投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 8月14日(火)11時15分26秒
前回投稿で「「公定力」は行政法の基礎中の基礎」と書きましたが、最近の教科書での扱いは、私などが勉強していたころとはずいぶん違っているようですね。
『「法の番人」内閣法制局の矜持─解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2014)への疑問から、二年前に某大学図書館で行政法の教科書を読み比べてみたとき、東京大学教授・宇賀克也氏の『行政法概説Ⅰ【第3版】』(有斐閣、2009)の目次には「公定力」がなく、索引にも「公定力」が存在しないことに驚きました。
ただ、同書の本文を読むと、一箇所だけ「公定力」という表現が出てきます。(p314)
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第5部 第19章 行政行為
5 行政行為と取消訴訟の排他的管轄
(1)意義
行政行為に瑕疵があり違法であるとして争う場合、行政事件訴訟法は、原則として、もっぱら取消訴訟のルートで争うべきとしている。これを取消訴訟の排他的管轄(「取消制度の排他性」)という。その結果、行政行為は、権限ある行政庁が職権で取り消すか、行政行為によって自己の権利利益を害された者が取消訴訟を提起して取り消すか、行政上の不服申し立てによって取り消さない限り、有効なものとして取り扱われることになる(このことを、行政行為に公定力があるということもある)。このことの意味をいくつかの具体例で考えることとしよう。
(例1)民間会社に勤務する私人Aが解雇された場合、解雇(雇用契約解除)の取消訴訟を提起するわけではなく、解雇が無効であることを前提として、従業員たる地位の確認を求める訴訟を提起するのが通常である。これに対して、公務員Bが免職処分を受けた場合、当該免職処分に対する取消訴訟を提起してこれを取り消すことなく、直ちに公務員としての地位確認請求をすることは原則としてできない。免職処分は、取消訴訟の排他的管轄に服する行政行為であるからである。したがって、Bはまず、免職処分の取消訴訟を提起して、当該処分の効力を否定しなければならない。【後略】
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ということで、「このことを、行政行為に公定力があるということもある」ですから、「公定力」概念ももはや風前の灯のようですね。
個人的な記憶をたどると、1981年だったか、私が聴講した塩野宏氏の講義では、田中二郎先生は実体法上の効力としての公定力について重厚に論じられておられるけれど、これは行政事件訴訟法における取消訴訟の排他的管轄の反映ですし、そもそも行政事件訴訟法を作ったのは田中二郎先生ですからねー、みたいな言い方をしていました。
だから宇賀克也氏の説明も特に斬新という訳ではないのですが、ただ、その時点では塩野氏もきちんとした教科書は書かれていなかったですし、公務員試験向けの通俗参考書などには、行政行為には「公定力」という私人の法律行為とは全く異なる特別な効力があるのじゃ、みたいな権威主義的な叙述が目立っていて、独学で行政法を勉強しようとする人にとっては分りにくいポイントだったようですね。
とまあ、こんな風に書くと、まるで私が勉強熱心な学生だったような感じになりますが、別に謙遜でも何でもなく、そんなことは全然ありませんでした。
塩野宏氏は極めて辛辣な冗談を次々に飛ばす名物教授で、そのマシンガントークを漫談でも聞くようなつもりで楽しんでいただけです。
「芦部さんは、荷造りの名手であった」(by 松尾浩也)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ffcbf67b38914a43e848353a1ce7c8eb
塩野宏(1931生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E9%87%8E%E5%AE%8F
ま、学問的には宇賀氏のような説明が正しいのでしょうが、素人を説得する際には「公定力」のような難しそうな言葉を使って押しまくる方が楽だな、と思ったことがあります。
私もきっと、権威主義的でイヤな奴だな、と思われていたことでせう。
除名決議について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be1234b96a2892533f99ee68d34b0255
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 8月11日(土)22時29分41秒
>筆綾丸さん
>救いようのない宗教ですね。
「イスラム国」こそイスラム教の論理を最も正しく理解し、実践している訳ですからねー。
>>いったん施行された法律は、公定力といいますが、裁判所で無効と判断されない限りは合憲、適法なものとして作用し続けます。(山尾志桜里氏『立憲的改憲』55頁)
阪田氏は自由法曹団の川口創弁護士との共著『「法の番人」内閣法制局の矜持─解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2014)と同じ誤りを繰り返していますね。
「公定力があるわけですから」(by 阪田雅裕氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8299a2004a780bb7b3f1ccf78f47325a
私も内閣法制局長官だった人の法律用語の用い方がおかしいというのには勇気が必要だったので、この投稿をするときには十数種類の行政法の教科書を確認してみましたが、「公定力」は行政法の基礎中の基礎であり、自分の理解に間違いはありませんでした。
まあ、どんな人にも思い込みはありますが、阪田氏くらい偉くなってしまうと、周囲は誰も誤りを指摘してくれなくなるのでしょうね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
小太郎さん
イスラム教がほんとに飯山氏の言うようなものだとすると、救いようのない宗教ですね。
『スターリンの葬送狂騒曲』に関するウィキの記事(ロシア側の反応)を読むと、映画製作の関係者が不審な死に遭わなければいいが、と思ってしまいます。
また、日本の共産党系の人たちは、この映画にどんな感想を抱くのでしょうね(たぶん、観ないと思いますが)。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1446
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AE%9A%E5%8A%9B
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坂田 いったん施行された法律は、公定力といいますが、裁判所で無効と判断されない限りは合憲、適法なものとして作用し続けます。(山尾志桜里氏『立憲的改憲』55頁)
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阪田は元内閣法制局長官の阪田雅裕氏ですが、公定力とは、法律一般の効力のことではなく、行政行為の効力のひとつにすぎない概念ですよね。記憶が曖昧で恐縮ですが、小太郎さんが、以前、阪田氏の誤りを指摘されていたような気がするのですが。
小太郎さん
クマモン体型の本郷和人氏の番組「姫旅」(再放送)を見ましたが、本郷さんの話し方と声音は荒俣宏によく似ているのですね。川柳作家(やすみりえ)の下手な句はなんとかならないのか、と思いました。次回は美人の橋本マナミとの共演ですね。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-15209.html
官僚たちが原稿に片っ端からフリガナを振っているから大丈夫と聞いていましたが、そうでもないようですね。
小太郎さん
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%B3
田中耕太郎について言及できる知識がなくて、なんですが、『「憲法改正」の真実』に、以下のような箇所があります(37頁~)。
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樋口
(前略)
意外な感じがするかもしれませんが、比較をすると、現代よりも明治憲法の時代のほうが、立憲主義という言葉は人々のあいだに定着していたのですよ。
戦前期にどれだけ「立憲」「非立憲」という言葉が一般の人たちにも浸透していたかという例として、ひとつ紹介したいのですが、先生はビリケンをご存知ですか。
小林 大阪の通天閣に「ビリケンさん」の像がありますねえ。顔は浮かびます。幸運を運ぶ神様でしたっけ。
樋口 そのビリケンのニックネームをもらってしまった首相がいますね。
小林 ビリケン首相! 帝国議会を無視した超然内閣として批判を浴びた寺内正毅首相ですね。
樋口 ビリケンの由来は「非立憲」。「非立憲」をもじったうえで「ビリケン寺内」という言葉が、はやったんですね。ビリケンに顔つき、というより頭つきが似ていたからというのもあったのですが、ここでの話のポイントは、一般の人々のあいだで流行語になるくらい「非立憲」ということばが定着していた、ということです。
では、なぜそんなに「立憲」「非立憲」という言葉が、戦前の日本で一般的だったのか。
天皇主権の明治憲法の時代には、立憲主義というものが、とても分かりやすく見えていたからなのですね。天皇が統治権を総攬していた、あるいは実質的には藩閥政府(のちに軍閥)が権力を握っていたという状況では、憲法によって縛られるべき権力が何なのかが明確でしたから。
(後略)
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恥ずかしながら、単にビリケンに似ていたから、と思っていたのですが、確かに「非立憲」を含意していなければ風刺にならないですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%B4%8E%E4%BA%AB
孫崎享氏は、失礼ながら、亡くなれば、たとえば、孫崎享享年七十七、とかなるのですね。
>>「ビリケン寺内」
当時、寺内は、自他共に認める「藩閥の権化」山縣の後継者でしたから、当然に「非立憲」側となります。
(桂は、その数年前に鬼籍に入っています。寺内も、首相退任後程なく、山縣に先立ちこの世を去ります
つまり、山縣は桂、寺内と二人の後継者に先立たれました)
戦前の政党には「立憲○○党」というものが結構あります
立憲政友会、立憲改進党、立憲同志会、立憲民政党、立憲国民党・・・
注目すべきは、伊藤博文が自由党系と伊藤系官僚を糾合して設立した政党にも
「立憲」の二文字が入っていることです(立憲政友会)
立憲を「選出勢力(衆議院)」に基礎を置く政党内閣
非立憲を「非選出勢力(官僚・軍部・貴族院」に基礎を置く超然内閣
との二大政党制的政権交代構造(政治体制論としては、議院内閣制と大統領制との交代体制)
として描いたのが、坂野 潤治が「1900年体制」と名づけたものです
(1900年体制は事実上桂園時代と重なります)
一昨日の投稿で「そのあたりの事情は孫崎氏が一部を孫引きする鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』の横田喜三郎の寄稿を見れば明らかで」と書きましたが、同書を確認してみたら、横田の寄稿ではなく、座談会記録「田中耕太郎先生を偲ぶⅡ 人と生活」(参加者:鈴木竹雄・松田二郎・横田喜三郎・田中二郎・相良惟一・豊崎光衛)の中での横田の発言の方でした。(p622以下)
ただ、田中耕太郎が国際司法裁判所裁判官の候補となった事情、選挙戦の状況等は鶴岡千仭氏の寄稿に詳しいので、参考までにそちらを紹介しておきます(p434以下)
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ヘーグの田中先生
一
昭和三十四年の夏、わたくしが国連局長になって程ないときであった。田村町四丁目の日産館に間借り住いをしていた外務省の国連局長室に、山田三良先生が前ぶれなしでお見えになった。右手をつきそいの女性の肩におき、左手をステッキでささえて。もうずいぶんおみ脚が不自由だった。
「来年は国際司法裁判所の選挙の年だが、政府はどんな方針でのぞむつもりなのか。」先生から口を切られた。
かねがね政府は国際法委員会にも国際司法裁判所にも日本から適材をおくりこみたいと念っていること、国際法委員の方は三年前に日本が国連に加盟したときの総会で横田喜三郎先生が選出されたこと、しかし裁判官の方は、栗山茂大使(元ベルギー大使、元最高裁裁判官)をたてて戦ったけれども、そのときの相手方はヘーグの前裁判官で再選を狙う顧維鈞だったし、第一彼は安保理常任理事国である中国の出身で、裁判官の選挙では安保常任国出身の候補者は必ず当選させるという不文律にささえられていたこと、国連に加盟したばかりの日本と安保常任国の中国との取組みは新入幕力士と大関の相撲みたいにてんから位負けの恰好であったこと、それやこれやの原因でけっきょくは敗けてしまったこと、などをお話した上で、わたくしは、「今では日本の発言力もずっと向上しているので、適当な候補者を立てれば成功の見込みがありそうです。こんどこそは、ぜひとも日本人裁判官をヘーグにおくりこみたいと存じます」とお答えした。
「政府がそういう考えであれば、わたしも安心しました。ところで誰を候補者に指名するつもりですか。」
「まだどなたとも決っておりません。横田(喜三郎)先生は御家庭の事情があるとおっしゃって、ヘーグに行く気持ちは全然ないと言い切っていらっしゃいます。」「ほんのわたくし限りの思いつきですが、」とおことわりして申し上げた。「この際何とか田中耕太郎先生に御出馬いただけないでしょうか。最高裁長官の方は間もなく退官されるときが来ているので、任期いっぱい在任なさって、退官後ひきつづきヘーグにお出かけになれるわけです。好都合なタイムテーブルだと思います。」
「それはいいところに目をつけてくれた。田中君なら国際法専門ではないけれど、立派な候補だ。一日も早く田中君を候補にするように政府の肚をかためたまえ。たしかにこの際田中君は最高の人選だ。田中君とは、田中君がわたしの膝の上でおむつを濡らした時分からの長いおつきあいだ。田中君にはわたしから候補指名を引き受けるように説得する。もっとも、それより前に政府が田中君に御苦労を頼むことに決心してもらわなければならない。君たち、事務当局の方ではもう田中君を推すことにしているのだから、わたしはこの足で岸君(当時の総理)を訪れることにしよう。」矢つぎ早やの勢いこんだお話である。古武士を思わせるあのお顔にいくぶん上気した紅潮のさすのをお見うけしたと思う。
国際司法裁判所は条約局長の主管事項なので、さっそくその場に高橋通敏条約局長に御足労ねがって協議した。高橋局長にも異論のあろう筈がなく、われわれは田中候補指名の方向で選挙準備を進めることになった。
山田先生には、外務省の仕事でたびたび御指導にあずかる機会にめぐまれた。がそれよりも、先生の娘婿の福井勇二郎君と小学校以来ずっと悪友の間柄であったことや、一高時代から江川英文先生とお親しくしていただいていた関係もあって、山田先生にはかなり頻繁にお目にかからせていただいたのだが、後にも先にもこの時ほど山田先生の気負い立った御様子を目にした例しはなかったと思う。俗っぽい言い方で恐縮だが、山田先生がどれだけ高く田中先生を買っておられたかを目のあたり拝見したような気がした。
当の田中耕太郎先生からはなかなか色よい御返事がなかったが、とどのつまりは「引きうける」ことに踏みきっていただくことができた。
「七十歳にもなってから、外国で新しい仕事にとりかかることだ。それも九年間、七十九歳の高齢に達するまでヘーグに踏みとどまる必要がある。君たちのせっかくの申し出とは知りながら、おいそれと引きうけられなかったのはわかってもらえるだろう。といって、山田先生からはわたしの出馬が日本として世界の国際法秩序の確立強化に貢献する所以であると大上段に攻めたてられるし、大磯のおじいさん(吉田茂元総理)からは、大事な仕事だから引きうけたらいいだろうといった風におさえつけられる。そんなこんなで渋々ながら覚悟をきめたわけです。最高裁をやめたら研究と著述の生活にかえりたいと思っていた。どっしりと腰の据わった民主主義や平和主義を日本に植えつけるために、世論におもねらず、老後の余力を尽くしたいとも念っていた。そうした念願を捨て去れねばならないのが心残りであった。」その頃のお気持を田中先生はそんな風に述懐しておられた。
【後略】
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山田三良(国際私法学者。東京帝大教授、京城帝大総長、日本学士院院長)は1869年生まれ、田中耕太郎より21歳上で、昭和34年(1959)の時点では90歳ですね。
ウィキペディアあたりで見るとひたすら華麗な経歴の持ち主ですが、実際に『回顧録』(山田三良先生米寿祝賀会、1957年)を読んでみると、若い頃は学歴面で理不尽な差別に苦しんだ人であり、普通の功なり名を遂げた学者の回想とは一味異なる興味深い記述が多いですね。
そして山田夫人は西洋砲術の江川太郎左衛門の子孫で、山田夫人の弟が江川英文(東大教授、国際私法、1898-1966)です。
江川家は日蓮宗の世界では大変な名家で、中山法華経寺にある聖教殿の建立には夫人の影響を受けて日蓮宗に帰依した山田三良がずいぶん貢献したそうです。
山田三良(1869-1965)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%B8%89%E8%89%AF
「法華経に支えられた人々 山田三良」
http://www.nichiren.or.jp/people/20090222-69/
さて、私は孫崎享氏の著書を読んだことがなかったので、『戦後史の正体 1945-2012』(創元社、2012)、『アメリカに潰された政治家たち』(小学館、2012)と、鳩山由紀夫・植草一秀氏との共著『「対米従属」という宿痾』(飛鳥新社、2013年)の三冊をパラパラと眺めてみましたが、あまり感心しませんでした。
こういう人が外務省国際情報局長という要職にいたとは信じられないのですが、総合的な知性の面では田中耕太郎とは差が大きいので、孫崎氏が田中耕太郎を評するのには元々無理がありそうですね。
グーグルで「田中耕太郎」を検索してみると、上位は殆ど全て不評・悪評・酷評で、これほど嫌われている法学者・最高裁元長官も珍しいですね。
ウィキペディアの次に出てくるのは孫崎享氏(元外務省国際情報局長・元防衛大学教授)のブログをコピーした「米国の命令を実行すると ご褒美がもらえるのだ」という記事ですが、それによると、
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この田中耕太郎氏と米国との関係がどうなっていたか、見てみたい。
この情報は知人が提供してくれたものである。
出典鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』、
下田武三(外務次官、駐米大使、最高裁判事)
昭和28年対日平和条約の発効後、初代の大使として赴任した諸外国の
大使は各界の指導者との交際を念願していたところ、熱心なクリスチャンであり、
西欧的な教養を身につけられた田中最高裁長官ご夫妻は在京外交団の引っ張り
だことななられ、頻繁に大使館のディナーへの招待を受けられた。
(注:最高裁長官という微妙な立場にいるものは、通常、外国の工作を排除する
ため、こうした交流を出来るだけさせる)
http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/494.html
のだそうですね。
「ななられ」は「なられ」の単なる誤記でしょうが、最後の「出来るだけさせる」は意味不明で、まあ、文脈から判断すると「さ(避)ける」と言いたかったのでしょうね。
孫崎氏は元外務省国際情報局長という経歴にも拘らず、ずいぶんそそっかしい人ですね。
なお、田中がこうした交流を積極的におこなったのは、戦前の大審院の社会的地位が極めて低いものだったので、最高裁は全く別な存在になったことをアピールすることが狙いだったとどこかで書いていましたね。
また、孫崎氏によれば、
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田中耕太郎氏が米国の積極的支持を得て当選したことは間違いない。
それはある意味、「砂川事件」裁判の論功勲章のようなものである。
砂川裁判は極めて異例な裁判である。
【中略】
田中耕太郎氏はその成功報酬が国際司法裁判所の判事というポストを
米国の支援で獲得したのである。ここに米国に協力する者と、米国の対応が
現れる典型的ケースがみられる。
裁判官や検察に米国の影響力が及んでいると多くの人は考えている。
しかし、ここにもしっかり影響力が及んでいる。
それを田中耕太郎氏のケースが示している。
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のだそうです。
ま、日本語の乱れを指摘するのは煩瑣なので避けるとして、田中が国際司法裁判所の判事になったのは、当時、日本からの候補者として最適任と衆目が一致していた横田喜三郎(1896-1993)が個人的な都合で頑強に拒否したために6歳上の田中にお鉢が回ってきたからで、田中自身の希望ではありません。
田中は余生は再び学問三昧の生活に戻り、「世界法の理論」を完成させたいと思っていたのに、周囲から重ねて頼まれたために最後のご奉公のつもりでハーグに行った訳ですね。
そして高齢の身にとっては不自由の多い外国での生活に耐え、持ち前の生真面目さで熱心に職務に打ち込んだ結果、9年間の職務を終えて帰国後、まもなく病気となり、4年後に83歳で亡くなってしまいます。
激務をうまく逃げた横田喜三郎が、スケートなどを楽しみつつ、96歳まで長生きしたのとは対照的ですね。
そのあたりの事情は孫崎氏が一部を孫引きする鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』の横田喜三郎の寄稿を見れば明らかで、孫崎氏の推論は偏った情報源に基く誤解、というか妄想ですね。
孫崎氏は立派な経歴の割には奇矯な発言が多い人で、鳩山元首相との共著もあるそうですから、「宇宙人」仲間なのかもしれないですね。
孫崎享
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%B4%8E%E4%BA%AB
小太郎さん
ご指示通り、やめておきます。
豊下楢彦氏『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)第1章の次のような個所を読むと、国連憲章51条中の文言を「le droit inhérent」と仏訳できたにもかかわらずあえて「le droit naturel」としたのは、戦後の植民地経営などを想定したフランスの狡猾な作意だったのではないか(アメリカへの意趣返しも含めて)
、という気もしてきますね。
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・・・英仏案は個別的自衛権と集団的自衛権を区別する必要を認めず、かつての攻守同盟のようにいかなる制約もなく自衛権を行使する自由を確保しようとするものであったが、米国はあえて両者を峻別して集団的自衛権の概念を設定し、そこに「武力攻撃の発生」という限定を組み込み、安保理の権限を強調したのである。(30頁)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AD_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%BB%8D)
http://www.lemonde.fr/politique/article/2016/09/25/francois-hollande-reconnait-la-responsabilite-des-gouvernements-francais-dans-l-abandon-des-harkis_5003061_823448.html
国連憲章とは無関係ながら、数日前、オランド大統領は政府の責任を認め、アルキをエリゼ宮に招いて謝罪してました。来年の大統領選を意識した、不人気な大統領の演技にすぎないかもしれませんが。
http://www.bbc.com/news/world-asia-37469662
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%B8%E3%81%B0%E3%82%84%E7%89%A9%E8%AA%9E
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Director Makoto Shinkai is said to have been inspired by a classic Japanese 12th Century tale, Torikaebaya Monogatari, which features a sibling duo, where a boy is raised as a girl and the girl raised as a boy because of their personality.
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「とりかへばや物語」に触発された映画だそうで、観たいのですが、いい歳して恥ずかしく、躊躇する今日この頃です。
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/
君の名は、護憲派の泰斗と改憲派の重鎮。
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/57/oui201609260101.html
木村八段にとって、おそらくタイトル獲得の最後のチャンスでしたが、羽生王位の前に夢は潰えました。ご愁傷さま。
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89
マルチチュード(Multitude)がどのような概念なのか、知らないのですが、トッドは以下のように述べて、国家を再評価せよ、と言っています。
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私は、家族構造の専門家であって、国家の専門家ではありませんが、私の見方からすれば、今日の世界の危機も「国家の問題」として捉えなければなりません。
サッチャー、レーガンのネオリベラリズム革命以来、国家の役割を減らし、小さくするという傾向が数十年間続いてきましたが、いま世界で真の脅威になっているのは、「国家の過剰」ではなく、むしろ「国家の崩壊」です。中東の危機も、国家崩壊による危機と見なければなりません。アラブの内婚制共同体家族社会はもともと国家形成の伝統を欠き、国家形成の力が弱いのです。EUの失敗も、ヨーロッパ国家形成の失敗と捉えられます。ウクライナ問題も、あの広大な地域に国家形成の伝統がなかったことに原因があります。
いま喫緊に必要なのは、ネオリベラリズムに対抗する思考です。要するに、国家の再評価です。国家が果たすべき役割を一つずつリストアップすることです。
ネオリベラリズムは、それ自体として反国家の思想であるだけでなく、国家についての思考を著しく衰退させました。それだけに今必要なのは、思想革命と言えるような思考の転換です。国家のあるべき姿をもう一度考え直し、一定の状況のなかで国家の役割を再評価し、国家と個人の自由との関係をよく理解しようと努めなければなりません。(前掲書135頁~)
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http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20160926_03/
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The media say the telescope will play a major role in the search for the origins of the universe.
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とありますが、中国人にもこういう意思があるのか、と驚きました。
http://www.bbc.com/news/science-environment-37453933
略称はFAST(Five Hundred Metre Aperture Spherical Telescope)とのことですが、正式名称は「神遠」或いは「神速」でしょうか。
アラビア語は正文ではないのですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Chapultepec
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E8%AA%9E
チャプルテペックについては、ウィキに「The name "Chapultepec" means "at the grasshopper hill" in Nahuatl」とあり、ナワトル語で「イナゴ(バッタ)の丘で」という意味なんですね。アボカドやトマトがナワトル語起源とは知りませんでした。
http://bluebacks.kodansha.co.jp/intro/200/
安東正樹氏の『重力波とはなにか』は、難解な数式は理解できぬものの、とても面白い本ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/KAGRA
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KAGRAという名は、神にささげる音楽や踊りである「神楽」に由来しています。通常の可視光による望遠鏡での観測が「目で観る」ということなら、重力波望遠鏡による観測は「耳で聴く」ことにたとえることができます。宇宙や連星が軽やかにくるくると円舞し(公転)、ときに激しく荒れ狂い(合体や爆発)ながら奏でる音楽(重力波)を、重力波望遠鏡で「聴く」というわけです。実際、レーザー干渉計の出力をスピーカーにつなぐと「重力波の音」を聞くことができます。公募で集まった600を超える候補の中から、作家の小川洋子さんを委員長とする選好委員会で選ばれたもので、日本の望遠鏡らしい、よい愛称だと思います。なお、KAGRAには、設置されている場所の地名である神岡(Kamioka)からとったKAと、重力波(Gravitational Wave)からとったGRAをつなげたもの、という意味合いも込められています。(156頁)
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宇宙船「神舟」やスパコン「神威」を引いて、中国共産党は神が好き、などと揶揄してきましたが、日本もなかなか神好きなんですね(今回の重力波の検出は神業です)。宇宙が神に奉納する音楽を、人類は盗聴する、と言って悪ければ、お相伴にあずかる、ということになりますか。『博士の愛した数式』の作者が選考委員長だったのですね。
「・・・日本が戦後、一度も海外で武力行使を行ってこなかったという事実(私は「憲法9条の貯金」と言っています)」(『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』46頁)というようなセンスの無い命名は、なんとかならないものか。
追記
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102394.html
http://researchmap.jp/read0208008/
「墓」を含む地名は中世の史料で何度か見ました。後世、墓田→塚田、平墓→平塚、犬墓→犬塚・・・となるのが一般であることから、墓はツカと訓んでいたのだろう、と思っていましたが、墓田(ハカタ)氏には、ちょっと驚きました。
>>アラビア語は正文ではない
国連創設当時の公用語は、英仏西露中の五ヶ国語で、アラビア語は遅れて公用語になりましたので
国連憲章の正文にアラビア語は入りません。
で、小室直樹は中国語の正文では国際連合は「連合国」となっているということから、
国連は戦勝国連合で日本は未だに「敵国」であると「国連幻想」を批判していました
閑話休題
集団的自衛権は、国連の集団的安全保障措置が機能するまでの間、一カ国のみの自衛権(個別的自衛権)
では自国の安全保障が全うできないとして導入されたというのが「定説」とされています
>>ドイツ軍
旧東ドイツ軍はヘルメットのみを旧ドイツ軍から継承し
旧西ドイツ軍はヘルメット以外を旧ドイツ軍から継承した
という話を聞いたことがあります。
>>公定力
行政権の意思表示は他の機関に否定されるまで、合法・正当なものとして扱われる
という意味では、坂田氏の説明は分かりやすいです
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とはいえ、国連憲章のフランス語には安倍首相らが言うように集団的自衛権は「droit naturel」(自然権)と書いてあります。これをどのように理解したらよいのでしょうか。実は、ここでいう「droit naturel」(自然権)」が人権について言われる自然権とは意味が異なることは、フランス語で書かれた国際法の論文によっても指摘されてきました。例えば、H・サバ(国連法務部長、ユネスコ法律顧問等歴任)は、ハーグ国際法アカデミーにおける講演録で、「集団的自衛権は条約上の拘束を前提としている」ことから「droit naturel」(自然権)の枠組みを超える」としています(Hanns Saba,Recueil des cours/Académie de droit international.1952.I.Tome 80 de la collection)。J・ズーレク(国連国際法委員会委員長等歴任)は、「自衛権を droit naturel(自然権)と形容しているのは不戦条約に関する交渉の際に用いられた文言を用いているにすぎないのであって、droit naturel(自然権)と形容したからといって、そのことが droit naturel(自然権)を認めたものであるとか droit naturel(自然権)を参照したものであるとかいうように考えることはできまい」「droit naturel(自然権)という表現は、それぞれの国家に属する権利の基本的な性質を強調するために選択されたのである」としています(Jaroslav Zourek,《La notion de légitime défense en droit international》(1975))。
「naturel」という言葉は、もともと「人間本来の」とか「本性的」という意味です。「自然権」とは人が生まれながらにして持っている権利ということで、これは自然人たる個人についてのみ言えることです。近代立憲主義以降の国家のありようとしての共通理解は、国家には、憲法に基づいて権限が付与されるのであって、国家が「生まれながらの権利」を持っているわけではないということです。安倍首相や「有識者」たちは、国家自衛権の問題を、個人の正当防衛権の安易なアナロジー(類推)で論じてしまうという誤りをおかしています。立憲国家のもとで「固有の権利」を主張できるのは、人権の担い手としての個人だけです。国家の権限は憲法で定められて初めて生じます。(『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』64頁~)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%A8%A9
https://books.google.co.jp/books?id=nlOeXhq1wXgC&pg=PT15&lpg=PT15&dq=%E5%9B%BA%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E&source=bl&ots=h0vSdgkcup&sig=5Uob9SOm7ODP8015Uh6imupE5k0&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjqt_7ekp3PAhVElpQKHbkeBsUQ6AEISzAI#v=onepage&q=%E5%9B%BA%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E&f=false
国連憲章の正文である英語、仏語、西語、中国語、露語、アラビア語の内、後二者は読めないので論外として、「固有の権利」にあたる英語(the inherent right)と西語(el derecho inmanente)は自然ですが、仏語には対応する inhérent があるはずなのに、なぜ le droit naturel などと紛らわしい用語にしたのか。
ズーレクの言説はただの屁理屈であって、何の説明にもなっていない。サバの説明の趣旨もよくわからない。要するに、なぜフランスが droit naturel としたのか、不明としか言いようがありません。国連憲章正文の文言修正の手続きのことは知りませんが、naturel を inhérent に変えれば済むだけの、馬鹿々々しいほど詰まらぬ問題なのかもしれない。中国語の「自然権利」と自然権(jus naturale)との関係、また、正文ではないドイツ語の das naturgegebene Recht と jus naturale との関係は、わかりません。
安倍首相が集団的自衛権を「自然権」と言うのは、いわゆる自然権(jus naturale)と紛らわしいから、やめたほうがいいだろう、と思いました。いや、所謂自然権のことなど言ってない、自然の権利という意味で自然権と言ってるんだ、と首相は言うかもしれません。そうなると、見解の相違はどうしようもない・・・。
蛇足
引用文中に「国連憲章のフランス語には・・・集団的自衛権は「droit naturel」(自然権)と書いてあります」とありますが、該当する51条のフランス語は「Aucune disposition de la présente Charte ne porte atteinte au droit naturel de légitime défense, individuelle ou collective,・・・」
で、 au droit naturel = à le droit naturel だから、「droit naturel」(自然権)は「le droit naturel」(自然権)と定冠詞を付けたほうがよい。
小太郎さん
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102395.html
青柳いづみこ氏の新刊が出ましたが、五年に一度のショパン・コンクールで優勝するのは、ノーベル賞受賞より格段に難しいようですね。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610938
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E5%88%86%E5%B8%83
エマニュエル・トッドの新刊『問題は英国ではない、EUなのだ』に、次のような記述がありますが、まるで正規分布のようで、ちょっと笑えます。
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・・・統計資料の巻末に、世論調査をした各国研究者のディスカッションが掲載されていたのですが、「選択肢を偶数にする」という日本人研究者の発言がありました。「奇数にしてしまうと、必ず真ん中の選択肢が突出して多くなるからだ」と(笑)。(127頁)
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要するに、選択肢の内容などはどうでもよく、左翼からも右翼からも一番離れた中庸を選ぶという、日本人の麗しい美意識ですね。将棋(9×9)や囲碁(19×19)の影響があるのか、不明ながら、偶数の選択肢には何か不安にさせるものがあり、できれば答えたくありませんね。
様々な予言を的中させてきたトッドが、出生率の激減からサウジアラビアの崩壊を懸念していますが、もしそんなことになれば、ただでさえ不安定な中東がどうなるのか、余人にはできない不気味な指摘です。(147頁)
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まだ慎重を期する必要がありますが、スンニ派とシーア派の違いにも家族構造の違いに現れているように思います。少なくとも、相続の仕方に大きな違いがある。
シーア派では、後継者として息子がいなければ、娘が相続することがあります。それに対してスンニ派では、息子がいなければ、代わりに娘がいたとしても、父系の親戚筋が相続人となり、女子が相続することはありません。(157頁)
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皇室典範の皇位継承の規定はスンニ派と親和性がある、と言えなくもありませんね。
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月21日(水)12時09分1秒
>筆綾丸さん
>これをかぶっていた兵士は確実に死んでいる.
リカちゃん人形くらいだったら、まあ、ちょっと変わった人だなで済みますが、貫通痕付ヘルメットで香を焚く話はブキミな雰囲気が漂いますね。
>ブルックナー
クラシックに疎い私ですが、何故か飯守泰次郎指揮のブルックナー交響曲第7番のCDを持っています。
飯守泰次郎が田中耕太郎の甥だと知って興味本位で入手したのですが、そんな理由でブルックナーのCDを求める人はいないだろうなと我ながら思います。
砂川事件判決の核心に迫らない批評
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/416d16e695d8ee9b7b1bcc7d4f657d70
飯守泰次郎公式サイト
http://www.taijiroiimori.com/
>『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』64頁~
ここは水島氏にしては珍しく、少し学問的な香りが漂う箇所ですね。
筆綾丸さんが引用された部分の前にケルゼンの見解も参照されているので、ちょっと調べてみたいと思います。
水島氏は自著が藤田宙靖氏に引用されなかったのが不満のようで、自身のホームページで次のように書かれていますね。
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安保関連法が成立してまもなく半年というタイミングで、法律学の研究者や法律実務家間で一つの論文が話題になっている。元最高裁判所判事の藤田宙靖氏(東北大学名誉教授、行政法学)が、『自治研究』2016年2月号に寄せた「覚え書き――集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について」である。日本法律家協会の機関誌『法の支配』誌上に掲載を希望したにもかかわらず、編集委員会が掲載見合せを決めた「いわくつきの原稿」〔ご自身の言葉〕である。藤田氏は「元最高裁判事が新安保法制を素材にして書いた論稿を現職の裁判官・検察官に読ませることができない、と言うことであろうか?」と疑問を提示し、「「日本法・律・家・協会」〔傍点原文〕そして「法の支配」の名が泣く、真に情けない話であると言わざるを得ない」と論文公表に至る経過について書いている(藤田論文〔以下、論文という〕29頁注16)。
【中略】
この論文で主に批判の対象となっているのは、憲法審査会で「違憲」と発言して以降、メディアに頻繁に登場するようになった長谷部恭男氏と石川健治氏、それに木村草太氏である。公法学の研究者であれば必ず目を通す『公法研究』の学界展望「憲法」の冒頭で渡辺康行氏に紹介されている拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(岩波書店、2015年)に対する言及はない。拙著はタイトルの「軽さ」もあってか、お目にとまらなかったようである。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0307.html
ま、タイトルというより文章が「軽く」、内容が政治的主張ばかりなので、生真面目な学究の藤田氏は相手にしなかったのではないかと思われまする。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E9%9A%86
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_(%E5%AF%86%E6%95%99)
水島氏はウィキに「日本ブルックナー協会[解散]会員)」とありますが、朝比奈隆贔屓なんでしょうね。
『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』には、Der Spiegel(23頁)や Die Zeit(89頁)などドイツの新聞からの引用はあるものの、ブルックナーの故地オーストリアの新聞の話題はないのですね。
「わが歴史グッズ」(12頁)には、写真とともに以下の文章がありますが、密教の秘儀(立川流の髑髏)のようで、なんだか気持ち悪いですね。
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?はドイツ国防軍のヘルメット.ボンの怪しい古道具屋から買ったもので、弾丸の貫通痕が5カ所ついている.これをかぶっていた兵士は確実に死んでいる.私は研究室に来ると、このヘルメットの下に置いてある香炉で香を焚いている.純日本製の香りだが、亡くなったドイツ兵の魂に届けばと思って、毎回やっている.
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「貫通痕」が「ボンの怪しい古道具屋」の偽造ならば、水島氏の鎮魂の儀式はどうなるのか、と少し心配です。購入の年月日と価格を明記してほしい。・・・とまあ、どうでもいいようなことですが。
自衛隊を違憲と考える憲法学者の代表格である水島朝穂氏について、前回投稿では少し悪意のある紹介をしてしまいましたが、参考のため、水島氏自身の文章も引用しておきます。(『憲法「私」論 - みんなで考える前にひとりひとりが考えよう』、小学館、2006、p131以下)
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私の研究室から
この章では、自衛隊の話をしましょう。自衛隊を考える「現場」はというと、私の研究室です。
私の研究室にいらした方は、最初は誰でもびっくりします。弾丸が貫通した旧ドイツ軍ヘルメット、砲弾の薬莢、地雷、手榴弾などがごろごろしています。軍事グッズの秘密の展示室にまぎれこんでしまったのではないか、と錯覚されるかもしれません。もちろん、私は、驚かすつもりでこんな物騒なものを集めているのではありません。
私の専門は憲法と軍事法制の研究ですから、平和や戦争のことを考えるためには、軍事の実態をしっかり踏まえ、事実にもとづいた具体的な議論をしたいと考えるからです。特に湾岸戦争以降、メディアを通じて戦争がゲーム感覚で伝えられる傾きがあります。でも、戦争の現実は同じです。ピンポイント爆撃の下では、生きた人間が肉片になったり、黒こげになっているわけで、アフガンやイラクでも、戦争被害の実情は一部しか報道されていません。国際的な紛争を武力によって解決しようとすることによってもたらされる人類の悲劇を、一日も早く止めなければなりません。
軍隊は国家を守るための道具です。そこにいる人を守るためのものではありません。それによって犠牲になるのは、いつも国民、市民、「個人」なのです。その身近な例が、第二次世界大戦のヒロシマ、ナガサキ、オキナワです。このことを忘れるべきではありません。
日本国憲法は、紛争の解決を「軍事的合理性」によってではなく、「平和的合理性」によって実現することを世界に先がけて宣言した憲法であると考えています。私は、この平和憲法こそが日本と世界の未来を生きる確かな手段なのだということを、研究室から発信したいのです。
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ということで、p130の「◆写真特集◆ 水島研究室と歴史グッズ」には、
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歴史グッズに囲まれて
武器などの歴史グッズは、平和を考える実物教材である。花を活けてあるのがサラエボで使われた機関砲弾の薬莢。リカちゃん人形は沖縄サミットの際にゲストや取材陣に配られた非売品。この章の写真のものは、すべて研究室に保管しているもの。
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といった解説付きで、<銃弾の貫通したドイツ軍のヘルメット…ボンで入手したもの。戦争の恐ろしさを実感させられる。>や<イラク戦争をめぐるトランプ…フセイン大統領(当時)らイラクの重要人物を「お尋ね者」にしたトランプと、ブッシュらを「お尋ね者」にしたトランプ。>、<ブッシュとビンラディンの人形…右下のヒトラーの人形は、第2次世界大戦中にイギリスでつくられたもの。>といった充実したコレクションが紹介されています。
ま、大変結構な研究環境だなとは思いますが、このような大量のグッズを集めなくても、戦争をリアルに把握できる書籍や映像は充分存在していて、その多くは必ずしも「戦争がゲーム感覚で伝えられる傾き」を伴っている訳でもないように思います。
例えば、「イラク戦争を主導したジョージ・W・ブッシュ政権の国防長官であり、存命するアメリカの政治家の中でも最も不評の人物の一人」(村田晃嗣氏)であるドナルド・ラムズフェルドの回想録は、実際に読んでみると、意外なことに「戦争がゲーム感覚で伝えられる傾き」とは縁のない冷静な記録ですね。
「平和や戦争のことを考えるためには、軍事の実態をしっかり踏まえ、事実にもとづいた具体的な議論をしたいと考える」人にとっては、水島研究室のグッズを見るより、ラムズフェルドの回想録を読む方が役に立つかもしれません。
日経ブックレビュー
真珠湾からバグダッドへ ドナルド・ラムズフェルド著 米国政治の展開たどる回顧録
2012/5/15付 同志社大学教授 村田晃嗣
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO41348350S2A510C1MZC001/
48歳の若さで同志社大学学長となった村田晃嗣氏も、集団的自衛権に肯定的な立場を取ったために「存命する日本の大学学長の中でも最も不評の人物の一人」となり、学長に再選されないという憂き目に遭いましたが、そうした立場の人だけがラムズフェルド回想録を評価している訳ではなく、ちょっと検索してみても大変参考になったとする書評は多く、アマゾンあたりでもけっこう星の数が多いですね。