投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 4月30日(水)22時02分26秒
私が「歴研幕府」について書いたことが、まんざら全くの冗談でもないように響くとしたら、それは歴史学研究会が、普通の学会・研究会と異なって、もともと戦闘的性格を持っているからですね。
元東大総長の林健太郎氏が書かれたエッセイなどを読むと、戦前の歴史学研究会発足時には意外に雑多な要素が混ざっていたようですが、戦後、活動を再開して以降、歴史学研究会は一貫して正義の戦いのために集まった聖なる騎士たちの集団です。
倫理的水準の高い御家人たちは、日々、犬追物などで鍛錬を積み重ね、年一回、初夏に全国から集まったエリート騎士が都内有名大学のキャンパスで壮大な巻き狩りを行います。
この一大ページェントへの参加を通じて、各御家人は幕府への忠誠の誓いを新たにするとともに、御家人相互間の親睦を深める訳ですね。
そして、時には実戦があります。
1950年代に中国に密航して、帰国・逮捕後は暫く裁判闘争をやっていた犬丸義一氏のように革命のために戦おうと本気で思っていた人たちはせいぜい1960年代止まりでしょうが、70年代以降も軍国大国化反対とか教育反動化反対とかスパイ防止法反対とか国際日本文化研究センター設立反対とか天皇の死去にあたって天皇制美化に反対とか消費税反対とか中東危機を利用した海外派兵の策動に反対とか国連平和協力法案に反対とかバレンタインデーはアメリカ帝国主義の陰謀だから反対とか、まあ、歴史学研究会の年表を見ると本当に次から次へと戦闘の連続ですね。
なかでも歴史学研究会にとって絶対に譲れないのは教科書戦線で、家永教科書裁判への30年以上の支援は本当に大変だったようであり、また近時の「新自由主義史観」派との壮絶な戦いはなかなかの見ものでしたね。
西尾幹二氏の『国民の歴史』に対し、歴史学研究会が有力御家人・身内人を総動員して反撃し、執拗に追撃して殲滅に至らしめたのは、まるで元寇の再来を見るようでした。
一時は野火のように全国に広がった「新自由主義史観」派も相次ぐ内ゲバで弱体化し、その教科書採用率は殆ど無視できるほど少なく、一連の戦いは歴史学研究会の完全勝利に終わったと言ってよいでしょうね。
では、このように隆盛を誇る「歴研幕府」には弱点はないのか、衰亡のきざしは全くないのかと言うと、私の見るところ、全くないわけでもなさそうです。
(続く)
「運動も結構だが勉強もして下さい」(by 坂本太郎)
>ザゲィムプレィアさん
いらっしゃいませ。
軍事は全く疎いので、いろいろ教えてください。
>筆綾丸さん
河添房江氏の『唐物の文化史』、少し読んでみましたが、『宇津保物語』に触れた箇所、ちょっと面白いですね。
石母田氏の「宇津保物語についての覚書」に刺激されて、岩波古典大系の『宇津保物語』三巻を読み始めたところ、何分厚いので、第一巻の半分ぐらいで座礁していたのですが、また続きを読みたくなりました。
※ザゲィムプレィアさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
カルバリン砲の射程距離 2014/04/29(火) 01:10:07(ザゲィムプレィアさん)
筆綾丸さん
大砲の射程距離について、お手伝いできると思います。
Tossyさんのサイト「数理科学的な雑学のページ」のページ【計算:CD値と砲弾の緒元からの弾道計算】を使いカルバリン砲の射程距離について
概算しました。条件は砲弾重量が8.1kg、口径(弾丸の直径で代用)が125mm、初速が408m/s、空気抵抗係数が0.3134、仰角が40度。
結果は最大飛翔距離が約4700mです。6300mという値が厳密に正しいか否かは何とも言えませんが、全くの与太ではないようです。
ところで「最大射程約六三〇〇メートル」は「最大6300m程度は飛ぶが弾着のばらつきは相当大きい」と解釈することが妥当だと思います。
大坂の陣で大坂城本丸に砲弾が命中して女中が死亡し淀殿が動揺したため和議が成立したと記憶しますが、遠距離の砲撃の精度は
本丸の中心を照準してある程度の確率で本丸のどこかに当たるという程度だったのではないでしょうか。
TOPPIN PARARI NO POOTAROU ふたたび 2014/04/29(火) 14:30:29(筆綾丸さん)
筆綾丸さん
大砲の射程距離について、お手伝いできると思います。
Tossyさんのサイト「数理科学的な雑学のページ」のページ【計算:CD値と砲弾の緒元からの弾道計算】を使いカルバリン砲の射程距離について
概算しました。条件は砲弾重量が8.1kg、口径(弾丸の直径で代用)が125mm、初速が408m/s、空気抵抗係数が0.3134、仰角が40度。
結果は最大飛翔距離が約4700mです。6300mという値が厳密に正しいか否かは何とも言えませんが、全くの与太ではないようです。
ところで「最大射程約六三〇〇メートル」は「最大6300m程度は飛ぶが弾着のばらつきは相当大きい」と解釈することが妥当だと思います。
大坂の陣で大坂城本丸に砲弾が命中して女中が死亡し淀殿が動揺したため和議が成立したと記憶しますが、遠距離の砲撃の精度は
本丸の中心を照準してある程度の確率で本丸のどこかに当たるという程度だったのではないでしょうか。
TOPPIN PARARI NO POOTAROU ふたたび 2014/04/29(火) 14:30:29(筆綾丸さん)
小太郎さん
自分自身の歴史観などというものは実はなく、「歴研幕府」公認の歴史観を自分自身の歴史観と錯覚しているだけなのかもしれませんね、誠に癪に障ることながら。文部科学省の歴史観も「歴研幕府」公認の歴史観のヴァリエーションのひとつにすぎぬのかもしれず・・・。
このごろ乱視気味ですが、「帝国主義」には我が目を疑い、これで本当に大丈夫なんだろうか、と思いました。
ザゲィムプレィアさん
ご丁寧にありがとうございます。
「条件は砲弾重量が8.1kg、口径(弾丸の直径で代用)が125mm、初速が408m/s、空気抵抗係数が0.3134、仰角が40度。 結果は最大飛翔距離が約4700mです。」
戦争によりテクノロジーは長足の進歩を遂げるとはいえ、大変な技術水準だったのですね。全くの認識不足でした。仰るように、着弾のばらつきは大きかったでしょうね。
万城目学氏の『とっぴんぱらりの風太郎』に、砲撃を受けて動揺する淀殿のシーンもありますが、豊臣秀頼をこれほど格調高く描いた作品は、氏が初めてかもしれません。『プリンセス・トヨトミ』も優れていますが、大阪物をもうひとつ書いて三部作にしてほしい、と思っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%AE%BF
『淀殿ーわれ太閤の妻となりて』で、淀殿は淀様とするのがよい、と福田千鶴氏はいろいろ考証されています。
小谷野氏の『頭の悪い日本語』には、「淀君とか淀殿とか淀の方とされている人は、浅井茶々である」(213頁)とあるのですが、「浅井茶々」という表記は、上手く反論できないものの、何か変な感じがします(なお、浅井には「あざい」とふりがながしてある)。
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33597.html
「浅井」の「さ」が濁音か清音かについて、宮島敬一氏の『浅井氏三代』に考証がありますが、宮島氏の言われるように、清音の「さ」でよいのではないか、とも思います。