学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

相馬市玉野地区

2012-04-30 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月30日(月)13時11分16秒

同じく4月28日に訪問した相馬市玉野地区の現在の様子です。

「相馬市玉野・副霊山神社」

玉野地区については、この掲示板でも3月7日に少し書いています。
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浪江町と飯舘村

2012-04-30 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月30日(月)09時43分1秒

4月28日に訪問した福島県の比較的放射線量が高いとされる地域の様子です。
国道399号を北上し、ときどき枝道に入って戻ってくる、という感じで走行しました。

「浪江町下津島・津島中学校」
「飯舘村長泥」
「飯舘村小宮」
「飯舘村・細川牧場」

浪江町の津島稲荷神社にも久しぶりに寄ろうかと思ったのですが、主要道沿いや検問所など人目がそれなりにある場所と違って、うら寂しい場所を廻っていると、それこそ泥棒の疑いをかけられても仕方ないので止めました。
一年前、津島稲荷神社の裏参道には神社名を書いた小さな幟が沢山あって、まだ新しい感じだったのですが、今回、国道399号線から眺めたら、どれも風雪でボロボロになっていましたね。
神社も相当荒れているのだろうなと思います。

一年前の津島稲荷神社
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一次方程式の人

2012-04-30 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月30日(月)00時35分34秒

>筆綾丸さん
コワいものみたさで武田邦彦氏のサイトをたまに覗いていたのですが、今回のは本当に強烈ですね。
この人の危険度が何京ベクレル相当なのかを計算する一次方程式がほしいくらいです。
さすがにこれを見たら、テレビ関係者も原発事故関係の番組に出すのを躊躇するようになるだろうし、そうなってほしいですね。

>「あの日、大川小で何が起こったか」
問題は「裏山」ですね。
「水道配水池」というのは、おそらく体育館裏の杉林中に存在する昭和35年に作られた古い建造物を指しているのでしょうが、これは相当上の方にあります。
一部父兄が避難先とすべきだったと言われている場所は、もっとずっと下の地点ですね。
混乱を避けるためには周辺の模型図を作ってゾーン毎に色分けして、あなたが言う「裏山」とはどこなのか、下草が生えていたのはどこなのか、シイタケを栽培していたのはどこなのか、雪が降ればそりで下ったという斜面はどこなのか等々、すべて細かく確認した上で証言してもらう必要がありますね。
生き残った教員の「校長に宛てたファクスの手紙」は不自然なところが多く、かといって教育委員会も「精神状態が不安定」と主張する人に対して実際上何もできないのですから、後は裁判の場で、嘘をついたら偽証罪になることを警告した上で宣誓させ、証言を得る以外ありません。
「指導主事」や他の関係者も同様ですね。

「大川小学校の裏山再訪(その4)」

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

老害 2012/04/29(日) 22:07:19
小太郎さん
マッド・サイエンティストは、「一次方程式(y=ax+b)で書けば、今年の1月から3月までの平均がb(つまりおおよその最初の状態)が毎時0.10マイクルシーベルト、a(変化)が0.004(マイクロシーベルト/日)で」、「三重県の外部からの被曝が1年5ミリになるのは、2012年1月から3年4ヶ月後」の「2015年4月1日」と書いていますが、中学の算数もおおかた忘れたせいか、この「一次方程式」が全く理解できません。
aを「変化」とすると、変数xは何を意味するのだろうか。また、aの単位(マイクロシーベルト/日)とbの単位(マイクロシーベルト/時)は違うのに、単純に加算(+)していいのだろうか。・・・いまさら、中学の算数をやり直す気は、さらさらありませんが。
語弊がありますが、三年後、この老害のマッド・サイエンティストが、もう充分、使命を果たしたようなので、この世から消えてなくなっていることを、ひそかに期待しますね。

文藝春秋5月号に、葉上太郎(地方自治ジャーナリスト)という人の「あの日、大川小で何が起こったか」という記事があります。
ーーーーーー
大川小の命運を決めたのは、山に登れたか登れなかったかに尽きる。
裏山はそもそも学校にとってどんな場所だったのだろうか。
市教委で大川小の調査に当たっている指導主事は亡くなった同小教頭のの前任者だ。この指導主事は「私がいた時には、しょっちゅう上がる場所ではなかった」と話す。「遊びで上がることもなかったのか」と尋ねたところ「ない」と答えた。斜面を登る山道のようなものがあるが、「震災後に多くの人が来たのでああいう形になった。前は下草が生い繁っていた」と言う。
ただ、保護者の多くは「学校は裏山でシイタケを栽培していたので、学校も子供達も山のことはよくわかっていた」と口をそろえる。
この山はかつて「水道山」と呼ばれ、釜谷地区の水道配水池があった。そこへの細々とした道は今もあり、少し登ればちょっとした平地や、尾根伝いの林道がある。「子供でも登る気になれば上がれた」と釜谷の男性が話す。そこは往年の子供達の遊び場で、雪が降ればソリで下った斜面でもあった。なのになぜ山へ登らなかったのか。
生き残った教諭は校長に宛てたファクスの手紙にこう書いている。
「あくまで想像ですが、あの極限状態の中で、本当に教頭先生も迷われたのだと思います。ずっと強い揺れが続いており、木が倒れている(錯覚だったのかもしれませんが、皆そのように見えていたと思います。私も子供も山の中にいたとき、何度も揺れる度に周囲の木が折れて倒れる音を聞いています。その度に場所を変えたのですから。)状況の中、道もない山に登らせるのをためらわれたのだと思います。せめて1本でも道があれば、教頭先生も迷わず指示を出されたと思います。それだけに、最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです」
その後の調査で倒木はなかったことが分かっている。改めて教諭に聞き取りを行うよう市教委に求める保護者は多いが、この教諭は精神状態が不安定になったとして休職中だ。
最終的に教頭は三角地帯への移動を決断した。
(後略)
ーーーーーー
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続・下里工芸

2012-04-29 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月29日(日)08時31分54秒

カッパ村はすごいですね。
村長さんは二日で一体という驚異的なスピードで作品を製作されているそうです。


※写真
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田村市船曳町の下里工芸

2012-04-29 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月29日(日)08時05分26秒

昨日は福島県田村市に行き、4月1日に警戒区域が解除された都路町の様子を見てきました。
ついで国道399号線を葛尾村・飯舘村・伊達市と北上し、国道115号線(中村街道)を少し西に進んで相馬市玉野地区・副霊山地区に寄り、最後に宮城県丸森町筆甫を廻って帰宅しました。
三春町・田村市の桜は満開ですが、葛尾村・飯舘村は少し標高が高いので蕾から七分咲き程度ですね。
伊達市月館町は桜が満開の上、広大な桃畑の桃の花が一斉に咲いていて、ちょっとすごい光景でした。
ブログの方に少しずつ写真を載せて行きます。

飯舘村の細川牧場の入口にはドジョウ掬いをやっている人形が置いてあって、何故に飯館村でドジョウ掬いなのだろうかとかねてから不思議に思っていたのですが、田村市船曳町で「下里工芸」という店を見かけて、ああ、ここで買ったのか、と納得しました。
帰宅後に検索してみたところ、「下里工芸」の近くには「カッパ村」という魅力的な場所もあるそうで、ここも行かずばなるまいと決意しています。
私、こういう変てこなものが本当に好きなんですね。
ただ、今は置く場所がないので、残念ながら購入は暫く先になりそうです。

細川牧場

「わらびが丘へおいでよ」

※写真
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一年後の武田邦彦氏

2012-04-28 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月28日(土)09時30分5秒

中部大学教授・武田邦彦氏が昨日発表した見解では、「2015年4月1日になると、三重県には住めなくなる」そうですね。

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「あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日」

ある読者の方が線量計を持っておられて、それを使って毎日、定点観測を続け、その結果をお送りいただいた。測定は毎日、朝は職場、夕はご自宅玄関前、夜は自宅居間就寝前 の3回の測定を標準として、その平均値を整理しておられます。場所は三重県です。
それをグラフにプロットしてご自宅付近の放射線量の変化を見ておられます。科学的に正確でデータもシッカリして、これこそ「被曝の問題を日本人一人一人で取り組み、より安全な生活を目指そう」という活動のなかですばらしいものと思います。
データの詳細は別にして、昨年の9月頃より三重県の放射線量はわずかならが上がっていて、一次方程式(y=ax+b)で書けば、今年の1月から3月までの平均がb(つまりおおよその最初の状態)が毎時0.10マイクルシーベルト、a(変化)が0.004(マイクロシーベルト/日)です。
もちろんデータは個人が測定したもので、ある場所に限定されますし、また最小自乗法でaやbをだされていますが、それも科学的には問題はありません。
これから計算しますと、若干の内部被曝なども加味して、三重県の外部からの被曝が1年5ミリになるのは、2012年1月から3年4ヶ月後となります。つまり、2015年4月1日になると、三重県には住めなくなるという計算結果です。
「人を脅すようなことを言うな!」というおじさんの声が聞こえてきそうですが、脅したりだましたりしている訳ではありません。戦争で言えば、ミサイルが飛んできたとか、何時に日本列島に到着するという計算をして、その結果をそのままお伝えしているだけです。
NHKは「台風の進路、いつ頃台風が来るか」を放送しますが、それと同じです。台風より緊急性が高いかも知れませんし、台風の進路予想より確実性も高いかも知れません。
1年5ミリというと成人男子でも白血病になったら「労災」が適応される線量です。つまり、日本国は「1年5ミリの被曝を受けたら、白血病になる」と認定してきたのです。もちろん、現在の日本政府は知らない顔をするでしょうが、これは厳然とした事実なのです。また電力会社の従業員も1990年ぐらいから1年1ミリに自主規制してきているのですから、1年5ミリの場所に子供も一緒に住むわけにはいきません。
また、三重県はほぼ日本の平均的な線量率ですから、ほぼ日本に住めなくなることを意味しています。このブログでも再三、書いてきましたし、国会の委員会でも参考人で述べましたが、「福島の除染、汚染された野菜、瓦礫の運搬」を続けていると、日本には住めなくなります。
福島原発から漏れた量が80京ベクレルであること、これは日本に拡散したら日本が住めなくなる数字であることを認識し、政府、自治体、電力は本腰になって日本列島を汚染されないように全力で取り組んでください。

私は一年前に↓のように書きました。


先程、「紫苑」掲示板で「武田邦彦」を検索したら、今でも

------------
ネットから得られる原発問題の事実関係に関する情報の中で、私が信頼し、対応の参考にさせて頂いているのは、中部大学の武田邦彦氏、写真家の藤原新也氏、同業の文教大学教授中村修也氏のブログです。

という投稿が残っていますが、野口実氏は現時点でも武田邦彦氏を「信頼」されているんですかね。
そうだとしたら、三重県が危ない以上、京都府からも逃げ出さなければならないと思いますが。
文教大学教授中村修也氏はどうされるつもりなのか。

一年前は情報の混乱の中で武田邦彦氏のような存在が多くの人の注目を浴びましたが、まあ、mad scientist だった訳ですね。
一年後にこれだけ変なことを言っているのだから、三年後、五年後にはもっと変なことを言うはずです。
野口実氏も、武田邦彦氏の名前を含め、放射能関係の記事を整理された方がよいのではないですかね。
いつまでも放置しておくと、将来、文化勲章や文化功労者といった各種栄典の受賞の妨げになることだってありうると思います。
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小高区・村上城址周辺(続き)

2012-04-27 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月27日(金)12時00分59秒

前回訪問の翌々日、4月18日に再訪した際の様子です。

「小高町村上・村上第一排水機場(その1)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55532564.html
「小高町村上・村上第一排水機場(その2)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55534241.html
「小高区村上・西谷地」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55537989.html

南相馬市の放射線量は一部の山間部を除いてかなり低くて、手元の『河北新報』で昨日(4月26日)の数値を見ると、福島市が毎時0.66マイクロシーベルト、二本松市が0.53、郡山市が0.60なのに対し、南相馬市は0.35ですね。
小高区の海岸寄りの地域など、日常生活を営むのに何の問題もないレベルだったのに警戒区域に入れられてしまって、一年経っても時間が止まったままの本当に悲惨な状態です。
数値が低いことは警戒区域が設定された昨年4月の段階で分かっていた訳ですが、当時はまだ原発の状況がどうなるかはっきりしないから、距離の近い地域の人には避難してもらう、という説明も一応の合理性はあったかもしれません。
しかし、原発の状況が一応安定して以降、特に緊急時避難準備区域の解除がなされた昨年9月30日の段階で警戒区域の見直しを行わなかったのは何故なのか。
小高区の海寄りの地域のような、福島市の半分以下の線量の場所がいつまでも警戒区域として立入禁止になっていたのは悪い冗談としか思えないですね。
警戒区域の設定自体は合理的・合法的・合憲的であったとしても、その後、適切な時期に適切な見直しを行わなかったという不作為が、国民の居住・移転の自由(憲法第22条第1項)を侵害する、と考えることは十分可能だと私は思います。
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小高区・村上城址周辺

2012-04-26 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月26日(木)17時26分4秒

警戒区域解除の初日である4月16日に訪問した場所の続きとして、いくつかアップします。
貴布根神社は夕方遅くに参詣したため余り良い写真が撮れず、撮り直しに行こうかとも思っているのですが、暫くは余裕がないので16日のものを載せておきます。

「小高区村上第二排水機場」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55512318.html
「小高区村上・貴布根神社(その1)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55515508.html
「小高区村上・貴布根神社(その2)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55521050.html
「小高区村上・波切不動尊」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55524394.html
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双葉郡内の文化財

2012-04-26 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月26日(木)08時25分8秒

『福島民報』に出ていた記事です。
同社の記事は比較的短期間でネットでは見られなくなるので、保存しておきます。

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警戒区域の文化財を来月にも搬出 損傷を防ぎ保護

 県教委は双葉郡内の文化財を保護・継承するため、東京電力福島第一原発事故に伴う警戒区域内に残されたままの遺物を5月にも相馬市に搬出する方針を固めた。保管場所は相馬市の旧相馬女子高とし、対象件数は少なくとも数千点に上る見通し。避難区域再編後も長期間、住民不在となる地域が出ることを想定、現状のまま放置すれば損傷が進み、地域の財産が失われかねないと判断した。文化財に応じた適切な管理法の確立や除染などが課題になる。
 国や県指定の移動可能な文化財は区域外への搬出をほぼ終えており、今回は資料館などに展示・保管されている各町村指定の文化財や、未指定でも地域の歴史を伝える上で重要な遺物を対象にする。土器、古文書、民具、農具など多岐にわたる。
 全域が警戒区域になっている富岡、大熊、双葉の3町から搬出を開始する方針。富岡町は、町文化交流センター内にある歴史民俗資料館に地域の歴史を記した古文書や美術品の掛け軸など約千点が残されている。しかし、震災で交流センターの配管が損傷し、所蔵品が湿気で傷む懸念が出ており、早急な対応が求められている。
 大熊町は町内の遺跡からの出土品など数千点が町民俗伝承館にある。双葉町は町歴史民俗資料館の古文書や植物標本、美術品など数百点を運び出しの対象とする。
 県教委は各町の意向を聞き、町指定の文化財のほか、古文書など傷みやすい資料から搬出し、緊急性の高い文化財は年内にも完了させる。保管場所の旧相馬女子高には除湿器などを整え、管理に万全を期す方針。
 この他、南相馬、楢葉、浪江、川内の各市町村とも運び出しが必要かどうかを協議する。
 警戒区域内の文化財をめぐっては、国、県指定が優先され、町村指定などは手付かずの状態だった。文化庁は被災地で文化財レスキュー事業を展開しているが、警戒区域は「放射線の影響で長期間作業できない」として実施していない。
 県教委は「文化財は地域の財産。各自治体の意向に沿って運び出しを進めたい」(文化財課)としている。寺社仏閣などが所有する文化財や美術品も希望があれば対応する。
(2012/04/22 08:54)
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4147&blockId=9964552&newsMode=article

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春の大川小学校

2012-04-25 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月25日(水)13時22分36秒

産経新聞の記事に関連して、今月15日(日)に大川小学校を訪問した時の様子をアップしておきました。

「春の大川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55492680.html

大川小学校の問題は、おそらく民事訴訟になるでしょうね。
様々な事情から津波襲来の直前まで校庭に留まっていたとしても、わずか3分程度で安全な場所に避難できたのですから、「三角地帯」を目指した教職員の判断ミスはあまりに重大であり、そのような判断ミスを誘発した柏葉照幸校長の怠慢は正式な法的手続きで追及されなければならないと私は考えます。
先生達も亡くなっているのだから裁判なんかにしなくても、と思う人がいるかもしれませんが、事実関係を調べれば調べるほど、今の時点で裁判になっていないことの方がむしろ不思議です。
それは、やはり地域の事情なんでしょうね。
私も大川小学校を見た後に丸山地蔵を訪問して、丸山地蔵の持ち主のお宅に大川小学校の先生がいて津波で亡くなったと知ったときには驚きましたが、亡くなった先生も児童も大半が同じ地域に住んでいる訳ですから、父兄が裁判に踏み切るのは大変な負担だと思います。
しかし、裁判以外に被害者側が納得できる形で真実を明らかにする公の制度はありませんから、そろそろ実りのない石巻市との交渉を打ち切って正式な裁判にすべき時期でしょうね。
その過程で事実関係が明確になってくれば、裁判所の仲介の下で和解をするということもありえます。
もちろん、亡くなった先生達やその遺族への責任追及ではなく、実際には石巻市への国家賠償法に基づく損害賠償請求の形になりますね。
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産経新聞・大里直也氏への疑問

2012-04-25 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月25日(水)08時55分5秒

産経新聞からの引用です。

--------
「目の前に高台があるのになぜ…」・大川小【東日本大震災パノラマ Vol.180】

 児童74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校で、長男の健太君=当時(9)=を失った佐藤とも子さん(48)のバッグには、お守り代わりに健太君が書いた一通の手紙が入っている。
 3年生になったころ、道徳の授業でやりとりしたものだ。流産を経て39歳のときに授かった一人息子。「健太だけが私たちの生きる、頑張るすべてだったんです」。涙が止まらない。
 学校で先生がついていながら、なぜ命を落とさなければいけなかったのか。健太君を思うと、いつもそこに考えが行き着き先に進めなくなる。津波到達までの約50分間、目の前に高台があるのになぜ逃げられなかったのか。助かったはずの命と思うだけで、悲しみと悔しさで胸が張り裂けそうになる。
 4月には新学期が始まる。震災の記憶が世の中から薄れていくほど、知りたい先にはたどり着けなくなる。「私たちにとっては風化も何も、まだ終わっていないんです」。悲しみに暮れ、まだ前を向くことができない人も少なくない。
  (文・大里直也)(2012年2月22日、2011年6月11日、植村光貴撮影)
http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2012/0331ookawa03/

産経新聞の「パノラマ写真館」は優れた企画だと思いますが、この大川小学校のパノラマ写真の場合、若干の疑問を感じます。
まず、この撮影方法による特性なのか、大川小学校裏の崖を切り崩した草付の斜面の傾斜がずいぶん緩やかに見えてしまいますね。
この斜面の傾斜は微妙な角度で、一見すると、けっこう登るのが大変そうに見えます。
だから、柏葉照幸校長の「裏山は泥炭地でつるつる足が滑る」という説明が、学校周辺を実際に見ているマスコミ関係者にも特に疑いなく受け入れられる素地があります。
しかし、実際には登るのはそれほど難しくないことはブログの方に書きました。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54643398.html

次に、大里直也氏の文に引用されている佐藤とも子氏の発言は「目の前に高台がある」となっていますが、パノラマ写真を素直に見る限り、「津波到達点」の周囲は斜面であって、「高台」ではないですね。
この斜面は単純に登るのはそれほど難しくないのですが、ずっと立っているのは非常につらいですね。
撮影した植村光貴氏も結構大変だったはずで、筋肉痛になったかもしれません。
私は最初、この「津波到達点」のプレートの上に平場があるのを知らなかったので、この斜面に逃げるのは無理だろうなと思い込んでいました。
ただ、実際には「津波到達点」の約2メートル上に幅が4メートルほどの舗装道路のようなコンクリートの平場があるので、平場を目標とすれば、この斜面に逃げるのは合理的ですね。
そして、この平場は「高台」という表現がぴったりの場所です。
とすると、佐藤とも子氏はコンクリートの平場を念頭に「目の前に高台がある」と言ったのに、大里直也氏がその意味を理解しなかった可能性があるように思います。
「パノラマ写真館」の記事は撮影者が書いていることが多いのですが、この記事では、撮影者と文章の執筆者が分離していますね。
そこで大里直也氏の名前を検索してみたら、この人は記者ではく、「写真報道局」のカメラマンですね。
画像検索すると大里氏が撮影した膨大な数の写真が出てきますが、人物は天皇陛下・野田首相・石原慎太郎・渡辺恒雄・拉致被害者家族会からジュリア・ロバーツ・多部未華子・長谷川理恵・飯島直子まで、その範囲の広さに驚かされます。
また、数としてはサンスポ掲載のスポーツ写真が多くて、野球・サッカー・陸上・ゴルフ等、あらゆるスポーツをカバーしていますね。
更にはフェラーリ等の高級スポーツカーの発表会の写真まであります。
ただ、被災地関係の写真はそれほど多くはないですね。
この記事の場合、佐藤とも子氏に取材したのは大里氏でしょうが、大里氏は本当に大川小学校周辺を見ているのか。
大里氏は植村光貴氏の撮影した写真を見て、傾斜が緩そうだから、この斜面全体が佐藤とも子氏の言う「高台」なのだろうと思ったのではないか。
どうも私には、撮影者と文章の執筆者が分離したために、証言した人の真の意図が記事に反映されなかった可能性が高いように感じられます。

(追記)
2012年3月10日付の下記記事を見ると、この記事自体は無署名ですが、佐藤とも子氏に取材したのは大里氏で間違いないようですね。
さすがに文章が下手なカメラマンからの又聞きで同僚や上司が作文した、といった話ではなかったですね。
内心、ちょこっと疑ってしまいましたが。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120310/dst12031023000023-n1.htm
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警戒区域の内と外(続き)

2012-04-24 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月24日(火)07時24分20秒

21日の訪問記録の続きです。

「原町区小浜・波切不動尊」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55469558.html
「原町区小浜・千石稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55470387.html
「小高区・相馬小高神社(その1)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55471908.html
「小高区・相馬小高神社(その2)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55474420.html

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警戒区域の内と外

2012-04-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月22日(日)18時17分28秒

昨日は最初に県道49号線(原町浪江線)を立入禁止となっている地点まで向かうことにし、横川ダムを眺めてから浪江町との境界にある原浪トンネル手前まで行ってみました。
ここで道路が閉鎖されていましたが、警察官はいなかったですね。
県道49号線は南相馬市西部の山の中を通る道で、放射線量が比較的高く、鉄山ダムの脇に置かれていたリアルタイム測量計は毎時4.837マイクロシーベルトを表示していました。
往路では誰一人とも会いませんでしたが、復路では横川ダムで中年のバイク乗りの人と会い、少し話しました。
何でも原浪トンネルの奥のワインディングロードがバイク乗りにとっては楽しい道で、以前から時々走っており、久しぶりに途中まで来てみた、とのことでした。
その後、警戒区域に入れられてしまっていた地域の神社・寺院をいくつか見て、ついでに警戒区域入りをギリギリ免れた原町区のいくつかの神社にも寄ってみました。
少しずつ紹介してみます。

「原町区馬場・山祇神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55441070.html
「原町区鶴谷・小鶴明神、綿津見神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55439622.html
「原町区鶴谷・長松寺」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55444453.html
「原町区上太田・北野天神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55448204.html
「原町区益田・八坂神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55451258.html
「原町区高・多珂神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55452029.html
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猫神さまの写真集

2012-04-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月22日(日)11時38分49秒

検索したところ、o-koseki氏の写真集は充実していますね。


ちょっと残念なのは一番下の中央、石黒伸一朗氏が「山王石碑(大内字山王)碑23」(『丸森の猫神さま』p6)としている石碑で、これは自然石の角の部分を上手に使った傑作なのですが、o-koseki氏の写真では少し分かりにくいですね。
私はたまたま3月15日に付近を訪問し、この石碑も撮影していたので、紹介しておきます。
道路工事のため平成23年7月7日に石碑を集めたとのことなので、周囲の様子はかなり変わっていますが、網羅的に写真・拓本を載せている『丸森の猫神さま』で他に類例はないので、間違いなく同じ石碑です。

※写真
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『丸森の猫神さま』その2

2012-04-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月22日(日)09時22分18秒

>筆綾丸さん
丸森町は福島県伊達市・相馬市に隣接していて、江戸時代からの養蚕地帯なんですね。
石猫も多くは養蚕との関係によるものだそうです。
ただ、石黒伸一朗氏は次のように言われています。(『丸森の猫神さま』p21)

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 しかし、猫に関する石碑と石像がすべて養蚕と直接関係があるとは言えません。(中略)西円寺石碑群1号碑は、縞模様のある猫を線刻していますが、これは大槻旅館で飼っていた猫の供養碑と言われています。金ヶ作前石碑は宍戸家の墓地にあり、碑面いっぱいに縞模様のある猫の図像を線刻しています。これは宍戸家で飼っていた猫の供養碑と言われています。革踏石石像は、星家で飼っていた猫が長生きしなかったり、すぐに居なくなるため、行者にみてもらったところ、猫神様の石像を作って祀りなさいと言われたために立てられました。平松前A石像は、かわいがっていた猫が死んだため、供養として立てられたものと伝えられています。大張大蔵字中平の大槻末雄家で祀られている猫神の祠は、猫の病気治癒や無病息災にご利益があると信仰されていました。これらのことから、養蚕の豊作祈願とは別に、猫の供養、猫の長寿祈願、病気治癒や無病息災のために建てられた石碑や石像もあります。いずれにしても飼っていた猫を、大事にかわいがっていたということを思わせるものです。
 また、猫が死んで祟るときにも、猫神と彫った石碑を立てるという事例が筆甫にありました。しかし、実際に猫がどのように祟るのかということは良く分かりません。例えば、家族に病人や怪我人が出たとか、財産がなくなった等、悪いことを指すのでしょうか。(後略)
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>青っぽい彩色
私もこの色が気になりました。
「まるもりふるさと館」の説明はおそらく大蔵寺の寺伝の受け売りでしょうが、大蔵寺は江戸時代初期に臨済宗に変わったとのことで、古い像のことは良く分からなくなってしまっているようですね。
誰かが研究していると思いますので、もう少し調べてみます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

猫絵と聖徳太子 2012/04/21(土) 20:22:49
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9D%BE%E6%B0%8F
猫神は殆ど初耳なのですが、新田岩松氏の末裔に猫絵の殿様というのがいて、その絵は養蚕関係者に飛ぶように売れたというような話を聞いたことがあります。東北地方の猫神は養蚕と関係があるのかどうか。しかし、養蚕の北限は福島・山形までで、宮城以北の養蚕はあまり聞いたことがないので、猫神との関係はないのかな、とも思います。

「獣面武装菩薩像」は、アーノルド・シュワルツネッガーとの戦いに敗れたターミネーターの姿のようにも見えますね。
「大日如来」のヘアスタイルが角髪(みづら)のように見え、これは東北地方巡礼中の聖徳太子ではあるまいか、と思いました。商人のもみ手のような印相(?)と青っぽい彩色が気になりますね。
コメント
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