学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

直系家族と一神教(その3)

2016-03-28 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月28日(月)11時00分44秒


浄土真宗が戦国大名も恐れる一大勢力になったことは歴史的事実ですから、トッドの「浄土真宗、すなわち浄い土地の真の宗派は、いくつもの自治都市を建設し、日本の中央部全域に経済的願いと宗教的願いが交じり合った農民蜂起を引き起こすだけの力を持った強力な社会・政治勢力に変身した」という記述も、「中央部全域」と言えるかは別として、まあ、正しいとは思いますが、しかし、「そこにいたって、浄土真宗は日本仏教の支配的潮流として勢力を揮った」については異論もあるでしょうね。
さて、トッドは次のように続けます。(p200)

--------
 日本の家族構造は直系家族型であり、阿弥陀のなかに、人類学的システムによって唯一の中心的権威に仕立てられた日本の父親の形而上学的投影を見ないわけには行かない。十二世紀から十五世紀のキリスト教圏と日本の間に歴史的な関連が皆無であることを考えるなら、この例は特別な重みがあるということになる。直系家族はヨーロッパでは頻繁に見られる型であるが、全地球規模では希少である。日本が仏教文化の遺産から、ユダヤ・キリスト教的伝統のいくつかの様相にきわめて近い根本的概念を有する一神教を抽出することができたということは、家族構造の親近性によってしか説明できない。
--------

個人的には、阿弥陀は「父親」なのか、という疑問を持っているのですが、それを書くと私の仏教理解の浅薄さを暴露するだけのような感じもするので、今はやめておきます。
阿弥陀の例を「特別な重みがある」と評価するトッドは、更に次のように続けます。

--------
 プロテスタント宗教改革は一五一七年に始まったのであるから、時間的には日本仏教の変身の直ぐあとを追うようにして起こったわけだが、これはキリスト教の中心である一神教に再び立ち帰ろうとする運動と解釈することができる。中世のカトリック教は、とりなしの聖人、聖母マリア、神のイメージの神とキリストへの二分化といったもので次第に埋め尽くされ、奇妙にも多神教に似て来たが、敢えて多神教を自認するにはいたらなかった。ルターは聖人と聖母を排除した。キリストを排除することはしなかったが、キリストの苦しみを父なる神の力の証言に仕立てた。次の段階においてカルヴァン派は、子なる神の役割を最小限に抑え、霊感の主たる源として福音書ではなくむしろ聖書を選んだ。プロテスタント教はそのどのヴァリアントにあっても、唯一神のイメージを再確立している。プロテスタント教はルター派のドイツと言い、カルヴァン派のオック語地方と言い、直系家族の国に定着した。地上の父親の権威が強いところでは、神の単一性と全能性は容易に受け入れられる。しかしルター主義はまた宗教的差異主義の表現でもあり、その公然の目標はドイツを普遍的教会から引き離すことにあった。ルターがプロテスタントの蜂起を促したのは、「ドイツ国民のキリスト教貴族に告ぐ」というアピールによってである。したがって彼の教義は、一神教の主張と民族的分離主義を組み合わせたものなのであり、結果的に神のイメージの純化とキリスト教ヨーロッパの宗教的細分化を生み出すにいたる。
--------

キリスト教については私はトッドに反論する何の知識も持っていないので、まあ、そうなのかな、と思うのですが、この後、再び日本の仏教に触れた部分は、トッドにしては奇妙な論理の混乱があるような感じがします。
長くなったので、ここで切ります。
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直系家族と一神教(その2)

2016-03-28 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月28日(月)10時20分46秒

あんまり深入りする必要もないかなとは思うのですが、日本の仏教がどのように海外に紹介されているかを示す一例としては興味深いので、もう少し引用を続けてみます。
「直系家族と一神教(その1)」で引用した部分の続きです。(p199以下)

-------
 ヘブライ人の神、ルターの神と同様に、阿弥陀は彼が救う人間たちに選ばれるのではなく、むしろ彼が救う人間を選ぶ。彼の慈悲は上から下される施しの性格を持っている(10)。 十五世紀に蓮如(一四一五年~一四九九年)は伝統的仏教の教義および組織と決定的に袂を分かった。そして浄土真宗、すなわち浄い土地の真の宗派は、いくつもの自治都市を建設し、日本の中央部全域に経済的願いと宗教的願いが交じり合った農民蜂起を引き起こすだけの力を持った強力な社会・政治勢力に変身した。そこにいたって浄土真宗は日本仏教の支配的潮流として勢力を揮ったのである。宗派の寺院には壮大な単純さの雰囲気の中に唯一阿弥陀のイメージだけが存在し、一神教への熱望の強さを表現している。他にも多くの文献が挙げられる中で、例えば宗派の実際上の創始者である蓮如の手紙は、阿弥陀経の統一主義的原理を具体的に示す好個の例に他ならない。「<一心一向>〔ただひたすら〕とは、阿弥陀仏を崇めるなら、二つの仏のことを思わないということである。それは人と人の間でも一人の主にしか一身を委ねないのが当然であるのと同様である。世俗の本にも<忠臣二君に仕えず、貞女二夫にまみえず>とある通りである」(11)。
--------

ここで、「原註」の(10)を見ると(p595)、

--------
10) 阿弥陀信仰と浄土真宗に関しては、例えばJ.M.Kitagawa, Religion in Japanese History, New York, Columbia University Press, 1966 ; G. Renondeau & B. Frank, < Le bouddhisme au Japon >, in R. de Bervalet 他、Présence du bouddhisme, Paris, Gallimard, 1987, p.615-650 ; R. Fujishima, Les Douze Sectes bouddhiques du Japon, Paris, Éd. Trismégiste, 1982, 1889年版の復刻再版 p.135-145を参照。浄土真宗とプロテスタンティズムとの対比については E. O. Reischauer, Histoire du Japon et des Japonais, Paris, Éd. du Seuil, 1973, t. I, p.73-79を参照。
--------

ということで、ライシャワーのは英文著作の仏訳なんでしょうね。
B. Frank はベルナール・フランク氏で、トッドの情報源は英語文献が中心かと思ったら、仏語文献もそれなりにあるようですね。
ただ、「1889年版の復刻再版」などとあるのを見ると、そんな古いので大丈夫なのか、という感じもしてきます。

FRANK Bernard
http://www.aibl.fr/membres/academiciens-depuis-1663/article/frank-bernard?lang=fr

そして、「原註」の(11)は、

--------
11) Ôtani Chôjun, Les problèmes de la foi et de la pratique chez Rennyo à travers ses lettres,Paris, Maisonneuve et Larose, 1991, p.89.
--------

となっていて、「東京大学文学部印度哲学科を卒業後、ソルボンヌ高等学院卒業。パリー第7大学文学博士号取得」という華麗な経歴の持ち主である大谷暢順師は、自らフランス語で蓮如について情報発信している訳ですね。

「吉崎御坊 蓮如上人記念館」
http://honganjifoundation.org/rennyo/rennyoism/profile.html
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トッドの仮説の情報源

2016-03-28 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月27日(日)10時16分9秒

>筆綾丸さん
>カトリックの Kommunion(聖体拝領)が秘められている

詳しいご説明、ありがとうございます。
検索してみたところ、『ルーマニア日記』は手塚富雄・芳賀檀・高橋義孝・高橋健二・登張正実など、ずいぶん多くのドイツ文学者によって翻訳されているようですね。
問題の部分の翻訳がどうなっているのか、いくつか比較してみようと思います。
なお、新潮社版『現代世界文学全集』の「第28巻 幼年時代・ルーマニヤ日記」(1954)は芳賀檀訳だそうですが、芳賀檀は尾高朝雄の義兄で、去年、尾高朝雄の周辺を調べていたときにちょっと気になった人物です。

ケルゼンやフッサールと一緒の家族写真
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f99dff0ad0c403b72519fa7fb9d17682

>浄土教の阿弥陀を一神教的なものとするトッドの視点

「原註」を見ると、トッドが誰から情報を得ているかが分かるのですが、浄土真宗とプロテスタントの対比はライシャワーみたいですね。
また、 Ôtani Chôjun さんの Les problèmes de la Foi et de la Pratique chez Rennyo à travers ses Lettres(Paris, Maisonneuve et Larose, 1991) も参照しています。
うーむ。
やはり情報源に若干の偏りがあるようですし、シーク教には、

--------
唯一神の存在を主張するシーク教は、直系家族に由来する一神教の出現の第二の際立った例である。しかしこの統一主義は、カースト制インド社会に対比されるシーク社会の単一性を定義するところまでは行ったが、実際上ヒンズー教的多神教からうまく抜け出し切ることができず、それ以上先に進むことはなかった。シーク教の存在は直系家族と一神教の間には連携関係があるという仮説をさらに強めるものではあるのだが、普通シークの一神教の出現はイスラムの徹底的一神教に対するヒンズーの側からの反撃と考えられているので、シーク教の一神教的な考え方の発達の中で家族構造が果たした特殊な役割というものを証明するのは難しい。
-------

という事情があって(p198)、「直系家族と一神教の間には連携関係があるという仮説」の証明にあまり役立たないために、「もっとも証明力を発揮する例」として浄土真宗に飛び付いたのですかねー。
どうにも違和感がありますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

聖体拝領 2016/03/26(土) 14:01:42
小太郎さん
http://www.kamome-shuppan.co.jp/goods1019.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B5
同じ軍医とはいえ、ハンス・カロッサの『ルーマニア日記』と鴎外の『明治二十七八年役陣中日誌』は別物なんでしょうね。

ご引用のドイツ語には、カトリックの Kommunion(聖体拝領)が秘められているような気がしますが、とすれば、著者の訳では、 unschuldig (無罪の、無垢の、純粋な)に込められた宗教的な陰影がわからなくなりますね。
著者は「ドイツ語の韻律がよい」などと大雑把なことを言われますが、四個の非分離動詞(Vermorscht、verrostet、vergessen、 verbittert )の前綴り(ver)のリフレインが、おそらく眼前の死屍累々の光景を暗示しつつ、四個の動詞がそれぞれ別個に、死体、剣、花輪、パン・ワインの述部をなし、しかもそれがキリスト降誕の十日前だというところが、おそらくこの文のミソであって、そんなふうに考えれば、よく知られていないキスハーヴァスという山が、最後の審判の日に死者が蘇るとされるオリーブ山のようにみえてくるだろう・・・というようなことを、網野氏ならば指摘するかもしれないですね。
以上を踏まえて訳すとすれば、このドイツ語はとても難しいのですが、鴎外ならば、さらりと訳してしまうのだろうな、きっと。

浄土教の阿弥陀を一神教的なものとするトッドの視点は、日本人として何か変な感じがしますね。うまく説明できませんが、阿弥陀様は西欧的な唯一神とは違うんだ、と。
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直系家族と一神教(その1)

2016-03-26 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月26日(土)10時36分7秒

『移民の運命』の「第二章 アメリカにおける差異主義と民主主義」「第三章 合衆国における白人諸民族の同化」「第四章 合衆国における黒人の隔離」などを読むと、今まで憲法や英米法を学んでも謎が多かった米国憲法史が非常にクリアーに理解できるようになり、トッドは本当に優秀な人だなと改めて思います。
しかし、日本に関係する箇所は納得できない部分も多いですね。
以前の投稿で、トッドの日本仏教の理解は「浄土真宗史観」ではないかと書きましたが、『移民の運命』ではそれがより鮮明になっています。
「第七章 直系家族型システム─差異の知覚と単一性の夢」から少し引用してみます。(p198以下)

-------
単一性対差異─直系家族と一神教

 直系家族型の家族構造の存在は、唯一の神の存在と全能を主張する一神教的宗教流派の出現を促すもののようである。その場合、その宗派の出現の前提となる神学的枠組みがどのようなものであるかは無関係であって、古代の多神教だろうとヒンズー教だろうと仏教だろうと構わない。直系家族型の人類学世界においては、父親の強烈なイメージが超越的な権威の無意識の表象を培う。そえは兄弟と人間の不平等から発する人間の細分化の原理と対立するものである。とはいえ不平等原理は宗教の面でも作用するのであって、選びの観念、一部の人間は選び取られ、他の人間は劫罰を受けるという考えが出てくるのは、不平等原理からである。
-------

トッドになじみのない人は「決定論」ではないかと戸惑うかもしれませんが、ま、ここまでは一般論なので、その内容の是非には触れません。
さて、上記部分に続けて、トッドは「直系家族型の人類学的環境の中で一神教と特定の民が選ばれるという考えとを組み合わせた宗教が出現する最初の例は、古代ユダヤ教に他ならない」として古代ユダヤ教を論じた後、「唯一神の存在を主張するシーク教は、直系家族に由来する一神教の出現の第二の際立った例である」として、シーク教についての若干の説明を行います。
そして、その後、次のように論じます。

------
 もっとも証明力を発揮する例は、日本仏教の歴史的変遷の例である。十二世紀から十六世紀までの間に、キリスト教から遠く隔たった地で、輪廻転生の原理と自然現象に由来する複数の神の存在を受け入れた社会の中に、ドイツ・プロテスタント教と驚くほど類似した考え方を見せる一神教的宗派の教義が出現し、ついでその宗派が社会的に勢力伸張を果たしたという事実を観測することができる。法然(一一三三年~一二一二年)、次いで親鸞(一一七三年~一二六二年)による布教は教義の形成の第一段階をなす。反復的で循環的な無数の仏のイメージの中から、唯一の救い主、阿弥陀の姿が浮かび上がって来る。その慈悲のみが人間を浄土へといたらせることができるのである。この浄土こそ、この極東にあってキリスト教の天国に極めて近い観念に他ならない。
------

ここでいったん切ります。

「日本の仏教が厳密な一神教を目指してきた」への疑問
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5c3ed8485bffce778402ce5c37894a24

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ハンス・カロッサ『ルーマニア日記』

2016-03-25 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月25日(金)10時54分1秒

網野氏の悪口を言い過ぎたかなと反省して「東高時代の網野善彦君」を引用してみたのですが、結局、また悪口の追加みたいになってしまいました。
ま、正直言って網野氏への関心自体が殆どなくなってしまったので、この掲示板で網野氏を論ずることも、あるいはもうないかもしれません。
最後に網野氏へのお別れの挨拶も兼ねて、「東高時代の網野善彦君」から一番印象的な場面を引用しておきます。(p15以下)

--------
十七歳 夏の思い出

 敗戦の少し前、動員先の日立製作所亀有工場での休時間に、網野君が木陰に腰を下ろして読書していました。赤茶けた土は乾きに乾き、この夏の空はひときわ青く思えました。彼がふと頭をあげて遠い彼方をあこがれるような表情をみせた一瞬が絵のように記憶に残っています。何を読んでいるのかチラと見たら、ハンス・カロッサの『ルーマニア日記』で、軍医の従軍記でした。彼が読むならと、あとで私も入手しておきました。一九一六年十二月十五日金曜日の終りの方。ドイツ語の韻律がよい。

 Vermorscht sind schon die Leichen am Berge Kishavas, verrostet unsere Waffen, vergessen unser Kranz, da freuen Menschen sich wieder unschuldig des Brotes und Weines, die uns verbittert sind.

 キスハーヴァス山の死者のむくろは朽ち果てた。われらの剣は錆び、われらの栄誉は忘れられる。そしてわれらには苦いばかりであったパンと酒とを、諸人ふたたび心安らかに楽しむのである。

 この訳に自信はありません。彼は東高三年になるとドイツ語の原典を読むのはやめて、永原さんが薦める石母田正氏の新著『中世的世界の形成』などに熱中し、教室では予習もしてこず悠々として、成績は急降下したといっていましたが、卒業時のドイツ語は二科目各九十点でした。一九四七年旧制東大(まだ憲法施行前で帝国大学)各学部の入学者の中で、和訳では有数の遣手〔つかいて〕だったはずです。存命なら「これでいいか」と聞くところです。
--------

>筆綾丸さん
>秀才中の秀才武藤君
駐ソ大使だったのは1987年から90年だそうですから、在任中にベルリンの壁が崩壊し、離任の翌年12月にはソ連自体が崩壊してしまうという大変な時期だったんですね。

>網野善彦氏『東と西の語る日本の歴史』の英語の抄訳でも踏まえているのかな

これはたぶん違っていて、トッドが参考にしているのは速水融氏の英文での論文など、日本の歴史人口学者や社会学者が統計データを用いて分析した論文だと思います。
1994年にフランスで刊行され、1999年に翻訳された『移民の運命』には、「原注」にトッドが日本に言及するに際して使用した参考文献が少し出ているのですが、その後に参照した文献もある程度は追跡できそうです。
ただ、中には21日の投稿で言及したM.Ferro の Comment on raconte l'histoire aux enfants のように、相当ひどい内容のものもありますね。
昨日、これを翻訳した『新しい世界史』(新評論、1985)を入手し、パラパラめくってみたのですが、戦前と戦後の歴史教育をきちんと区分しないで論じている極めて雑な本で、トッドがこのようなものを素材に日本を論じているのは少し悲しかったですね。

『移民の運命─同化か隔離か』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c8ea9c98847d7de25ca5785b5f6d489e

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

健全なニヒリスト 2016/03/24(木) 13:52:50

小太郎さん

退職後、倫敦に隠棲して叙勲・受賞を避け、葬儀はなく散骨にした、という秀才中の秀才武藤君は、死ねば死にきり、というごく健全なニヒリストだったのでしょうね(テムズ川か北海か大地か・・・散骨場所が少し気になります)。

『トッド 自身を語る』の以下のような対話は、網野善彦氏『東と西の語る日本の歴史』の英語の抄訳でも踏まえているのかな、とも思われますが、どうなんでしょうね。
----------------
ーあなた方が本書の中で展開した地図作成の方法論は、他の国にも適用できると考えますか。
適用できるはずです。この地図作成法は、私の共著者、ル・ブラーズが考案したものですから、この話をするのは、望むところです。彼は、市町村レベルで取られたデータを用いて、実に強力な技法を開発しました。情報プログラムはすべて、かれが考案したものです。彼と私と同様、日本に大いに賛嘆の念を抱く者ですから、われわれはしばしば、この方法を素晴らしい日本の統計データに適用して、日本の研究をしたいものだと、話し合ったものです。日本は完全に同質的ではないこと、大きな差異がいくつもあることを、われわれは知っています。
ーしかし家族という点では、直系家族ですよね。
そうです。しかし東北にはより大きな家族構造があります。また日本の南部、瀬戸内海の周りと九州には、女性がより高いステータスを持っていたシステムの痕跡があります。ですからいろいろなことが分かるでしょう。何が見つかるか分かりませんが、大都会大阪・神戸は、東京メガロポリスとはおそらく違った行動をするのが、見えるでしょう。私たちが仕事を始めた時には、何を見つけることになるか、分かっていませんでした。伝統的な諸力の深層での作用が、これほど見えるようになるとは、それがこれほどまでに近代性を誘導していたとは、考えてもみなかったのです。(66頁~)
----------------

「情報学と数学の桁外れの技量を持ち、フランス最大の人口統計学者」(68頁)であり、『不均衡という病』の共著者エルヴェ・ル・ブラーズが開発した強力な技法とはどんなものなのか、高度な数式は理解できないながらも、覗き見したい気はしますね。また、東北地方の「より大きな家族構造」とは、中国・モンゴル・ロシアなどで普遍的な「外婚制共同体家族」(共産主義と親和的な家族型)のようなものを想定しているのでしょうか。

なお、引用文中の「市町村レベル」ですが、フランスには市町村の区別はないので、原語は commune ですね。
また、bras は腕とか権力の意で s は発音しませんが、この場合は興味深いことに、ブルターニュ地方では末尾の s は濁音になるのですね。
経歴を見ると、フランスの典型的な理数系のエリートですね。X1963のX(イクス)はポリテクの略語で、たしか制帽の形(あるいは剣)に由来したかと思いますが、現在も、7月14日の革命記念日のシャンゼリゼにおける行進では、数名のイクス達が先陣を切って進みますね。むかし、近くで眺め、恰好いいなあ、と思いました。

『アラブ革命はなぜ起きたか』巻末の「家族型の分布図(世界)」では、キューバは「外婚制共同体家族」だから、アメリカと国交を回復したとはいえ、人類学的基底としては二国間関係は前途多難ですね。
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「東高時代の網野善彦君」(その2)

2016-03-24 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月24日(木)10時56分8秒

結局、「網野氏が外交官になったら大成したのでは」は鈴木沙雄氏(元朝日新聞論説委員)のエッセイを読んだ私の感想だったのですが、後にソ連大使になった秀才中の秀才と肩を並べる存在だった訳ですから、やはりまんざら冗談でもないですね。
ま、潜在的な可能性としてはそういう方向があったとしても、

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 彼は尋常科四年ごろから歴史に関心を持ち、文科一年の大成寮時代は、ニーチェ、ヘーゲル、ランケ、マイネッケなどをドイツ語や翻訳で読んでいたというが、勤労動員中、一九四五年五月二十五日の空襲で校舎も寮も全焼してしまい、戦後、一高の明寮を仮校舎に授業が再開されると、二年生だった四五年十月ごろから旧友の生松敬三君(中央大教授、倫理、マックス・ウェーバの原典を全部読んだ。84年没)らと歴史研究会を始めました。そこへ復員したばかりの五年先輩の永原慶二さん(一橋大名誉教授、04年7月没)、吉谷泉さん(以上42年3月文乙卒)、潮見俊隆さん(42年9月文乙卒、東大社会科学研究所長、96年没)、一年上の柴田三千雄さん(45年3月文甲卒、東大名誉教授、近世フランス史)がやってきて、世間で注目される前の石母田正、藤間生大、松本新八郎、大塚久雄、丸山真男諸先生の論文が面白いよと勧めました。彼は東洋史をやりたいと思っていましたが、永原さんに「日本史はもっと面白いぞ」と言われて日本史に決め、石母田『中世的世界の形成』が三年生の時に出たことが、中世史を専攻するきっかけとなったということです。
-------

といった環境の中で網野君は学問に邁進し、同時に共産党にも入って学生運動にも邁進する訳ですね。(p189以下)
さて、後に読売新聞グループの最高権力者となった「ナベツネ」こと渡辺恒雄氏は高等科から東京高校に入った人で、氏家斉一郎氏とともに網野君の共産党での同志ですが、世間的にはあまり評判が良くないこの人の自叙伝は、実際に読むとけっこう面白いですね。
特に渡辺氏が共産党に入った理由、そして離党した経緯は非常に筋が通っていて、自ら信ずる理想・正義を堂々と主張したけれども、それが当時の共産党に受け入れられなかったからやめました、というだけのことで、いわゆる「転向」に多く見られる陰湿さはありません。
知的な能力では網野君と同等だった渡辺恒雄氏や氏家斉一郎氏は、共産党を離れた後、マスコミ・ビジネス・政治の世界でもまれて多種多様な権力者を観察し、自らも権力者の道を歩む訳ですが、その頃、網野君は何をやっていたかというと、俗世間を離れてひたすら古文書の世界に沈潜していた訳ですね。
ま、それがなければ後の広汎な著作活動も社会的活躍もなかったはずですが、反面、そうした浮世離れした生活の結果が相生山の「生駒庵」でもある訳で、失ったものも大きかったように思います。
歴史研究者の多くは古文書への沈潜を誇らしく感じるでしょうが、いつまでも少年の心を忘れない子供のような大人、妖精・ティンカーベルと共に冒険の日々を送る永遠の少年、ピーターパンになる可能性も大きいですね。
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「東高時代の網野善彦君」(その1)

2016-03-24 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月24日(木)10時50分41秒

>筆綾丸さん
旧制東京高校の同級生が「網野氏が外交官になったら大成したのでは」と言った云々は私の記憶違で、その人は学年一の秀才で後にソ連大使となった武藤利昭氏と網野善彦氏を比較しているだけでした。
赤坂憲雄編『追悼記録 網野善彦』(平凡社新書、2006)所収の鈴木沙雄氏「東高時代の網野善彦君」から少し引用してみます。(p187)

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 武藤君は外交官になって戦後はサウジアラビア、インドネシア、ソ連の大使を歴任。ロンドンに隠棲して、一九九九年十二月に肺がんで亡くなりました。没後夫人に調べてもらったら尋常科一年の学年末平均点は九十点で一番、数学は二科目百点でした。網野君は八十点台の上の方で、一点につき何人もいる他の優等生から頭一つ出て三番にいたそうです。
 二人に共通しているのは武藤君が二年から四年まで学校任命のA組級長、網野君はB組級長で、武藤君は尋常科から、肺がんで吸えなくなるまで、網野君は高等科一年の十六歳から六十六歳までの喫煙者でした。学校は高等科では二人とも級長にも副級長にもしませんでした。一方は顕官、他方は在野で我が道を行きましたが、ともに叙勲・受賞は避け、葬儀はせず、武藤君は散骨、網野君は献体を遺言しました。違うことは武藤君は外務省では珍らしい理数系素質を発揮し、コンピューターをおもちゃにしていて哲学的にはならず、網野君は尋常科時代には数学でも優等生だったが、成人してからは古文書解読に沈潜しつつ自分の歴史哲学を築いたことでした。
-------

旧制高校の中でも東京高校はちょっと特殊で、公立で唯一の七年制ですね。
尋常科(一年から四年)は旧制中学に相当し、高等科(五年から七年)が一高などの他の旧制高校に相当しますが、通常の旧制中学は五年制で、特別に優秀な人だけが四年で「飛び級」して旧制高校に入るのに対し、東京高校は全体で「飛び級」する訳ですね。
一高が田舎の秀才の集まりで「バンカラ」だったのに対して、東京高校は洗練された都会派が多く、かつては「ジュラルミン高校」という、今となっては何だかよく分からない比喩でも呼ばれていたそうです。
「甲州の金融業から東京に出て石油会社を始めた家に生まれ」(p185)、高輪・二本榎のお屋敷で暮らし、白金小学校に通っていた網野君もなかなかのお坊ちゃまだった訳ですね。
わずか二クラスでありながら、網野君の同級生には後に大学教授になった人が山ほどいて、特別な学校だったことが分かります。
変り種としては後に極左暴力集団・革マル派の指導者になった人もいて、「革命的マルクス主義の提唱者となった黒田寛一君は背丈がほぼ同じの宮澤君〔宮澤弘成、東大理学部教授、素粒子論〕と席を並べ、図画の時間は油絵を描いて」いたそうですね。(p186)

>マサムネさん
今は古代史には関心を持てなくて、ご紹介の本もなかなか読めそうもありません。
アマゾンの大平裕氏の著者略歴に「(財)太平正芳記念財団の代表を務める」とありますが、大平正芳氏の次男なんですね。

※筆綾丸さんとマサムネさんの下記投稿へのレスです。

jouer à la conception d'État 2016/03/22(火) 16:00:26(筆綾丸さん)
小太郎さん
鳥刺しの話から推測すると、網野氏が外交官になっていたら、ハニートラップは無理としても、ソ連のKGBあたりにころっと騙されていたかもしれないですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%AB%96
日本の中世史では、「権門体制論」対「複数国家論」が依然として重要な問題なのか、事情は知りませんが、トッドの人類学的基底という観点からすれば、それは所詮、二次的な問題にすぎず、本質的な問題ではあるまい、というような気もしてきますね。

Je suis fatiguée de jouer à la conception d'État.ー国家ごっこ(国家という概念ごっこ)には飽きたーなどという表現はフランス語で可能かどうか。

https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Szigeti
-----------
Szigeti was born Joseph "Jóska" Singer[1] to a Jewish family in Budapest, Austria-Hungary. His mother died when he was three years old, and soon thereafter the boy was sent to live with his grandparents in the little Carpathian town of Máramaros-Sziget (hence the name Szigeti).
-----------
シゲティとは、カルパチア山脈にある小さな町の名に由来するのですね。
むかし、このシゲティは凄いぜと言われ、バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」のレコード(!)を借りて聴いたことがあり、シゲティというと、かつての友人を思い出します。

歴史学とは4530 2016/03/22(火) 21:31:23(マサムネさん)
以前に神仏判然/廃仏毀釈を論じた者です。
未だに確たる論証も出来ませんので、話題を一つ献じたく。
『暦で読み解く古代天皇の謎』大平裕著 日本書紀の暦年計算法発見
http://www.sankei.com/life/news/151115/lif1511150021-n1.html
此方の労作、なかなか読み応えあるように想うのですが、それにしても歴史に臨む態度ということでは色々と考えさせられるところです。
読後感として歴史における発見は、常に先人の歴史に如何に忠実であるか、が問われているように熟々想われます。学問(閥)としての歴史、思想家による思想のための歴史は、その根源に隷属というか従属があり、注意すべきですね。
本書をもって、神仏判然と、神道派の横暴を誹謗する目的を蔵した廃仏毀釈の区別について、論ずることが出来れば、と愚考いたしております。
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「君がいると、全体がハモらないんだけどなあ」(by 網野善彦)

2016-03-22 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月22日(火)09時42分28秒

3月14日の投稿で速水融氏に対し、「何だか人口調査の職人さんみたいな感じで、もう少し思想的に深める方向に行ってもよかったのでは」と言い、網野善彦氏には3月18日の投稿で「所詮は田舎の知識人だったね」、翌19日の投稿で「理論的な深化を図ればそれこそ世界的な歴史家になれたのかもしれませんが、そういう方向へは向いませんでしたね」と言うなど、我ながら「何様のつもり」感の漂う投稿の多い今日この頃ですが、もちろんお二人が日本の歴史学者の中では傑出した存在であることを認めた上で、それでも私は、何で日本からは世界が注目するような、いわばノーベル賞級の歴史学者が出ないのかなあ、と思ってしまいます。
そういう人がいれば、トッドの日本における「差異主義」の理解にも、もっと深い考察が組み込まれたかもしれません。
ま、多少の言い訳はあるにしても、さすがに言い過ぎだったかもしれないので、お詫びを兼ねて、『網野善彦著作集』第十五巻(岩波書店、2007年)の「月報」に掲載された速水氏の「網野さんの得意とするもの」というエッセイから、網野氏と速水氏の交流の様子を少し紹介してみます。(p4以下)

--------
 昭和二十五年、私たちは紀州沿岸の史料調査に出かけた。【中略】ある喫茶店に入ると、古典音楽が流れている。多分ラジオ放送からだったと思うが、網野さんは「ベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトだ」といって注文もせず聴きいった。私は、それが、戦後吹き込まれたシゲッティ、ワルター指揮NYフィルの演奏に違いないと思った。この曲の極みつけはクライスラーの盤だったが、如何せん吹込みが古く、ダイナミック・レンジも狭い。そこへゆくと、シゲッティ盤は、彼独特の弓の弦が切れるのではないかと思うような奏法ばかりでなく、オーケストラも朗々と鳴ってくれる。私はその頃東京に多かった古典音楽を聴かせる喫茶店で、この曲を注文していたので、すぐ分かったのだが、網野さんに先を越されて何もいえず、黙ってコーフィーを注文した。歌あるいは広く音楽は彼の得意とする技なのである。
-------

二人ともなかなかの教養人ですね。
速水氏の繊細さとこだわりは「コーフィー」にも現れています。

-------
 ところで、月島の常民文化研究所で、いつの頃からか、昼休みにコーラスをやることが日常化するようになった。合唱指導には、有島重武氏が来られたが、氏は有島家の血を引く方で、その経歴は慶應義塾大学工学部卒業後、音楽指導活動の後、政界入りし、公明党から衆議院議員となり、平成十八年他界されるという波瀾に満ちた経歴を重ねられた方である。
 網野さん達に勧められ、気の進まないまま、私も合唱団の一員になり、滝廉太郎「花」の男性歌唱部分を辛うじて歌えるようになったが、ある日練習が終ると、一寸一寸と呼び止められ、「君がいると、全体がハモらないんだけどなあ」と言い渡された。網野さんからは、歌はやたらに口を大きく開くのではなく、むしろ喉をしぼるようにして唱うのだ、と教えられていたのだが、私は、自分の音痴さ加減を知っていたから、むしろこれ幸いと合唱団を辞め、水産研究所の軟式野球クラブに移り、当時まだ残っていた原っぱで、文字どおりの草野球を楽しんだ。
------

網野氏が友人にこの種の率直な、というかズケズケした物言いをする人であることは、東京高校の同級生で共産党の同志でもあった氏家斉一郎氏(日本テレビ元会長)も回想していますね。
さて、数十年後、速水氏が慶應関係の集まりで有島氏に会って当時のことに触れると、有島氏は「素晴らしい声の持ち主の網野さんや中沢さん(網野夫人)がいらっしゃったところですね」と言われたそうです。
また、速水氏は「ご本人が意識してらしたか否かは別として、お二人の結婚は音楽が絆になったのではないか」と推測しているのだそうです。

------
 中沢さんのソプラノも本格的で、歌いながら仕事をすることの可否について大真面目に議論したものである。網野さんのバリトンは、これまた並々ならぬもので、もし彼が声楽の道を選んだとしたら、相当なところまで行ったのではないかと想像する。
------

とのことで、網野氏は実に多方面にわたる才能の持ち主ですね。
氏家氏とは別の東京高校の同級生の中には、網野氏が外交官になったら大成したのでは、と言われる人もいて、網野氏の雄弁と語学力、そして押し出しのよさを思えば、それもまんざら冗談ではないように思います。
強いて網野氏の欠点をあげれば、それは生真面目すぎること、そしてその結果としてのバランス感覚の欠如ですかね。
ユーモアの才能とバランス感覚では、おそらく速水氏の方が上ですね。
速水氏だったら、仮に相生山の「生駒庵」へ行っても店主にからかわれなかったのではないかなと想像します。

『血族』の世界
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/09bcdc10aadd78cf2dde13b4772e1802
注文の多い料理店
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6c39e4005ca3b2ec3abec349df21a4fb

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『移民の運命─同化か隔離か』

2016-03-21 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月21日(月)11時12分51秒

>筆綾丸さん
いえいえ。
私も人類学の知識は乏しく、社会学は殆ど何も知らないに等しいので、トッドの用語が一般的なものなのか、それともトッド独自のものなのかが分からないまま読んでいたのですが、筆綾丸さんの疑問をきっかけに一応の整理ができて助かりました。

『世界の多様性』と並行して『移民の運命─同化か隔離か』(石崎晴己・東松秀雄訳、藤原書店、1899)を読み始めましたが、「第一章 普遍主義と差異主義─心的構造における対称性と無対称性」において、トッドは日本について次のように言っています。(p44以下)

-------
(3) 日本の民族〔エトニー〕的帰属の理論は、差異主義的論理に属する底のものであるが、この差異主義的論理が島国という特徴によってさらに強化されている。この島国性の故に、民族的に純粋であるという概念の「もっともらしさ」が増大し、その結果、民族〔ナシヨン〕としてのアイデンティティーとは完全に血統に基づくものだとする考え方の発達が促進された。十九世紀末と二十世紀前半に日本の近代化に随伴した民族主義的理論において、日本は人種的に同質的で、他のあらゆる民族と異なる民族=家族になる。「天照大神の願いにより、日本は時の始まりから終わりまで唯一の帝系のみを持つのでなければならない。皇帝は打倒されてはならず、家系は途絶えてはならない。国民は国家=家族を中心に融合し、一つの共通の意志にならねばならず、孝心と忠誠の理想を中心として一つにならなければならない。この構造は日本独自のものであり、世界に無比のものである。これによって日本は神々に慈しまれる国となっている。他の諸国では、<国体>の不在の故に、危機や革命、退廃期や国家疑問視の局面が、したがって革命的イデオロギーが産み出される。これら革命的イデオロギーは、日本については常軌を逸した誤りとなるであろう」(4)。したがって日本的人間とは、普遍的人間のいくつもの形態の中の一つであるというわけには行かない。そして、日本性とは遺産として相続したものなのだから、どんな人間も日本人になれるわけではない。日本の場合も、ドイツの場合と同様、一九〇〇年から一九四五年までの、ヒステリックと言いたくなるような明示的差異主義が崩壊したことは、暗黙の差異主義の消滅を意味しない。それはより深い人類学的な態度の中に固着しているのである。
--------

最初の<差異主義的論理に属する「底」のもの>は、あるいは「体」の誤変換でしょうか。
ま、それはともかく、注(4)が付された比較的長めの引用部分、古臭い文献をマルクス主義系の学者が要約したような感じを受けますが、「原註」(4)を見ると(p611)、

-------
4) M.Ferro により Comment on raconte l'histoire aux enfants, Paris, Payot, 1981,p.244-245〔『新しい世界史』、1985年、新評論〕において引用された歴史書。国体は(日本の民族的本質)と訳すことができる。1880年代までは各国にはそれぞれ固有の国体が存在した。それ以降は国体という言葉は日本だけに適用されることになる。この点に関しては K.van Wolferen, L'énigme de la puissance japonaise, Paris, Robert Laffont, 1990, p.288-294 を参照。
-------

となっていて、当該引用部分は子供の教科書に「引用された歴史書」からの孫引きのようですが、具体的にその「引用された歴史書」が何かは分かりません。
ま、翻訳された新評論の『新しい世界史』を見ればもう少し情報が得られるでしょうが、ちょっと妙な書き方ですね。
さて、トッドの上記見解に対しては、これで正しいと思う人もいるでしょうし、不正確でけしからんと思う人もいるでしょうし、若干の左翼的色彩が気になるものの、まあ、こんな風に要約されても仕方ないのかな、と思う人もいると思います。
そのあたりは人それぞれでしょうが、ただ、単独ではこれで正しいと思う人でも、トッドが引用部分の直前で「差異主義」の代表格としてドイツを挙げ、その次にドイツと同格の存在として日本を挙げているのを見ると、若干落ち着かない気持ちになるかもしれません。
「われこそは他の者には模倣できっこない唯一無比の本質を持つと主張し、人間の等価性と諸国民の融合という観念そのものに敵意を示す、そういう人間集団」(p42)として、日本はドイツと同格なのか、という問題ですね。

『移民の運命─同化か隔離か』
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=403

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

多才な或るポリテクニシアンの肖像 2016/03/19(土) 16:49:05
小太郎さん
https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Guillaume_Fr%C3%A9d%C3%A9ric_le_Play
ご丁寧にありがとうございます。
ピエール・ギョーム・フレデリック・ル=プレは、ナポレオン三世に高く買われ、上院議員も歴任しているのですね。いかにもフランスの頑固親爺といった風貌ですが、美青年の面影があります。晩年は悩んでカトリックに改宗したのですね。ル=プレの像が上院所在のリュクサンブール公園内にあるくらいですから、歴史上、著名な人物なんですね。
仏語のウィキに、
-----------
・・・le système d'héritage préciputaire qu'il a étudié dans les Pyrénées et nommé famille souche.(ピレネー地方における優先的な相続制度を研究し、これを famille souche と名付けた)とあり、héritage préciputaire が長子相続を指しているようですね。辞書を引くと、préciputは民法用語で、相続における先取分を意味する、とあります。souche はポリテク出身で冶金学の教授らしい命名といえるのでしょうね。

À partir des années 1990 les travaux de Le Play ont été particulièrement popularisés par l'historien et démographe Emmanuel Todd.(1990年代以降、ル=プレの業績は歴史人口学者エマニュエル・トッドにより特に知られるようになった)ともありますね。
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「三銃士であったル=プレの家族類型はいまや四銃士になった」

2016-03-19 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月19日(土)15時04分11秒

>筆綾丸さん
>直系家族 (la famille souche)以外は学術的な硬い用語ですが、souche だけ異質な感じ

これは「直系家族」だけフレデリック・ル=プレの用語を踏襲しているのが原因のようです。
『世界の多様性』所収の『第三惑星─家族構造とイデオロギーシステム』を見ると、トッドは家族構造についてのル=プレの三類型にひとつ加えて四類型としています。
そもそもル=プレとは何者かというと、

-------
 社会学者であったフレデリック・ル=プレ(一八〇六-一八八二)は、カトリックで反動的な思想をもち、経験主義的な研究に幸福を見出したと同時に、おぞましい政治ヴィジョンを抱いていた人物であったが、その彼とともに人類学は決定的な一歩を踏みだしたのであった。人類学は普遍主義的なアプローチを捨て、差異を認めるようになったのだ。ル=プレは三つの家族形態を含んだ類型学を構築し、それがタンジールからウラル山脈に至るヨーロッパ全域にどのように分布しているのかを研究した。このポリテクニシアンと彼のチームによって実現された個別研究の質の高さは今日でも驚嘆に値する。
-------

のだそうです。(p41)
そしてル=プレは、自由と平等を基準とする類型化を行ったものの、

-------
 論理的には、自由と平等の二つの原理は、それぞれ二つの相対立する価値(自由/権威。平等/不平等)を動員することによって、四つのカテゴリーからなる類型パターンを創り出すことになる。家族システムは次のような四つのタイプであり得るのだ。

─自由主義で不平等主義(タイプ一)
─自由主義で平等主義(タイプ二)
─権威主義で不平等主義(タイプ三)
─権威主義で平等主義(タイプ四)

 ところがル=プレの類型学ではタイプ二三四だけが採用されているのである。家族生活における自由と平等の原理の組み合わさったこのメカニズムを詳細に分析してみれば、ル=プレがなぜ躊躇し、類型学的な唯一の誤謬を犯したかを理解することができる。
-------

ということで(p42)、この後、若干分かりにくい分析が続くのですが、とりあえずル=プレの用いた用語だけを整理すると、

─自由主義で平等主義(タイプ二)・・・「不安定家族」
─権威主義で不平等主義(タイプ三)・・・「直系家族」
─権威主義で平等主義(タイプ四)・・・「家長制家族」

となります。
そしてタイプ一が追加されたトッドの四類型を整理すると、

─自由主義で不平等主義(タイプ一)・・・「絶対核家族」
─自由主義で平等主義(タイプ二)・・・「平等主義核家族」
─権威主義で不平等主義(タイプ三)・・・「権威主義家族」
─権威主義で平等主義(タイプ四)・・・「共同体家族」

となります。
トッドは1983年の『第三惑星』においては、

-------
 三銃士であったル=プレの家族類型はいまや四銃士になったのである。混同の可能性を避け、家族モデルの基底として機能している根本的な価値を強調するために、直系家族と家長制家族であるタイプ三とタイプ四もやはり命名しなおすことにする。息子と父との密接な相互依存関係によって組織されている直系家族には、今後は権威主義家族の名をあてることにする。家長制家族という用語は、兄弟の連帯が無視されており、父─息子の関係しか想起されないため、今後は共同体家族と呼ぶことにする。
-------

として(p45)、ル=プレの「直系家族」と「家長制家族」をそれぞれ「権威主義家族」「共同体家族」と命名し直しますが、紛らわしいことに1990年の『新ヨーロッパ大全』では、

─自由主義で不平等主義(タイプ一)・・・「絶対核家族」
─自由主義で平等主義(タイプ二)・・・「平等主義核家族」
─権威主義で不平等主義(タイプ三)・・・「直系家族」
─権威主義で平等主義(タイプ四)・・・「共同体家族」

としており(Ⅰ、p40)、いったん「権威主義家族」としたものの、結局はル=プレの「直系家族」が復活してしまったようですね。
ま、「権威主義家族」だとタイプ三、タイプ四を含めた名称に聞こえてしまうので、まずいなと考え直したのでしょうね。
以上は日本語版だけを見ての整理ですが、このあたりは訳者も相当神経を使って書いているので、間違いないと思います。
結局、筆綾丸さんが「souche だけ異質な感じ」がすると思われたのは、これだけル=プレの用語が残ったことが原因のようですね。

>所詮は夜郎自大にすぎず
網野善彦氏は若い頃は強靭な思弁力を誇る理論家だったものの、何らかの挫折を機に古文書の世界に沈潜してしまった人ですね。
結果として古文書学では多大の業績を残した訳ですが、再び理論の世界に戻ることはなく、一世を風靡した『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』や『異形の王権』も理論的な著作ではなく、核心的部分については後続の研究者が検証する可能性を予め排除した「ポエム」ですからね。
まあ、古文書への沈潜も悪くはありませんが、それが一段落ついた段階で速水融氏のように留学でもして欧米の歴史学の新しい潮流を知り、理論的な深化を図ればそれこそ世界的な歴史家になれたのかもしれませんが、そういう方向へは向いませんでしたね。
ちょっともったいない感じはします。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

souche という言葉 2016/03/17(木) 16:58:54
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89
トッドが示した家族類型がウィキにありますが、直系家族 (la famille souche)以外は学術的な硬い用語ですが、souche だけ異質な感じがします。souche というと、まず樹木の切株、ついで、培養液の中の細菌の株などを思い浮かべます。ligne directe(droite ligne)とすれば「直系」らしく、天皇家もこちらの方が相応しい気がしますが、トッドは採用しないようですね。天皇家の souche となると、北朝と南朝の対立や色々な宮家の創設など、枝分かれした方に関心が移行して、すこし変な感じになります。

現在はわかりませんが、博学のトッドも、日本仏教についてはナイーヴな感じは否めないですね。 

数年前の思い出 2016/03/18(金) 14:05:12
小太郎さん
https://www.junku.fr/jp/index.php
http://fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1210
ソ連の崩壊を予言した統計学者ということで、トッドの名は以前から知ってはいたものの、Todd は Tod(独:死)を含む妙な名だな、くらいの関心しかありませんでしたが、2011年の秋の或る日、ふと立ち寄ったパリのジュンク堂で『アラブ革命はなぜ起きたか』(初版2011年9月30日)を読み始めたら、あまりに面白いのですぐ購入し、オペラ座近くの、いろんな言語が飛び交う喧しいスターバックスの中で読み耽ったものです。パリには不愉快な思い出も多々ありますが、これは佳い思い出のひとつです。
原題の「Allah n’y est pour rien !」は、アラーは関係ない、つまり、アラブ革命にイスラム教は関係ない、というほどの意味で、はじめは、え、嘘だろ、と思いましたが、識字率や出生率というパラメータで革命を読み解く方法論に驚き、それ以後、トッドのファンになりました。つまり、トッド体験は私も晩生なんです。

トッドが読む文献の95%は英語とのことですが、どんな学問分野であれ、主要な論文の大半は英語で書かれている、つまり、それ以外の言語(たとえば日本語)でどんなに論文を書いても、所詮は夜郎自大にすぎず、世界的にはほとんど無意味だ、というようなことになるのでしょうね。

追記
http://www.bbc.com/news/world-europe-35846954
------------
・・・ブリュッセル市内のモレンベーク地区のように、治安コントロールのまったく行き届かない界隈が生まれたのです。モレンベークはヨーロッパの真ん中に位置していて、この大陸におけるテロリズムのターンテーブルに、シリアまたはイラクで計画されるダーイシュ(「イスラム国」)の行動の中継地になっています。(『シャルリとは誰か?』300頁)
------------
BBC掲載の地図によれば、ベルギー警察が襲撃したアパルトマンは Quatre-Vents 通りに面しています。Vent(風)は数えられない名詞だから、これは「四つの風」ではなく、四つの方角(東西南北)の意かと思われますが、テロリストが蝟集するモレンベーク地区にあって、全方位を意味するような名の通りで、11.13事件の主犯が逮捕されたというのは、なんとも象徴的です。モレンベーク地区は、テロリストが四か月間も逃走を続けられるほどの迷宮なんですね。 
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『世界の多様性─家族構造と近代性』

2016-03-18 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月18日(金)08時23分14秒

>筆綾丸さん
>日本仏教についてはナイーヴ
トッドは自分が読む文献の95%は英語だ、みたいなことをどこかで書いていたので、日本の仏教についても主として英語で情報を得ているのでしょうが、もしかすると日本から発信される英語での仏教情報の質と量に偏りがあるのかもしれないですね。
浄土真宗はそのあたりも強そうな感じがします。
トッドは特に語学の天才という訳でもなく、ケンブリッジで学んだ当初は英語に少し苦労し、ドイツ語は読めないみたいなことも書いていますね。
ま、苦労のレベルや「読めない」の程度は通常人とは違うのでしょうが。

速水融氏が『網野善彦著作集』の「月報」に書いたエッセイを読んでみましたが、日本常民文化研究所の思い出といっても音楽のことばかりで、やはり二人とも育ちの良さを感じさせますね。
岩魚目書店は『網野善彦対談集』と並行して「月報」をまとめた『回想の網野善彦』という本も出したそうですが、トコトン網野善彦を使い倒し、読者の金を搾り尽くそうとする姿勢は見事です。
ま、私も昔はけっこう読みましたが、速水融氏のように本当に国際的な業績を挙げた訳でもなく、所詮は田舎の知識人だったね、というのが最近の感想です。

トッドの初期の著作、『第三惑星』と『世界の幼少期』をまとめた『世界の多様性─家族構造と近代性』(藤原書店、2008)を読み始めたのですが、若い頃のトッドは今以上に戦闘的だったようです。
「序文」で若き日の自著の欠陥を率直に認めつつ、しかし「人類学的決定論」であって人間の自由にとっては絶望的なものだ、との批判に対しては辛辣に反論しており、知識人としてのトッドの姿勢には全くブレがないですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

souche という言葉 2016/03/17(木) 16:58:54
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89
トッドが示した家族類型がウィキにありますが、直系家族 (la famille souche)以外は学術的な硬い用語ですが、souche だけ異質な感じがします。souche というと、まず樹木の切株、ついで、培養液の中の細菌の株などを思い浮かべます。ligne directe(droite ligne)とすれば「直系」らしく、天皇家もこちらの方が相応しい気がしますが、トッドは採用しないようですね。天皇家の souche となると、北朝と南朝の対立や色々な宮家の創設など、枝分かれした方に関心が移行して、すこし変な感じになります。

現在はわかりませんが、博学のトッドも、日本仏教についてはナイーヴな感じは否めないですね。
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「日本の仏教が厳密な一神教を目指してきた」への疑問

2016-03-17 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月17日(木)11時07分19秒

>筆綾丸さん
>直系家族 (la famille souche)という人類学的基底概念で日本の天皇制を論ずればどうなるか

天皇家のことだけ考えれば、直系家族の権威主義・不平等主義の典型で終わってしまいそうですね。
トッドが用いる分類基準はヨーロッパの多様性を炙り出すための道具としては非常にうまく機能しているように感じますが、そのままだと日本は一色で塗りつぶされてしまいます。
日本の多様性を炙り出すためには独自の工夫が必要でしょうが、つい最近、トッドの愛読者になったばかりの私にはいささか難しい課題です。

>真宗の阿弥陀思想とルターの恩寵概念との類似
宗教評論家の丸山照雄氏の質問に対する回答に出てくる部分ですね。

-------
 ですから、仏教界においても一つの仮説としては、キリスト教と同じで、人間がある程度発展し、ある程度識字化したときには、つまり宗教がもはやいくつかの基本的道徳概念ではなくなった時、家族組織が宗教の統一性を破壊するのではないかと考えています。【中略】
 日本の仏教がたどってきた変革を考えてみると、専門家ではありませんが、私は日本において仏教がとった形式に非常に関心をもっています。とりわけ阿弥陀思想の普及と、それから一時、仏教の中心的傾向となった真宗の発展です。それは仏教の構造の中で、その救済の問題、それから一神教の問題に関わってきます。そして真宗は、この救済という点と一神教的な性格という点で、ドイツのマルチン・ルターの考え方、ルター主義と非常に似ていると思うのです。昨日、私はそのことに関する本を買ったばかりなのですが、まず、日本の仏教が厳密な一神教を目指してきたということ、これは<直系家族>地域によくある傾向で、<直系家族>は父が唯一で全能なものであるという点から、もっとも強力な一神教的概念を持つ家族制度です。阿弥陀も唯一の救済主であって、一神教的な発展をするのは<直系家族>地域にあるからです。そしてもたらされる救済、救いが信者の意志や行動にかかわらず、阿弥陀の恩寵と阿弥陀の行為によってもたらされるという点です。これはまさにマルチン・ルターの恩寵の概念と共通しています。
-------

これを読むと、1992年11月14日に藤原書店で開催されたセミナー「ヨーロッパの真実─人類学的視点から」の時点では、トッドの日本仏教に関する知識は相当偏っていて、「日本の仏教が厳密な一神教を目指してきた」という、いわば「浄土真宗史観」ですね。
浄土真宗とプロテスタントが似ていると言い出したのは、おそらく島地黙雷(1838-1911)が最初で、浄土真宗があまり好きではない私は、正直「ド厚かましいな」という印象を受けない訳でもないのですが、まあ、確かに似ているといえば似ている点も多いですね。
しかし、プロテスタントの数多い宗派の中で、特定の血統を受け継ぐ一族が代々宗派の最高権威・最高権力として君臨しているところがあるのかというと、私は寡聞にして知りません。
「王朝」に支配された仏教教団って、某将軍様の国、「金王朝」に支配された共産主義国のようなブキミさを感じます。
ただ、日本の仏教をあまり知らないエマニュエル・トッドの直感を尊重すると、浄土真宗を受け入れることができた地域は、直系家族の中でも特に権威主義的傾向が強い地域なのじゃないかな、という程度のことは言えそうですね。
浄土真宗は日本の多様性を炙り出すためのひとつの基準にはなるのではないか、と思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Todd-Godotを待ちながら 2016/03/16(水) 14:51:12
小太郎さん
直系家族 (la famille souche)という人類学的基底概念で日本の天皇制を論ずればどうなるか、トッド説を知りたくなりますね。
仏教に関しては、『新ヨーロッパ大全?』の質疑応答で、真宗の阿弥陀思想とルターの恩寵概念との類似に言及していますが(430頁~)。

『トッド 自身を語る』で、小太郎さんが引用された直後の解説も興味深いですね。
------------------
 これと対をなす、「起源的インド・ヨーロッパ語族の父系制」も、等しく幻想と断ずるトッドの、痛快なまでの推論もさることながら、ここでは、レヴィ=ストロース批判を取り上げるに留めておこう。婚姻制度、特に内婚制が、トッド人類学の大きな研究分野をなしていることは、周知の通りであるが、彼にとって重要な内婚制は、いわゆる「アラブ風」の父方平行いとこ(父の兄弟のいとこの娘)との婚姻である。一方、レヴィ=ストロースは『親族の基本構造』で、主に母方交叉いとこ(母の兄弟の娘)との婚姻に依拠して、その「女性交換」説を築き上げた。これは、構造主義の第一命題とも言える。これをトッドは、婚姻の問題を「統計的にはマージナルな形態から出発して」扱うという、部分化的方法と批判する。家族システムの歴史的変遷に取り組む本書が、構造主義人類学への反論とならざるをえないことは言うまでもないが、これはその最も基本的な論点の一つと言える。なお、ちなみに付言するなら、トッドとクロード・レヴィ=ストロースは、遠縁の親戚である(トッドの祖母とクロードが、またいとこ同士)。こんなところにも、ある種の感慨を禁じ得ない。(188頁~)
------------------

時化緒書店がトッドの著作を出版することは絶対ないでしょうね。

追記
http://japanese.joins.com/article/276/213276.html?servcode=400&sectcode=450
イ・セドルの自己分析は見事なものですね。中央日報のレベルは高く、報道の水準からしても、日本より韓国の碁の方がレベルが上だな、と判断してよさそうです。囲碁も将棋も大手新聞がスポンサーなんですが、対岸の火事のようなのんびりした報道が多いのは、一体、どうしたことか。
アルファ碁の勝率(白52%、黒48%)で、6目半コミ出しというハンディに由来するのでしょうが、後手番の方がやや高いとは意外でした。ハンディのない将棋の勝率では、統計的に、先手番(51%)、後手番(49%)と言われ、先手やや有利ですね。
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「起源的母系制」は幻想

2016-03-16 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月16日(水)11時24分42秒

>筆綾丸さん
『トッド 自身を語る』の末尾に石崎晴己氏の『解説」が載っていて、そこに『家族システムの起源』の紹介があるので、少し引用してみます。(p187以下)

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 本書の概要を余すところなくここで示すことは、不可能であるが、この際、本書に見られる卓見とも言うべきいくつかの着想を、紹介しておきたい。最も重要なのは、「起源的母系制」を幻想として退けたことであろう。これは、かの有名なバッハオーフェンが定着させた、太古の昔には「母権制」が支配的であったとの概念であるが、これの淵源は古代ギリシャ人にある。トッドによれば、太古の家族システムは、父系と母系の一方に固定しない無差別性を特徴とし、女性のステータスは男性のそれに劣らず高かったが、強固な父系制で、女性蔑視的であった古代ギリシャ人の目には、それは女性が優越的な力を揮う母系制ないし母権制と映ったのである。その古典古代のギリシャ人の残した民族誌資料にそのまま依拠して、バッハオーフェンは、その論を展開したのであり、それは幻想にすぎない、という。それはエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』の「第四版の序文」で生き生きと紹介されて以来、われわれにも馴染みのものとなった概念であるだけに、トッドの主張の衝撃力の強さが実感できるのではないか。
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トッドは「起源的インド・ヨーロッパ語族の父系制」も幻想と断じているのだそうで、これも面白そうですね。
トッドシリーズに限らず、藤原書店は非常に良い本を沢山出していて、出版社の格としては既に岩魚目書店を超えているような感じがします。
岩魚目書店は今でも学問的レベルが高い書物を継続して出していますが、一方であまりに政治色が強くなりすぎて、特に反原発関係は政治と科学を混同したものを量産していますから、平均点がずいぶん下がっていますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神の資格? 2016/03/14(月) 15:19:46
小太郎さん
L'origine des systèmes familiaux(家族システムの起源)の翻訳刊行は2016年春とのことなので、もうまもなくですが、人類学的基底の起源の解明という大著のようですね。トッドの思想をどこまで理解できるか、自信はありませんが、満開の桜の木の下で読んでみたい本です。

「天才」と「神」のこれまでの4局の対決は、すべて、囲碁の平均的な手数200手前後の「中押し勝ち」となっています。(将棋の場合の平均手数は110手前後です)1~3局は、天才が、負けました、と投了したのですが、4局目はアルファ碁が、負けました、という意思表示をしたのではなく、アルファ碁側の責任者が代理人として、負けました、と意思を表明して終わったはずです。
アルファ碁が自分の負けも認識できたとすれば、おそらく180手まで行かず、もっと早い段階で投了したかもしれません。つまり、アルファ碁自身には、自分が負けた、という自己認識はおそらくなく、ということは、自分が勝った、という自己認識もおそらくないはずだと思われます。そんなことは、アルファ碁の内面(精神?)の問題だから、ほんとは窺い知れないのですが。
神は人間の幸不幸に歴史上まったく無関心でありつづけたので、今回も、人間との勝ち負けにはまったく無関心だという意味において、アルファ碁には神になれる必要十分な資格がありそうだ、という気がします。ただ、それもまた、神の内面(精神?)の問題だから、ほんとはよくわからないのですが。

https://en.wikipedia.org/wiki/Demis_Hassabis
「ディープマインド」のデミス・ハサビスは早熟の混血児なんですね。
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He is of Greek Cypriot and Singaporean descent.
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「父は、歴史を理解することなく、地球をくまなく歩き回った人間」

2016-03-16 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月16日(水)10時48分18秒

『トッド 自身を語る』(藤原書店、2015)をパラパラと眺めてみましたが、トッドの母方の祖父がポール・ニザンで、父は著名なジャーナリストだそうですね。
父親に付された注に、

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トッドの父、オリヴィエ・トッド Olivier Todd は、一九二九年生まれ。作家、批評家、ジャーナリスト。サルトルの『レ・タン・モデルヌ』に協力しつつ、週刊誌『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』の創刊に参画。アンドレ・マルローやカミュの浩瀚な伝記などを上梓。後者は、毎日新聞社から『アルベール・カミュ<ある一生>』として和訳が刊行されている。なお、妻は、ポール・ニザンの娘、アンヌ=マリィ。したがってエマニュエル・トッドは、女系でのポール・ニザンの孫に当たる。
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とあります。(p21)
エマニュエル・トッドは父親に少々辛くて、

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私は非常に優秀なジャーナリストの息子で、父とは大いに議論しました。当時は父との関係は非常に近かったのです。父はヴェトナム、ビアフラ、エチオピアなど、いろいろなところに行き、非常に素晴らしいルポルタージュを書いています。しかしそれにも拘らず、私に言わせると、父は、歴史を理解することなく、地球をくまなく歩き回った人間ということになります。
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と言っていますが(p80)、その後が面白いですね。

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他にもそういう息子は大勢いるでしょうが、息子としての私は父との関連の中で、もちろん父の援助を得ながら、しかし父がすることに反対しながら、自己形成を行ったのです。要するに私にとって、歴史的現実は目に見えません。基本的に私にとって、本質的なるものは別のところにあります。「目に見える」ものではないもの、統計上の変数を利用する必要があるのです。乳児死亡率は、目に見えません。【中略】自殺率は目に見えませんし、識字率も見えません。私はこれまでつねに自分を歴史家と定義して来ました。そして歴史家であるというのは、復元された社会モデルについて仕事をするということです。それは目に見えず、感覚的な経験を持ち得ないものです。
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人類学者でもあるトッドは、しかし、今まで一度もフィールドワークをしたことがなかったそうですが、唯一の例外が津波被災後の東北地方沿岸部訪問で、2011年8月上旬に岩手県大槌町から福島県南相馬市まで、主要被災地を見て回ったそうです。
その様子は案内人兼通訳のジャーナリスト三神真理子氏との対談に記されていますが、まあ、正直言って同時期に同じ場所を見ている私には賛成できない点も多く、少ない観察から結論を急ぎすぎているような印象を受けました。
やはりトッドはジャーナリスト的資質には乏しく、「目に見えない」ものを見出す点に特別な才能がある人なのでしょうね。
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トッド「日本語版への序文」を読む(その1)

2016-03-15 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月15日(火)12時24分9秒

特殊事情の多い地域は斜め読みにしつつも『新ヨーロッパ大全』Ⅰ・Ⅱを一応全部読んでからⅠの冒頭、1992年10月6日付の「日本語版への序文」を読むと、これがなかなか味わい深いですね。

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 家族制度とイデオロギーの関係についての私の研究の出発点は、共産主義であった。今を去ること十年前のこと、私は突然、本物の共産主義革命が起こった国─ロシア、中国、北ヴェトナム、セルビア─では、伝統的な農民家族が独特の形態を持っていることに気づいた。父親と妻子持ちの息子たちとが同居して巨大な共同体を作るもので、この形態は平等と権威という価値を抱えている。その反面、従弟同士の結婚はきわめて稀である。このような家族型は、西ヨーロッパの中でも共産主義が強固で安定した選挙地盤を確保している、中部イタリア、フィンランド、フランス中央山塊の北西部などの地域の特徴でもあった。そこで私は、この仮説の妥当性を検証するために、世界中の家族型を分類整理してみた。そして、この「共同体的」家族型が存在することが、強力な共産主義運動の発展にとって必要条件の一つとなっていることを、実際に確認したのである。このような家族型が存在しないところ─二、三の例のみを挙げるなら、イングランド、ドイツ、日本、タイ─では、近代化の過程(識字化、都市化、工業化を含む)が有力な共産主義の出現を引き起こすことはなかった。これらの国で伝統的な農村生活を支配していたのは、別の家族制度であった。その結果、一つ一つの家族型にそれぞれ特有のイデオロギー構造の型が対応すると、考えられるに至ったのである。
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「本物の共産主義革命が起こった国」には北朝鮮が列挙されていませんが、1992年の時点では北朝鮮ではまだ金日成(1912-94)が存命中で、共産主義国で指導者の世襲制というマルクスもレーニンもびっくり仰天の事態は未だ生じていませんね。
さて、トッドの発想がマルクス主義者、ないしゾンビ・マルクス主義者の多い日本の歴史研究者の世界に受け入れられなかったのは当たり前ですが、フランスでも決して好意的に迎えられた訳ではなかったそうです。

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 私はこの研究の最初の成果を、一九八三年に『第三の惑星─家族構造とイデオロギー・システム』によってフランスで公にしたが、発表されるや、それはスキャンダルを巻き起こした。当時、私に対してなされた主要な非難は、私の「人類学的モデル」は、家族制度という下部構造とイデオロギーという上部構造を機械的に結びつける決定論である、というものであった。フランス知識人界は当時、マルクス主義の決定論を始末したところだったので、折角、階級への所属によって行動が決定されるという説から身を振り解いたのに、今度は家族的伝統によって行動が決定されるとする説に落ち込んでしまうという、一つの決定論から別の決定論に飛び移るが如きことは、多くの者にとっては言語道断なことと映ったのである。【中略】
 このような結論は人間の自由の概念にとって絶望的なものであると主張した者がいるが、果してそうだろうか。私はそう思わない。その理由はまず、人類学的仮説が示唆するのは単に次のようなことにすぎないからである。すなわち、伝統的な家族的基底は当該地域の住民の多くの部分がこれこれのイデオロギー的価値体系を受け入れるための素因をなす、したがって、共同体的家族の伝統が強い国では、共産主義制度に好意的な住民の比率が高くなる、ということである。この仮説は、住民の多数が社会の共産主義的組織化に賛成であったとは言っていない。世界中のいかなる国においても、複数政党制の自由な選挙が行われた場合、共産党に絶対多数の票が投じられたという例はこれまで一度もなかった。人類学的基底のせいで住民の三〇%から四五%がマルクス主義イデオロギーに傾いた国で、共産主義イデオロギーの信奉者たちの卓越した組織能力が、クー・デタによって自分たちの勝利を確実なものにした、というのが実態である。
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そして「共産主義イデオロギーの信奉者たちの卓越した組織能力」は、いったん勝利を確実にすると、その勝利を決して手放さず、暴力を背景にして少数者の支配を断固として継続した訳ですね。
ま、そこまではトッドは書いていませんが。

>筆綾丸さん
>L'origine des systèmes familiaux(家族システムの起源)
フランスでは2011年の刊行だそうですから、万事手際の良い藤原書店にしては翻訳がちょっと遅いですね。
私も楽しみにしています。

『トッド 自身を語る』

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神の資格? 2016/03/14(月) 15:19:46
小太郎さん
L'origine des systèmes familiaux(家族システムの起源)の翻訳刊行は2016年春とのことなので、もうまもなくですが、人類学的基底の起源の解明という大著のようですね。トッドの思想をどこまで理解できるか、自信はありませんが、満開の桜の木の下で読んでみたい本です。

「天才」と「神」のこれまでの4局の対決は、すべて、囲碁の平均的な手数200手前後の「中押し勝ち」となっています。(将棋の場合の平均手数は110手前後です)1~3局は、天才が、負けました、と投了したのですが、4局目はアルファ碁が、負けました、という意思表示をしたのではなく、アルファ碁側の責任者が代理人として、負けました、と意思を表明して終わったはずです。
アルファ碁が自分の負けも認識できたとすれば、おそらく180手まで行かず、もっと早い段階で投了したかもしれません。つまり、アルファ碁自身には、自分が負けた、という自己認識はおそらくなく、ということは、自分が勝った、という自己認識もおそらくないはずだと思われます。そんなことは、アルファ碁の内面(精神?)の問題だから、ほんとは窺い知れないのですが。
神は人間の幸不幸に歴史上まったく無関心でありつづけたので、今回も、人間との勝ち負けにはまったく無関心だという意味において、アルファ碁には神になれる必要十分な資格がありそうだ、という気がします。ただ、それもまた、神の内面(精神?)の問題だから、ほんとはよくわからないのですが。

https://en.wikipedia.org/wiki/Demis_Hassabis
「ディープマインド」のデミス・ハサビスは早熟の混血児なんですね。
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He is of Greek Cypriot and Singaporean descent.
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