投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月31日(月)20時06分32秒
ここ暫く、石母田氏は一体いつからウェーバーを読んでいたのだろう、というプチ疑問を抱いていたのですが、石井進氏の「『中世的世界』と石母田史学の形成」(『中世史を考える─社会論・史料論・都市論』所収、初出は『歴史学研究』556号、1986年7月)によれば、1943年の「宇津保物語についての覚書」執筆時までは確実に遡りますね。
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(前略)
やがて一九四三年四月、歴史学研究会日本史部会で口頭発表され、同年末『歴史学研究』に掲載された「宇津保物語についての覚書─貴族社会の叙事詩としての」は、先生の研究の一つの転機を示す重要な論文です。平安朝の文学として注目されることの少なかった「宇津保物語」をとり上げ、「没落しようとする古代社会及び古代都市の歴史的表現として」理解しようとする視角は斬新であり、後年の「英雄時代論」や「平家物語論」につながる指摘もすでになされています。特に古代的世界の没落という問題意識が正面におし出されたことが特徴的です。
先生に伺ったところでは、「学生時代、西洋史の山中謙二さんの講義をききながら、古代から中世への展開の過程を、西欧のような諸民族の隆替、交渉史でなく、一民族内にローマ的、ゲルマン的なものをともにふくむ日本史の舞台で明らかにしたい、と考えたことがまず一つあった」、「それを社会構成論の奴隷制への展開としてとらえようとした。そこで<寺奴>の問題が出てきた」ということでした。また「古代世界の没落という関心は西洋史からですね。ウェーバーは読みましたよ。あの<ウンターガング・・・>、短いものだが、あれだったかな?」とも伺いました。その後、数日たって又お訪ねしましたが、その時には机の上に『社会経済史論集』が出しており、「これが『古代文化没落の社会的諸原因』ですよ。<没落(ウンターガング)>にひかれて読んだところ、これが面白くてねぇ」とのお話でした。
この論文は、古代社会構造の独自性を①都市文化、②沿岸文化、③奴隷文化の三点でとらえた後、その基礎構造をなす奴隷制が、ローマ帝国による侵略戦争の停止後、人間商品の供給不足の結果決定的に変質し、①’田園文化、②’内陸文化、③’荘園制という対極的特徴をもつ中世社会に移行したことを強調する、きわめて鋭い内容であります。とくに社会的諸原因のうち、奴隷制の変質の一点に問題をしぼりこんだところは、マルクスの歴史観を想起させる部分があります。先生が強い印象をうけられたのも、さこそと思われます。
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まあ、石母田氏の教養からすれば、全く当たり前の話でしたね。
もしかしたら旧制二高時代くらいまで遡るのかもしれませんが、ウェーバーにはマルクス主義の文献のような熱さはありませんから、石母田氏が面白いと思うようになったのは直接的な政治運動から離れた後なんでしょうね。