浄土真宗が戦国大名も恐れる一大勢力になったことは歴史的事実ですから、トッドの「浄土真宗、すなわち浄い土地の真の宗派は、いくつもの自治都市を建設し、日本の中央部全域に経済的願いと宗教的願いが交じり合った農民蜂起を引き起こすだけの力を持った強力な社会・政治勢力に変身した」という記述も、「中央部全域」と言えるかは別として、まあ、正しいとは思いますが、しかし、「そこにいたって、浄土真宗は日本仏教の支配的潮流として勢力を揮った」については異論もあるでしょうね。
さて、トッドは次のように続けます。(p200)
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日本の家族構造は直系家族型であり、阿弥陀のなかに、人類学的システムによって唯一の中心的権威に仕立てられた日本の父親の形而上学的投影を見ないわけには行かない。十二世紀から十五世紀のキリスト教圏と日本の間に歴史的な関連が皆無であることを考えるなら、この例は特別な重みがあるということになる。直系家族はヨーロッパでは頻繁に見られる型であるが、全地球規模では希少である。日本が仏教文化の遺産から、ユダヤ・キリスト教的伝統のいくつかの様相にきわめて近い根本的概念を有する一神教を抽出することができたということは、家族構造の親近性によってしか説明できない。
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個人的には、阿弥陀は「父親」なのか、という疑問を持っているのですが、それを書くと私の仏教理解の浅薄さを暴露するだけのような感じもするので、今はやめておきます。
阿弥陀の例を「特別な重みがある」と評価するトッドは、更に次のように続けます。
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プロテスタント宗教改革は一五一七年に始まったのであるから、時間的には日本仏教の変身の直ぐあとを追うようにして起こったわけだが、これはキリスト教の中心である一神教に再び立ち帰ろうとする運動と解釈することができる。中世のカトリック教は、とりなしの聖人、聖母マリア、神のイメージの神とキリストへの二分化といったもので次第に埋め尽くされ、奇妙にも多神教に似て来たが、敢えて多神教を自認するにはいたらなかった。ルターは聖人と聖母を排除した。キリストを排除することはしなかったが、キリストの苦しみを父なる神の力の証言に仕立てた。次の段階においてカルヴァン派は、子なる神の役割を最小限に抑え、霊感の主たる源として福音書ではなくむしろ聖書を選んだ。プロテスタント教はそのどのヴァリアントにあっても、唯一神のイメージを再確立している。プロテスタント教はルター派のドイツと言い、カルヴァン派のオック語地方と言い、直系家族の国に定着した。地上の父親の権威が強いところでは、神の単一性と全能性は容易に受け入れられる。しかしルター主義はまた宗教的差異主義の表現でもあり、その公然の目標はドイツを普遍的教会から引き離すことにあった。ルターがプロテスタントの蜂起を促したのは、「ドイツ国民のキリスト教貴族に告ぐ」というアピールによってである。したがって彼の教義は、一神教の主張と民族的分離主義を組み合わせたものなのであり、結果的に神のイメージの純化とキリスト教ヨーロッパの宗教的細分化を生み出すにいたる。
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キリスト教については私はトッドに反論する何の知識も持っていないので、まあ、そうなのかな、と思うのですが、この後、再び日本の仏教に触れた部分は、トッドにしては奇妙な論理の混乱があるような感じがします。
長くなったので、ここで切ります。