学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「公定力」盛衰記

2018-08-14 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 8月14日(火)11時15分26秒

前回投稿で「「公定力」は行政法の基礎中の基礎」と書きましたが、最近の教科書での扱いは、私などが勉強していたころとはずいぶん違っているようですね。
『「法の番人」内閣法制局の矜持─解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2014)への疑問から、二年前に某大学図書館で行政法の教科書を読み比べてみたとき、東京大学教授・宇賀克也氏の『行政法概説Ⅰ【第3版】』(有斐閣、2009)の目次には「公定力」がなく、索引にも「公定力」が存在しないことに驚きました。
ただ、同書の本文を読むと、一箇所だけ「公定力」という表現が出てきます。(p314)

-------
第5部 第19章 行政行為
5 行政行為と取消訴訟の排他的管轄
(1)意義

 行政行為に瑕疵があり違法であるとして争う場合、行政事件訴訟法は、原則として、もっぱら取消訴訟のルートで争うべきとしている。これを取消訴訟の排他的管轄(「取消制度の排他性」)という。その結果、行政行為は、権限ある行政庁が職権で取り消すか、行政行為によって自己の権利利益を害された者が取消訴訟を提起して取り消すか、行政上の不服申し立てによって取り消さない限り、有効なものとして取り扱われることになる(このことを、行政行為に公定力があるということもある)。このことの意味をいくつかの具体例で考えることとしよう。
(例1)民間会社に勤務する私人Aが解雇された場合、解雇(雇用契約解除)の取消訴訟を提起するわけではなく、解雇が無効であることを前提として、従業員たる地位の確認を求める訴訟を提起するのが通常である。これに対して、公務員Bが免職処分を受けた場合、当該免職処分に対する取消訴訟を提起してこれを取り消すことなく、直ちに公務員としての地位確認請求をすることは原則としてできない。免職処分は、取消訴訟の排他的管轄に服する行政行為であるからである。したがって、Bはまず、免職処分の取消訴訟を提起して、当該処分の効力を否定しなければならない。【後略】
-------

ということで、「このことを、行政行為に公定力があるということもある」ですから、「公定力」概念ももはや風前の灯のようですね。
個人的な記憶をたどると、1981年だったか、私が聴講した塩野宏氏の講義では、田中二郎先生は実体法上の効力としての公定力について重厚に論じられておられるけれど、これは行政事件訴訟法における取消訴訟の排他的管轄の反映ですし、そもそも行政事件訴訟法を作ったのは田中二郎先生ですからねー、みたいな言い方をしていました。
だから宇賀克也氏の説明も特に斬新という訳ではないのですが、ただ、その時点では塩野氏もきちんとした教科書は書かれていなかったですし、公務員試験向けの通俗参考書などには、行政行為には「公定力」という私人の法律行為とは全く異なる特別な効力があるのじゃ、みたいな権威主義的な叙述が目立っていて、独学で行政法を勉強しようとする人にとっては分りにくいポイントだったようですね。
とまあ、こんな風に書くと、まるで私が勉強熱心な学生だったような感じになりますが、別に謙遜でも何でもなく、そんなことは全然ありませんでした。
塩野宏氏は極めて辛辣な冗談を次々に飛ばす名物教授で、そのマシンガントークを漫談でも聞くようなつもりで楽しんでいただけです。

「芦部さんは、荷造りの名手であった」(by 松尾浩也)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ffcbf67b38914a43e848353a1ce7c8eb
塩野宏(1931生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E9%87%8E%E5%AE%8F

ま、学問的には宇賀氏のような説明が正しいのでしょうが、素人を説得する際には「公定力」のような難しそうな言葉を使って押しまくる方が楽だな、と思ったことがあります。
私もきっと、権威主義的でイヤな奴だな、と思われていたことでせう。

除名決議について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be1234b96a2892533f99ee68d34b0255

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内閣法制局元長官・阪田雅裕氏と「公定力」

2018-08-11 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 8月11日(土)22時29分41秒

>筆綾丸さん
>救いようのない宗教ですね。
「イスラム国」こそイスラム教の論理を最も正しく理解し、実践している訳ですからねー。

>>いったん施行された法律は、公定力といいますが、裁判所で無効と判断されない限りは合憲、適法なものとして作用し続けます。(山尾志桜里氏『立憲的改憲』55頁)

阪田氏は自由法曹団の川口創弁護士との共著『「法の番人」内閣法制局の矜持─解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2014)と同じ誤りを繰り返していますね。

「公定力があるわけですから」(by 阪田雅裕氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8299a2004a780bb7b3f1ccf78f47325a

私も内閣法制局長官だった人の法律用語の用い方がおかしいというのには勇気が必要だったので、この投稿をするときには十数種類の行政法の教科書を確認してみましたが、「公定力」は行政法の基礎中の基礎であり、自分の理解に間違いはありませんでした。
まあ、どんな人にも思い込みはありますが、阪田氏くらい偉くなってしまうと、周囲は誰も誤りを指摘してくれなくなるのでしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

公定力 2018/08/11(土) 11:12:50
小太郎さん
イスラム教がほんとに飯山氏の言うようなものだとすると、救いようのない宗教ですね。

『スターリンの葬送狂騒曲』に関するウィキの記事(ロシア側の反応)を読むと、映画製作の関係者が不審な死に遭わなければいいが、と思ってしまいます。
また、日本の共産党系の人たちは、この映画にどんな感想を抱くのでしょうね(たぶん、観ないと思いますが)。

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1446
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AE%9A%E5%8A%9B
----------------------
坂田 いったん施行された法律は、公定力といいますが、裁判所で無効と判断されない限りは合憲、適法なものとして作用し続けます。(山尾志桜里氏『立憲的改憲』55頁)
----------------------
阪田は元内閣法制局長官の阪田雅裕氏ですが、公定力とは、法律一般の効力のことではなく、行政行為の効力のひとつにすぎない概念ですよね。記憶が曖昧で恐縮ですが、小太郎さんが、以前、阪田氏の誤りを指摘されていたような気がするのですが。
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本郷和人氏の「現象学的歴史学」

2017-01-28 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月28日(土)10時03分41秒

>筆綾丸さん
荒俣宏云々(でんでん)につきましては、諸事情からコメントを控えさせていただきたいと存じます。

本郷和人氏の最新刊『天皇にとって退位とは何か』(イースト・プレス、2017)を地元の割と大き目の書店で探したのですが、在庫がありませんでした。
いかにも時流サーファー的なタイトルである上に、出版社に全く馴染みがないので、アマゾンで買うのも躊躇われますね。

-------
「生前退位」で、いったい何が起こるのか。「お気持ち」の核心はどこにあるのか。そして、日本人にとって天皇とは何か。2016年8月8日の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の発表、同年9月23日の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の設置で皇室の今後に注目が集まっている状況を、テレビで人気の歴史学者が徹底分析。皇室と日本の未来を考える上で必読の書。


以前、本郷氏の共著『歴史と哲学の対話』(講談社、2013)に若干批判めいたことを書きましたが、これも責任の主体が明確でない記述への疑問を述べただけで、本郷氏の「現象学的歴史学」の試み自体を批判した訳ではありません。
さすがに本郷氏も今後の研究者人生をテレビ中心の社会教育だけで過ごそうとされているのではないでしょうから、「現象学的歴史学」の展開にも期待したいところです。

「現象学的歴史学?」
「編集の方」
「その点を本郷さんにはより深く考えていただきたいですね」
『天皇制史論』との比較
「お見捨てなく。」(by 本郷和人氏)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

荒俣宏 2017/01/27(金) 17:57:31
小太郎さん
クマモン体型の本郷和人氏の番組「姫旅」(再放送)を見ましたが、本郷さんの話し方と声音は荒俣宏によく似ているのですね。川柳作家(やすみりえ)の下手な句はなんとかならないのか、と思いました。次回は美人の橋本マナミとの共演ですね。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-15209.html
官僚たちが原稿に片っ端からフリガナを振っているから大丈夫と聞いていましたが、そうでもないようですね。
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マジックワードとしての「立憲主義」(その2)

2016-10-09 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月 9日(日)10時50分18秒

>筆綾丸さん
>キラーカーンさん
「立憲」という言葉自体は明治時代から普通にありますが、「立憲主義」は昭和になってから、それもごく僅かの例外を除いて戦後の表現ですね。
そして石川健治氏によれば、「立憲主義」が「現在のように豊かな響きをもつマジックワード」として使用されるようになったのは、「七〇年代後半、樋口陽一の登場以降のことである。参照、樋口陽一『近代立憲主義と現代国家』(勁草書房、一九七五年)、同『近代憲法の思想』(日本放送出版協会、一九八〇年)」とのことで、比較的新しい現象ですね。

マジックワードとしての「立憲主義」

今回、『「憲法改正」の真実』を眺めて驚いたのは、樋口氏が、

-----
 民主主義、デモクラシーとは、人民(デモス)の支配(クラチア)、つまり人民の支配です。突きつめれば、一切の法の制約なしに人民の意思を貫き通す、これが<民主>のロジックですね。
 一方、立憲主義とは「法の支配」、rule of lawです。この law は、国会のつくる法律を指すのではなく、国会すらも手を触れることのできない「法」という意味がこめられています。
-----

と書いていることです(p40)。
ごく一般的な理解によれば、「法の支配」は英米法的な原理ですね。
ところが、樋口氏は、例えば江川紹子氏によるインタビュー<「立憲主義」ってなあに?>(ヤフーニュース、2015年7月4日)では、

------
『立憲主義』はどこから出てきた考え方ですか。

「ドイツです。元々は、民主主義がスムーズに展開しなかったドイツで、議会主義化への対抗概念として出てきました。ドイツは普仏戦争に勝って、ようやく1871年に統一します。憲法が作られ、議会も作られる。歴史の流れでは、王権はだんだん弱くなり、議会が伸びてくるわけですが、ドイツの場合は、イギリスやフランスのように議会が中心になるというところまでは、ついに行かなかった。けれど、もはや君主の絶対的な支配ではない。どちらも、決定的に相手を圧倒できないでいる時に使われたのが『立憲主義』です。君主といえども勝手なことはできず、その権力は制限される。けれどもイギリスやフランスのように議会を圧倒的な優位にも立たせない。つまりは、権力の相互抑制です。この時期のイギリスやフランスは『民主』で、ドイツは『立憲主義』。明治の日本は、そのドイツにならったわけです。
ドイツはその後、ワイマール憲法で議会中心主義になり、そこからナチス政権が生まれて失敗した。それで、戦後のドイツは強力な憲法裁判所を作るわけです。やはり議会も手放しではよろしくない、ということで」


と答えていて、ドイツ法に疎い私にとってもかなり違和感のある議論です。
これって、一般に「外見的立憲主義」と揶揄されているものなのではないですかね。
そして、「法の支配」との関係はどうなってしまっているのか。
私自身は佐藤幸治の、

------
一七八九年のフランスの「人および市民の権利宣言」は、「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない(一六条)と宣明しているが、われわれはここに近代立憲主義の心髄の簡潔な要約をみることができる。
------

という理解に従って(『憲法〔新版〕』、青林書院、1990、p6)、何となく「立憲主義」をフランス法的なものと捉えており、樋口氏もそんな立場ではないかなと想像していたのですが、最近の樋口氏が「立憲主義」とは要するに「法の支配」だとかドイツで生まれた考え方なのだとか言われると、ずいぶん混乱してしまいます。
ま、このあたりも個人的には樋口氏の老化を感じる部分なのですが、これは単に私が樋口氏の学説の変遷を丁寧に追っていないだけなのかもしれません。
ただ、正直言って、私は樋口氏にそれほど知的関心を抱いていないので、これ以上追究するのはやめておきます。
フランスの歴史と思想への興味は尽きないのですが、別に樋口氏を介在させる必要など全然なくて、直接にフランスの歴史家・思想家にあたればよいだけの話なので。
それにしても「立憲主義」は本当にマジックワードですね。
様々な学者が様々な意味で「立憲主義」という表現を用い、中には樋口氏のように同一人物でも時と場所によって全く違う(ように見える)意味づけをする人もいて、「立憲主義」は虹色に輝く幻のようです。

立憲主義(ウィキペディア)

※筆綾丸さんとキラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

ビリケン 2016/10/05(水) 12:36:00(筆綾丸さん)
小太郎さん
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%B3
田中耕太郎について言及できる知識がなくて、なんですが、『「憲法改正」の真実』に、以下のような箇所があります(37頁~)。
--------------
樋口
(前略)
 意外な感じがするかもしれませんが、比較をすると、現代よりも明治憲法の時代のほうが、立憲主義という言葉は人々のあいだに定着していたのですよ。
 戦前期にどれだけ「立憲」「非立憲」という言葉が一般の人たちにも浸透していたかという例として、ひとつ紹介したいのですが、先生はビリケンをご存知ですか。
小林 大阪の通天閣に「ビリケンさん」の像がありますねえ。顔は浮かびます。幸運を運ぶ神様でしたっけ。
樋口 そのビリケンのニックネームをもらってしまった首相がいますね。
小林 ビリケン首相! 帝国議会を無視した超然内閣として批判を浴びた寺内正毅首相ですね。
樋口 ビリケンの由来は「非立憲」。「非立憲」をもじったうえで「ビリケン寺内」という言葉が、はやったんですね。ビリケンに顔つき、というより頭つきが似ていたからというのもあったのですが、ここでの話のポイントは、一般の人々のあいだで流行語になるくらい「非立憲」ということばが定着していた、ということです。
 では、なぜそんなに「立憲」「非立憲」という言葉が、戦前の日本で一般的だったのか。
 天皇主権の明治憲法の時代には、立憲主義というものが、とても分かりやすく見えていたからなのですね。天皇が統治権を総攬していた、あるいは実質的には藩閥政府(のちに軍閥)が権力を握っていたという状況では、憲法によって縛られるべき権力が何なのかが明確でしたから。
(後略)
--------------
恥ずかしながら、単にビリケンに似ていたから、と思っていたのですが、確かに「非立憲」を含意していなければ風刺にならないですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%B4%8E%E4%BA%AB
孫崎享氏は、失礼ながら、亡くなれば、たとえば、孫崎享享年七十七、とかなるのですね。

立憲非立憲 2016/10/06(木) 22:52:32(キラーカーンさん)
>>「ビリケン寺内」

当時、寺内は、自他共に認める「藩閥の権化」山縣の後継者でしたから、当然に「非立憲」側となります。
(桂は、その数年前に鬼籍に入っています。寺内も、首相退任後程なく、山縣に先立ちこの世を去ります
 つまり、山縣は桂、寺内と二人の後継者に先立たれました)

戦前の政党には「立憲○○党」というものが結構あります
立憲政友会、立憲改進党、立憲同志会、立憲民政党、立憲国民党・・・

注目すべきは、伊藤博文が自由党系と伊藤系官僚を糾合して設立した政党にも
「立憲」の二文字が入っていることです(立憲政友会)

立憲を「選出勢力(衆議院)」に基礎を置く政党内閣
非立憲を「非選出勢力(官僚・軍部・貴族院」に基礎を置く超然内閣

との二大政党制的政権交代構造(政治体制論としては、議院内閣制と大統領制との交代体制)
として描いたのが、坂野 潤治が「1900年体制」と名づけたものです
(1900年体制は事実上桂園時代と重なります)
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田中耕太郎は「司法権の独立」を侵したのか?

2016-10-05 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月 5日(水)11時15分10秒

ネットで読める田中耕太郎批判の大半は孫崎享氏と同レベルの陰謀論か、あるいは共産党系の硬直したアメリカ観が反映したものですね。
とはいえ、例えば「社会科学者の随想」というブログには事実関係がそれなりに丁寧にまとめてあります。

朝日新聞連載「新聞と9条」の記事に観る「田中耕太郎最高裁長官の対米隷属」的な司法精神史(その4・完)

また、早稲田大学教授・水島朝穂氏のブログには、偏った立場からではあるものの、法律論がそれなりに展開されていますね。

砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか 2013年4月15日
砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」  2008年5月26日

水島氏のブログに紹介されているアメリカ側の公電、

-------
1959年8月3日発信
1959年8月5日午後12時16分受信
大使館 東京発
国務長官宛
書簡番号 G-73
情報提供 太平洋軍司令部 G-26 フェルト長官と政治顧問限定
在日米軍司令部 バーンズ将軍限定 G-22

共通の友人宅での会話のなかで、田中耕太郎最高裁判所長官は、在日米大使館首席公使に対し、砂川事件の判決が、おそらく12月に出るであろうと今は考えていると語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる法的術策を試みているが、長官は、争点を事実問題ではなく法的問題に限定する決心を固めていると語った。これに基づき、彼は、口頭弁論は、9月初旬に始まる週の1週につき2回、いずれも午前と午後に開廷すれば、およそ3週間で終えることができると信じている。問題は、その後に生じるかもしれない。というのも、彼の14人の同僚裁判官たちの多くが、各人の意見を長々と論じたがるからである。長官は、最高裁の合議が、判決の実質的な全員一致を生み出し、世論を「かき乱し」(unsettle)かねない少数意見を避ける仕方で進められるよう願っている、と付け加えた。

コメント:最近、大使館は、外務省と自民党の情報源から、日本政府が、新日米安全保障条約の国会承認案件の提出を12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのには、砂川事件判決を最高裁が当初目論んでいたように(G-81)、晩夏ないし初秋までに出すことが不可能だということに影響されたものであるという複数の示唆を得た。これらの情報源は、砂川事件の位置は、新条約の国会提出を延期した決定的要因ではないが、砂川事件が係属中であることは、社会主義者〔当時の野党第一党、日本社会党のこと〕やそのほかの反対勢力に対し、そうでなければ避けられたような論点をあげつらう機会を与えかねないのは事実だと認めている。加えて、社会主義者たちは、地裁法廷の、米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定に強くコミットしている。もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技が祟って投げ飛ばされることになろう。

マッカーサー
ウィリアム K. レンハート 1959年7月31日
-------

を読む限り、私も田中耕太郎が裁判についてアメリカ側に一定の情報を流したのだろうな、裁判所法第75条第2項「評議は、裁判長が、これを開き、且つこれを整理する。その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定がない限り、秘密を守らなければならない。」違反の問題はあるだろうな、とは思うのですが、だからといって「司法権の独立」が侵害されたという意見には賛成できません。
そもそも田中耕太郎は一般人の想像を絶する頑固者で、およそ誰かの命令で動くような人物ではありません。
「社会科学者の随想」氏が紹介する、

------
問題の外交文書を入手した1人,元山梨学院大学教授(法哲学)の布川玲子はいう。「自由主義陣営のなかに日本をはっきり位置づけること,これは田中耕太郎にとっての正義だった。そのために司法府の長として全力を尽くす。伊達判決破棄は,田中が自分に課した使命だったのではないか」。
------

との布川氏の見方は正しくて、田中は自分の正義感・信念に従って自分に課した使命を遂行しただけで、アメリカ側の命令・指導・誘導などはおよそ考えられないですね。
「社会科学者の随想」氏は、

------
ジャーナリストの末浪靖司さんは,判決翌年に田中氏が米国務省高官に判事立候補を伝えて支持を得ていることから,「論功行賞」狙いだった可能性を指摘する。
------

などと書いていますが、末浪靖司氏が抱いたのは孫崎享氏と同様の妄想です。
また、水島教授は<伊達判決をめぐり最高裁への「跳躍上告」が実は、米側のアイデアに基づくものだったのではないかという疑惑が、半世紀を経て明らかになった>などと書いていますが、さすがに日本の検察官はアメリカ側に教示してもらわなければ「跳躍上告」に気づかないほど無能ではないでしょうね。
「跳躍上告」に関わった野村佐太男・清原邦一・村上朝一・井本台吉・吉河光貞は治安維持法時代からの歴戦の勇士であり、当時の検察の中でも特に緻密な頭脳を持った法律のバケモノ達ですから、素晴らしい人柄であったかどうかは別として、法律家としての能力ではおそらく水島教授より上でしょうね。

砂川事件判決の核心に迫らない批評
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「田中君がわたしの膝の上でおむつを濡らした時分からの長いおつきあい」(by 山田三良)

2016-10-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月 2日(日)12時17分8秒

一昨日の投稿で「そのあたりの事情は孫崎氏が一部を孫引きする鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』の横田喜三郎の寄稿を見れば明らかで」と書きましたが、同書を確認してみたら、横田の寄稿ではなく、座談会記録「田中耕太郎先生を偲ぶⅡ 人と生活」(参加者:鈴木竹雄・松田二郎・横田喜三郎・田中二郎・相良惟一・豊崎光衛)の中での横田の発言の方でした。(p622以下)
ただ、田中耕太郎が国際司法裁判所裁判官の候補となった事情、選挙戦の状況等は鶴岡千仭氏の寄稿に詳しいので、参考までにそちらを紹介しておきます(p434以下)

-----
ヘーグの田中先生

  一
 昭和三十四年の夏、わたくしが国連局長になって程ないときであった。田村町四丁目の日産館に間借り住いをしていた外務省の国連局長室に、山田三良先生が前ぶれなしでお見えになった。右手をつきそいの女性の肩におき、左手をステッキでささえて。もうずいぶんおみ脚が不自由だった。
 「来年は国際司法裁判所の選挙の年だが、政府はどんな方針でのぞむつもりなのか。」先生から口を切られた。
 かねがね政府は国際法委員会にも国際司法裁判所にも日本から適材をおくりこみたいと念っていること、国際法委員の方は三年前に日本が国連に加盟したときの総会で横田喜三郎先生が選出されたこと、しかし裁判官の方は、栗山茂大使(元ベルギー大使、元最高裁裁判官)をたてて戦ったけれども、そのときの相手方はヘーグの前裁判官で再選を狙う顧維鈞だったし、第一彼は安保理常任理事国である中国の出身で、裁判官の選挙では安保常任国出身の候補者は必ず当選させるという不文律にささえられていたこと、国連に加盟したばかりの日本と安保常任国の中国との取組みは新入幕力士と大関の相撲みたいにてんから位負けの恰好であったこと、それやこれやの原因でけっきょくは敗けてしまったこと、などをお話した上で、わたくしは、「今では日本の発言力もずっと向上しているので、適当な候補者を立てれば成功の見込みがありそうです。こんどこそは、ぜひとも日本人裁判官をヘーグにおくりこみたいと存じます」とお答えした。
 「政府がそういう考えであれば、わたしも安心しました。ところで誰を候補者に指名するつもりですか。」
 「まだどなたとも決っておりません。横田(喜三郎)先生は御家庭の事情があるとおっしゃって、ヘーグに行く気持ちは全然ないと言い切っていらっしゃいます。」「ほんのわたくし限りの思いつきですが、」とおことわりして申し上げた。「この際何とか田中耕太郎先生に御出馬いただけないでしょうか。最高裁長官の方は間もなく退官されるときが来ているので、任期いっぱい在任なさって、退官後ひきつづきヘーグにお出かけになれるわけです。好都合なタイムテーブルだと思います。」
 「それはいいところに目をつけてくれた。田中君なら国際法専門ではないけれど、立派な候補だ。一日も早く田中君を候補にするように政府の肚をかためたまえ。たしかにこの際田中君は最高の人選だ。田中君とは、田中君がわたしの膝の上でおむつを濡らした時分からの長いおつきあいだ。田中君にはわたしから候補指名を引き受けるように説得する。もっとも、それより前に政府が田中君に御苦労を頼むことに決心してもらわなければならない。君たち、事務当局の方ではもう田中君を推すことにしているのだから、わたしはこの足で岸君(当時の総理)を訪れることにしよう。」矢つぎ早やの勢いこんだお話である。古武士を思わせるあのお顔にいくぶん上気した紅潮のさすのをお見うけしたと思う。
 国際司法裁判所は条約局長の主管事項なので、さっそくその場に高橋通敏条約局長に御足労ねがって協議した。高橋局長にも異論のあろう筈がなく、われわれは田中候補指名の方向で選挙準備を進めることになった。
 山田先生には、外務省の仕事でたびたび御指導にあずかる機会にめぐまれた。がそれよりも、先生の娘婿の福井勇二郎君と小学校以来ずっと悪友の間柄であったことや、一高時代から江川英文先生とお親しくしていただいていた関係もあって、山田先生にはかなり頻繁にお目にかからせていただいたのだが、後にも先にもこの時ほど山田先生の気負い立った御様子を目にした例しはなかったと思う。俗っぽい言い方で恐縮だが、山田先生がどれだけ高く田中先生を買っておられたかを目のあたり拝見したような気がした。
 当の田中耕太郎先生からはなかなか色よい御返事がなかったが、とどのつまりは「引きうける」ことに踏みきっていただくことができた。
 「七十歳にもなってから、外国で新しい仕事にとりかかることだ。それも九年間、七十九歳の高齢に達するまでヘーグに踏みとどまる必要がある。君たちのせっかくの申し出とは知りながら、おいそれと引きうけられなかったのはわかってもらえるだろう。といって、山田先生からはわたしの出馬が日本として世界の国際法秩序の確立強化に貢献する所以であると大上段に攻めたてられるし、大磯のおじいさん(吉田茂元総理)からは、大事な仕事だから引きうけたらいいだろうといった風におさえつけられる。そんなこんなで渋々ながら覚悟をきめたわけです。最高裁をやめたら研究と著述の生活にかえりたいと思っていた。どっしりと腰の据わった民主主義や平和主義を日本に植えつけるために、世論におもねらず、老後の余力を尽くしたいとも念っていた。そうした念願を捨て去れねばならないのが心残りであった。」その頃のお気持を田中先生はそんな風に述懐しておられた。
【後略】
-------

山田三良(国際私法学者。東京帝大教授、京城帝大総長、日本学士院院長)は1869年生まれ、田中耕太郎より21歳上で、昭和34年(1959)の時点では90歳ですね。
ウィキペディアあたりで見るとひたすら華麗な経歴の持ち主ですが、実際に『回顧録』(山田三良先生米寿祝賀会、1957年)を読んでみると、若い頃は学歴面で理不尽な差別に苦しんだ人であり、普通の功なり名を遂げた学者の回想とは一味異なる興味深い記述が多いですね。
そして山田夫人は西洋砲術の江川太郎左衛門の子孫で、山田夫人の弟が江川英文(東大教授、国際私法、1898-1966)です。
江川家は日蓮宗の世界では大変な名家で、中山法華経寺にある聖教殿の建立には夫人の影響を受けて日蓮宗に帰依した山田三良がずいぶん貢献したそうです。

山田三良(1869-1965)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%B8%89%E8%89%AF
「法華経に支えられた人々 山田三良」
http://www.nichiren.or.jp/people/20090222-69/

さて、私は孫崎享氏の著書を読んだことがなかったので、『戦後史の正体 1945-2012』(創元社、2012)、『アメリカに潰された政治家たち』(小学館、2012)と、鳩山由紀夫・植草一秀氏との共著『「対米従属」という宿痾』(飛鳥新社、2013年)の三冊をパラパラと眺めてみましたが、あまり感心しませんでした。
こういう人が外務省国際情報局長という要職にいたとは信じられないのですが、総合的な知性の面では田中耕太郎とは差が大きいので、孫崎氏が田中耕太郎を評するのには元々無理がありそうですね。
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「成功報酬が国際司法裁判所の判事」(by 孫崎享)

2016-09-30 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月30日(金)09時08分34秒

グーグルで「田中耕太郎」を検索してみると、上位は殆ど全て不評・悪評・酷評で、これほど嫌われている法学者・最高裁元長官も珍しいですね。
ウィキペディアの次に出てくるのは孫崎享氏(元外務省国際情報局長・元防衛大学教授)のブログをコピーした「米国の命令を実行すると ご褒美がもらえるのだ」という記事ですが、それによると、

------
この田中耕太郎氏と米国との関係がどうなっていたか、見てみたい。
この情報は知人が提供してくれたものである。

 出典鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』、
下田武三(外務次官、駐米大使、最高裁判事)

 昭和28年対日平和条約の発効後、初代の大使として赴任した諸外国の
大使は各界の指導者との交際を念願していたところ、熱心なクリスチャンであり、
西欧的な教養を身につけられた田中最高裁長官ご夫妻は在京外交団の引っ張り
だことななられ、頻繁に大使館のディナーへの招待を受けられた。
(注:最高裁長官という微妙な立場にいるものは、通常、外国の工作を排除する
ため、こうした交流を出来るだけさせる)

http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/494.html

のだそうですね。
「ななられ」は「なられ」の単なる誤記でしょうが、最後の「出来るだけさせる」は意味不明で、まあ、文脈から判断すると「さ(避)ける」と言いたかったのでしょうね。
孫崎氏は元外務省国際情報局長という経歴にも拘らず、ずいぶんそそっかしい人ですね。
なお、田中がこうした交流を積極的におこなったのは、戦前の大審院の社会的地位が極めて低いものだったので、最高裁は全く別な存在になったことをアピールすることが狙いだったとどこかで書いていましたね。
また、孫崎氏によれば、

-----
田中耕太郎氏が米国の積極的支持を得て当選したことは間違いない。
それはある意味、「砂川事件」裁判の論功勲章のようなものである。
砂川裁判は極めて異例な裁判である。
【中略】
田中耕太郎氏はその成功報酬が国際司法裁判所の判事というポストを
米国の支援で獲得したのである。ここに米国に協力する者と、米国の対応が
現れる典型的ケースがみられる。
裁判官や検察に米国の影響力が及んでいると多くの人は考えている。
しかし、ここにもしっかり影響力が及んでいる。
それを田中耕太郎氏のケースが示している。
------

のだそうです。
ま、日本語の乱れを指摘するのは煩瑣なので避けるとして、田中が国際司法裁判所の判事になったのは、当時、日本からの候補者として最適任と衆目が一致していた横田喜三郎(1896-1993)が個人的な都合で頑強に拒否したために6歳上の田中にお鉢が回ってきたからで、田中自身の希望ではありません。
田中は余生は再び学問三昧の生活に戻り、「世界法の理論」を完成させたいと思っていたのに、周囲から重ねて頼まれたために最後のご奉公のつもりでハーグに行った訳ですね。
そして高齢の身にとっては不自由の多い外国での生活に耐え、持ち前の生真面目さで熱心に職務に打ち込んだ結果、9年間の職務を終えて帰国後、まもなく病気となり、4年後に83歳で亡くなってしまいます。
激務をうまく逃げた横田喜三郎が、スケートなどを楽しみつつ、96歳まで長生きしたのとは対照的ですね。
そのあたりの事情は孫崎氏が一部を孫引きする鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』の横田喜三郎の寄稿を見れば明らかで、孫崎氏の推論は偏った情報源に基く誤解、というか妄想ですね。
孫崎氏は立派な経歴の割には奇矯な発言が多い人で、鳩山元首相との共著もあるそうですから、「宇宙人」仲間なのかもしれないですね。

孫崎享
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%B4%8E%E4%BA%AB
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『シンゴジラ』は良かったけれど。

2016-09-29 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月29日(木)22時11分34秒

>筆綾丸さん
トッドの新刊をやっと入手しました。
『文藝春秋』に掲載された記事はいずれも読んでいたので、ちょっと物足りない感じがしますが、「トッドの歴史の方法」は良さそうですね。
これから精読します。

>ご指示通り
理由も示さず全否定ですから、かなり感じの悪い書き方でしたね。
もともと私は邦画を殆ど観ないのですが、この夏は『シンゴジラ』に嵌り、邦画もなかなかいいものだなと思っていたところに、偶然、

-----
君の名は。を観てきたわ。ガキとカップルに挟まれた席で太ったオカマがLLサイズのコーラとポップコーンをむさぼりながら号泣している様を周囲に見せてしまって本当に申し訳ない気持ちになったわ。

というツイートを見かけたので、妙に気になって観てしまいました。
ただ、思春期の感受性みたいなものは私にはちょっと気恥ずかしく、違和感が積み重なって、後半はいささか苦痛でしたね。
ま、根が貧乏性なので最後まで観てしまいましたが。

「君の名は。」新海誠監督インタビュー

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

フランスのしたたかさ? 2016/09/28(水) 20:55:12
小太郎さん
ご指示通り、やめておきます。

豊下楢彦氏『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)第1章の次のような個所を読むと、国連憲章51条中の文言を「le droit inhérent」と仏訳できたにもかかわらずあえて「le droit naturel」としたのは、戦後の植民地経営などを想定したフランスの狡猾な作意だったのではないか(アメリカへの意趣返しも含めて)
、という気もしてきますね。
--------------
・・・英仏案は個別的自衛権と集団的自衛権を区別する必要を認めず、かつての攻守同盟のようにいかなる制約もなく自衛権を行使する自由を確保しようとするものであったが、米国はあえて両者を峻別して集団的自衛権の概念を設定し、そこに「武力攻撃の発生」という限定を組み込み、安保理の権限を強調したのである。(30頁)
--------------

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AD_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%BB%8D)
http://www.lemonde.fr/politique/article/2016/09/25/francois-hollande-reconnait-la-responsabilite-des-gouvernements-francais-dans-l-abandon-des-harkis_5003061_823448.html
国連憲章とは無関係ながら、数日前、オランド大統領は政府の責任を認め、アルキをエリゼ宮に招いて謝罪してました。来年の大統領選を意識した、不人気な大統領の演技にすぎないかもしれませんが。
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「田中耕太郎補足意見は、ことの本質を衝いている」(by 山元一氏)

2016-09-27 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月27日(火)23時40分30秒

山元一氏の「九条論を開く─<平和主義と立憲主義の交錯>をめぐる一考察」が入っている『シリーズ日本の安全保障3 立憲的ダイナミズム』(岩波書店、2014)は、去年、石川健治氏の論文を集めていたときにも手に取っていたのですが、石川氏の「軍隊と憲法」という論文がそれほど面白くなく、かつ水島朝穂氏の責任編集というのも個人的にあまり好みではないので、他の論文はチェックしていませんでした。
しかし、山元論文を実際に読んでみると実に素晴らしい論文で、特に何が良いかというと、田中耕太郎への好意的コメントがある点ですね。
この論文全体の構成は、

-----
はじめに

1 国際社会の立憲主義化と日本の平和主義
 <国際法適合的憲法解釈>の要求
 国際的立憲主義の現況
 国際立憲主義体制の中の自衛権
 モラル・アポリアと憲法九条

2 立憲主義と日本国憲法の平和主義
 「集団的自衛権・憲法解釈容認化」論への対抗言説としての立憲主義
 <憲法における平和主義の手続主義化>
 内閣法制局による九条解釈の規範的意義
 「にせ解釈」批判
 内閣法制局批判
 「現代日本型立憲主義観念」の成立
 憲法理論史的検討
 「原理」と「ルール」の区別論
 動態的憲法理解
<立憲主義適合的憲法変遷論>?
-----

となっているのですが、田中耕太郎への言及は1の「国際立憲主義体制の中の自衛権」の中に登場します。

-------
国際立憲主義体制の中の自衛権

 第二次世界大戦後の国際立憲主義体制の中における自衛権をめぐる日本での議論においては、従来の内閣法制局の憲法解釈が憲法上発動の許容される個別的自衛権と許容されない集団的自衛権という二つの自衛権を峻別してきたために、日本の議論の一般的水準も、そのような思考の強い刻印を受けている。【中略】そしてまた、日本憲法学では、諸外国の憲法にはない日本国憲法の特徴として、「戦争の放棄」を行ったということから、他国とは異なって積極的な意味で「戦争」を否定した特殊な国であるとの認識も強い。
 以上のような考え方は、国際法学の基本的思考と著しく異なっている。まず、古典的国際法の規範的枠組においては戦争に訴える行為は無差別的に許容されていたのであるから、自衛権を援用しなければ武力の行使を正当化できないという事情は存在しなかった。【中略】現在通用している自衛権が初めて登場した戦後の国際立憲主義体制においては、日本国憲法九条を待つまでもなく、すでに「戦争」そのものが法的正統性を完全に剥奪されており、de jure において(法的観点から見るならば)、現在の世界でいかなる国家も適法な仕方で「戦争」をすることはできない(日本国憲法の特殊性は、九条二項の非武装規定の方にある)。未だ創設されていない憲章七章の想定する国連軍を別として、許されるのは自衛権の行使としての暫定的な軍事的対抗措置(国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間。憲章五一条)かあるいは国際公益的観点に基いてなされる一定の措置に限定されるのである。
 次に問題となるのは、国際立憲主義体制の下での集団的自衛権の位置づけとその実際的適用である。
 まず、その位置づけについては、極めてネガティヴな描き出され方がなされるのが通例である(例えば、樋口一九九八:四三九)。このような考え方は、その発想の基本として、国際立憲主義体制の下での防衛そのものの観念を、自国防衛と他国防衛の二項対立図式として受け止めることから出発している。しかしながら、そもそも自国以外の国の防衛を自国に無縁な他者防衛として観念するのは、国際立憲主義体制の基本思想に背馳する。潜在的な敵国となりうる国に対しても集団的安全保障体制の枠組への加入を促し、仮にそのような国が他国に対して武力行使に及んだ場合には、武力行使された国を助けるために他の国々が力を合わせて対抗措置を取るのであるから、論理上純粋な自衛も他衛も存在しない。
------

段落の途中ですが、ここで切ります。
田中耕太郎の名前がどこにも出てこないではないか、と言われそうですが、この最後の部分、「論理上純粋な自衛も他衛も存在しない」に注(14)とあり、注(14)を見ると

------
(14)この意味で、あの砂川事件最高裁判決(一九五九年一二月一六日刑集一三巻一三号三二二五頁)田中耕太郎補足意見は、ことの本質を衝いている。
------

とあります。
たったこれだけなのですが、憲法学者が砂川事件の田中耕太郎補足意見を好意的に評価することは稀、というか他に見た覚えがなく、田中耕太郎ファンの私にとってはこれだけでも感涙ものです。

>筆綾丸さん
>「とりかへばや物語」に触発された映画だそうで

宣伝に乗せられて観てしまいましたが、最初の十五分で後悔しました。
止めた方が良いと思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

君の名は。 2016/09/27(火) 23:23:12
http://www.bbc.com/news/world-asia-37469662
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%B8%E3%81%B0%E3%82%84%E7%89%A9%E8%AA%9E
---------------
Director Makoto Shinkai is said to have been inspired by a classic Japanese 12th Century tale, Torikaebaya Monogatari, which features a sibling duo, where a boy is raised as a girl and the girl raised as a boy because of their personality.
---------------
「とりかへばや物語」に触発された映画だそうで、観たいのですが、いい歳して恥ずかしく、躊躇する今日この頃です。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/
君の名は、護憲派の泰斗と改憲派の重鎮。

http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/57/oui201609260101.html
木村八段にとって、おそらくタイトル獲得の最後のチャンスでしたが、羽生王位の前に夢は潰えました。ご愁傷さま。
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『外交激変 元外務省事務次官柳井俊二』

2016-09-27 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月27日(火)22時36分38秒

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の座長を務めた柳井俊二氏(1937生。国際海洋法裁判所長、元外務省条約局長・総合外交政策局長・事務次官・駐米大使)に五百旗頭 真・伊藤元重・薬師寺克行氏がインタビューした『外交激変 元外務省事務次官柳井俊二』(朝日新聞出版、2007)を読んでみましたが、非常に面白かったですね。

-------
90年代初め、湾岸戦争の勃発は戦後日本外交史を大きく塗りかえた。紛糾する国会、沸騰する世論。柳井俊二氏は外務省の中枢にあって、日本のPKO参加への陣頭指揮に立つ。冷戦体制崩壊後の日本の国際貢献はどうあるべきか。北朝鮮の核危機、9・11テロ、日本の国連安保理常任理事国入り問題など次々にわき起こる難問に官邸は、外交官はどう対処したか。日本外交の真実が存分に語られる。


水島朝穂氏のような共産党系の憲法学者だけでなく、長谷部恭男・石川健治氏らの「リベラル」な憲法学者たちも、外務官僚は湾岸戦争のトラウマから抜け出せていない、みたいなことを言いますが、正直、私はちょっと莫迦っぽいと感じていました。
いつまでも過去の出来事にグズグズ拘っているのは憲法学者たちであって、さすがに外交官はそこまでアホではないだろう、と思っていたのですが、『外交激変』を読んで自分の正しさを確認しました。
柳井氏は実にサバサバした性格であって、読んでいて気持ちが良いですね。
外交官モノは面白いなと思って、ついでに松永信雄氏(1923-2011)の『ある外交官の回想─日本外交の五十年を語る』(日本経済新聞社、2002年)も読んでみましたが、こちらはそれなりに興味深い話はあるものの、少し綺麗に纏めすぎていて、ちょっと物足りませんでした。
ま、「私の履歴書」としては完璧な本ですね。

-------
終戦直後の入省以来、日米安保条約、日韓基本条約、日中航空協定など一貫して世界各国との条約締結に携わってきた外交官松永信雄。外務事務次官、駐米大使、政府代表まで50年に及ぶ日本外交史の貴重な証言。


>筆綾丸さん
>国家を再評価せよ

トッドの新刊を早く読みたいのですが、つい最近、近所のそれなりに便利な書店が閉店してしまって、まだ入手すらできていない状況です。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

電波望遠鏡 2016/09/26(月) 18:27:20
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89
マルチチュード(Multitude)がどのような概念なのか、知らないのですが、トッドは以下のように述べて、国家を再評価せよ、と言っています。
----------------
 私は、家族構造の専門家であって、国家の専門家ではありませんが、私の見方からすれば、今日の世界の危機も「国家の問題」として捉えなければなりません。
 サッチャー、レーガンのネオリベラリズム革命以来、国家の役割を減らし、小さくするという傾向が数十年間続いてきましたが、いま世界で真の脅威になっているのは、「国家の過剰」ではなく、むしろ「国家の崩壊」です。中東の危機も、国家崩壊による危機と見なければなりません。アラブの内婚制共同体家族社会はもともと国家形成の伝統を欠き、国家形成の力が弱いのです。EUの失敗も、ヨーロッパ国家形成の失敗と捉えられます。ウクライナ問題も、あの広大な地域に国家形成の伝統がなかったことに原因があります。
 いま喫緊に必要なのは、ネオリベラリズムに対抗する思考です。要するに、国家の再評価です。国家が果たすべき役割を一つずつリストアップすることです。
 ネオリベラリズムは、それ自体として反国家の思想であるだけでなく、国家についての思考を著しく衰退させました。それだけに今必要なのは、思想革命と言えるような思考の転換です。国家のあるべき姿をもう一度考え直し、一定の状況のなかで国家の役割を再評価し、国家と個人の自由との関係をよく理解しようと努めなければなりません。(前掲書135頁~)
----------------

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20160926_03/
------------
The media say the telescope will play a major role in the search for the origins of the universe.
------------
とありますが、中国人にもこういう意思があるのか、と驚きました。

http://www.bbc.com/news/science-environment-37453933
略称はFAST(Five Hundred Metre Aperture Spherical Telescope)とのことですが、正式名称は「神遠」或いは「神速」でしょうか。
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山元一氏「九条論を開く─<平和主義と立憲主義の交錯>をめぐる一考察」

2016-09-25 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月25日(日)22時13分24秒

>筆綾丸さん
>チャプルテペック
音の響きが妙に面白いですね。
「集団的自衛権」概念誕生の経緯については豊下楢彦氏(関西学院大学教授)の『集団的自衛権とは何か』(岩波新書、2007)にも相当詳しく出ているのに気づきましたが、若干政治的に偏っているように思える記述が多く、個人的には読みづらい本でした。

『集団的自衛権とは何か』

また、森肇志(もり・ただし)氏の「集団的自衛権の誕生─秩序と無秩序の間に」が面白かったので、同氏の名前で検索した論文等を少し読んでみました。
その中で、森氏と宍戸常寿・曽我部真裕・山本龍彦氏の座談会記録「憲法学と国際法学の対話に向けて」(『法律時報』87巻8・9・10号)は、政治とは少し距離を置いた若手憲法学者の動向を伺うことができて、なかなか興味深い内容でした。
四人の議論の中で山元一氏への言及が若干あり、そういえば去年、集団的自衛権を少しだけ勉強したときに山元氏の「九条論を開く─<平和主義と立憲主義の交錯>をめぐる一考察」(『シリーズ日本の安全保障3 立憲的ダイナミズム』所収、岩波書店、2014)は見落としていたなと思い、入手してみたところ、非常に優れた論文でした。
「立憲主義」の空騒ぎにうんざりしていた私にとって、山元氏の分析はとても役に立ったので、後で少し紹介してみようと思います。

『シリーズ日本の安全保障』全8巻

>墓田(ハカタ)氏
一瞬、ドキッとしますね。
私が最近見かけた珍しい名字は「横大道」です。
山元一氏「九条論を開く」で「横大道聡」氏の「平和主義・国際貢献・集団的自衛権」(『法律時報』86巻5号)が好意的に紹介されていたので読んでみたのですが、一番最後に「よこだいどう・さとし 鹿児島大学准教授」とあるのを確認するまでは、一体どこまでが名字なのかも分かりませんでした。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神と神楽と神業 2016/09/24(土) 15:08:50
アラビア語は正文ではないのですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Chapultepec
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E8%AA%9E
チャプルテペックについては、ウィキに「The name "Chapultepec" means "at the grasshopper hill" in Nahuatl」とあり、ナワトル語で「イナゴ(バッタ)の丘で」という意味なんですね。アボカドやトマトがナワトル語起源とは知りませんでした。

http://bluebacks.kodansha.co.jp/intro/200/
安東正樹氏の『重力波とはなにか』は、難解な数式は理解できぬものの、とても面白い本ですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/KAGRA
----------------
KAGRAという名は、神にささげる音楽や踊りである「神楽」に由来しています。通常の可視光による望遠鏡での観測が「目で観る」ということなら、重力波望遠鏡による観測は「耳で聴く」ことにたとえることができます。宇宙や連星が軽やかにくるくると円舞し(公転)、ときに激しく荒れ狂い(合体や爆発)ながら奏でる音楽(重力波)を、重力波望遠鏡で「聴く」というわけです。実際、レーザー干渉計の出力をスピーカーにつなぐと「重力波の音」を聞くことができます。公募で集まった600を超える候補の中から、作家の小川洋子さんを委員長とする選好委員会で選ばれたもので、日本の望遠鏡らしい、よい愛称だと思います。なお、KAGRAには、設置されている場所の地名である神岡(Kamioka)からとったKAと、重力波(Gravitational Wave)からとったGRAをつなげたもの、という意味合いも込められています。(156頁)
----------------
宇宙船「神舟」やスパコン「神威」を引いて、中国共産党は神が好き、などと揶揄してきましたが、日本もなかなか神好きなんですね(今回の重力波の検出は神業です)。宇宙が神に奉納する音楽を、人類は盗聴する、と言って悪ければ、お相伴にあずかる、ということになりますか。『博士の愛した数式』の作者が選考委員長だったのですね。

「・・・日本が戦後、一度も海外で武力行使を行ってこなかったという事実(私は「憲法9条の貯金」と言っています)」(『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』46頁)というようなセンスの無い命名は、なんとかならないものか。

追記
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102394.html
http://researchmap.jp/read0208008/
「墓」を含む地名は中世の史料で何度か見ました。後世、墓田→塚田、平墓→平塚、犬墓→犬塚・・・となるのが一般であることから、墓はツカと訓んでいたのだろう、と思っていましたが、墓田(ハカタ)氏には、ちょっと驚きました。
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チャプルテペック

2016-09-23 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月23日(金)23時24分22秒

>キラーカーンさん
集団的自衛権を規定する直接のきっかけを作ったのはラテンアメリカ諸国というのが常識でしょうね。
森肇志氏は「集団的自衛権の誕生─秩序と無秩序の間に」(『国際法外交雑誌』102巻1号、2003)において、従来の議論を、

------
 「個別的又は集団的自衛の権利」について規定する憲章第51条が、ダンバートン・オークス提案には含まれておらず、サンフランシスコ会議において挿入されたことは、あらためて指摘するまでもないであろう。この点に関して、従来の研究においては、一般に以下のように理解されている。
 ダンバートン・オークス提案第Ⅷ章C節2項(現在の憲章第53条)において、「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない」とされていたが、その後開催された1945年2月のヤルタ会談において安保理常任理事国にいわゆる拒否権が認められた結果、地域的取極に基づく強制行動が、拒否権の行使によって妨げられる事態が想定されることとなった。これに対し、サンフランシスコ会議直前に、共同防衛を規定するチャプルテペック規約を締結していたアメリカ大陸諸国が、同規約に基づく行動の自由が制限されることを嫌い、拒否権による制限に対する例外を求め、憲章第51条が挿入されたのである、と。
------

と纏めた上で(p97)、「こうした理解は、それ自体としては誤りではないものの、第51条の形成過程を十分に説明するものではない」として、

------
 従来第51条の形成過程に関して用いられてきた主たる資料はサンフランシスコ会議の公式会議録であったが、憲章第51条は、五大国の非公式協議の中で形成されたのであり、したがって公式会議録にその形成過程が記録されていることを期待することはできない。第51条の起草過程について、「サンフランシスコ会議の〔公式〕記録の中に〔は〕、うっすらとした痕跡を見出しうるのみであった」とされるのも、当然とさえ言えよう。
 しかし、従来利用されてこなかった、こうした非公式協議に関する一次資料によれば、憲章第51条の「骨格」は、1945年5月12日、より具体的には、この日の午後、五大国非公式協議に続いて開かれた、米英二国間の非公式協議の場で作られたと言ってよい。そうした「骨格」を出発点として、数度に亘る五大国非公式協議において修正がなされ、公式会議に五大国共同修正案として提出されたのである。……
------

と書かれています。
水島氏が森氏の論文をどう評価しているのは知りませんが、従来の一般的理解を前提としても、「集団的自衛権(「軍事同盟」)が国連憲章51条に入れられたのは、憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛け」という表現は全く理解不能です。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

駄レス 2016/09/23(金) 21:44:51
>>アラビア語は正文ではない

国連創設当時の公用語は、英仏西露中の五ヶ国語で、アラビア語は遅れて公用語になりましたので
国連憲章の正文にアラビア語は入りません。

で、小室直樹は中国語の正文では国際連合は「連合国」となっているということから、
国連は戦勝国連合で日本は未だに「敵国」であると「国連幻想」を批判していました

閑話休題
集団的自衛権は、国連の集団的安全保障措置が機能するまでの間、一カ国のみの自衛権(個別的自衛権)
では自国の安全保障が全うできないとして導入されたというのが「定説」とされています

>>ドイツ軍
旧東ドイツ軍はヘルメットのみを旧ドイツ軍から継承し
旧西ドイツ軍はヘルメット以外を旧ドイツ軍から継承した
という話を聞いたことがあります。

>>公定力
行政権の意思表示は他の機関に否定されるまで、合法・正当なものとして扱われる
という意味では、坂田氏の説明は分かりやすいです
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「憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛け」(by 水島朝穂氏)

2016-09-23 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月23日(金)11時02分40秒

>筆綾丸さん
>国連憲章の正文である英語、仏語、西語、中国語、露語、アラビア語の内

細かいことですが、国連憲章第111条に「この憲章は、中国語、フランス語、ロシア語、英語及びスペイン語の本文をひとしく正文とし…、」とあるので、アラビア語は正文ではないですね。


水島氏は安倍首相の、

-----
「集団的自衛権というのは個別的自衛権と同じようにドロワナチュレル、つまり自然権なんですね。自然権というのは、むしろこれはもともとある権利でありますから、まさに憲法をつくる前からある権利というふうに私は考えるべきなのではないか、こういうふうに思います」(2000年5月11日衆院憲法調査会 安倍晋三委員)
-----

という表現にやたらと拘って、国家には「自然権」はないと執拗に繰り返し、<集団的自衛権を「自然権」であると言ってしまう無邪気さに驚きます。安倍首相の著書『美しい国へ』の中にも、集団的自衛権を「自然権」とする驚くべき記述があります>などと非難しますが、フランス語・中国語の正文に「ドロワナチュレル」「自然権利」とあるのですから、安倍首相のように表現するのも別にそんなにおかしい訳ではない、というか素直な話であって、ここだけムキになって非難する方がちょっと変わっていますね。
国家の「固有の権利」「自然権」についての通説的理解は、

------
 今日でも、自衛権(「国連憲章」五一条)とか大陸棚に対する沿岸国の主権的権利(前記「北海大陸棚事件」国際司法裁判決)など、実定国際法上、国家の「固有の権利」をみとめる例は少なくない。しかしそれは、国家である限り原始的に(ab initio)取得しているものとして、国際慣習法上みとめられている権利をいうのであって、かつての基本権概念を容認するものではない。この種の権利の取得については、他国の承認、明示の宣言、国内立法など特段の措置を要しないものの(権利の原始的取得)、その内容・要件・手続は実定国際法の定めに従っているからである。
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というもので(山本草二『国際法(新版)』、有斐閣、2003、p208)、<「自然権」とは人が生まれながらにして持っている権利ということで、これは自然人たる個人についてのみ言えることです>などと繰り返すのは些か子供じみた議論です。
水島氏は5ページを使って陳腐な議論をした後、

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 集団的安全保障にとっての「異物」である、集団的自衛権(「軍事同盟」)が国連憲章51条に入れられたのは、憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛けでした。その後、冷戦のなかで、集団的自衛権による同盟システム(NATO、ワルシャワ条約機構など)が国連の集団安全保障の実現を妨げてきたことは周知の通りです。だから、集団的自衛権というのは、国連の集団安全保障システムの発展方向から見れば、むしろ歴史的退歩の性格をもち、将来的には19世紀的な「遺物」として、「残すべきもの」ではなく、「なくなるべきもの」なのです。
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と纏めていますが、「憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛け」はおよそ歴史的事実に反する奇妙な陰謀論であり、ちょっと莫迦っぽいですね。
国際法には全く素人の私ですが、昨日、森肇志氏の「集団的自衛権の誕生─秩序と無秩序の間に」(『国際法外交雑誌』102巻1号、2003)という論文を読んで、現時点での議論のレベルを一応理解できたので、もう少し勉強してから整理してみます。

>エマニュエル・トッドの新刊『問題は英国ではない、EUなのだ』

早速読んでみます。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

不自然なフランス語 2016/09/20(火) 15:35:31
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 とはいえ、国連憲章のフランス語には安倍首相らが言うように集団的自衛権は「droit naturel」(自然権)と書いてあります。これをどのように理解したらよいのでしょうか。実は、ここでいう「droit naturel」(自然権)」が人権について言われる自然権とは意味が異なることは、フランス語で書かれた国際法の論文によっても指摘されてきました。例えば、H・サバ(国連法務部長、ユネスコ法律顧問等歴任)は、ハーグ国際法アカデミーにおける講演録で、「集団的自衛権は条約上の拘束を前提としている」ことから「droit naturel」(自然権)の枠組みを超える」としています(Hanns Saba,Recueil des cours/Académie de droit international.1952.I.Tome 80 de la collection)。J・ズーレク(国連国際法委員会委員長等歴任)は、「自衛権を droit naturel(自然権)と形容しているのは不戦条約に関する交渉の際に用いられた文言を用いているにすぎないのであって、droit naturel(自然権)と形容したからといって、そのことが droit naturel(自然権)を認めたものであるとか droit naturel(自然権)を参照したものであるとかいうように考えることはできまい」「droit naturel(自然権)という表現は、それぞれの国家に属する権利の基本的な性質を強調するために選択されたのである」としています(Jaroslav Zourek,《La notion de légitime défense en droit international》(1975))。
 「naturel」という言葉は、もともと「人間本来の」とか「本性的」という意味です。「自然権」とは人が生まれながらにして持っている権利ということで、これは自然人たる個人についてのみ言えることです。近代立憲主義以降の国家のありようとしての共通理解は、国家には、憲法に基づいて権限が付与されるのであって、国家が「生まれながらの権利」を持っているわけではないということです。安倍首相や「有識者」たちは、国家自衛権の問題を、個人の正当防衛権の安易なアナロジー(類推)で論じてしまうという誤りをおかしています。立憲国家のもとで「固有の権利」を主張できるのは、人権の担い手としての個人だけです。国家の権限は憲法で定められて初めて生じます。(『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』64頁~)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%A8%A9
https://books.google.co.jp/books?id=nlOeXhq1wXgC&pg=PT15&lpg=PT15&dq=%E5%9B%BA%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E&source=bl&ots=h0vSdgkcup&sig=5Uob9SOm7ODP8015Uh6imupE5k0&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjqt_7ekp3PAhVElpQKHbkeBsUQ6AEISzAI#v=onepage&q=%E5%9B%BA%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E&f=false

国連憲章の正文である英語、仏語、西語、中国語、露語、アラビア語の内、後二者は読めないので論外として、「固有の権利」にあたる英語(the inherent right)と西語(el derecho inmanente)は自然ですが、仏語には対応する inhérent があるはずなのに、なぜ le droit naturel などと紛らわしい用語にしたのか。
ズーレクの言説はただの屁理屈であって、何の説明にもなっていない。サバの説明の趣旨もよくわからない。要するに、なぜフランスが droit naturel としたのか、不明としか言いようがありません。国連憲章正文の文言修正の手続きのことは知りませんが、naturel を inhérent に変えれば済むだけの、馬鹿々々しいほど詰まらぬ問題なのかもしれない。中国語の「自然権利」と自然権(jus naturale)との関係、また、正文ではないドイツ語の das naturgegebene Recht と jus naturale との関係は、わかりません。
安倍首相が集団的自衛権を「自然権」と言うのは、いわゆる自然権(jus naturale)と紛らわしいから、やめたほうがいいだろう、と思いました。いや、所謂自然権のことなど言ってない、自然の権利という意味で自然権と言ってるんだ、と首相は言うかもしれません。そうなると、見解の相違はどうしようもない・・・。

蛇足
引用文中に「国連憲章のフランス語には・・・集団的自衛権は「droit naturel」(自然権)と書いてあります」とありますが、該当する51条のフランス語は「Aucune disposition de la présente Charte ne porte atteinte au droit naturel de légitime défense, individuelle ou collective,・・・」
で、 au droit naturel = à le droit naturel だから、「droit naturel」(自然権)は「le droit naturel」(自然権)と定冠詞を付けたほうがよい。


ガウス分布とスンニ派 2016/09/22(木) 16:06:56
小太郎さん
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102395.html
青柳いづみこ氏の新刊が出ましたが、五年に一度のショパン・コンクールで優勝するのは、ノーベル賞受賞より格段に難しいようですね。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610938
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E5%88%86%E5%B8%83
エマニュエル・トッドの新刊『問題は英国ではない、EUなのだ』に、次のような記述がありますが、まるで正規分布のようで、ちょっと笑えます。
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・・・統計資料の巻末に、世論調査をした各国研究者のディスカッションが掲載されていたのですが、「選択肢を偶数にする」という日本人研究者の発言がありました。「奇数にしてしまうと、必ず真ん中の選択肢が突出して多くなるからだ」と(笑)。(127頁)
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要するに、選択肢の内容などはどうでもよく、左翼からも右翼からも一番離れた中庸を選ぶという、日本人の麗しい美意識ですね。将棋(9×9)や囲碁(19×19)の影響があるのか、不明ながら、偶数の選択肢には何か不安にさせるものがあり、できれば答えたくありませんね。

様々な予言を的中させてきたトッドが、出生率の激減からサウジアラビアの崩壊を懸念していますが、もしそんなことになれば、ただでさえ不安定な中東がどうなるのか、余人にはできない不気味な指摘です。(147頁)

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 まだ慎重を期する必要がありますが、スンニ派とシーア派の違いにも家族構造の違いに現れているように思います。少なくとも、相続の仕方に大きな違いがある。
 シーア派では、後継者として息子がいなければ、娘が相続することがあります。それに対してスンニ派では、息子がいなければ、代わりに娘がいたとしても、父系の親戚筋が相続人となり、女子が相続することはありません。(157頁)
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皇室典範の皇位継承の規定はスンニ派と親和性がある、と言えなくもありませんね。
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水島上等兵の「軽さ」について

2016-09-21 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月21日(水)12時09分1秒

>筆綾丸さん
>これをかぶっていた兵士は確実に死んでいる.

リカちゃん人形くらいだったら、まあ、ちょっと変わった人だなで済みますが、貫通痕付ヘルメットで香を焚く話はブキミな雰囲気が漂いますね。

>ブルックナー
クラシックに疎い私ですが、何故か飯守泰次郎指揮のブルックナー交響曲第7番のCDを持っています。
飯守泰次郎が田中耕太郎の甥だと知って興味本位で入手したのですが、そんな理由でブルックナーのCDを求める人はいないだろうなと我ながら思います。

砂川事件判決の核心に迫らない批評
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/416d16e695d8ee9b7b1bcc7d4f657d70
飯守泰次郎公式サイト
http://www.taijiroiimori.com/

>『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』64頁~

ここは水島氏にしては珍しく、少し学問的な香りが漂う箇所ですね。
筆綾丸さんが引用された部分の前にケルゼンの見解も参照されているので、ちょっと調べてみたいと思います。

水島氏は自著が藤田宙靖氏に引用されなかったのが不満のようで、自身のホームページで次のように書かれていますね。

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 安保関連法が成立してまもなく半年というタイミングで、法律学の研究者や法律実務家間で一つの論文が話題になっている。元最高裁判所判事の藤田宙靖氏(東北大学名誉教授、行政法学)が、『自治研究』2016年2月号に寄せた「覚え書き――集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について」である。日本法律家協会の機関誌『法の支配』誌上に掲載を希望したにもかかわらず、編集委員会が掲載見合せを決めた「いわくつきの原稿」〔ご自身の言葉〕である。藤田氏は「元最高裁判事が新安保法制を素材にして書いた論稿を現職の裁判官・検察官に読ませることができない、と言うことであろうか?」と疑問を提示し、「「日本法・律・家・協会」〔傍点原文〕そして「法の支配」の名が泣く、真に情けない話であると言わざるを得ない」と論文公表に至る経過について書いている(藤田論文〔以下、論文という〕29頁注16)。
【中略】
 この論文で主に批判の対象となっているのは、憲法審査会で「違憲」と発言して以降、メディアに頻繁に登場するようになった長谷部恭男氏と石川健治氏、それに木村草太氏である。公法学の研究者であれば必ず目を通す『公法研究』の学界展望「憲法」の冒頭で渡辺康行氏に紹介されている拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(岩波書店、2015年)に対する言及はない。拙著はタイトルの「軽さ」もあってか、お目にとまらなかったようである。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0307.html

ま、タイトルというより文章が「軽く」、内容が政治的主張ばかりなので、生真面目な学究の藤田氏は相手にしなかったのではないかと思われまする。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ブルックナーを聴きながら 2016/09/19(月) 16:09:07
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E9%9A%86
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_(%E5%AF%86%E6%95%99)
水島氏はウィキに「日本ブルックナー協会[解散]会員)」とありますが、朝比奈隆贔屓なんでしょうね。
『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』には、Der Spiegel(23頁)や Die Zeit(89頁)などドイツの新聞からの引用はあるものの、ブルックナーの故地オーストリアの新聞の話題はないのですね。
「わが歴史グッズ」(12頁)には、写真とともに以下の文章がありますが、密教の秘儀(立川流の髑髏)のようで、なんだか気持ち悪いですね。
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?はドイツ国防軍のヘルメット.ボンの怪しい古道具屋から買ったもので、弾丸の貫通痕が5カ所ついている.これをかぶっていた兵士は確実に死んでいる.私は研究室に来ると、このヘルメットの下に置いてある香炉で香を焚いている.純日本製の香りだが、亡くなったドイツ兵の魂に届けばと思って、毎回やっている.
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「貫通痕」が「ボンの怪しい古道具屋」の偽造ならば、水島氏の鎮魂の儀式はどうなるのか、と少し心配です。購入の年月日と価格を明記してほしい。・・・とまあ、どうでもいいようなことですが。
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水島研究室と歴史グッズ

2016-09-19 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月19日(月)08時40分49秒

自衛隊を違憲と考える憲法学者の代表格である水島朝穂氏について、前回投稿では少し悪意のある紹介をしてしまいましたが、参考のため、水島氏自身の文章も引用しておきます。(『憲法「私」論 - みんなで考える前にひとりひとりが考えよう』、小学館、2006、p131以下)

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私の研究室から
 この章では、自衛隊の話をしましょう。自衛隊を考える「現場」はというと、私の研究室です。
 私の研究室にいらした方は、最初は誰でもびっくりします。弾丸が貫通した旧ドイツ軍ヘルメット、砲弾の薬莢、地雷、手榴弾などがごろごろしています。軍事グッズの秘密の展示室にまぎれこんでしまったのではないか、と錯覚されるかもしれません。もちろん、私は、驚かすつもりでこんな物騒なものを集めているのではありません。
 私の専門は憲法と軍事法制の研究ですから、平和や戦争のことを考えるためには、軍事の実態をしっかり踏まえ、事実にもとづいた具体的な議論をしたいと考えるからです。特に湾岸戦争以降、メディアを通じて戦争がゲーム感覚で伝えられる傾きがあります。でも、戦争の現実は同じです。ピンポイント爆撃の下では、生きた人間が肉片になったり、黒こげになっているわけで、アフガンやイラクでも、戦争被害の実情は一部しか報道されていません。国際的な紛争を武力によって解決しようとすることによってもたらされる人類の悲劇を、一日も早く止めなければなりません。
 軍隊は国家を守るための道具です。そこにいる人を守るためのものではありません。それによって犠牲になるのは、いつも国民、市民、「個人」なのです。その身近な例が、第二次世界大戦のヒロシマ、ナガサキ、オキナワです。このことを忘れるべきではありません。
 日本国憲法は、紛争の解決を「軍事的合理性」によってではなく、「平和的合理性」によって実現することを世界に先がけて宣言した憲法であると考えています。私は、この平和憲法こそが日本と世界の未来を生きる確かな手段なのだということを、研究室から発信したいのです。
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ということで、p130の「◆写真特集◆ 水島研究室と歴史グッズ」には、

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歴史グッズに囲まれて
 武器などの歴史グッズは、平和を考える実物教材である。花を活けてあるのがサラエボで使われた機関砲弾の薬莢。リカちゃん人形は沖縄サミットの際にゲストや取材陣に配られた非売品。この章の写真のものは、すべて研究室に保管しているもの。
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といった解説付きで、<銃弾の貫通したドイツ軍のヘルメット…ボンで入手したもの。戦争の恐ろしさを実感させられる。>や<イラク戦争をめぐるトランプ…フセイン大統領(当時)らイラクの重要人物を「お尋ね者」にしたトランプと、ブッシュらを「お尋ね者」にしたトランプ。>、<ブッシュとビンラディンの人形…右下のヒトラーの人形は、第2次世界大戦中にイギリスでつくられたもの。>といった充実したコレクションが紹介されています。
ま、大変結構な研究環境だなとは思いますが、このような大量のグッズを集めなくても、戦争をリアルに把握できる書籍や映像は充分存在していて、その多くは必ずしも「戦争がゲーム感覚で伝えられる傾き」を伴っている訳でもないように思います。
例えば、「イラク戦争を主導したジョージ・W・ブッシュ政権の国防長官であり、存命するアメリカの政治家の中でも最も不評の人物の一人」(村田晃嗣氏)であるドナルド・ラムズフェルドの回想録は、実際に読んでみると、意外なことに「戦争がゲーム感覚で伝えられる傾き」とは縁のない冷静な記録ですね。
「平和や戦争のことを考えるためには、軍事の実態をしっかり踏まえ、事実にもとづいた具体的な議論をしたいと考える」人にとっては、水島研究室のグッズを見るより、ラムズフェルドの回想録を読む方が役に立つかもしれません。

日経ブックレビュー
真珠湾からバグダッドへ ドナルド・ラムズフェルド著 米国政治の展開たどる回顧録
2012/5/15付 同志社大学教授 村田晃嗣
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO41348350S2A510C1MZC001/

48歳の若さで同志社大学学長となった村田晃嗣氏も、集団的自衛権に肯定的な立場を取ったために「存命する日本の大学学長の中でも最も不評の人物の一人」となり、学長に再選されないという憂き目に遭いましたが、そうした立場の人だけがラムズフェルド回想録を評価している訳ではなく、ちょっと検索してみても大変参考になったとする書評は多く、アマゾンあたりでもけっこう星の数が多いですね。
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