学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『ワイマール期ベルリンの日本人』

2008-11-30 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月30日(日)17時35分59秒

>筆綾丸さん
>上原専禄
ワイマール期にドイツに留学していたようですね。
http://www.fujimon.or.jp/tenran/ikiteru/ikiterugosyo.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/chronology/FirstVisit/03.html


ネットでの活動に熱心な一橋大学の加藤哲郎氏が、最近、『ワイマール期ベルリンの日本人-洋行知識人の反帝ネットワーク』(岩波書店)という本を出されていますが、この時期、ドイツに1000人近い日本人留学生が行っていたのは、「知的世界の最先端であるベルリンの輝きを求め」たというよりは、単にドイツマルクが暴落したからですね。
アメリカ・イギリスなどに比べて学費・生活費が格段に安く、留学生が殺到したというのが実情です。
要するに貨幣的現象ですね。

http://members.jcom.home.ne.jp/katote/weimar.jpg
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/kamadarev.jpg

鎌田慧氏の同書への書評には、この時期の留学生が戦後日本の「民主化」に役立った、などと書いてありますが、私は全く賛成できないですね。
私は、この貨幣的現象が戦後日本の知的世界にかなり大きな歪みを残したのではないかと思っています。
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THE WARBURG INSTITUTE

2008-11-28 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月28日(金)23時24分14秒

ロン・チャーナウの"The Warburg"(邦訳『ウォーバーグ ユダヤ財閥の興亡』、日本経済新聞社)には、パノフスキーとアビ・ヴァールブルクの出会いが次のように書かれてますね。(邦訳(上)p388)

----------
 ウォーバーグ文庫にとって大きな刺激となったのは、アビーの心深くに抱かれてきた念願、つまりハンブルク大学の創設であった。一九二一年八月十九日、アビー・ウォーバーグは、不在のまま同大学の名誉教授に任命された。やがて、学生たちがウォーバーグ文庫に徐々に集まり始めた。ユダヤ人学者たちは、ワイマル共和国の各大学にユダヤ人を教職に迎える、新しい受け入れ口が開いたのに気づいた。ハンブルク大学で教授に任命された、著名なユダヤ人学者たちの中には、美術史のエルヴィーン・パノウフスキー、哲学のエルンスト・カッシーラーがいた。ザークスルは、両者に文庫でセミナーと研究を担当してほしいと懇願した。二人は、文庫と非公式な関係しか持たなかったが、結局は文庫で著作、教育、講義に大いに携わることになった。ワイマル共和国時代の学者の知的成果の大部分は、このような民間研究機関から生まれることになる。
 パノウフスキーは、一九二〇年にハンブルク大学講師として着任してから、文庫をザークスルの案内で見学したが、意外な感慨に打たれた。何列もの書物が天井近くまで積み上がって、文庫の隅々までぎっしり詰まってきりがないかに見えた。「延々と並ぶ書籍が、魔法の杖の一振りで魔法をかけられたように、眠ったままそこにあるかに見えた」という。パノウフスキーがその後にアビーと初めて会ったとき、アビーは、それに負けず劣らぬ強い印象を与えた。パノウフスキーはアビーのことを、「見事な才気と陰気なふさぎ込み、最も鋭い理性的批判精神と非常に他人に頼りがちな態度」が交じり合っていて、「合理性と非合理性との間の非常に大きな緊張感」がそれらを目立たせている、と述べた。アビーと同様、パノウフスキーも、絵画の持つ意味と象徴の解明が専門であって、それこそが鑑定や形式的分析よりもずっと深い、絵画作品とかかわり合う手段だ、と考えていた。そして、彼は、一九二一年からウォーバーグ文庫でセミナーを開き始めた。
 新カント派の哲学者、エルンスト・カッシーラーは、一九一九年にハンブルクに着任した(最初、彼と妻のトーニは、右翼の学生たちがユダヤ人教授たちのボイコットを促すユダヤ人排斥のビラを配っているとの知らせを受けて、赴任をためらった経緯があった)。ウォーバーグ文庫を隈なく見学して、カッシーラーも、魅了された。迷路のような書棚に見とれてさまよううちに、元の場所に戻れないのではないかと心配になった、と彼はザークスルに言った。アビーの文庫は、夫(カッシーラー)にとっては、埋もれた財宝に光り輝く鉱山の立て坑にようなものであった、とトーニは語っている。カッシーラーは、最後にはウォーバーグ文庫の文献をもとにたくさんの著作をものすことになる。
----------

翻訳に少し癖がありますね。

ヴァールブルク研究所
http://warburg.sas.ac.uk/institute/institute_introduction.htm
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Jacob Cornelisz など。

2008-11-28 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月28日(金)01時12分21秒

>筆綾丸さん
>パノフスキー
そうですね。
講師は概説の時にパノフスキーの基本的な考え方を紹介していました。

筆綾丸さんご紹介のサイトは Jacob Cornelisz に特化しているようで、ずいぶんマニアックですね。
http://www.jacobcornelisz.nl/
http://www.jacobcornelisz.nl/index.php/stichting

この人も謎の多い人物ですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Cornelisz

Noli me tangere については、日本語のウェブサイトでも、熱心に事例を集めている方がいました。
この方は「とはずがたり」についても少し書かれてますね。

http://www.geocities.jp/traumeswirren1212/art/fine3x
http://www.geocities.jp/traumeswirren1212/

今日は若干疲労気味なので、とりあえずリンクだけ貼っておきます。
あしからず。
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Noli me tangere

2008-11-26 | ヨーロッパの歴史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月26日(水)00時38分29秒

>筆綾丸さん
新聞の書評ですから、あんまり厳しいことを言っていたら執筆依頼も来ないかもしれないですね。

私は先月から、美術の好きなアメリカ人の弁護士を講師として、西欧絵画の象徴分析を行う、生徒わずか5人のミニ勉強会に参加しているのですが、今日扱った作品のひとつにAlonso Canoという画家の"Noli me tangere"がありました。
復活したイエス・キリストが、自分に触れようとするマグダラのマリアに対して、"Noli me tangere"(ラテン語、意味は"don't touch me")と言う場面ですが、奇妙なことにこの絵の場合、イエス・キリストは自分の方からマグダラのマリアに手を触れているんですね。

http://www.wga.hu/art/c/cano/noli_me.jpg

私はそれこそアビ・ヴァールブルクの名前すら知らずに参加したほどのド素人なので、講師の解説の後、何憚ることなく小学生並みの質問をしてみました。
「あのー、キリストは彼女に手を触れているんですけど、それでいいんですか?」
そしたら、講師は暫く考えた後、"Noli me tangere"というタイトルの絵は沢山あって、普通は二人は離れているんだけど、確かにこの絵の場合、イエス・キリストの方から手を触れているねー、ということになり、苦笑いしていました。
家に帰ってからグーグルで、"Noli me tangere"のイメージ検索をしてみたら、確かにみんな離れてますね。
ま、当たり前ですが。

http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=Noli+me+tangere&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=2

結局、Alonso Cano氏はいったい何を考えていたのか。
ただ「触るな」ではあまりに無慈悲な印象があるので、少し柔らかく話を変えてみたんですかね。

http://imagesbible.jexiste.fr/ANGLAIS/ANG_FICHES/Ang_apparitions_MM.htm


マグダラのマリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

Noli me tangere
http://en.wikipedia.org/wiki/Noli_me_tangere
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「槻峯寺建立修行縁起絵巻」

2008-11-23 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月23日(日)16時39分48秒

石上英一氏は『室町絵巻の魔力』について「美術史の書ながら、室町幕府を舞台にした歴史小説を読むがごとくに引き込まれる」と言われていますが、石上氏が面白いと感じるのは、例えば次のような部分でしょうね(p107)。

-----------
 フリーア本の舞台となるのは、瀬戸内海と剣尾山である。絵巻冒頭、剣尾山に発した霊光は、長洲の浜辺に注がれた。その後、月峯寺の開基に引き続き、長洲浦には遥拝のための燈炉堂が建立され、これは宗教施設であると同時に港湾における船舶の航行を導く灯台の役割も果たしている。さて、ここで日羅が聖徳太子に霊地捜索を命ぜられた理由にもう一度戻って考えてみる。その理由とは、異国調伏であった。つまり、月峰寺開基の主たる目的、そして修験の山に期待された霊験は、外敵からの国土守護ということになる。
 では、明応四年(一四九五)の細川政元にとって調伏すべき異国とはいずこにあたるのか。この時期の東アジアの国際関係を見渡しても、日本が明や朝鮮から直接的に軍事的圧力をかけられていたという徴証はない。むしろ、細川氏は対外貿易を通じて莫大な経済的恩恵を受けていたのである。一体、政元にとって最大の脅威とは何だったのか。
 そこで浮上するのは、西国の雄、大内氏の存在である。(中略)
 京都における大内氏の影響力が拡大するなかで、同氏が百済聖明王の第三子琳賢太子の末裔であるとする家系伝承は、政弘が喧伝したこともあいまって幅広く認知されるようになる。つまり、異国に出自を持つ大内氏と、政治・経済・軍事のすべてにおいて対立する細川氏の関係を考えたとき、異国調伏を行う適地としての剣尾山に対する期待は、大内氏に対する調伏であったに違いない。本絵巻に描かれた日羅は百済の僧侶ということになっているが、『日本書紀』における日羅は肥後国出身、百済王に仕えた高官で、敏達天皇が朝鮮半島対策のために召還した人物として造形されている。つまり、百済の事情に通じた日羅は、百済に対する戦争を行うために必須の存在であった、ということになるだろう。このような日羅と百済の関係を考慮に入れて、明応四年(一四九五)のフリーア本を読み込むならば、瀬戸内海の制海権をめぐって敵対する、百済王の末裔大内氏に対する調伏、という現実的な絵巻製作目的が浮上するのである。さらに付け加えるならば、燈炉堂の建つ長洲の地は、応仁・文明の乱以降、数年にわたり、大内政弘に占領されてきた因縁の地であった。
 修験の魔法による摂津・丹波という分国の支配、そして大内氏を調伏することによる瀬戸内海制海権の確立。絵巻冒頭に描かれた山と海は、山の霊力による海の支配を意味するのである。
----------

私も高岸氏が細川政元に着目したことは慧眼だと思います。
なぜそう考えるかについても、きちんと根拠が示されていますね。
しかし、そこから先は、歴史学ではなく「歴史小説」の世界に入っているんじゃないですかね。
なお、「京都における大内氏の影響力が拡大するなかで、同氏が百済聖明王の第三子琳賢太子の末裔であるとする家系伝承は、政弘が喧伝したこともあいまって幅広く認知されるようになる」という箇所に注記されているのは、須田牧子氏の論文、「室町期における大内氏の対朝関係と先祖観の形成」(『歴史学研究』761、2002年)です。

剣尾山月峯寺
http://www.eonet.ne.jp/~nosegetupoziki/T1.htm
尼崎・大覚寺(律宗)
http://www1.ocn.ne.jp/~sea-8/daikakuji/index.html
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Warburg family

2008-11-23 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月23日(日)00時36分10秒

>筆綾丸さん
>「もーれつア太郎」
似てますね。
麻生さんは家柄は非常に良いのに、何であんな変な顔をしてるんですかね。

>アビ・ヴァールブルク
二歳下のポール・ウォーバークはアメリカの連邦準備制度の生みの親であり、優秀な兄弟ですね。

----------
 さて、ポール・ウォーバーク(1868-1932)がニーナ・レーブとの結婚をきっかけにアメリカに移住し、同地で銀行家としての地位を築いたことによる、世界経済史にとっての二番目の結果はさらに重要である。これによって、アメリカに「中央銀行」を創設する運動が開始されたのである。陽気で外交的なフェリックスとは対照的に、ポール・ウォーバークは控え目で学者肌であり、その端正な顔にはどこか寂しげなところがあった。しかも笑うと一層、その寂しげな様子が目立つ。しかし、繊細そうな外見とは裏腹に、彼にはひとたび決めたことはやり遂げずにはおかない鉄のような意志があった。その意志の力で、やがては1913年の「連邦準備銀行法」に結実することになる運動を率先する。後年著した二巻からなる大著にはその活動が事細かに記録されている。
(『世界デフレは三度来る』p194)

Paul Warburg
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Warburg
Warburg family
http://en.wikipedia.org/wiki/Warburg_family
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書評の批評

2008-11-21 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月21日(金)10時47分37秒

石上英一氏が朝日新聞に『室町絵巻の魔力』の書評を書かれていますね。

---------
 義満は1394年に将軍を義持(よしもち)に譲り、翌年出家。次いで受戒して自らを法皇に、97年に造営した北山第(きたやまてい)を仙洞(せんとう)御所に擬したという。北山第は西園寺家の地、現在の金閣寺の地で、絵合はここで行われたと著者は推定する。南都の重宝は京に運ばれ、西園寺邸を継ぐ北山第に披(ひら)かれた。絵合に参じた皇族、春日社を氏神とする藤原氏の公卿(くぎょう)らは、秘宝を前に義満と源氏一統の力を再認識したに違いない。

http://book.asahi.com/review/TKY200810140181.html

私は同書に対して、これが学術論文なのだろうか、これを学問と言えるのだろうかという疑問を抱いたのですが、史料編纂所教授・元所長の石上氏は何の疑問もなく楽しく読めたそうで、受け止め方は人それぞれですね。
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口の悪い人々

2008-11-21 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月21日(金)01時03分35秒

>筆綾丸さん
旧平価で金本位制に復帰してしまった莫迦国家の双璧はイギリスと日本ですが、日本の場合は大蔵大臣チャーチルの失敗をしっかり見た上で、それでもやったのだから、何と言っていいのか分からんですね。

このところ竹森氏に近いリフレ派の経済学者の本を中心にいろいろ読んでいるのですが、経済学者はみんな口が悪くて面白いです。
竹森氏の『世界デフレは三度来る』も、元日銀総裁の三重野康氏や元副総裁の藤原作弥氏に対する心臓を突き刺すような批判や、慶応大学で竹森氏の同僚である池尾和人氏や榊原英資氏に対する手の込んだ罵倒など、無茶苦茶笑えます。
経済学者たちの舌戦を観戦していると、まるで自分が清純な乙女であるかのように思えてきますね。
実に愉快な、気持ちの良い世界です。
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荻原重秀とジョン・ロウ

2008-11-16 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月16日(日)22時57分15秒

>筆綾丸さん
>荻原重秀
去年出た村井淳志氏の『勘定奉行 荻原重秀の生涯 ―新井白石が嫉妬した天才経済官僚』(集英社新書)という本、私は未読ですが、ずいぶん評判がよいみたいですね。
荻原重秀の言葉とされる「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以って之に代えるといえども、まさに行ふべし」は、まさに至言ですね。

http://books.shueisha.co.jp/tameshiyomi/978-4-08-720385-1.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E5%8E%9F%E9%87%8D%E7%A7%80

私は今日、竹森俊平氏の新刊『資本主義は嫌いですか-それでもマネーは世界を動かす』(日本経済新聞出版社)を読んでいました。
軽いタイトルと軽い装丁に反して中身は非常に高度ですが、その第1部「ゴーン・ウィズ・ア・バブル」は「ミシシッピー・バブル」の紹介で始まり、ゲーテの『ファウスト』で終わっています。

--------------
 ファウストが実在の錬金術師をモデルにしていたのだとすると、メフィストのモデルは誰なのだろうか。これについては「ファウスト」を翻訳された池内紀氏の解説文を読んでいただくのが、手っ取り早い。
    紙幣づくりのくだりは、実のところ、実際にあった事件をモデルにしている。『ジョン・
   ロー事件』といって、大革命以前のフランスをみまった大騒動だった。ゲーテはジョン・ロー
   をメフィストに換えて劇にとりこんだ。
 ゲーテが第二部を書いた十九世紀前半までには、ドイツにおいてはまだ「紙幣」が流通した歴史的経験はなかった。だから、いくら想像力に長けた文豪といえども、実在のモデルを参考にしなければ、こう生々しく「紙幣創造」の場面を描くことは、おそらくできなかっただろう。その実在のモデルとは他でもない、ミシシッピー・バブルの主役、ジョン・ロウだというわけである。
 ジョン・ロウの事件は、ゲーテに神の啓示のような衝撃を与えた。ゲーテはこの事件に、鉛よりも価値が低い「ただの紙切れ」を、「金」にも等しい価値を持つ紙幣に変えるという、古代エジプト以来、人類が永いこと追い求めてきた「錬金術」の実現を見たのである。なにも、物質としての「鉛」を物質としての「金」に変える必要はない。人が想像力を働かして、「ただの紙切れ」を、「金」だと思い込むことさえできれば、「錬金術」は成るのである。「錬金術」とは、「バブル」に他ならなかった!
(p154)
--------------

新井白石にとって、荻原重秀はメフィストのような存在だったかもしれないですね。

ミシシッピー・計画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%94%E8%A8%88%E7%94%BB
ファウスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88_%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E9%83%A8
ジョン・ロウ
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Law_(economist)
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2008-11-11 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月11日(火)23時22分1秒

「スピーチのはじめにアメリカの学者はジョークを言い、日本の学者は謝罪を述べる」という言葉があるので、ここでは謝罪から始める。それは題名についてである。ここで「世界デフレ」というのは、ヴィクトリア朝に発生した一回目のもの(1873-1896)、「大恐慌」として知られる二回目のもの(1929-1936)、そして二一世紀の初めに可能性をいわれ、結局、未遂に終わりそうな三回目のものである。
 題名からすると、本書はデフレだけを扱うようだが、実際にはインフレも扱う。すなわち、一九七〇年代の世界的な「高インフレ」を、起承転結の「転」の部分に盛り込んで、都合、四部構成にしている。こうすると、十九世紀後半から今日までの歴史を中断なく展望できるからである。それは一言でいって、インフレとデフレのあいだの経済変動に焦点を当て、財政、金融政策によってその経済変動を管理するという思想がどのように深まったのかを振り返り、さらにその思想が日本においてどのように受け入れられたのかをテーマにした「歴史物語」ということになる。
 もともとラテン語の「ヒストリア」という言葉は、「歴史」と「物語」を同時に指す。実際、英語でこそ「ヒストリー」と「ストーリー」は別の単語だが、多くの欧州言語では同じ単語が使われる。考えてみれば、われわれが何かを物語る場合、それは過去のエピソードだ。それがいってみれば本書の歴史観である。つまり、ここでは「歴史的なエピソード」が物語の主題となる。
 大学での講義の経験によれば、「エピソード」は教育効果が高い。例をひとつ挙げるなら、本書の第一部の主題、「ヴィクトリア朝デフレ」についてこういうことがある。つまり、日本ではかつて財務官を務めたような教養人でも、それが「構造要因」によるデフレだと誤った解釈をしている。これに対して、高等教育を受けた程度の米国人ならば、そのデフレが「貨幣的要因」によることを誰でも知っている。なぜなら、一八九六年の大統領選におけるジェニングス・ブライアン候補の演説中の「金の十字架」という言葉があまりに有名だからである。それで、この言葉は一体、どういう意味かと問われれば、当時のデフレと金本位制の関係に言及しないわけには行かない。
 本書の題名について、もう一つ謝らなければならないのは、一回目、二回目のデフレが実際に起こったものであるのに対して、三回目が「来(きた)る」というのは不正確だという点だ。つまり、三回目は二一世紀の初めに「来(く)る」と喧伝されたが、実際には来たらず、このまま回避されそうである。だからといって、「来る」というのが、まったく根拠がなかったわけではない。日本のデフレが、一九九五年からほぼ間断なく続いていることは事実であり、二〇〇二年の暮れに、連銀のグリーンスパン議長が、米国のデフレの発生を本気で心配したこともまた事実である。ようするに、三回目はニアミスだった。なぜ、そうなったのか。この疑問から本書は出発した。
----------

わずか2年前の文章ですが、今読むと、ずいぶん意味深長ですね。


>筆綾丸さん
珍しく長考モードに入っておりまして、レスも遅れ気味ですみませぬ。
実は『世界デフレは三度来る』をきっかけに、本格的に近現代史に主軸を移すことを検討しています。
同書には実に豊富な文献が絶妙の組み合わせで引用されていて、そのひとつひとつにきちんと当たるだけでも、本当に勉強になりそうです。
欧米の文献は竹森氏が分かりやすい日本語に翻訳しているのですが、原文を確認してみたいものも多いですね。
そして、日本語・英語のすべての参考文献を、著作権の切れたものは大量に、切れていないものは適度な分量で集めて、『後深草院二条』程度の情報量があるサイトを作ったら、けっこう世の中の役に立つものができるのではないかと思います。
もっとも、それを一人でやるとしたら多少の負担は覚悟しなければなりませんが。
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irrational exuberance

2008-11-09 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月 9日(日)22時42分16秒

>筆綾丸さん
おかえりなさい。
イリヤ・プリゴジンは『貨幣の複雑性』には出てきませんが、『複雑さを生きる』では若干の言及がありますね。

私はここ暫く、竹森俊平氏の『世界デフレは三度来る』を読んでいました。
上下巻合計1100ページの大著ですが、130年に及ぶ「通貨のドラマ」の迫力は大変なもので、一気に読んだ後、重要部分を再読中です。
上巻では金本位制への復帰を旧平価で行った井上準之助の思想、その背後にある井上と欧米金融エリートとの人間関係などが詳細に描かれていますが、私にとって特に気になったのは深井英五の果たした役割ですね。
以前、少しだけ深井英五について調べたことがあるのですが、一般的な評判と違って、深井英五にはずいぶん謎めいたところがあります。
深井の内面を追求する竹森氏の手腕はすごいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E4%BA%95%E8%8B%B1%E4%BA%94

下巻は歴史というより、ごく最近の生々しい出来事の分析です。
講談社の公式サイトから内容を紹介すると、

--------------
魔性の怪物「通貨」をめぐる大河ドラマ
国を挙げて熱病に罹った如くバブルつぶしに狂奔した日本。待っていたのは悲惨なデフレだった。用意周到にバブルとデフレを制御したアメリカとの好対照は、日本銀行とアメリカ連銀の違いだけなのか。ポピュリズム政治に撹乱される中央銀行家たちの苦悩の半世紀。

われわれは、「非合理な熱狂」が資産価格を押し上げ、それがやがて、日本において過去10年にわたって起こっているような、長期にわたる予想外の景気後退の原因となることを、どのようにしたら早期に予測することができるのでしょうか。またそれが予測できたとしても、その予測をどのように金融政策に織り込んだらよいのでしょうか。われわれは、中央銀行家として、金融資産価格の暴落が、実体経済や、生産、雇用、物価安定に影響を与えなければ、そのことに注意を払わなくてよいのでしょうか。――<1999年12月5日、アラン・グリーンスパン講演>
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2820072

といった具合ですね。
ま、グリーンスパンが「非合理な熱狂」(irrational exuberance)という表現を使ったのは1996年12月5日の講演であって、この紹介とは3年ずれてますが。
もちろん、竹森氏の著書では正確に記述されていて、講談社の宣伝担当者が粗雑なだけですので、念のため。

http://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Greenspan
http://www.federalreserve.gov/boarddocs/speeches/1996/19961205.htm

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安冨歩氏

2008-11-03 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月 3日(月)00時08分28秒  

『貨幣の複雑性』はかなり難しいので、『複雑性を生きる』(岩波書店、2006)を先に読んでみましたが、リデル=ハートの『戦略論』の分析など、非常に鮮やかで驚きました。
恐るべき知性ですね。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/forum/profile.html
http://spysee.jp/%E5%AE%89%E5%86%A8%E6%AD%A9#lead

『貨幣の複雑性』は経済学の最先端に位置する著作ですから、素人にはなかなか近づきがたい雰囲気がありますが、それでも随所に魅力的な記述があります。
例えば、p100の次の一文。

-----------
 かくして岩井は最初の奇跡を要求することになる.生成の際の奇跡と同様に,貨幣の崩壊についても岩井は大きな衝撃を要請する.彼のモデルでは貨幣は一度成立すると決して自壊せず,また一度貨幣として選ばれた商品が他の商品に地位を譲ることもない.
 こうした議論に依拠しつつ岩井は『貨幣論』のなかで次のような趣旨の物語を語る.
   太古の奇跡によって貨幣が発生し,そのアイディアが世界中に
  伝播して様々な貨幣となった.それらは生成に奇跡を要するがゆえに,
  何らかの衝撃によって崩壊すれば自律的に再生することはない.これ
  まで貨幣が崩壊してもただちに再生しえたのはそのシステムに外部が
  あり,外部に存在する貨幣によって救済されたからである.
   社会主義経済圏の崩壊とコンピュータ・ネットワークの発展は世界
  の貨幣圏をひとつにまとめつつあり,これは資本主義経済の外部のな
  くなりつつあることを示す.統合された資本主義のなかの貨幣はもは
  や外部を持たず,それゆえもしひとたび貨幣が崩壊すると,それは再
  生しえない.
 このキリスト教的終末観を意識した物語を私は非常に面白いと思う.しかし本章のモデルに依拠すると,これとは全く異なった物語をつくらざるをえない.それはもっとつまらない話である.貨幣はいつでもどこでもできたり壊れたりする.あっちでできてこっちで壊れ,壊れてはまたできる.多数の人々が継続的に交換しようとするところではつねに出現し,また壊れ,壊れてはまた生まれ,生まれて壊れ,壊れて生まれ・・・といつまでも繰り返す.この物語には始まりも終わりもない。
-----------

岩井とは岩井克人氏ですね。

(追記、2013年1月27日)
安冨歩氏を「恐るべき知性」と評したのは単なる誤解であり、恥ずかしい思い出です。
東日本大震災後の安冨歩氏の言動を見て、今は「恐るべき反知性」と思っています。

謎の安冨歩ワールド
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1f978b99d59bcdb833c9383e9f9c6e25

早川由紀夫氏と「東京大学原発災害支援フォーラム」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3848f51a4d28fdf86b3baacb38b0185e

騒々しい「カナリヤ」たち
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/70e7d2636a55249cb9e8203159aa2340

雪の飯舘村
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0417c4642d2fa1ec2e55d658440f031c

不評の喜び
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bcb51005eefd8f254d47b1e6d8e2ca3f

「twitterと下部意識」考
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/38258fe6bbc6a04e9b69e62be6a176a8

いささか恥ずかしい思い出
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dc6535cadc527e9cd92c9194dfe6af2d

「東大=ショッカー」説
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b4813511410cb1dca32ce970e93e5f3
コメント
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