前回投稿で「加害者としての女性史」を開拓したいと書きましたが、これは別に女殺人鬼や女武将の研究とかではなくて、「知的で魅力的な悪女」の発掘ですね。
私は旧サイトで「中世の最も知的で魅力的な悪女について」をサブタイトルとしたように、後深草院二条が「知的で魅力的な悪女」の代表格だと思っていますが、最近の検討で、北条義時の正妻「姫の前」やその娘の「竹殿」なども決して「被害者」ではなかっただろうと、一応の根拠に基づいて主張してみました。
山本みなみ氏『史伝 北条義時』(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e5c6e11caf96264bb395fc07a9ab7448
また、赤橋登子は夫である足利尊氏の意図を熟知しながら、それを実家や北条一族に黙っていたことにより討幕に決定的に重要な貢献したと思われるので、後深草院二条と同格の「知的で魅力的な悪女」ですね。
「足利高氏は妻子を失い滅亡する可能性もあった」(by 谷口雄太氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2beff379de15d0d07cff16070c7227d6
更に「悪女」とは呼びにくいものの、大宮院や遊義門院も、独自の政治的見識に基づき、持明院統と大覚寺統の対立を緩和しようと努力した女性のように思われます。
「新しい仮説:後宇多院はロミオだったが遊義門院はジュリエットではなかった。」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7510e924ed2c4eaf216c6d9643ebffef
とまあ、そんな具合にあちこち手を伸ばしていたので、出発点である後深草院二条について、自分の認識の進化はその都度、一応文章にしていたものの、必ずしも分かりやすい形で整理してはいませんでした。
そこで、たまたま共通テストで『とはずがたり』と『増鏡』が出題されたことを契機に、後深草院二条とは何者か、『とはずがたり』と『増鏡』が如何なる関係にあるか、との自説の基礎部分を改めて堅固なものにしておこう、というのが現在の私の取り組みです。
さて、田渕句美子氏の「宮廷女房文学としての『とはずがたり』」(『歴史評論』850号、2021)は、『とはずがたり』研究の方法論的限界も示しているように思われます。
田渕氏は『増鏡』に「久我大納言雅忠の女」が「三条」として登場する場面に関連して、
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この記事は現存の『とはずがたり』にはないが、こうした無名の一女房の感懐を記すものは女房日記以外には考え難く、『とはずがたり』の散逸した部分である可能性が高いであろう。さらには、憶測であるが、この『増鏡』の入内記事の一部は、現存しない『とはずがたり』に拠ったものかもしれない。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/66f7802d9c70bb30a9891cfe41740121
と言われていますが、「『とはずがたり』の散逸した部分である可能性」や「現存しない『とはずがたり』」まで想定した議論は検証可能性が皆無なので、学問とすら呼びにくいものです。
『とはずがたり』だけを扱っていたのでは虚構の限界の見極めは原理的に不可能で、「『とはずがたり』の散逸した部分である可能性」どころか、『とはずがたり』全体が後深草院二条が構築した仮想現実である「可能性」も排除できません。
『とはずがたり』では後深草院二条がお釈迦様であって、『とはずがたり』の研究者は絶対的支配者である後深草院二条の掌の中で右往左往しているだけ、という「可能性」もあり得る訳です。
とすると、『とはずがたり』研究が検証可能な、客観性のある学問であるためには、『とはずがたり』という作品の内部ではなく、二条が『とはずがたり』の外部の現実世界に残した痕跡を調査する必要があります。
仮に『とはずがたり』の外部で後深草院二条が何者かという客観的な手がかりが得られたなら、その手がかりから、『とはずがたり』とは何であったかを照射することが可能となるはずです。
果たしてそんな外部の痕跡は存在するのか。
私はそれが鎌倉で流行した「早歌」という歌謡に残された「白拍子三条」だと考えています。
この点、共通テスト問題の検討を始めたばかりのときに少し言及したのですが、あまりにせっかちなやり方だったので、訳が分からないと思った人が多いと思います。
『とはずがたり』の政治的意味(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8bb6604fe41c778bbff02b322540603e
後深草院二条の「非実在説」は実在するのか?
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9863995b7a09d6bb043ea13b0ef337b2