投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月22日(日)11時08分55秒
>筆綾丸さん
『とはずがたり』の「証言内容はすこぶる信頼性が高い」ということは、譬えて言えば某大学文学部M教授の研究室にいた女子学生が、自分はM先生の愛人でした、M先生は私にあんな猥褻なことやこんな異常なことをさせた純度100%の変態男でした、しかし私は今でもM先生を愛しています、心からお慕い申し上げています、という手記を週刊誌に発表したとして、その「証言内容はすこぶる信頼性が高い」と評価するようなものですからねー。
ま、森氏がその程度の「赤裸々に告白した異色の日記」を信頼されるのは自由ですが、氏が他の史料を扱う際の極めて慎重な態度とは随分異なるので、ちょっと妙な感じは否めないですね。
さて、森氏自身は『増鏡』の作者について特段の意見を持たれていないようですが、念のためと思って、森氏による小川剛生氏『二条良基研究』(笠間書院、2005)の書評(『日本歴史』703号=平成18年12月号)を見たところ、『二条良基研究』全体に対する評価は、
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ひとことで言うと、本書はなかなか骨太の力作である。著者小川氏はあえていえば、中世の国文学研究を専門とする新進気鋭の若手学究であるが、本書の内容は、決して国文学の範疇に収まるものではない。そのことは、小川氏独自の専門的な学識はむろんのこと、繰り出される諸指摘が日本中世史に対するじつに的確にして深い理解に裏打ちされていることによろう。歴史研究の成果を十分に取り入れる格好で、みずからの新知見を随所にちりばめつつ、本書は執筆されている。
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という具合に極めて高いですね。(p115)
ただ、『増鏡』の作者に関する小川説については特に言及はありません。
ま、小川説自体が何とも曖昧なものなので、評価のしようがないのかもしれませんが。
『二条良基研究』
「なしくずし」(筆綾丸さん)
「牛」
>保阪正康氏の『昭和史のかたち』
七十過ぎた人が十代の頃の父親との葛藤をグダグダ書いているのは、ちょっとみっともない感じがします。
ちなみに保阪家は加賀百万石前田家の支藩、といっても僅か一万石足らずの小藩である上州七日市藩の家老の家柄だそうで、正康氏は43歳のとき、死が迫った父親とやっと和解したそうですね。
父親の回想によれば、正康氏の祖父の人生は、
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第一高等学校医学科の第一期生であったが、放蕩三昧の生活をし勘当同然になったこと、それでも内務省の役人になったがすぐにやめて新事業を興して失敗したこと、第十三代藩主になるはずだった利定と同年齢で親しかったために横浜の済生会病院に職を得たこと、しかし関東大震災で高女教師だった母や姉をはじめ家族が全員死亡したこと、
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といったものだったそうで、良い家柄に生まれただけに悩みも深かったようですね。
「酒井美意子は加賀百万石のお姫さまなの」
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
昭和史と幾何学の不思議な関係 2015/11/21(土) 13:59:46
小太郎さん
『南朝全史 大覚寺統から後南朝』の前半を読み返してみると、小太郎さんの言われるようにまさに「殆ど『増鏡』の注釈書の趣」で、歴史学とは思えぬナイーヴさに羨望の念を禁じ得なくなりました。男を騙すなんて訳ないわね、と中世の頭脳明晰な性悪女の神々しいまでの微笑が仄見えるようですね。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784198639723山内昌之・佐藤優両氏の対談『第3次世界大戦の罠』を、興味深く読みました。両氏は池内恵氏を厳しく批判し、中田考氏を擁護する池内氏の文章を引用したあとに、こんな対話が続きます。
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佐藤 例えば、<中田さんをめぐる疑惑と紛議の嵐が去って、本書がこの解説を要さなくなる日が早く訪れることを望んでいる。>というくだりを読んで私は、「人は二つの椅子に同時に座ることができない」というロシアの諺を思い出しました。
山内 その表現もありますが、別の言い方もあります。「問題なのは君が同時に二つの椅子に座れないことではない。君が二つの椅子に挟まれたうつろな空間に座ろうとするのが問題なのだ」と。
佐藤 そう。座る場所がないんだと。
山内 そういうことです。これはレーニンがベール・ボロボフに対して言った言葉ですよ。
佐藤 僕の率直な池内氏の印象は、怖がりなんだと思うんですよ。あの人は攻撃的な文を書きますが、実際のところは小心だと思うんです。ISについて激しく非難したので、この人たちから殲滅対象にされるかもしれないという恐れが出てきた。
山内 つまり、保険をかけたということですか。(51頁~)
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一つの量子は二つの場所に同時に存在することができる、と言えるので(朝永振一郎『光子の裁判』におけるディラックの夢)、池内氏は量子力学の不思議な存在論に通じているのかもしれない、とは佐藤氏も理解が及ばず、それで、山内氏は二つの間の空虚について言及したのかもしれない、とも思われない。・・・・・・
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1510/sin_k850.html保阪正康氏の『昭和史のかたち』は、まるで中学生の初歩的な幾何学の授業のような感じで、読むべきか、読まざるべきか、面食らっています。はしがきを読むと、まあ、そいう事情か、とは思うのですが。
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父親は高校の数学教師だった。戦時下には大学で研究者の道を歩んでいた。関東大震災時に片耳が聴こえなくなったため、研究者として配属将校に愚弄されることがあり、結局旧制中学の数学教師に転じた。それが口惜しかったのか、私を数学者にと幼年期から数学を教えた。
しかし私は読書が好きな少年で、中学卒業時に父親に自分の進む道を決められるのはたまらないと、徹底して反抗に転じた。高校時代にはまったく勉強しなかった。父への苛立ちからである。
父親の亡きあと、その備忘録を見つけたが、その中で私に詫びる一文があった。
数学についての具体的な知識はないのだが、数学的発想には魅かれる。昭和史に関心をもって調べているうちに、これを図式化するとこうなるのではと考える。あるいはフェルマーの定理にまつわる歴史的エピソードなどにも関心をもっている。
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