやく私が到達した結論は「神頼み」です。
長い間中世の勉強をしていると、宗教関係の絵画や彫刻で、現代人から見るとずいぶん変てこなものに出会います。
能満院「天河秘曼荼羅」など、その最たるものですが、あるとき、この絵をつらつら眺めていて、これはうまくアレンジすれば、それなりの人がほしいと思うものになるのではないかと考えました。
古画の復刻版のような手垢のついた手法ではなく、鮮やかな色彩で、かつ質感を大事にして、と考えると、シルクの大判のスカーフがいいんじゃないかなと思って、オリジナルスカーフの製作会社に相談し、一部についてデザインしてもらったところ、けっこういい感じにできそうです。
私はスピリチュアル方面の感性は全く欠如している醒めた人間ですが、それでも醍醐寺や高野山あたりが持っている大威徳明王や愛染明王の絵など、異様な迫力を感じるものがありますので、そういうのもスカーフにできないかなと思っています。
もちろんファッションアイテムとして売るのではなく、美術品的なものとして、かつ顧客も少数のマニアックな人を想定しています。
現物がないと訳のわからん話だと思いますので、もう少し具体化してからこちらにも画像を載せるつもりです。
ま、別にここに来る人に買ってもらおうと思っている訳ではありませんが。
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雪中梅

2010-11-28 | 新潟生活
雪中梅 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月28日(日)00時37分59秒

>筆綾丸さん
「上善如水」などという説教くさい銘柄に比べたら、「雪村友梅」の方がよっぽど日本酒の銘柄に合いそうですね。
ちなみに「雪中梅」という日本酒は新潟の地酒としてかなり有名で、それなりに高価ですね。

変なミスはありますが、『元朝・中国渡航記』は読んでいて実に楽しい本ですね。
今谷明氏の著作としてはあまり知られていないようですが、もしかしたら今谷氏の最高傑作なのではないかと私は思っています。

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越後白鳥郷

2010-11-25 | 新潟生活
越後白鳥郷 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月25日(木)01時12分50秒

昨日23日は雪村友梅の生誕地と称されている長岡市白鳥町の白山神社に行ってきました。

長岡市長ブログ
http://tamionet.com/blog/2009/07/2009-07-15-yubai.php#more

今谷明氏の『元朝・中国渡航記 留学僧・雪村友梅の数奇な運命』(宝島社、1994)p24によれば、

--------
 雪村は正応三年(一二九〇)、越後白鳥郷の生まれである。この白鳥郷というのは『行道記』のみに出てくる地名で、越後には元来白鳥郷という郷名はない。そこで学者の推定するのは『行道記』にいう白鳥郷というのは、安元二年(一一七六)に書かれた『八条院領目録』にみえる越後白鳥庄のことではないかというのである。八条院というのは鳥羽上皇の寵妃であり、八条院領は平安末期から天皇家領として続いていた荘園で、嘉元四年(一三〇六)六月付の『昭慶門院御領目録』にもその名が見えるから、友梅の生まれた頃は、まだ白鳥庄が天皇家領であったことは間違いない。この白鳥庄の荘域は、現在の新潟県長岡市の北西部と出雲崎町の東部にまたがる一帯で、信濃川下流域の左岸にかけての地域である。
-------

とのことで、出生地が長岡市白鳥町の白山神社だという根拠も特にないはずですが、まっ、地元ではそのように言われているようです。
天気が悪くてあまり良い写真は撮れませんでしたが、少し載せておきます。
なお、今谷氏は「八条院というのは鳥羽上皇の寵妃」としていますが、寵妃は美福門院であって、八条院は鳥羽上皇と美福門院の間に生まれた皇女ですね。

>筆綾丸さん
ありがとうございます。
「高野山金剛三昧院と鎌倉幕府」は国会図書館に郵送複写を依頼したのですが、入手までに時間がかかりそうなので、地方住まいはやっぱり不便だなあ、などと思っていました。
それにしても寛元元年で北条政子というのは、勘違いにしてもちょっとひどいですね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5641
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金剛三昧院隆禅

2010-11-23 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月23日(火)09時05分10秒

>筆綾丸さん
>塩澤寛樹氏
弁才天を調べているときに同氏の「鎌倉時代の造像と社会についての一考察-神奈川・江島神社八臂弁財天坐像を例に- 」(『芸術学』 5号, 2002)を読みましたが、論証が非常に丁寧で、良い論文だなあと思いました。

http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901051288645762

>隆禅
『近代足利市史』に隆禅のことが少しでています。

------------
 家時は文永十年(1273)より数年間にわたり美作国大原保の領有をめぐって高野山の僧法禅と相論している。同保は嘉禎四年(1238)、足利義氏が高野山金剛三昧院大仏殿に寄進し、荘務を法禅の先師隆禅に与えた所で、幕府から寄進地安堵の下知状を得ていた。ところが延応二年(1240)、御家人所領保護のための立法がなされて、所領を私(わたくし)に寺社に寄進することが禁止されてしまった。そこで義氏は、建長元年(1249)に、北条氏の家令平左衛門入道盛阿(盛綱)をもって子細を申入れた上で、隆禅から同保の荘務をとり返して代官を置き、寺用年貢を送ることにした。義氏はその後、同保を他の所領とともに子孫に譲与し、これもまた幕府の安堵を受けていた。約二〇年後の文永十年に至り、隆禅のあとをついだ法禅は家時を相手取って幕府に出訴し、両者の訴陳が行われた。家時は年紀法(二十年の年紀を経過することによって、その間の土地所有の事実が、正当な権利として確認される鎌倉幕府の慣習法)を楯に同保の領有を主張したが、建治二年(1276)裁許が下され、「仏陀施入(ぶっだせにゅう)の地、たやすく悔(く)い返しがたし」との理由によって敗訴し、同保の返還を命ぜられた。家時はこれを不服として越訴(再審を求めること)したが、弘安二年(1279)却下されてしまった(金剛三昧院文書・笠松宏至「仏陀施入之地不可悔返」『史学雑誌』八〇-七参照)。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/ashikaga-kindai-02.htm

隆禅という名前は四条家っぽい感じがするのですが、中尾良信氏に隆禅に関する論文があるようなので、後で確認してみます。

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雨飾山

2010-11-22 | 新潟生活
雨飾山 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月22日(月)00時27分9秒

今日も穏やかな良い天気だったので、新潟県の西のはずれ、長野県との県境にある雨飾山の小谷温泉側登山口まで行ってきました。
雨飾山は『日本百名山』で有名な深田久弥が特別な思い入れを持っていた山だそうで、私も登山をしていたころ山行計画を立てたことがあるのですが、何となく行きそびれてしまっていました。

登山口近くの車道には初雪が消えずに残っていて、間もなく冬山ですね。
帰りは林道を妙高高原の方に抜けようとしたものの、途中で雪のために断念しました。

雨飾山
http://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/tozan/amakaz/
http://simplelife0807.web.fc2.com/20101016.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5636
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角田岬

2010-11-21 | 新潟生活
角田岬 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月21日(日)09時16分9秒

昨日は穏やかな良い天気だったので、新潟県立図書館に行く前に寺泊から角田(かくた)岬まで海岸沿いをドライブしてみました。
角田岬の白亜の灯台の下には「角田岬遊歩道」があり、途中に立ち入り禁止の看板はありましたが、いつもの習慣で立ち入ってみたところ、私のような岩好きにはたまらない場所でした。
リンク先のブログには非常に危険だと書いてありますが、先日行った「のと荒磯のみち」に較べれば文字通りの単なる遊歩道で、磯釣りする人も大勢いましたね。
灯台から佐渡まではわずか33kmほどしか離れてないそうで、佐渡が非常に綺麗に見えました。
写真は上から、①廃校となった寺泊中学校跡地から見た佐渡、②角田岬灯台から角田浜に下る道、③遊歩道の釣り人、です。
②の海面に映っている影は灯台ですね。
ちなみに角田浜には日蓮伝承もあるそうです。

角田山妙光寺
「角田岬遊歩道」探検記

※写真
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二つの能満院

2010-11-20 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月20日(土)22時43分47秒

長谷寺能満院「天河秘曼荼羅」の近世の写しが出ていると聞いて『仏教図像聚成』という本を探していたところ、意外にも新潟県立図書館にあることがわかったので、今日確認してみました。
B4版総クロス装、上下2巻総700頁、価格は税別12万円という超豪華本ですが、実際に手にしてみると重量がすごくて、ぎっくり腰になりそうでした。
田村隆照氏の「概説」(上、p3以下)によれば、六角堂能満院仏画工房の中心となった画僧大願は次のような人物だそうです。

-------------
 大願の生涯については明らかではないが、寛政十年(一七九八)会津若松に生まれ、喜福院で出家得度、持戒堅固な僧として修行に励むが、のち大和長谷寺に修学、事相・教相の研鑽を積み、とくに 悉曇(梵字)の研究者能満院光雲海如和尚との出会いに恵まれたこともあり、その習得に力をそそぎ、『梵学宗要章』ほかの著書もある。また有名な曼荼羅や仏画に接し、その模写にも取り組んだ。その後一旦会津に戻り、藩公の菩提寺である喜福院の住職になったが、仏画への思い断ちがたく、弟子の大成を連れて上京し六角堂能満院に住して真言宗各本山や名刹を訪ね、仏画や曼荼羅の諸尊を模写して粉本を制作し、また観法や修法のための聖教を書写した。

http://kcua.ac.jp/muse/data/HOZOKAN.html
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国家鮟鱇

2010-11-20 | 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月20日(土)10時24分21秒

鍋物が恋しい季節になりました。

>筆綾丸さん
「江湖」は曹洞宗では公式の用語なんですね。
明治時代も後半は流行らない言葉になるようですが、中国風の語感がうとましくなってしまったのでしょうか。

昨日はハリーポッターの新作を観ました。
暗いストーリーでしたが、非常に丁寧な作り方で、なかなかよかったですね。
トビーが死んだ場面では、客席のあちこちですすり泣きが聞こえていました。
ハーマイオニーもすっかり大人になりましたね。

ネットで検索したところ、先日行った山形県鶴岡市の白山島は東北地方では有名な「心霊スポット」だそうで、真っ暗闇の中をうろうろしていた私は客観的にはかなり怪しい人だったみたいですね。
リンク先は全然怪しくないサイトです。

白山島
http://outdoor.geocities.jp/himalaicus2/yamaseireki/2009/hakusanjima/hakusannjima.html

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北条王朝

2010-11-16 | 井原今朝男『中世の借金事情』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月16日(火)01時49分24秒

>azumaさん
いつもありがとうございます。
『中世の借金事情』については弱い者いじめみたいな感じになってしまって、ちょっと書きづらかったですね。
書こうと思っていた批判のポイントは以下の通りです。
①「債務契約」も井原氏の造語であって、井原氏の体系的知識の欠如を反映していること。
②債権(=債務)の発生原因である契約・事務管理・不当利得・不法行為のうち、典型契約の一部である消費貸借契約、しかも一方が社会的弱者であるような金銭消費貸借契約にしか関心がない、つまり債権各論の極々一部にしか関心のない井原氏が債権総論を論じることは、目の不自由な人が象を撫でるようなものであること。
③中世を光り輝かせようとするため現代の破産制度を非常に残酷なものであるかのように描くのは単なる無知であるばかりか、一般人に多大な誤解を与える有害な行為であること。
④近代資本主義の発展をもたらした株式会社制度は、井原氏の言う債務の無限の拡大の対極にある制度であること。つまり井原氏は近代資本主義を理解していないこと。

>筆綾丸さん
>高倉健
北条王朝の滅び方は健さんの美学に合いそうですね。

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山形・由良温泉の白山島

2010-11-16 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月16日(火)01時05分11秒

本当は高山で一泊したかったのですが、日曜に所用があって慌しく戻ってきたところ、その予定がいきなり延期となってしまいました。
仕方がないので久しぶりに村上市の「笹川流れ」に行き、雨の中、遊覧船に乗ってみました。
港を出ると船は大揺れとなり、一抹の不安を感じましたが、さすがに船長さんは慣れっこという様子でしたね。
遊覧船も翌15日が最終、来年は4月からとのことで、いよいよ冬ですね。
船を降りた後、少し物足りなかったので山形県鶴岡市由良の白山島まで足を伸ばしてみましたが、到着時には夕方5時を過ぎてしまい、周囲は真っ暗でした。
強い風の中、白山島に渡って白山神社の階段の下まで行ってみましたが、いささか不気味な雰囲気だったので大人しく引き返しました。
写真は笹川流れです。

白山島
http://sinn.dip.jp/kesiki/yamagata/hakusannzima.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5629
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飛騨高山

2010-11-16 | 新潟生活
飛騨高山 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月16日(火)00時16分54秒

13日(土)は遅い朝食を食べた後、日帰りで岐阜県高山市に行ってきました。
初めて訪問しましたが、風情のある街ですね。
桜山八幡宮境内の「高山祭屋台会館」では重過ぎて担がれなくなった巨大な神輿が一つ、背の高い屋台が四つ展示されていましたが、さすがに真近で見ると迫力がありました。
人物がデパートのマネキンそのものなのはちょっと勘弁してほしいですね。
拝殿近くではテレビドラマの撮影が行われていました。

高山祭屋台会館
http://www.hida-hachiman.org/yatai_kaikan/index.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5628
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「のと荒磯のみち」

2010-11-10 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月10日(水)01時30分29秒

暫く休むと言った後で5投稿目となり、若干気恥ずかしいですが、書評めいたこと以外は気楽に書けるので、これからも適当に続けたいと思います。
写真もけっこう撮りためていますので。

今日は本当に天気の不安定な一日で、晴れ・曇り・雨・豪雨、時々雷という具合に15分間隔くらいで目まぐるしく変化し、いよいよ冬が近づいてきたなあという感じでした。
地元の人に聞くと、11月中に一度雪が降り、いったん融けて12月に入ってから本格的な雪の季節になるというのが通常のパターンらしいですが、今年は少し早まりそうですね。
私は去年、雪が降り始めてからスタッドレスタイヤへの履き替えをしようとして苦労したので、今年は早めに予約を入れました。

>筆綾丸さん
偏愛というと、私の場合、石や岩が対象ですね。
先月30日(土)、能登半島西北部の皆月・下大沢をつなぐ「のと荒磯のみち」という自然遊歩道に行って来ましたが、岩好きにはたまらない場所でした。
もっとも私の場合、リンク先の人たちほど危険な場所には進まず、崩壊した橋であっさり引き返していますが。


※写真
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能生の弁天岩

2010-11-08 | 新潟生活
能生の弁天岩 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月 8日(月)00時21分30秒

>職人太郎さん
いえいえ、そんなに大げさな話ではありません。
職人太郎さんは本の世界の人でしょうけど、私はインターネット以外全く興味がないのです。
14年前にホームページを始めて以降、掲示板・ブログ等の形態の違いはあっても基本的に同じようなスタンスでやってきて、これからもあと30年くらい続けるつもりです。
ま、時にはちょっと発信の分量が減ることもある程度のことです。

今日は冬を迎える前に海岸線をのんびり走っておこうと思い、糸魚川市・能生の弁天岩に行ってきました。
たまたまベトナムからの留学生らしい若い男女5人組が来ていて、楽しそうに写真を撮り合っていましたが、ベトナムの人からは「弁天」という神様?(仏様?)はどんな風に見えるのだろうなどと考えていると、日本人にとって当り前すぎるはずの光景が何だかずいぶんエキゾチックに思えてきました。

http://www.okasi-nakasima.com/blog-nakashima/okashi-diary/3850.html/
http://blog.webtravel.jp/index.php?itemid=2234

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5621
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補足の補足

2010-11-06 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月 6日(土)09時08分24秒

私が特に興味を持っているのは長谷寺能満院蔵の「天河秘曼荼羅」です。
ずいぶん前に読んだ中沢新一氏の『悪党的思考』の口絵写真で初めてその存在を知り、変てこなものだなあと気になっていたのですが、これをきちんと考えてみたいと思っています。
中島氏の論文に参照・引用されている史料としては、例えば「弁天五部経」があり、これを図書館等であたって、漢文を書き下し文にしてほしい、というのが依頼内容です。
リンク先の「レファレンス協同データベース」によると、「弁天五部経」の場合は一部しか翻刻がなされていないようですが、今回は原史料の翻刻までは求めません。

http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000034494

能満院「天河秘曼荼羅」
http://d.hatena.ne.jp/nikogori12/20080713/p2

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「中世弁才天曼荼羅にみる神仏の化現」

2010-11-06 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年11月 6日(土)01時01分9秒

ある美術史の論文、などともったいぶった書き方をしてしまいましたが、これは中島彩花氏の「中世弁才天曼荼羅にみる神仏の化現-天川弁才天図像を中心に」(『女子美術大学研究紀要』第39号、2009年)です。
今年二月、Akiさんの妙音弁才天についての投稿をきっかけに暫く妙音天のことを話題にしていましたが、結局余り深く掘り下げないままでした。
最近、中島氏の上記論文を読んで、改めて妙音天・弁才天をきちんと勉強したいなと思った訳です。

>筆綾丸さん
ありがとうございます。
別に義務でやっている訳ではないですから、時には休んで自然なペースで続けて行こうと思います。

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