投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月17日(日)22時44分27秒
『日本歴史』765号(2012年2月号)に南部昇氏の「石母田正氏との対話─自説を撤回することについて」というエッセイが載っていますね。
私は『日本歴史』は定期購読しておらず、今日、図書館で歴史学関係の雑誌をいくつかめくっていて、初めて気づきました。
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一九七三年七月、石母田正氏が集中講義のため、北大文学部にやって来た。博士課程の学生で、当時二十七歳だった私は、元気と積極性だけが取り柄であった。その日の講義の終了した七月十七日午後、私は「先生、コーヒー飲みに行きませんか」とさそって喫茶店に入り、二時間ほどさまざまな話をした。
(中略)
私にとって特に意外だったことの一つは、氏が学者というものは自説の撤回など、しないものだ、と述べたことである。
「先生、古代史の論争なんか見ていると、明らかにこちらの勝ち、向こうの負け、ってことありますね」
「うむ」
「そういう時、どうして、負けた方は『まいった。撤回する』って言わないんでしょうか。そうした方が学問の進歩のためになるでしょう」
「いや、学者というものは滅多に自分の説を撤回しませんよ。Aさんなんか、あんな大学者ですが、誰も、あの人の近江令に関する説なんか認めなくなっているのに『今に地下から近江令が発見されて、私の正しさが証明されるでしょう』って言ってがんばってましたからね。撤回なんかしませんよ。僕は、そんな例、知らないなあ」
「Bさんなんか、郡評論争に参加して、Cさんと対立しましたけど、もう木簡がどんどん出てCさんの方が正しかったことが明らかなのに、まだ自説に固執して撤回しませんね」
「自説に固執する・・・。そう、Bさんもね。女性的な人ですが、人柄や、やっている内容にもよるんです。細かいことを調べあげて、こうだ、という結論を出すだけですから、それを否定されたら後に何も残りません。それでオシマイですから、固執するでしょう。
史料のあるところばかり選んで、細かく完成されたものを書いて、そして、それをほめる人がいるものだから、ますます、そうなります。史料のない所も覆えるような仮説を論じることも必要でしょう。あちらこちら、小さな実証のことをいくらやっても、その人間の歴史というものに対する見識が高まるわけではありません。
古代国家のことについて多くの論文を書きながら、さて、『国家とは何か』とDさんにきいたら、あの人は高校生以上のことは言えないでしょう。みんな、そうです。
それでいて、そういう人たちのやっていることが無価値かというと、そうではない、有用なものです。歴史学というものが、そんな人たちで成り立っている。何とも不思議です」
「Eさんの論文など、手堅く手堅く、まとめられていて、そういうものをたくさん書いていますが、それらをまとめて、何か大きな理論を展開する、ということはしないのでしょうか」
「ああ、しませんね。最近、手紙が来て、何か、するようなことを言っていましたが、しないでしょう。C君だって、しないでしょう。
(後略)
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私は古代史に疎いので、ABCDE氏全員の名前は分かりませんが、石母田氏もなかなか辛辣ですね。
※補足があります。(8月23日追記)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7470