投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年10月30日(月)10時06分40秒
「シンビルスク郊外にあるチェレンガという田舎町」のモロゾフ家の出自については次のような説明があります。(p19以下)
------
ワレンティン一家は姓をモロゾフといった。先祖は農民の出であったが、フョードルの祖父の代に商人に転じた。フョードルの父の代はまだ蝋燭を造って教会に納めていた程度だが、フョードルの時代になると故郷のチェレンガで雑貨商をいとなむいっぽう、広く交易に手を染めた。
いちばん大きな仕事は犂などの農耕具をドイツから輸入することだった。次いで繊維製品。こちらは大部分がモスクワ製だが、高級品は英国から輸入する。金持の地主向けにフランスから<クリコ>印シャンパンを取り寄せたりした。
日露戦争が終わり一九一〇年代に入ると、ロシア経済はめざましい成長をとげ、穀物などは年毎に輸出高を伸ばしていた。野心家で次々と新しい仕事に手を伸ばしたフョードルは、この波に乗った。そして一九一四年、第一次世界大戦が始まると政府の委託を受け、軍馬の徴用や軍服製造などの兵站活動も始めるようになった。町で初めて自転車というものを輸入して乗りまわしたのもフョードルなら、学校のなかった近郊農村のために資金を捻出して学校創設にこぎつけたのもワレンティンの父フョードルであった。いまではチェレンガの町で、フョードルは神父、獣医、農業技師などとならんで押しも押されぬ名士となっていた。
しかしこの名士一家も、いまは人の目をのがれるように町を離れ、東へ、シベリアへ向かっている。この年三月、ペテルブルグで勃発し、じりじりと不吉な烽火を広げている革命のためである。
-------
「先祖は農民の出」とありますからユダヤ系ではないですね。
帝政ロシアではユダヤ人に農地経営を認めていませんから。
ま、要するに洋菓子のモロゾフ家の先祖は「田舎町」の小金持ちの商人であって、モスクワのモロゾフ財閥とは全く関係ない訳ですね。
チョコレートとの縁については、少し前にシルビンスクに住む「ナターシャ叔母さん」に関する記述があります。(p14以下)
-------
ナターシャ叔母さんは父の妹にあたる人だった。家はシルビンスクの大通りに面していて、ピカピカに磨かれた硝子窓がはまっていた。町でいちばん早く電気を引いたのは叔母さんの家で、その夜は見物人が山のように押し寄せたそうだ。叔母さんは小さなチョコレート工場をもっていて、町一番の高級チョコレートを売っている。ワレンティンの家もチェレンガ一の雑貨商だが、とても叔母さんのところの比ではない。
-------
ただ、ワレンティン一家が洋菓子店をやろうと決めたのは、ハルビン、アメリカ・シアトルでの流浪の生活の後、やっと落ち着いた神戸で様々な商売の可能性を探り、洋菓子店がそれなりに有望そうだったからであって、「ナターシャ叔母さん」がチョコレート工場を持っていたこととの直接の関係はないですね。
ワレンティン一家とモロゾフ株式会社の関係については九年前にあれこれ書きましたが、少し検索してみたら現在はウィキペディアにもずいぶん詳しい記述がありますね。
ま、出典を見ると川又一英氏の『大正十五年の聖バレンタイン』に全面的に依拠しているようですが。
ロシア語版も出来ていたので、リンクはそちらに張っておきます。
ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ(1911-99)
川又一英氏についても九年前はウィキペディアの記事はなかったはずで、私はご著書の奥付やカバーの著者略歴から僅かな知識を得ていただけだったのですが、2004年に亡くなられていたのですね。
川又一英(1944-2004)
>筆綾丸さん
>レーニンの血筋の複雑さ
ユダヤの血筋が入っている点については、レーニン没後、相当経ってからも政治的意味を持ち、公表すべきか否か問題になりましたね。
サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち(上・下)』(染谷徹訳、白水社、2010)を読み始めたので、次の投稿が少し遅くなるかもしれません。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
ウリヤノフ家 2017/10/28(土) 15:43:30
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3
--------------
父方の祖父は解放農奴出身の仕立屋で民族的にはチュバシ系で、曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった(曾祖母はロシア人であったという)。この様に幾つもの民族や文化が混じるウリヤノフ家は帝政ロシアの慣習から見て「モルドヴィン人、カルムイク人、ユダヤ人、バルト・ドイツ人、スウェーデン人による混血」と定義された。
--------------
レーニンの血筋の複雑さには目が眩みますね。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784004316749
抵抗のある岩波新書ですが、高橋敏氏の『一茶の相続争い―北国街道柏原宿訴訟始末』は面白く読めました。一茶の場合、幕府の公的機関による公事(民事訴訟)ではないから、正確には「訴訟(始末)」とは言えないのでしょうが。
句碑の撰文末尾の五絶、
感神松下詠 知命暮鐘声
一自茶煙絶 科山月独明
を、
神を感ぜしむ松下の詠 命を知る暮の鐘声
一自茶煙絶え 科山の月独り明らかなり
と訓じていますが、これでは「一自茶煙絶」の意味が通じない(164~165頁)。「一自」はおそらく天保期の筆写の間違いで、「一度」であれば、「ひとたび茶煙絶え(一茶を火葬に附した煙が消えて)」となり、意味がわかります(あるいは「一目」か)。
http://www.sankei.com/life/news/171027/lif1710270034-n1.html
尊氏の肖像は、これでほぼ決まりでしょうね。
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3
--------------
父方の祖父は解放農奴出身の仕立屋で民族的にはチュバシ系で、曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった(曾祖母はロシア人であったという)。この様に幾つもの民族や文化が混じるウリヤノフ家は帝政ロシアの慣習から見て「モルドヴィン人、カルムイク人、ユダヤ人、バルト・ドイツ人、スウェーデン人による混血」と定義された。
--------------
レーニンの血筋の複雑さには目が眩みますね。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784004316749
抵抗のある岩波新書ですが、高橋敏氏の『一茶の相続争い―北国街道柏原宿訴訟始末』は面白く読めました。一茶の場合、幕府の公的機関による公事(民事訴訟)ではないから、正確には「訴訟(始末)」とは言えないのでしょうが。
句碑の撰文末尾の五絶、
感神松下詠 知命暮鐘声
一自茶煙絶 科山月独明
を、
神を感ぜしむ松下の詠 命を知る暮の鐘声
一自茶煙絶え 科山の月独り明らかなり
と訓じていますが、これでは「一自茶煙絶」の意味が通じない(164~165頁)。「一自」はおそらく天保期の筆写の間違いで、「一度」であれば、「ひとたび茶煙絶え(一茶を火葬に附した煙が消えて)」となり、意味がわかります(あるいは「一目」か)。
http://www.sankei.com/life/news/171027/lif1710270034-n1.html
尊氏の肖像は、これでほぼ決まりでしょうね。