投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 6月28日(日)16時28分23秒
>筆綾丸さん
酒井健氏の『ゴシックとは何か』には以下のような記述があります。(ちくま学芸文庫版、p61以下)
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それにしても、犠牲(いけにえ)としてのイエスは、何に捧げられたのだろうか。「我らの女主人(ノートル・ダム)」に献じられた聖所(ゴシックの大聖堂)のなかでイエスの供儀はおこなわれたのだ。ということは、イエスは、「我らの女主人」に、聖母に、いや聖母の姿をした大地母神に、自然に、捧げられたということではないだろうか。
パリの大聖堂の地下からはケルト神話の大神で大地の神エスス=ケルヌノスの石像が発掘されたが、この神は人間の犠牲を欲し、しかも人間が樹に吊るされて供されるのを望んだという。他方、古代ローマの詩人ルカヌス描くところのケルト人の神聖な森はこうだ。「太陽はまったく差し込まず、豊富な水が薄暗い泉から湧き出ていた。〔中略〕野蛮な神々の礼拝はここで行われ、神々をまつる祭壇にはいまわしい犠牲(いけにえ)が積み上げられ、あらゆる木々には人間の血が注がれていた」(柳宗玄・遠藤紀勝著『幻のケルト人』より)。
また、ケルト人のカルヌート族の聖所であったシャルトル(Chartres の名は Carnutes に由来)の大聖堂の敷地には、大地母神へ通じる深い井戸が掘られていて、犠牲が次々に投じられていたという。そしてまた、ゲルマンの神話世界では、男性神のように旅や戦(いくさ)で移動しない大地母神こそ人間の犠牲が供される対象になっていた。
とすれば、石柱の林立するゴシックの大聖堂に集った新都市住民たちは、十字架上のイエスの処刑に、森林のなかの供儀を感じていたのではなかろうか。「苦悩のキリスト」に自分たちを重ね合わせて、この"母の子”とともに母のなかへ束の間還ってゆこうとしたのではないだろうか。生みまた滅ぼす自然のサイクルに一瞬乗って、都市に出て失った根を、喪失した深いアイデンティティを、回復しようとしたのではなかったか。
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この「エスス=ケルヌノスの石像」というのは、紀元1世紀に建てられた「Pillar of the Boatmen」の一部のようです。
ただ、ウィキペディアによると、
The main dedication is to Jupiter, alongside Mercury, Mars, Fortuna, Castor and Pollux and Vulcan. Gaulish deities mentioned are Esus, Tarvos Trigaranos (the Bull with the three Cranes), Smertios and Cernunnos.
ということで、この石柱に描かれた神々はギリシャ・ローマとケルトのごちゃ混ぜであり、エスス、ケルヌノスはケルト側の四つの神のうちの二つですね。
また、
Original Location
The Gaulish town of Lutetia was built on the Île de la Cité, an island in the middle of the Seine; a good defensive position and well suited to controlling trade along the river (Carbonnières pp.13–15, 35-40). It is mentioned by Julius Caesar in the Gallic Wars. The Gallo-Roman town extended onto the south bank of the river, but the island remained the heart of the city and it was here that the forum and several temples were built. The pillar was erected outside one of these temples.
History of the Pillar
Some time in the third century, the stone blocks that formed the pillar were broken into two and used to reinforce the foundations of the walls along the riverbank. Over time, the island grew slightly so that the third-century wharfs are nw a dozen metres from the banks of the modern river (Kruta 1883).The Christian cathedral of St. Etienne was founded by Childebert in 528 on the site of the Gallo-Roman temple; Notre-Dame de Paris was in turn built over this in 1163.
ということで、もともとローマ帝国の時代に、ある寺院の外側に立てられていた石柱が、いつしか単なる石材として壁の基礎に用いられ、それがノートルダム大聖堂に転用されただけですから、「パリの大聖堂の地下からはケルト神話の大神で大地の神エスス=ケルヌノスの石像が発掘された」というのは、学者の文章としては、あまりに慎重を欠く表現のように思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pillar_of_the_Boatmen
http://fr.wikipedia.org/wiki/Pilier_des_Nautes