学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

東日本復興計画私案(後半)

2011-05-31 | 東日本大震災と研究者
東日本復興計画私案(後半) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月31日(火)23時25分26秒

三、歴史的建造物の復元

 復元の対象となる歴史的建造物は、各教団がそれぞれの歴史的伝統を踏まえ、決定する。
 仏像や核心的な重要性を有する建造物はかつて存在したものと同種の素材で復元すべきであるが、それ以外の建造物はデザインのみを承継するものとし、必要に応じてスケールを拡大し、素材は木造建築にこだわることなく、最新の建築技術を駆使して、今回の大震災規模の地震・津波が再び起きた場合にも充分に対応できる頑健な建造物とする。
 万一の災害時には、住民の避難所として活用する。
 また、陸前高田市のような広い平坦地では、核シェルター並みの地下避難所を併設することも検討する。
 災害対策のために付加された部分については、公的支援を特に手厚く行う。


四.建設工事による雇用の創出

 伝統的建造物復元工事には地元の建設業者を活用し、大勢の被災者を雇用する。
 壮麗な宗教的空間を創造する工事への参加は、それ自体が死者を供養する行為であり、被災者に心の安寧をもたらすことができる。
 大勢の被災者に誇りをもって働くことのできる場を提供し、物質面のみならず精神面においても、生活再建のきっかけを与えることができる。


五、門前町の形成

 各寺院の門前には参拝者・観光客を受け入れるための門前町を作り、ホテル・旅館・飲食店・土産物店等の事業を奨励し、若年層のみならず高齢者も働くことのできる雇用の場を創出する。
 そして寺院を精神的紐帯とする、高齢者にとっても安心して生活できる地域コミュニティを作る。


六.東北版「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の形成

 主要被災地ごとに壮麗な歴史的建造物を復元し、かつ石巻市釜谷の大川小学校のような特に痛ましい被害があった場所には死者・行方不明者の人数に応じた規模の寺院を建立し、また、殉職した警察官・消防官・消防団員等、顕彰すべき功績のあった人々のために、それぞれにゆかりの場所に堂宇・慰霊碑を建設し、それら全てを連結して数百キロメートルの巡礼路を造り、更にこれらを中尊寺や瑞巌寺等の名刹・古刹と連結させて、福島県から岩手県までの太平洋沿岸に、文化的レベルにおいて京都・奈良に匹敵し、規模において京都・奈良を凌駕する落ち着いた雰囲気の広域的宗教空間をつくる。
 そして、東北の豊かな自然環境と組み合わせた国際的な観光地とし、観光業を東北地方の経済を長期的に支える主要産業とする。
 その際に最も参考となるのは、スペインの、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」である。
 イエスの十二使徒の一人、聖ヤコブが埋葬された地と伝承されるスペイン北西部の宗教都市、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路は、千年を超えて存続し、現在もなお多くの巡礼者を迎えており、近年、ユネスコに 「道の世界遺産」として登録されている。
 最も重要なルートが海に沿って展開し、数多くのロマネスク様式の教会・修道院を結ぶサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、東北に新しい広域的宗教空間を形成する上で見習うべき重要なモデルとなる。


七、おわりに

 以上、雇用の創出、産業の形成を中心に論じてきたが、これらと並んで重要なのは教育である。
 大震災により、被災地の子供たちは千年に一度の黙示録的光景と直接に向き合う過酷な経験を強いられ、また、被災地外においても、メディアを通じて多くの子供が惨たらしい映像を繰り返し見せつけられた。
 しかし、過酷な経験を強いられた子供たちこそ、世界を変革する主体となる可能性を秘めている。
 これらの子供たちの中から、人類のあり方を巨視的に見通す深い洞察力と構想力を持った科学者・思想家・哲学者を生み出すことを目標に、子供たちが深く考えるための素材を日本の全歴史の中から取り出して実体化すべきである。

以上



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東日本復興計画私案(前半)

2011-05-31 | 東日本大震災と研究者
東日本復興計画私案(前半) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月31日(火)23時21分45秒

5月11日の投稿で朝日新聞の「ニッポン前へ委員会」に論文を送ったこと、落選したらこちらに載せるつもりであることを書きましたが、その後、何の動きもないようです。
昨日、今後の予定について質問のメールを送ったのですが、返事はありません。
私も別に副賞が欲しくて応募した訳ではなく、新聞のような古いメディアの暢気な時間感覚にはとても付き合えないので、結果の発表を待たずにこちらに載せることにします。
ま、考えをまとめる機会を与えてくれた点は朝日新聞に感謝したいですね。


-----------------

東北に「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を
- 歴史的建造物の復元による復興計画 -


一、はじめに

 被災地の復興は津波による多数の死者・行方不明者を忘れて行われてはならない。
 死者を悼み、供養することこそが復興の出発点でなければならない。
 そこで、天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗等の伝統的な仏教教団が中心となって、主要被災地に死者を供養するための巨大寺院と門前町を作るものとする。
 それら寺院は、藤原道長の法成寺、白河法皇の法勝寺、源頼朝の永福寺(二階堂)、西園寺公経の西園寺、九条道家の光明峯寺や、また例えば浄土真宗であれば山科本願寺・石山本願寺等、歴史的に極めて重要な役割を果たしながら既に失われてしまった歴史的建造物を、歴史学者・建築学者の協力を得て復元して建設するものとする。
 遥か昔に失われてしまった歴史的建造物は、津波により無慈悲に命を奪われた人々、特に遺体さえも失われてしまった人々を供養する施設としてふさわしい。
 そして、歴史的建造物の復元を目的とすることにより、特定の宗派の施設ではなく、国家及び国民一般にとって歴史的・文化的価値のある施設としての要素を加え、憲法第20条の政教分離原則に反することなく、国・地方公共団体による、財政的支援を含めた様々な協力・援助が可能となる。
 主要被災地に巨大寺院と門前町を作り、また特に痛ましい被害があった場所にも寺院を建立し、更に顕彰すべき功績のあった人々のために、それぞれのゆかりの場所に堂宇・慰霊碑を建て、それら全てを連結してスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」をモデルとする巡礼路を作り、東北に京都・奈良に匹敵する広域的宗教空間を形成し、観光業を発展させ、数百年に及ぶ長期的・安定的な雇用を生み出すものとする。


二、復興の主体

 一般には復興の主体は国・地方公共団体等の公的存在と考えられている。
 しかし、復興における最も重要な課題は、被災地における人心の荒廃を防ぐことにある。
 今回の津波はあまりに残酷で、多くの人の心に深い傷を残した。
 その傷を癒すことは容易ではないが、出発点として、まず何よりも死者を悼み、供養しなければならない。
 そして、これほど多くの死者を悼み、供養するためには、千年、百年単位の伝統を有する仏教教団の宗教的使命感と組織力が必要である。
 伝統的な仏教教団は、自衛隊に匹敵する豊富な人材と資金を有しており、物理的復興に一応の成果を得た次の段階において、精神的復興のために最前線に立つべきである。
 そして、国や地方公共団体は、憲法第20条の政教分離原則を守りつつ、伝統的な仏教教団の活動を側面から支援すべきである。


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決議案と決議の異同(その2)

2011-05-31 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月31日(火)22時33分15秒

四番目の「情報統制」に関する部分ですが、原案起草者はこの部分に尋常ならざる関心を抱いているようで、分量的にも他の項目の2倍はありますね。
しかし、内容はどうかというと、まず「東電福島第一原発で発生した事故はチェルノブイリに匹敵する破局的事態」と断定している点は、事実認識としてかなり異論があるでしょうね。
原子炉そのものが爆発したチェルノブイリと安全装置が作動して緊急停止した福島第一原発を、その放出された放射性物質の量の相違にもかかわらず全く同視して「チェルノブイリに匹敵する破局的事態」と言うことは、それ自体が「風評」「デマ」ではないかと考える人もいると思います。
次に、「政府・東電による情報提供の不適切さは、インターネット上等における様々な不安の声や、時として不確実な情報の氾濫を招いた。これは情報公開の遅れや不十分さが引き起こした事態であるにもかかわらず、このようなさまざまな声を、『風評』『デマ』等のレッテルを貼ることにより、封殺しようとする動きが観察される」との主張は、原因がどうであれ、結果として生じた「風評」「デマ」をそのまま放置しろという主張になりますが、それは歴史学研究会が強調する「科学的」態度と言えるのですかね。
「さまざまな声」の内、科学的知識の不足による誤った声は社会に混乱をもたらすだけだから、正しい科学的知識によって牽制されければならない、と考えることこそが科学的態度ではないのか。
文字通りの「風評」「デマ」を放置しておいて、「現在の危機をどう収拾すべきかをめぐる、冷静・客観的な議論」ができるはずはないと私は思いますね。
また、「災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、『他者』を排除する傾向が強まる場合があることは関東大震災の際の苦い教訓が示す通り」とありますが、これを書いた人はいったい何年生まれなんですかね。
ごく限られたエリートのみが海外に行けた大正時代と異なり、普通の市民が日常的に海外に旅行し、海外で働く人、学ぶ人が当たり前に存在する現代日本において、災害が起きたから関東大震災の時のような外国人の虐殺が起きるのではないかと心配する人がいたら、それは単なる馬鹿ですね。
インターネットが普及している現代において、異論を封じることなどできるはずがないのは、ウィキリークスひとつ見ても明らかです。
1900年に生まれて、若いころに関東大震災を経験し、戦争で苦労して戦後は定年まで一生懸命働いた人が、歳をとってかなり耄碌し、インターネットに触れることもないまま111歳になって東日本大震災に遭遇したなら、「災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、『他者』を排除する傾向が強まる」のではないかと心配するのも理解できますが、普通にインターネットを利用する現代人が、何でそんな訳の分からない心配をしなければいけないのか、ちょっと理解できないですね。
前の投稿で、「中野聡氏のような東大・一橋大学の本当に優秀な歴史学者ならそのような離れ業ができるのかもしれませんが」と書きましたが、もちろんこれは単なるイヤミで、こんな原案を提出した「科学運動」の「全体を統括する」事務局長の中野聡氏は相当深刻な馬鹿であり、その馬鹿の度合いはレベルセブンの「チェルノブイリに匹敵」するでしょうね。

>筆綾丸さん
実は私も公開初日に「アジャストメント」を観に行ったのですが、「ボーン」シリーズのようなスピード感溢れるサスペンスドラマかと思ったら全然違っていて、ちょっと戸惑いました。
1時間くらいは我慢していたものの、結局途中で出てしまったので、ご指摘の場面は残念ながら見ていません。
ここには書きませんでしたが、「八日目の蝉」も観ています。
女優陣はみんな迫真の演技でしたが、新興宗教の教祖役の余貴美子は怖すぎました。


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「祖国と人民」

2011-05-30 | 歴史学研究会と歴史科学協議会

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月30日(月)01時16分44秒

「決議案と決議の異同(その2)」を書くつもりだったのですが、所用で少々くたびれたので、また後にします。

>筆綾丸さん
歴史学研究会の綱領は歴史的経緯を知らないと意味が分かりにくい箇所がありますね。
私は戦前から第一次安保闘争あたりまでの共産主義運動に多少興味があるので、ある程度は歴史的経緯を理解しているつもりですが、歴史的経緯を知ったところで何かの役に立つかというと会員にとってすら特にそんなことはなく、そもそも綱領自体をきちんと読んだことがないか、読んではいても興味がない会員が大半だと思います。
この綱領を生真面目に受け入れるようなタイプの人たちは、歴史学研究会の他に「歴史科学協議会」という団体にも加入していますね。
歴史科学協議会は2008年に財団法人になったそうですが、正式に法人格を取得しているだけあって、定款は大変しっかりしたものですね。
ま、「当法人は、現代における帝国主義的歴史観に対決する人民の立場に立つ。」という部分など、古色蒼然たる感は否めないですが。

http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/teikan.pdf

 

 

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決議案と決議の異同(その1)

2011-05-28 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月28日(土)11時28分36秒

主要な変更点を見ると、まずタイトルが「歴史学関係者の責務」から「歴史学研究会の責務」となっています。
前文は、原案にあった「復興に向けて努力する被災者と連帯する」が削除されていますね。

地震研究に関する最初の項目では「社会に警告を発するべきであったという痛切な反省の念を抱かずにはおられない」が削除されていますが、まあ、これは原案が少し大げさだったからでしょうね。
社会に警告を発すべきだったのは地震学者を始めとする自然科学の研究者であって、その人たちにできなかったことを歴史学者に期待するのはちょっと無理ですね。
大震災発生後に保立道久氏がブログで熱心に書かれているような研究が仮に大震災前に発表されていたとしても、自然科学者の研究が伴わなければ、素人が訳の分からないことをわめいていると冷笑されただけでしょうね。

「歴史資料等」の救援に関する二番目の項目では、筆綾丸さんご指摘のように「原子力災害がもたらした歴史資料等の被災」は変なので削除されているほか、「宮城資料ネットワーク」(正確には「宮城歴史資料保全ネットワーク」、略称は「宮城資料ネット」)への言及が削除され、また、「全国の歴史学関係者は、歴史資料等の救援に全力をあげて協力しなければならない。また、我々は、今回の被災地域以外においても、予想される将来の災害に対する歴史資料等の防災・減災に取り組まなければならない」が削除されていますね。
そして、「歴史学研究会は、災害からの市民生活の再建と復興という課題と不可分の取り組みとして歴史資料等の救援や災害・復興記録の収集・保存を位置づけ、地域の歴史性を大切にしつつ関係諸団体と連携して活動を進めるとともに、日本史・外国史を問わず、広く歴史学関係者に対して協力を呼びかけたい。」という穏当な表現に替わっていますが、これは原案の独善的な押しつけがましいトーンが嫌われたからでしょうか。

原発事故に関する三番目の項目では、「今回の原発事故は、これまで『安全神話』によって国民を欺いてきた電力会社および歴代の政府によって引き起こされた明らかな人災である」という断定や「本来であれば、我々は、原発問題を歴史学のテーマとして正面から取り上げ、『科学技術』過信の成長優先主義がいかに危険なものであるか、警鐘を鳴らすべきであった」、「我々は今後、歴史学の立場から、企業や国家の論理を厳しく監視・批判する作業に取り組んでいかねばならない」という主張が削除され、「被爆国の歴史学界として取り組むべき課題がある。歴史学研究会は、これまでの取り組みが不十分だったことを反省すると共に、今後、これらの課題の歴史学の立場からの検証に努めたい。」という穏当な表現になっていますね。

まあ、「原発問題を歴史学のテーマとして正面から取り上げ」るといっても、本当に正面から取り上げるためには最先端の科学知識、それも物理学・原子力工学から放射線医学までの広範な分野の科学知識が前提として必要ですから、それを歴史学者に求めるのは酷に過ぎるでしょうね。
中野聡氏のような東大・一橋大学の本当に優秀な歴史学者ならそのような離れ業ができるのかもしれませんが、私立大学の大学教授クラスの歴史学者でも数学・理科があるから国公立大学は受験しなかった、などという人が結構多いのが歴史学界の実情であり、物理・化学・生物・地学の大学入試レベルの知識すらない人たちが「原発問題を歴史学のテーマとして正面から取り上げ」たら、世間の物笑いになるだけですね。


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提案の責任者

2011-05-28 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月28日(土)10時19分13秒

>筆綾丸さん
現実に決議された案は、さすがにかなり修正されていますね。

http://rekiken.jp/appeals/appeal20110521.html

歴史学研究会の会則を見ても、総会の定足数や決議の成立要件は明確ではなく、伝統のある団体にしては少々お粗末な感じがします。
今回の決議はホームページでは「科学運動 」に分類されていますが、会則第2条では

---------
第2条 本会は前条の目的を達成するために以下の事業をおこなう。
(1)会員相互の討論、共同研究、文献蒐集そのほかの研究調査
(2)機関誌『歴史学研究』そのほかの図書文献の編集発行
(3)講演会、公開討論会、そのほかの大衆会合、本会外への講師派遣
(4)会員の親睦共済のための事業
(5)以上のほか適当な事業

http://rekiken.jp/about_us/koryo.html

となっているので、「科学運動」は「以上のほか適当な事業」に含まれるようですね。
事業目的に「適当」という文言を入れるのもいい加減というか、奇妙な言語感覚で、まあ、頼まれもしないのに添削すると、「その他、上記各号に関連する事業」てな表現が普通ですかね。
さて、「委員会活動方針(2006年度)」を見ると、

---------------------
VI 科学運動・学術体制
①歴研のこれまでの活動の歴史を踏まえ、歴史学の現状や諸課題に深くかかわる社会的問題や学術体制をめぐる問題などについて、声明・集会などの社会的アピールを含めて積極的に対応する。
②「日の丸」「君が代」の強制、天皇制の政治的利用、アジア太平洋諸国に対する戦争責任、改憲など、民主主義にかかわる諸問題に対し、積極的な行動をとる。
③歴史教育と歴史教科書問題に取り組む。不当な教科書攻撃に反対し、子どもと教科書全国ネット二一や「教科書に真実と自由を」連絡会の活動を支え、高嶋教科書訴訟を支援する。また「新しい歴史教科書をつくる会」の活動を注視し、あるべき教科書制度について議論する。
④行政機関が所蔵する、近現代史研究にとって重要な公文書の公開の問題に取り組む。
⑤文化財保護、「陵墓」の保存と公開などの問題に積極的に取り組む。歴史的に重要な遺跡・史資料の保存についても必要な活動を行う。
⑥博物館・文書館など全国各地の地域的な歴史系研究機関・社会教育施設のあり方に注目する。その際に、学芸員などの研究の自立性と権利を擁護し、学術・文化財行政の責任を明らかにする活動に努める。
⑦日本学術会議・日本歴史学協会などの学術団体を支援し、相互の関係を緊密に保つとともに、その組織の強化に努める。また日本史研究会・歴史科学協議会・歴史教育者協議会・地方史研究協議会などとの協力関係を推進する。
⑧科学運動については、専門部を越えて委員の関心と専門を考慮し、課題に応じて担当者または担当グループを設ける。これらの課題は委員会全体で取り組み、研究活動との統一に留意しつつ、事務局長が全体を統括する。

http://rekiken.jp/about_us/hoshin_2005.html

となっているので、現実の起草者が誰かはともかく、「科学運動」の「全体を統括する」事務局長が提案の責任者と考えてよいようですね。
現在の事務局長名は歴史学研究会のサイトには出ていませんが、ウィキペディアによれば、歴代事務局長は

1987年~1989年:吉田伸之
1989年~1992年:池享
1992年~1995年:保立道久
1995年~1999年:藤田覚
1998年~2002年:榎原雅治
2002年~2004年:渡辺尚志
2004年~2007年:山田邦明
2007年~: 中野聡

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A

となっていて、吉田伸之・保立道久・藤田覚・榎原雅治・山田邦明氏が東大、池享・渡辺尚志氏が一橋大学ですから、事務局長は東大・一橋大という慣例ができているようですね。
そして現在は一橋大学社会学部教授の中野聡氏が事務局長ですね。

中野聡研究室
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/selfintr.html


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「歴史学研究会」の研究

2011-05-26 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月26日(木)07時53分45秒

先週末に歴史学研究会の大会がありましたが、同会のホームページには下記の決議案が載っていました。
実際に決議された内容とは違うようですが、ずいぶん奇妙な案のように思えるので、「歴史学研究会」を研究するための基礎資料として保存しておきます。
こういう案は事務局長が起草するのでしょうか。

------------

歴史学研究会委員会は下記の総会決議案を来る2011年5月20日の歴史学研究会総会に提案します。会員各位には総会討議にふるってご参加ください。ま下記のアドレスにてコメントを受け付けますので、どうぞ率直なご意見をお寄せください。
意見集約アドレス:rekiken@mbk.nifty.com

総会決議案:http://rekiken.jp/hssj2011resolution_draftproposal.pdf

(以下、PDFファイルと同一内容です)


2011年度歴史学研究会総会決議(案)

3・11後の歴史学関係者の責務

2011年3月11日に発生した東日本大震災と大津波、またそれに引き続く東京電力福島第一原子力発電所における事故は、かつてなく深刻な事態を引き起こしている。無数の生命が失われ、生活が破壊された。歴史学研究会は、犠牲者の方々に対して心から深い哀悼の意を表するとともに、復興に向けて努力する被災者と連帯する。そして我々は、歴史学の担い手としての社会的責任の自覚に立ち、東日本大震災と原子力災害がもたらした現状について、以下の見解を表明する。
 1、歴史学関係者として、我々は、災害をめぐる歴史学の取り組みが果たして十分であったかを自ら問い直さなければならない。今回の巨大地震・津波では、貞観地震をはじめとする過去の地震・津波の教訓を現代日本社会がいかに軽んじてきたかが明らかになったが、歴史学もまた、自然と人間のかかわりの歴史(地震史・災害史といった分野)にもっと注意を払い、社会に警告を発するべきであったという痛切な反省の念を抱かずにはおられない。
 2、歴史学関係者として、我々は、歴史資料・文化財・公文書館・博物館・図書館等(以下、歴史資料等)の救援に全力を挙げなければならない。阪神淡路大震災(1995年)における歴史資料ネットワークの取り組みを起点として、過去16年間、歴史資料救援の取り組みは、日本各地で発生する災害に応じて広がってきた。いまも、宮城資料ネットワークをはじめ東日本各地で資料救援活動が展開している。しかし、東日本大震災と原子力災害がもたらした歴史資料等の被災の規模と内容は、我々に、これまでにない取り組みを要求している。日本史・外国史を問わず、全国の歴史学関係者は、歴史資料等の救援に全力をあげて協力しなければならない。また、我々は、今回の被災地域以外においても、予想される将来の災害に対する歴史資料等の防災・減災に取り組まなければならない。
 3、歴史学関係者として、我々は、原発問題、エネルギー政策についての取り組みもまた、きわめて不十分だったことを反省しなければならない。今回の原発事故は、これまで「安全神話」によって国民を欺いてきた電力会社および歴代の政府によって引き起こされた明らかな人災であるが、本来であれば、我々は、原発問題を歴史学のテーマとして正面から取り上げ、「科学技術」過信の成長優先主義がいかに危険なものであるか、警鐘を鳴らすべきであった。核の「平和利用」が本当に安全なのかどうか、被爆国の歴史学界として自覚的に検証することが必要であった。今回のような破局的事態がさらに拡大することを防ぐためにも、我々は今後、歴史学の立場から、企業や国家の論理を厳しく監視・批判する作業に取り組んでいかねばならない。
 4、今回の災害、とりわけ原発事故に関しては、事故発生と同時に、政府・東電・専門家・マスコミ等による情報公開のあり方等をめぐり、懸念すべき状況が生じている。東電福島第一原発で発生した事故はチェルノブイリに匹敵する破局的事態であるにもかかわらず、その実態に関する情報提供は極端に遅れ、放射能の影響等に関する客観的データや指標が体系的に発表されることもないという状況が続いた。政府・東電による情報提供の不適切さは、インターネット上等における様々な不安の声や、時として不確実な情報の氾濫を招いた。これは情報公開の遅れや不十分さが引き起こした事態であるにもかかわらず、このようなさまざまな声を、「風評」「デマ」等のレッテルを貼ることにより、封殺しようとする動きが観察される。また、一部マスコミ・報道機関や研究者の間には、現状を客観的に分析し、将来を予測し、公表することを控える動きが広がっている。
こうした情報統制、情報発信の自主規制のもとでは、現在の危機をどう収拾すべきかをめぐる、冷静・客観的な議論は不可能となってしまう。災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、「他者」を排除する傾向が強まる場合があることは関東大震災の際の苦い教訓が示す通りであるが、こうした現象が繰り返されることがあってはならない。我々は、今回の原発事故をめぐる情報が迅速かつ体系的に公表されること、すべての記録が保存・公開されて事故の全容が明らかにされ、国民の英知を民主的・科学的に広く結集することを通じて、解決の道が見出されることを強く求める。
 今回の破局的状況を、日本社会のこれまでのあり方を批判的に検証し、人の命が大切にされる社会へと大きく舵を切る転換点とするために、我々歴史学関係者もそれぞれの持ち場で力を尽くしていきたい。

2011年5月20日
歴史学研究会総会


http://rekiken.jp/2011resolution_draftproposal.html

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浪江町赤宇木

2011-05-19 | 東日本大震災と研究者
浪江町赤宇木 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月19日(木)07時24分45秒

>Akiさん
私は疫学の一番基本的なところを理解していなかったようですね。
ご教示、ありがとうございます。
大学生の頃、民法の不法行為の講義で公害に関する判例を紹介され、「疫学的証明」というのは良く分からないなあと思ったことがあるのですが、30年たってもあまり進歩していませんね。

ご紹介の文科省のサイトで、調査が最初に行われた3月16日のモニタリング結果を見たところ、数値の一番高い③は浪江町赤宇木で、ここで車外・GMサーベメイタでの測定値が毎時330マイクロシーベルトとなっています。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/03/19/1303726_1501.pdf

ここはETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」に登場した場所で、私が写真を撮った津島稲荷神社からは東に5㎞、日本テレビの番組の舞台であるDASH村からは1~2㎞程度の地点ですね。
3月16日の時点でここまではっきり数字を把握しているのに、そこに居住する住民には一切知らせなかったのは何故なのか。

「ネットワークでつくる放射能汚染地図」では原発周辺地域から浪江町赤宇木に避難してきた人々が描かれていましたが、放射性物質の濃度からすれば、元の居住地の方が低かったのかもしれません。
原発から遠いので安心だと思って避難してきた人々は、木村真三氏から事実を知らされて、本当に国に捨てられたと思ったでしょうね。

SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)の結果を公表しなかったことについては細野豪志が一応の謝罪をしていましたが、自分が責任者になる前のことだと言っているようですね。
また、「データを出さなかったことで、国民が被曝(ひばく)する状況を隠していたとか、国民の健康を犠牲にしたということはない」と言っているそうですが、管政権には奇妙な人が多いですね。

-----------
放射性物質拡散予測データ「早い段階で公表すべきだった」 細野補佐官 2011.5.4 14:19

細野豪志首相補佐官は4日午前のテレビ朝日の番組で、放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の未公開データについて「早い段階で公表すべきだった」と述べ、公表の遅れを認めた。ただ、「データを出さなかったことで、国民が被曝(ひばく)する状況を隠していたとか、国民の健康を犠牲にしたということはない」とも述べた。
 SPEEDIは、事故直後から毎時間拡散状況を1キロ四方ごとに計算しているが、内閣府の原子力安全委員会は「放出量などのデータが乏しく、信頼性のある結果となっていない」として、最近まで放射性物質の拡散予測図を公表していなかった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110504/plc11050414220009-n1.htm


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「特養移すか残すか 飯舘村、国避難指示に異論」

2011-05-18 | 東日本大震災と研究者
「特養移すか残すか 飯舘村、国避難指示に異論」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月18日(水)01時06分59秒

『河北新報』の記事ですが、これも2週間ほどで消えてしまいそうなので、保存しておきます。

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 福島第1原発事故で全住民の計画的避難が始まった福島県飯舘村で、唯一の特別養護老人ホーム「いいたてホーム」の入所者を避難させるかどうかが焦点になっている。国は村外避難を求めるが、村は環境変化に伴う容体悪化や移動リスクを心配し、入所者をホームに残してケアを続けたい考え。国に対し「画一的に決めず、実情に合う対応をしてほしい」と訴えている。
 ホームは社会福祉法人いいたて福祉会の運営で107人のお年寄りが入所している。平均年齢は84.7歳で最高齢者は102歳。要介護度は平均で4と重く、自力で動けない人も多い。
 ホームによると、避難は受け入れ各施設に2~10人程度ずつ分散移動するか、旅館などを改修した仮設施設に全員そろって避難するかの方法が考えられる。分散避難の場合、受け入れ施設は埼玉県内の約30カ所になり、移動が大変だ。ホームを存続させられなくなる可能性もある。全員避難のケースは設備の整う仮設施設の確保が難しい。
 県内の他の自治体では3月の震災と原発事故発生当時、施設入所者や入院患者が避難先で体調を悪化させたり、死亡したりする例が相次いだ。
 計画的避難でホームの職員107人も村外に出なければならない。入所者がホームに残れば、職員は村外から通うことになって通勤時間が長くなるが、雇用は継続される。
 三瓶政美施設長(62)は「計画的避難は緊急避難と事情が違う。入所者は室内にいて、浴びる放射線量も少ない。利用者の安全を第一に考える必要がある」と話す。
 国は全村民の村外避難を原則としている。村はホームの意向を酌み、入所者がホームでケアを受けられるよう国に要請し、回答を待っている。
 菅野典雄村長は「入所者の生活のリスクを考え、実情に沿った対応を考えてほしい。もっと村に裁量権があっていい」と語っている。
2011年05月17日火曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110517t63015.htm

「平均年齢は84.7歳で最高齢者は102歳。要介護度は平均で4と重く、自力で動けない人も多い」という状況であれば、避難により相当多数の人が死亡する蓋然性が高いですね。
「国は村外避難を求める」そうですが、一体誰がこのように求めているのか。
避難が実行され、現実に死者が出た場合、私はその決定をした国の責任者を殺人罪で告発するつもりです。
告発は死亡者と特別な関係のない私人でもできますからね。



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自由の問題

2011-05-18 | 東日本大震災と研究者
自由の問題 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月18日(水)00時44分13秒

>Akiさん
ご紹介のページを読んでみました。

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端的に言えば、低線量被曝をした人々の健康への影響を直接検出し、定量化することは難しく、たいていは不可能なのだ。低線量被曝に関連した長期的健康被害の中で、最も心配されているのは、がんである。しかしながら、どのような集団でも約40%の人がいつかはがんになることを考えると、被曝した人々の集団が非常に大きく、個人の被曝線量が比較的よくわかっていないかぎり、被曝に関連した発がん率のわずかな上昇を評価することは、かなり不確実である。
(中略)
だが、低線量被曝をした人々の研究から得られる情報には根本的な限界がある。被曝に関連したがんの発生数は、常に、背景となる「自然な」がんの発生数に比べて非常に小さいと考えられるだけでなく、被曝が原因のがんとそれ以外のがんを区別する方法もないからだ。そのため、集団研究だけでは、極低線量被曝の危険性に関する情報を提供できない可能性がある。
------

D. J. Brenner氏の見解に従えば、低線量被曝の問題は結局のところ「長期的」にガンになる確率がどの程度かの問題であって、低線量被曝の場合、発ガン率は「わずかな上昇」に止まると理解してよい訳ですね。
そして、低線量被曝者、例えば木村真三氏や岡野眞治氏、あるいは鈴木小太郎氏などは、いつかは約40%程度の確率でガンになるはずですが、仮にガンになったとしても、被曝が原因なのかそれ以外に原因があるかは分からない、「被曝が原因のがんとそれ以外のがんを区別する方法もない」訳ですね。
最後の部分、Akiさん自身のお考えとしては、「自分が放射線に弱いかどうかは、実際に放射線を浴びたあと、実害が出て初めてわかる」とのことなので、全く区別する方法はない、というD. J. Brenner氏は見解とは違うのだろうと思います。

低線量被曝にはもちろんリスクはある訳ですが、放射線は人間が生活して行く上で覚悟しなければならない様々なリスクのひとつにすぎず、どう生きるかはどのような種類のリスクを甘受するかを決定することともいえそうです。
私の場合、自分の生命に対する最大のリスクは何かというと、明らかに自動車の運転ですね。
どんなに自分が注意していたとしても、冬の雪道、特に高速道の対面通行区間あたりで対向車がスリップして正面衝突となったら、相当な確率で死にます。
しかし、私にとって自動車で移動することは新しい知見を得ることと殆ど同義ですから、リスクがあったとしてもやめる訳にはいきません。
そして、自動車運転のリスクと比較すると、私にとって「長期的」に、発ガン率に「わずかな上昇」が生ずる程度のことは、殆ど無視してよい程度のリスクとしか思えないですね。
仮に自分が放射線に弱い体質であって、客観的事実としては発ガン率の相当な上昇があったとしても、それを含めて、まあ仕方ないなと思います。
もちろんこれは私個人の考え方で、人に押し付けることはしませんが。

それと、Akiさんの「できれば無用の被曝はしないにこしたことはない」との穏当で常識的なご指摘の部分、実は私は若干の違和感を抱きます。
というのは、何をもって「無用」と考えるかは人それぞれであり、牛に飼料をやるため、あるいは他人の犬や猫を救出するために警戒区域に入ろうとする人は、多数者から見れば「無用」なことをやっているように思えるかもしれないですが、ある程度の人は十分に「有用」と考えるのではないかと思います。
また、私は警戒区域内の神社や寺が今どのような状況になっているのかを確認して写真を撮るために警戒区域内に入ることを考えており、こうなると大多数の人が「無用」と判断するはずです。
しかし、私は何が無用かの判断を世間や多数者に委ねたくはないし、まして菅や枝野に決定されたくはないですね。


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警戒区域で20人避難拒否

2011-05-17 | 東日本大震災と研究者
警戒区域で20人避難拒否  投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月17日(火)00時33分19秒

産経新聞に次の記事が出ていました。

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「足が悪い」「死ぬならここで」 自治体説得に苦悩

 東京電力福島第1原子力発電所の半径20キロ圏内への立ち入りを禁じるよう指定された「警戒区域」内で、少なくとも20人の住民が避難を拒否し、16日現在も居住を続けている。「故郷から離れたくない」「死ぬならここで死にたい」。放射性物質(放射能)からの危険回避より、故郷での静かな生活を選択している住民たち。区域内での居住は本来、違法だが、残留する住民に食料支援を行っている自治体も。行政側も住民の気持ちが一面理解できるだけに、法律の規定とのはざまで揺れているようだ。
(中略)
 「警戒区域」では区域内の立ち入りが禁じられ、災害対策基本法で10万円以下の罰金や拘留の罰則が定められている。内閣府によると、罰則の適用は「立ち入りにより安全対策に著しく支障が生じたり、他人に迷惑をかける場合」(政策統括官防災担当)とされ、「住民への説得とともに、自治体ごとに総合的に判断して行われる」(同)としている。
 具体的な対応を委ねられている各自治体。楢葉町では連日、町議らとも協力し、職員を派遣して住民宅を訪問。避難するよう説得を続けている。だが、訪問の主眼は「体調などに問題がないかを確認すること」(同町担当者)だという。区域への出入りには本来、通行証が必要だが、「残留住民」が食料の買い出しに行く場合、同町では通行証なしでの出入りを黙認している。「健康被害を阻止するという法の趣旨はわかるが『町から出ろ』とは今でも強くは言えない」(同)。
 各自治体によると、実際に罰則が科せられたケースはないという。
 「愛着のある家から出たくない」との理由で50代と80代の独居女性が居住を続ける川内村では、2人に対する食料提供を実施。職員が週に1度、パンや米、缶詰、タクアンなどを自宅に届けているという。避難を拒否する住民を支援している形だが、同村の担当者は「食料の調達手段がなく、何もしなければ餓死してしまう可能性もある。人道的見地から放っておくことはできない」と話している。
 高齢の義母の介護のため、福島第1原発から19キロ離れた福島県楢葉町の自宅にとどまっている元会社員の男性(58)によると、上下水道は止まっているが電気は通じている。生活用水は井戸水を、飲料水は20キロ余り離れたいわき市まで買いに行くという。ガスはもともとプロパンガスだが、節約のため電熱器で煮炊きしている。電話取材に対し「周囲の家は屋根瓦が落ちた程度で目立った被害はない。人の姿はなくカラスが目立つ」などと様子を話した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110516/dst11051622310024-n2.htm

こういう記事は産経新聞以外ではあまり見かけず、けっこう着眼点はいいように思うのですが、「行政側も住民の気持ちが一面理解できる」どころか「避難を拒否する住民を支援している」ような事態について、この記者はもう少し考察を深めようとしないんですかね。
ま、私は牛に飼料をあげに行く人だって「緊急避難」として違法性が阻却されると考えるので、この記事に出てくる人は当然ながら全員無罪ですね。
「区域内での居住は本来、違法」ではなく、居住・移転の自由という憲法上の権利を行使しているだけであり、それを侵害する方が違憲・違法な行為を行っていると考えるべきです。
『町から出ろ』などと強く言ったら、その行為自体、強要罪に該当しますね。
それと、この記者は何で電話取材しかしないんですかね。
新聞記者には表現の自由の一環として「取材の自由」が最高裁の判例上も認められているのだから、警戒区域に入って取材すればいいと思いますけどね。

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高木仁三郎

2011-05-17 | 東日本大震災と研究者
高木仁三郎 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月17日(火)00時06分51秒

木村真三氏は高木学校の関係者なんですね。
私も大学生の頃は岩波の『世界』を買ったりしたことがあるので、原子力資料情報室前代表・故高木仁三郎氏の名前くらいは知っています。
前橋高校出身の人なので、地縁も多少ありますね。
また、番組に「熊取六人組」の一人、京都大学原子炉実験所助教・今中哲二氏も出ていましたね。
ま、別に数値を測る分には思想の違いは関係ないですからね。
番組のナレーターは木村氏の車は福島県内を4000㎞ほど走ったと言っていましたが、放射性物質の濃度が非常に低いところも走っているので、2か月間でせいぜい10ミリシーベルトくらいでしょうか。
どこかで数字が出ているといいのですが、ご存じの方は教えてください。
また、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)の結果の迅速な公開を妨げたのは誰なんですかね。
斑目でしょうか。

高木学校
http://takasas.main.jp/tushin_062.html

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ネットワークでつくる放射能汚染地図

2011-05-16 | 東日本大震災と研究者
ネットワークでつくる放射能汚染地図 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月16日(月)01時21分37秒

ETV特集の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を見ましたが、良い番組でしたね。
放射性物質の通り道になった国道114号線や399号線は私も何度か行ったり来たりしているので、車から撮影された風景を直ぐに地図に落とすことができました。
ただ、不満が残るのはやはり数字の意味です。
基準の何百倍・何千倍・何万倍の数値が出ました、という話は分かるのですが、ではその数値が人間の健康にとってどれほどの意味を持つのかについては、登場する科学者たちの具体的な見解は示されず、ただ番組全体のトーンとして、とにかくものすごく危険なんだ、という雰囲気が漂っていました。
しかし、私が知りたいのは、例えば今回の2か月間の取材で木村真三氏(43歳)や岡野眞治氏(84歳)、そしてNHKの番組スタッフが具体的に何シーベルトの放射能を浴びたのか、そしてその影響はどの程度になるのか、ということです。
もっとあからさまに言ってしまえば、放射性物質の濃度が高い地区をぐるぐる廻っていた木村氏・岡野氏・NHKスタッフらはこれからガンその他の病気で死ぬのか、死ぬとしたら死亡時期はいつごろで、ガン死の確率は一般人と比べてどの程度上がるのか、ですね。
私自身は、素人ながら放射線医学に関する複数の学者の見解を比べてみて、若手の学者、特に免疫学を研究している学者は閾値があると考えている人が多そうだなと感じており、原爆のように一時に放射線を浴びる場合より徐々に浴びる方が被害は少なくて、年間100ミリシーベルトくらいだったらたいしたことないんじゃないのかな、と思っているので、まあ、その判断に従ってわざわざ放射性物質の濃度が高いと言われている場所を択んで訪問している訳ですが、木村氏らがここ数年のうちにバタバタ死んで行くような状況であれば、私もちょっと落ち着かないですね。
まあ、チェルノブイリの事故現場を直近で見ている岡野眞治氏が84歳になっても頭脳明晰で矍鑠としているのを見ると、そんなに心配しなくてもよいような感じはするのですが。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0515.html


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飯舘村長泥

2011-05-15 | 東日本大震災と研究者
飯舘村長泥 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月15日(日)02時01分51秒

ついで国道349号線沿いの「杉沢の大杉」を見てから国道459号線で浪江町津島へ、更に国道399号線、といっても一応舗装されているだけが取り柄の林道レベルの細い道を辿って、また飯館村に行ってみました。
写真は飯舘村長泥で見かけた地域住民への連絡用掲示板と、そこに赤テープでグルグル巻きにされて結びつけられた文部科学省の放射性物質測定装置です。
中身は知りませんが、見かけは非常に安っぽい器具だったので、ちょっと驚きました。
なお、写真の背景が田んぼになっていますが、ここは交差点で周囲には小さな商店・集会所や一般住宅もあります。

杉沢の大杉
http://blog.goo.ne.jp/onsentamago23/e/7acc40eae030ea17c2b877c09be91f3c
http://ruruaizu.blog61.fc2.com/blog-entry-1948.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5862



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牛を見に行く

2011-05-15 | 東日本大震災と研究者
牛を見に行く 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月15日(日)01時22分0秒

今週末は日曜につまらない用事があるため14日(土)しか自由が利かず、やむをえず日帰りで福島県に行ってきました。
まず向かったのは二本松市のエム牧場です。
12日(木)、枝野が警戒区域内の家畜は殺処分すると発表したので、エム牧場の牛の運命が気になっていました。
私が引用した5月5日の『河北新報』の記事を見て、どうせ殺すために飼っている肉牛なのに何を訳の分からんことをやっているのだ、と思った人がいるかもしれませんが、金銭面だけを考えれば、確かにエム牧場の村田社長の行動は不合理ですね。
しかし、それほどまでに愛情を注ぐ人でなければ良い牛を育てられない、とも言える訳で、人と家畜の関係は簡単に金銭だけで割り切れるものではないですね。
そして、私は合理的でない判断をする人が結構好きです。
この人が育てている牛はどんな顔をしているのだろうと思って、エム牧場本社のある旧岩代町(現二本松市)に行ってみたのですが、実にのんびりした山村でした。
私が牛舎の牛を携帯で撮ろうとすると、牛の方が「なんだ、なんだ、お前は」みたいな顔をして寄ってきて、中にはちょっと興奮して飛び跳ねている牛もいました。
乳牛と違って、のんびりした性格の牛は少ないようです。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5861


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